Precious

Precious

作者 凪村師文 

https://kakuyomu.jp/works/16818023212164699959


 二〇二四年一月一日に発生した地震で家族を亡くした麻結は、親友の紗耶香の言葉を受け、一足先に父のもとへ逝った二人の分も精一杯生きようと誓う話。


 現代ドラマ。私小説。

 感情の描写がよく描けている。

 つらいに、勝とう。


 主人公は高校生の麻結。一人称、わたしで書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。現在、過去、未来の順に書かれている。


 男性神話の中心軌道に沿って書かれている。

 主人公の麻結は、父を病気で亡くし、母と弟の直人の三人で暮らしている。二〇二四年一月一日、朝は家族と過ごし、午後は親友の紗耶香と一緒に近所のショッピングモールで初詣に来ていくコートを見繕っていた。そのとき発生した大地震が町を、周囲を襲う。

 避難所になった主人公たちが通う高校から自宅に行く道にある家々はすべて倒壊した。親友の紗耶香と共に避難所で過ごす。二日の昼に家族の遺体が見つかった後、麻結は深い悲しみに沈む。

 一晩経ち、自衛隊の方が母のネックレスと弟の大好きだった自動車のおもちゃを持ってきた。形見を握りしめ倒壊した家を前に、自宅の門があった場所にしゃがみ、手を合わせる。

 紗耶香に背中にひざ掛けをかけられる。

 紗耶香の家族は全員無事。一緒に避難所で暮らしている。

「一緒に死ねばよかっただなんて思わないで。あなたは、あなたのお母様と直人くん、そしてお父様に救われたの。だから……だから救われたその小さな命を大切にして。……あの時から、あなたの心臓には、亡くなった三人の”いのちの灯火”も詰まっているのよ……」

 紗耶香に抱きしめられながら麻結は、前向きな気持ちが消えないうちに悲しみも思い出もすべてを引き連れて、一足先に父のもとへ行ってしまった二人の分も精一杯生きようと誓うのだった。


 基本構造で書かれている。

 序盤は地震の発生とその影響。

 中盤は家族の遺体発見と深い悲しみ。

 終盤は紗耶香の支えを受けて生きる意味を見つける。


 三日前のことの謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関係し、どのような結末に至るのか、考えながら読んでいく。


 書き出しは、物語での現在の視点からはじまっている。

 遠景で主人公の眼の前に広がる景色が嘘ではないと思っている(思考)ところから始まり、近景では現在から過去の出来事を語りながら、自信が起きたときのこと(行動)を説明し、心情で「楽しい元旦だった……はずなのに」と(感情)語っている。

 主人公は、友人との買い物中に地震に見舞われた。津波が来るとの声に、死を意識している。

 避難所となっている高校で一夜を明かす。翌日の昼、母と弟がなくなったことを知り、友人家族等と一晩明かし、自衛隊の人が持ってきた形見をもって、倒壊した自宅前で手を合わせる。

 父は病気ですでに他界し、主人公は一人になってしまった。友人の家族は無事だが、きっと家は倒壊しているだろう。

 他の人達も、似たりよったりの状況だろう。

 実に悲しく、かわいそうで共感を抱く。


 長い文で、十行以上で改行するような、文章の塊で書かれている。一文も長いものもある。本作は私小説の部類に入るので、長くてもかまわない。短い文は強く、興奮や熱を帯び、長い分は弱く、落ち着きと重々しさを感じさせてる。短文と長文を組み合わせた書き方をしてテンポよく、感情豊かで、内省的な語り口。口語的で、読みやすく書かれている。

 主人公の感情の描写が細かく丁寧で、深い共感を呼び起こすいい文章。紗耶香との友情が温かく描かれていて、生きる意味を見つけようとする主人公の成長が描かれているところがよかった。

 五感の描写について、視覚では瓦礫の山、倒壊した家々、母のネックレス、弟の自動車のおもちゃ。聴覚は地震の音、紗耶香の心臓の音。触覚は紗耶香の温もり、ひざ掛けの感触が描かれている。

 五感の描写をさらに増やすことで没入感を高めることができるかもしれない。けれど、突然の悲しみに見舞われた状況では、生につながる嗅覚や味覚は感じにくい。食事をしても味がしなかった、匂いもわからない、みたいなことは書けるかもしれないが、食事に関心を持てる状況でもないだろう。

 全体を通してみればわかるように、遠くを感じることができる視覚や聴覚からはじまり、生きていこうと決意していく後半は身近に感じられる触覚を描いている。

 地震の揺れも触覚で描けたはずなのに、冒頭でそれがないのは、意図的か偶然かわからないけれども、五感描写の描き方の選び方で、さらに読み手に想いが届いてくる。

 今年起きたことなので、読み手も記憶に新しい。でも、年月が過ぎてから本作を読み返したとき、伝わりづらさが出るかもしれない。

 そう考えると、地震の詳細な描写を追加し、緊迫感を強調してもいいのではと邪推する。


 主人公の弱みは、家族を失った悲しみと絶望感。自分の無力さへの嫌悪感。生き残ったことへの罪悪感。

 突然、当たり前の日々が終わったら、奪われたら、誰だって絶望し、なにも出来ない自分は無力だと思い、「一億以上いる日本の人たちの中で何でわたしの母と弟が選ばれてしまったのだろうか。二人は何か悪いことをしてしまっていたのか。そのばちが『死』という形で襲ったのか。「神さまは本当に存在するのだろうか」神や世界を一度は恨む。

 でも、そんなことを考えても詮無きことなので、自分を責める。

「許してほしい。わたしがなにかしたらならば、どうか許してください……」

 主人公の性格や、置かれた状況から、死ねばよかったと思うことは想像できるけれども、主人公の内面の葛藤をさらに深掘りすると、

 親友の紗耶香の行動や言葉が、強く響き、精一杯生きようと誓う主人公の想いが、より伝わるかもしれない。


 読後、タイトルを見る。意味は「高価な、貴重な、大切な、大事な、かわいい」など。主人公にとって大切な人や場所を失ってしまった。でも大切な親友と、家族の思いや命をもっていることに気付かされた。なくしたものもあるけれど、なくしていないものもある。

 その想いを体と心と魂に刻んで、強く生きていくだろう。

 二〇二四年一月一日に発生した能登半島地震を描いている。誰かは書くだろうと思っていた。それほど大きくて痛ましい出来事だったから。

 本作の主人公のような思いをした人は、実際にいるだろう。災害報道をみる度に忘れてはいけない。他人事ではないのだから。



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