清水せんせい
清水せんせい
作者 心沢 みうら
https://kakuyomu.jp/works/16818093082899695157
学生時代に一流大学を目指して勉強に打ち込むも失敗、さらに就職活動に失敗し、祖母の影響もあって教師になる道を選ぶ。小学生教師として働く中、かつての自分と似た谷本ゆきのから誕生日プレゼントをもらい、教師も悪くないと思う話。
現代ドラマ。
これは実にいい。
内面の葛藤や成長、日常に見つけた小さな喜び。
素晴らしい。
主人公は教師。一人称、わたしで書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。
女性神話の中心軌道に沿って書かれている。
主人公の清水は、かつて目標であった高偏差値の大学に入るために高校一年生から努力したが、合格できず。浪人しても一度頑張ろうと思えない意気地なしだった。
営業マン、薬剤師をしていた父と母は、物心がついた頃には既に死に、主人公には教師をしていた祖母だけだった。
「なんやかんや言って、あんたも教師になるんじないの」
教師を退職してからすこし若返った祖母は愉快そうにいった。滑り止めで受験していた大学の文学部に進学したわたしは、就活時のアピールのために教職課程を取ってしまう。
負け犬根性を引きずったまま、大学生生活の最後の夏を怠惰に過ごし、就職活動に失敗して教師になるための試験を控えているが、やる気が出ないでいた。
就活に失敗、小学校教師となる。
教師として働き始めて一年と八ヶ月が経過。日々の労働に追われる中で、かつての同級生たちが一流企業に内定を得ていることに劣等感を抱いている。
ある日、登校指導当番として横断歩道に立っていると、昨年担任をしていたかつての教え子、古野修也がいるのに気付くも、彼の幼馴染、谷本ゆきのがいない。班長から「谷本さんは寝坊したので置いてきました」といわれる。
ゆきのは主人公に似ているところがあり、何事も俯瞰で見ている感があって、優等生ではないが誰よりも大人びていた。唯一の違いは頭の出来である。彼女は授業中に高校化学のテキストを解くほどのギフテッドである。
横断歩道をわたり終えると、修也から誕生日プレゼントをもらう。
プレゼントはゆきのからだった。
「びっくりしました? あいつがプレゼントだなんて」
「そうね。正直、ゆきのさんからもらえるとは思わなかったな」
「でしょ。ゆきの、あれで清水先生のこと結構好きみたいで」
お礼をいわなくてはというと、「それなら、ちょっとここで待っていたらいいと思います。あいつ、直接渡すのが恥ずかしいからって寝坊決め込んでるから」と教えられる。
プレゼントを受け取った主人公は、教職も悪くないと感じ、彼女が来るのを待った。
構造としては、過去の回想と主人公の内省、日常の出来事が工作しながら、主人公の成長や変化が描かれている。
導入では、大学生活終わりに就職活動の失敗と過去の目標、自己嫌悪が描かれている。
本編では小学校教師として児童とやり取りしながら同級生が就職したメーカーの車を見て感じる胃痛。祖母が中学で数学を教えていた影響で、自分も教師になったが、教師という職業に対する嫌悪感がある。
結末は、担任していた児童から誕生日プレゼントをもらい、教職も悪くないと感じる。
気だるさに身を任せている謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関わり、どのような結末に至るのか気になる。
怠惰な様子の書き出し。
遠景で、現実から目を背き気だるさに身を任せベッドの中で終わらそうとする姿を描き、近景では、スマホやゲーム機に依存し、怠惰な生活を送る様子を描き、心情で翌朝後悔するのにやめられないと吐露する。
だらしなさに、可哀想よりも哀れな感じがする。
同級生たちは夏を楽しんでいるが、自分は就職かる道に失敗し、教員採用試験を控えているが、やる気がない。
高校時代を思い出し、あのころは 日本で一番偏差値が高い大学に入ることが人生の最大目標だったが失敗し、浪人してもう一度頑張る意欲がなく、滑り止めの大学に現在いる。努力してきた自分が下に見られることに対する怒りと、ネガティブな感情に苛まれ、事故厭悪に陥りながら、泣いてしまう。
可愛そうだなと、しみじみ思う。志望大学、あるいは志望校合格できなかったことのある読者は、主人公の悲しみや辛さに共感すると考える。
受験だけでなく、競技に敗れたことがある人も、主人公の自己嫌悪や悔しさがわかると思う。
長い文ではなく、数行で改行している。句読点を用いて一文は長くなく、短文と長文の組み合わせてテンポよくして、感情を揺さぶっている。内省的で感情豊かな文体。ときに口語的。主人公の心の声や思考が詳細に描かれていて、心の葛藤や成長がリアルに描かれているのがいい。
登場人物たちの関係性や会話が自然で、比較的読みやすく、物語に引き込まれる。
比喩や具体的な描写を多用して、情景や感情を鮮明に伝えているところもいい。
直喩「わたしの時計はずっとゼロを指している」
隠喩「教室という暖かい地獄に戻れる」
擬人法「ホットコーヒーが、わたしの中で存在を主張している」
誇張法「狂ったように勉強して、勉強して、勉強した」
「~のような」「~みたいな」といった比喩の使い方をしていないところが良かった。主人公が大人として感じられる。
「確率漸化式、蟻鼻銭、ひがひがし、orphanは孤児を意味する英単語。エトセトラエトセトラ」とあり、これも比喩だろう。
確率漸化式は数学、確率論や統計学で使用される数学的概念。確率の計算において、前の状態の確率を用いて次の状態の確率を求める式のことを指す。反復試行や一定時間ごとの状態変化を扱う問題で使用され、難関大学の入試問題でも頻出の題材となっている。
くり返し、志望大学の勉強をしたことを意味していると推測。
蟻鼻銭は歴史、中国の戦国時代の楚で使用された青銅貨幣。貝を模したもので、貝銭とも言われる。長さ約二センチメートル、長円形、表面はややふくらむ。蟻の顔に似ていたのでこの名がある。
ひがひがしは古文、シク活用の形容詞。「ひねくれている、趣を理解しない」「見苦しい、非常識だ」「調子がおかしい」の意味。
Orphanは英語、主に二つの意味で使用される。「 孤児。両親を失った子供」「取り残されたもの。保護者や支持者がない、または必要な援助を受けていない人やもの」
どれも主人公を表すのものだと考えられる。蟻鼻銭は、主人公の性格を蟻みたいだと喩えているのかもしれない。並びからして、いい意味ではないかもしれないので、働き者ではなく、あえて怠け者を許す蟻の生態から、怠けていると揶揄しているのかもしれない。
五感を使った描写が豊富で、情景をイメージしやすい。
視覚はカレンダーに赤いバツが増えていく様子、横断歩道での児童たちの姿、色とりどりの車などが具体的に描写されている。リアリティーを強く感じる。
聴覚は児童たちの会話や足音、車の音などが描かれています。
「あの先生、背高いね。誰だっけ」
「僕の隣のクラスの担任の先生だよ、清水先生」
「えー、おれしらん。山田せんせーがよかった!」
忖度も容赦もない子どもの発言が素晴らしい。
触覚は涙が頬を流れる感覚、紙袋の重さなどが描写されている。
「気づけばつーと頬を流れていた液体を、わたしは慌てて喉の奥に閉じ込めようとした。喉が痛くなっただけで、止まらなかった」
ここの動きで示した泣いている描写が実にいい。
情景を読み手は想像しながら、追体験することで、悲しみを味わうことができる。いい書き方をしている。
味覚や嗅覚はない。ただ「家を出る直前に流し込んだホットコーヒーが、わたしの中で存在を主張している」とある。
眠気を飛ばすためと思われるが、珈琲の味や匂いは残りやすいので、読み手には想像されやすいと考える。
主人公の弱みは、自分の努力が報われないことへの苛立ちや不安。他人と比較してしまうことで生じる劣等感。教師という職業に対する迷いや不安がある。
「日本で一番偏差値が高い大学に入る」という目標が達成できなかったことが、尾を引いていると考えられる。
一つの失敗が他の失敗を生み、流れ流されて教師という職業についている。それも、中学教師をしていた祖母の影響。両親はすでに高いし、引退後の祖母に「なんやかんや言って、あんたも教師になるんじないの」と言われていた祖母も、いまはもういない。
主人公は一人なのだ。
「思っていたより少しだけ高かった給料で、学費を返済するために労働する毎日である」
奨学金制度という名の借金で大学に通い、働いて返済しているのがわかる。
十三班の班員は中高学年のみ、とある。
通常なら、低学年の面倒を高学年が見る形で班が構成されている。
おそらく少子化で、低学年生がいないため、中高学年の班となっているのだろう。
必ずではないけれども、新任の先生は中学年を受け持つ。大変なのだけれども、中学年は学校生活に慣れてきていること、周りのことを考えられる年齢であり、空きコマができることが多いから。
だからといって絶対とは言い切れないが、受け持つことが多いのは中学年。古野修也と谷本ゆきのは現在、四年生か五年生だと推測。
この日が主人公の誕生日。浪人せずに入学し、留年せず大学卒業後に教師となって一年と八か月とすると、現在二十四歳と思われる。
谷本ゆきのについて。
「谷本ゆきのは、騒がないが御しがたい児童であった。わたしに、似ている子だ。何事も俯瞰で見ている感があって、優等生ではないが誰よりも大人びていた」
主人公の対として描かれている。
だが、「ゆきのとわたしの唯一の違いは頭の出来である。ゆきのはわたしの授業をあまり聞かなかった。代わりに高校化学のテキストを机に広げ、時おり鉛筆をまわしながら解いていた。ギフテッドというやつなのだと思う」とあり、似ているけど違うのだ。
たとえるなら、主人公は努力の人だが、ゆきのは天才なのだ。
そんなゆきのから、誕生日プレゼントをもらう。
同年齢ならライバルとなるが、十歳以上、ひょっとすると干支一回り違うかもしれない。
敵愾心など持たず、むしろ好意的に捉えているに違いない。遠縁の親戚みたいな感覚に近いだろう。もちろんそんなことはなく、教え子の一人。でも、主人公にとっては特別な教え子である。
そんな子から誕生日プレゼントをもらったのだ。
さぞかし嬉しかっただろう。
ほかの子供からもらっても、そこまで喜びはしなかったに違いない。
「教職も案外悪いものじゃないかもな、だなんて我ながら単純すぎてウケる。自然と口角があがっていた」
自身を俯瞰で見つつ、それでも嬉しいと感じる。
素直じゃないけど、素直な一面が表れ出た。ようやく救われたような気になれたのだ。
主人公の過去と現在のエピソードが交錯する部分で、時系列がわかりづらさを感じるかもしれない。現在、過去、未来の順に並べて描いたらわかりやすくなるのではと、余計なお世話を考える。
・現在のエピソード(教師としての日常)
登校指導当番の日の朝。六時に起床して身支度をし、七時には家を出る。横断歩道で児童たちを見守る。
・過去のエピソード(学生時代の回想)
「日本で一番偏差値が高い大学に入る」という目標。高校一年生からの狂ったような勉強の日々。就活の失敗と教員採用試験。就活に失敗し、教員になるための採用二次試験を控えている現状。教員になることへの葛藤と諦め。
・現在のエピソード(教師としての日常)
教師になって一年と八ヶ月が経過したこと。祖母の影響と教師という職業への複雑な感情。学費を返済するための労働の日々。
過去のエピソード(学生時代の回想)
祖母が中学で数学を教えていたこと。両親の死と祖母がロールモデルとなったこと。祖母の影響で教師になった経緯。
・現在のエピソード(教師としての日常)
横断歩道での出来事。修也との会話、修也から誕生日プレゼントを受け取る。谷本ゆきのの寝坊と修也の説明。ゆきのとの関係と彼女の特異な才能。
・結論
誕生日プレゼントを受け取ったことで教職も悪くないと感じる。教職への新たな視点と前向きな気持ち。
読後、実によく描けていて素晴らしいと思った。
心の葛藤や成長もそうだし、五感を使った描写や比喩もいい。読者層の十代の若者には、教師を目指すことを考えている人はいるだろう。また、すでに教師をしている読者もいるかも知れない。
清水先生のような人物が現実に存在するかどうかはわからないが、一般的に考えると、職業に対して情熱を持たず、ただ生活のために働いている人は現実に存在するし、過去の夢を諦めて現在の職業に就いている人も大勢いると思われる。
働きながら人間関係に悩みながらも、時折心温まる瞬間を経験することは、現実の教師はもちろん、どんな仕事や人生にも見られること。
これらから、本作に共感できる点は多いだろう。
過去を引きずりながらも、大変な日々を過ごす中で出会った小さな喜び。それがあるからこそ、前向きな気持ちになって頑張っていこうと思える。救いがあり、大人の日々がよく描けていてよかった。
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