【短編】その先に見えたもの
【短編】その先に見えたもの
作者 もかの@NIT所属
https://kakuyomu.jp/works/16817330663044240445
治療の施しようもなく余命が幾ばくもない病院の一室、唯一の楽しみは窓の外の様子を伝える矢野さんの話。彼が亡くなり、自分のベッドが移動して見た光景は、高いレンガが広がる壁だった話。
現代ドラマ。
『カーテンの向こう』の話。
きっと、作者はこの話が好きなのだろう。
主人公は五十歳のがん患者。一人称、私で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。
それぞれの人物の想いを知りながら結ばれない状況にもどかしさを感じることで共感するタイプの中心軌道に沿って書かれている。
近い将来必ず命を落とす患者たちが集まる病院が舞台。
主人公は五十歳でがんを患い、この病院に送られる。病院には娯楽がなく、唯一の楽しみは窓の外の様子を伝える矢野さんの話。ある日、同室の谷川さんが今夜が峠だからと、最期に窓の外を見たいと願いますが、矢野さんはそれを拒否する。谷川さんは静かに息を引き取ってから、主人公は矢野さんに不信感を抱く。ベッドは先が早い順になっている。
矢野さんが亡くなり、主人公が窓際のベッドに移動すると、そこには高いレンガの壁が広がっていた。
起承転結で書かれている。
起は病院に送られる主人公。
承は矢野さんの話を楽しむ日々。
転は谷川さんの願いが拒否される。
結は矢野さんの死と窓の外の真実。
医者も患者もろくにいない謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関係し、どのような結末に至るのか、気になる。
冒頭は導入の、客観的視点からはじまる。
遠景で「とある病院」を示し、近景でどういう病院か説明し、心情で「未来が決まっている者たち」と語る。
そういうことだろうと興味を抱かせ、更に詳しく語って共感させていく。
長い文ではなく、こまめに改行し、句読点を用いて一文は長くない。ときに口語的。シンプルで読みやすい。短い文でテンポよく進む、内面的な描写が多い。
死を迎える人々の心情を描いているところはよく、登場人物の心情が丁寧に描かれている。窓の外の真実が最後まで明かされないサスペンスも特徴的。
五感の描写として、視覚は窓の外の様子、カーテン、レンガの壁。聴覚は矢野さんの話、病院の静けさ。触覚はベッドの感触、カーテンの重さが描かれている。
もう少し具体的な五感の描写があると、臨場感がますと考えられる。
主人公の弱みは二つ。
がんにより体が動かない身体的弱みと、矢野さんへの不信感、外の世界への憧れからくる精神的弱みである。
人の心とは、体を動かすことによって気持ちを変えることができる。不機嫌や悲しみ、退屈は、避けられないと思いがちであるが、必ずしも正しくない。
逆も然り。
体の不調は、論理的思考を鈍らせ、たちまち感情に騙される。単純な人は感情の口車にのって、ますます気が滅入ってしまう。
病院のベッドで寝たきりの主人公は、態度がデカくて口達者な不機嫌や悲しみといった感情に負けてしまう。
治療の術がなく、死を待つだけの主人公たちには、常に悲しみがついまとっている。
ゆえに、谷川さんが死ぬ前に外を見たいと言ったのもわかる。
みせなかった矢野さんに対して、主人公が不信感を抱くのもわかるが、登場人物同士の対話を増やすと、キャラクターの個性が際立ったかもしれない。
また、「ベッドは早い順になるんだ。矢野さんがいなくなれば、私が窓際になれる」や「高く横長いレンガの壁」が広がっているなどがある病院の環境や他の患者の描写を増やすと、物語に深みが出る気がする。
どうして壁がレンガなのかしらん。衛生的にどうなのだろう。
ベッドは早い順になるとは、早くなくなる順に奥から並べられているということだと推測する。でも谷川さんは矢野さんより先になくなっている。
そもそも、余命の速い遅いはどこまでわかるのだろうか。
仮にわかったと仮定する。
谷川さんより矢野さんが後でなくなったのはなぜか。
矢野さんはおそらく、感情に騙されず、不満にはけ口を与えず、死というやがて訪れる悲しみに抵抗し、その場にふさわしい動きをもって、自分を慰める努力をしたのだ。
塞ぎ込んでいるとき、「遠くを見ろ」と言われたことがあるだろう。
疲れているときは、目を遠くに向けることで緊張がほぐれる。
目がほぐれると心がほぐれ、自信が戻り、体もほぐれてしなやかになる。
人の目は、遥か遠くを見つめると和らぐ仕組みになっている。遠くに目を向けることで、自分のことを考えず思考を自由にし、身体を本当の故郷へと導いてやらなくてはならない。
たとえ、眼の前に煉瓦の壁があろうとも、想像の景色にさえ目を向けることで、悲しみという感情にとらわれることなく、みんなの心と体を溶きほぐす。
つらいや悲しいを、誰もが持っているのだから。
矢野さんも、涙の味を知っていたのだろう。
本作には原作がある。
一九三四年、Allan Seagerによって書かれた短編小説『カーテンの向こう』(hospital window)である。
日本では、立石喜男による道徳の資料が知られ、道徳の授業で取り上げることがあるので、おなじみの話だろう。
◆あらすじ
ある国の病室で重病人の二人の男がベッドに横たわっていた。窓際の男は、窓の外を見ることが出来ないもう片方の男に窓の外の風景を話すことで時間を潰していた。窓際の男が語る公園の風景、美しい花など外の世界の様子にもうひとりの男は心が癒やされていた、その一方で外の風景を独占する窓際の男への憎しみも増していった。内心窓際の男の死すら願うようになってしまう。
ある日、本当に窓際の男は死んでしまう。いよいよ自分が窓際に移れると喜んだ男だが、窓の外にあったのは窓を覆う冷たいレンガの壁だった。すべては窓際の男が彼を楽しませるために作った作り話だったのだ。
生徒に、相手の立場に立って物事を考え、行動することの大切さを伝えるため、道徳の授業でこの物語を活用することがるという。
冷たいレンガの壁を見た「私」は、心の中でどんなことを考えていただろう。
矢野さんに申し訳ない。自分自身が恥ずかしい。矢野さんは皆のために嘘をついていたのか。矢野さんは本当は優しかったんだ。自分も、思いやりのある人になりたい。
真実を知った「私」は、この後どうするだろう。
皆に本当のことを言うのか。矢野さんが死んだ後に壁が出来たと言うのか。作り話を続けてみんなを励ましていくのか。
それは読み手に委ねられているだろう。
名前を変えて原作を用いるのではなく、オリジナルの根幹部分を踏襲しつつ、設定や状況さえガラリと変えて、まったく違う物語に作り上げると、作者自身の独自性も生まれるのではと考える。
主人公が壁に見えた、壮大な想像の物語を語るような話に作り上げてもいいかもしれない。
きっとこれは、読者に対して投げかけているのだ。
「矢野さんのように、嘘をついてでも周りを楽しませていく。重苦しい空気を少しでも明るくするために。それが、創作活動をする者にとって大切なことではないですか」と。
実に、奥が深い。
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