雨になる

雨になる

作者 各務あやめ

https://kakuyomu.jp/works/16818093082131760545


 雨の日、交差点の水たまりに彼女の姿を見、会話を交わして消える。涙も汗も降るならいくらでも降ればいいと願う話。


 現代ファンタジー。

 情緒的で美しい描写が印象的な作品。


 主人公は、一人称、私で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。


 それぞれの人物の想いを知りながら結ばれない状況にもどかしさを感じることで共感するタイプの中心軌道に沿って書かれている。

 雨の降る日。主人公はいつもの道を歩いている。交差点で立ち止まったとき、地面の水たまりに懐かしい顔が映る。それは、かつての友人か恋人の姿であり、彼女は幽霊のように現れて主人公と会話を交わす。彼女は夢の中で主人公に会いに来たことを話し、再び姿を消してしまう。彼女の声や姿を忘れてしまった主人公は、横断歩道を歩きながら、涙も汗も自然の流れに組み込まれて再び空から降るのならば。いくらでも降ればいいのにと願うのだった。


 雨の降る音の謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関わっていき、どんな結末をもたらすのか気になる。


 書き出しは音の描写だけなのが、印象的。

 遠景で、まず雨の音。近景で、人の無数の足音。心情で、いつも通る道だと確認する。音の表現で、主人公がどこにいるのかを、徐々に伝えてくれているのがすごい。

 視覚ではなく、聴覚にこだわっているのだ。


 主人公は雨の駅前を、他の人達と一緒に歩いている。出勤か、帰りか、日中かはわからない。毎日通る道とあるので、朝なのだろう。

 水たまりに踏み入れないようにするところから、人間味を感じるし、雨の日のお出かけは、晴れに比べて嫌なものがあり、大変さやかわいそうに思えて、共感していく。

 

 長い文にならず、三行ほどで改行し、句読点で一文を短くし、短文と長文でリズムよくしている。ところどころ口語的で、登場人物の性格を感じる自然な会話を挟んでいて読みやすい。

 雨の音や風景の描写が繊細で、情緒的な文体。内面的な独白や感情の表現が多く、主人公の心情がよく伝わってくる。幽霊のような存在との会話が幻想的で、現実と夢の境界が曖昧に描かれているところが特徴的。

 五感の描写に関しては、視覚はもちろん、聴覚も雄弁に描写されている。視覚的な刺激では、雨の降る様子や水たまりに映る彼女の姿、交差点の風景などが詳細に描かれている。聴覚では、雨の音や人々の足音、彼女の声など。触覚は、雨に濡れる感覚、水たまりを避ける感覚などが描かれている。

「ぱたぱた」「ゆらん」「ぴしゃん」「キャッ、キャッ」「ぴちゃ」独特なオノマトペの表現が、さらに臨場感をもたらしてくれている。こうした表現が、幽霊である彼女の存在や感情を幻想的に感じさせてくれる。こういう表現は素敵。

 とにかく、雨の描写が非常に美しく、情景が目に浮かぶように感じられるのがいい。しかも、主人公の内面的な葛藤や孤独感がリアルに伝わってくる。そこに幽霊のような存在である彼女との会話が、物語に神秘的な雰囲気を与えている。


 主人公の弱みは、過去の記憶や人とのつながりに対する未練や孤独感が感じられること。夢や幻に対する現実感の欠如が見られるところ。

 彼女の姿や声を忘れてしまうほど、歳月は過ぎているのだろう。

 覚えていないけれども、彼女を亡くしたことは、未だに心の何処かでは引きずっていて、それが原因で、孤独にあるのだ。


「前を横切るトラックを見て、再び視線を下に向けると、地面に懐かしい顔があった」ところから、彼女は事故で亡くなったのかもしれない。


「ふと、前を進む人のスーツに、小さな皺が寄っているのに気づいた。隣の学生が湿気で膨らんだ髪を、傘を持っていない方の手で、せわしなく梳いていた。それに気づけたから、今日はもうそれでいいと思った」とある。

 主人公が日常の小さな変化や気づきをみつけたことで、少しでも前向きな気持ちを持てたのだろう。

 かつては、彼女がいなくなった世界に関心を持てなかった。

 でもいまは自分が周囲の世界に対して、関心を持っていることを確認できた。

 さらに、雨が降るのを見て、特別な出来事がなくても日常の中で何かに気づき、自分の感情や経験を自然の一部として受け入れることで、満足や安心を感じ取れていることが表現されている。

 だからこそ、主人公は「いくらでも降ればいい」と思い、そのまま歩いていけるようになったのだろう。


 本作は壮大な物語のラスト、あるいは冒頭部分のような印象がある。物語の背景や設定が足らないため、わからないことが多く、深く入り込めそうで入れないところがもどかしい。

 とくに主人公と幽霊の関係性、過去の出来事についてがわからないことが多い。


 読後、主人公の孤独感や過去への未練が繊細に書かれていて、実にいい作品。

 タイトルには、彼女が雨そのものになった意味や、主人公の悲しみや思いが雨となって降り注ぎ、彼女に届いてほしいという願いを込めつつ、自分の感情や経験を自然の一部として受け入れ、雨の中でそれを感じ取ることで、満足や安心を得ている。そんないろいろな意味が込められているように感じられた。

 だからこそ、彼女と主人公にはどんなことか気になってしまう。

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