データは心になり得るか

データは心になり得るか

作者 夜如ふる

https://kakuyomu.jp/works/16818093081694521306


 廃棄予定が近づいている感情をもたないロボット1998は博士の日常生活を支えている。博士は感情を持たせたいと願い、感情とはなにかを尋ねると「生きている証」といわれ、ロボットはエラーを起こす話。


 三点リーダーはふたマス云々は気にしない。

 SF。

 機械にも心が宿ることもあるかもしれない。


 主人公は、感情を持たないロボット1998。一人称、ぼくで書かれた文体。自分語りの実況中継、ですます調で綴られている。


 それぞれの人物の想いを知りながら報われないことにもどかしさを感じることで共感するタイプ、の中心軌道に沿って書かれている。

 感情を持たないロボット1998は、博士の日常生活を支え、朝食を作るなどの役割を果たしている。

 しかしロボットは廃棄予定で、その日が近づいている。

 博士はロボットに感情や心を持たせたいと願っているが、ロボットはそれを理解できない。それでも一番完成に近い個体、心が温かいという。ロボットは理解できないというが、博士にもわからないからロボットにわかるはずがないよという。博士の体温は温かいことを知っているロボット。わけられたらよかったかなと博士は強く抱きしめ、泣いている。ロボットの言葉はデータであり、感情がない。ロボットが「感情とは何か」と博士に尋ねると、「生きている証なのだと、思っているよ」と教えられ、十代なエラーを起こしてしまうのだった。

 

「締め切られたカーテンが、少しだけ開いている窓の隙間風で揺れると、明るい日差しが部屋に入りました」という謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関わり、どんな結末を迎えるのかが気になる。


 書き出しに違和感を感じ、モヤッとした。

 ですます調で書かれた文章。遠景で、「締め切られたカーテンが、少しだけ開いている窓の隙間風で揺れると、明るい日差しが部屋に入りました」室内の風景を動きを持って描いて説明し、近景で「それでようやく、朝が来たことを知ります」と感想を述べるように、場面が朝であることを示し、その陽に照らされるものには、博士に届かないと心情を深く書き、共感していく。

 人間味を感じさせるような書き方。

 博士を見守るような視点は誰なのだろう。非常に気になった。

 だから次の「ぼくの隣」ときて、室内の風景を描写して教えながら、主人公がどういう存在で、もうすぐ廃棄されることになっているロボットだと伝えられていく。かわいそうに思えるところに、また共感する。


 シンプルで直接的な文体。ロボット視点で語られているため、感情的な表現は控えめ、事実を述べる形式が特徴。

 長い文にならないよう五行以内で改行し、一文も句読点を入れて読みやすくされている。

 五感の描写は、ロボット視点から語られているため、視覚的な描写は豊かに描かれている。しかし、ロボットは感情を理解できないため、感情的描写や他の感覚はあまり描かれていない。


 ロボットである主人公の弱みは、感情を理解できないことと、自身が廃棄される運命にあること。

 これらの弱点が、物語全体を通じて強調されている。

 博士は感情を持たせたい、でもロボットは教えられたデータしかわからない。それらしく振る舞うことを教えられれば、それに従って振る舞うことはできる。でも、わからないことは出来ない。

 おまけに、ロボットには廃棄される日が近づいている。電化製品も使っていればいずれガタがきて、壊れて使い物にならなくなってしまう。

 できないから、なんとかできるようにしようと努力する構図があるから、博士の願いが叶うといいな、ロボットもわかるといいなと思って感情移入できるのだ。


 物語はロボットと人間の関係を深く掘り下げ、感情とは何か、それが人間を定義するものであるかどうかという哲学的な問いかけもしている。

 博士とロボットの微妙な関係性は感動的だった。

 ロボットの視点から語られているため、博士の感情や動機が明確に描かれていないけれども、ロボットに感情を持たせたいと思わせることがあったのだろう。

 博士が泣いたのは、ロボットが感情を持てないことを知っていて、その現実に対する無力感や悲しみから来ているからと考える。

 博士はロボットに感情を持たせたいと願っていたが、その願いが叶わないことを痛感し、感情を持たないロボットを廃棄するしかない現実に直面しているから泣いたのだろう。

 事実、ラストでロボットが重大なエラーを起こしたのは、感情を持てなかった現れである。

 ロボットはデータとしての言葉や行動はプログラムされていて、プログラムされた行動以上の何かを持っているかのように感じられても、実際には感情を持つことができない。

 感情を持たない存在の視点と感情を持つ人間の視点が対比され、博士の無力感や悲しみ、ロボットの純粋な行動が、作品全体に切なさと温かさをもたらしているところが、実に良かった。


 もし「感情とはね、生きている証なのだと、思っているよ」に答えることが出来たなら、感情を持ったことになっただろう。


 読後、タイトルをみて、物語を通じてデータが心になり得るかという問いに対する答えは「データだけでは心になり得ない」だと思った。感情や心は単なるデータの集合ではなく、生命の証であり、データとして完全に理解することはできないという結論に至る。だが、人間もはじめから感情をもっているのだろうか。

 人間も産まれたとき、感情がなにかを知って産まれていない。

 なにが嬉しいくて、楽しいくて、悲しい、くるしいも、実際に体験しながら学んでいくと思う。

 ロボットも学ぶ過程を描いていた。

 つまり、データだけでは心になりえないが、体験を通して直感が養われ、経験が自身のモラルとなるように、データとは異なる形でロボットに感情をもたらすのではないだろうか。

 本作は、深い考察を促してくれる、実に興味深い作品だった。

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