光の園
光の園
作者 功琉偉 つばさ
https://kakuyomu.jp/works/16818093077093905752
好きな彼女と公園で星を見ながら告白して受け入れられ、一緒に水瓶座流星群を見て、共に朝を迎える話。
文章の書き方云々は気にしない。
現代ドラマ。恋愛もの。
これもまた青春の一ページ。
主人公は、男子高校二年生。一人称、僕で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。
女性神話の中心軌道に沿っている。
主人公は公園の近くの高校に通っている高校二年生。同じクラスで、帰り道が同じ彼女と一緒に帰っていたら、恋をした。
おもいきって彼女を誘い、彼らは公園で星を見ている。
一緒に星を探し、その名前を当てるゲームを楽しむ。主人公は彼女に対して「月が綺麗ですね」という日本の古典的な告白をするが、彼女は最初理解せず、主人公の意図を理解するために少し時間がかかる。最終的に彼女は彼の告白を受け入れ、「月はずっと綺麗でしたよ」彼女になることを約束する。その後、彼らは水瓶座流星群を見るために夜を過ごし、新しい朝日をともに迎えた。
春の夕方に君と空を見上げる謎と、主人公に訪れる様々な出来事の謎が、どう関わって、どんな結末を迎えるのか興味が湧く。
遠景で、「春の夕方」で夕方を多い浮かべ、「僕は君と空を見上げた」で空を、近景で「だだっ広い公園の中」と場所を描き、心情では「夏が近いのにまだ肌寒い風が吹き抜けていく」と語られる。
春の夕方を思い浮かべたら、夏が近いときて、いつぐらいを多い浮かべたらいいのだろうかと思い悩む。
初夏前だろうと考えると、四月下旬くらいかしらん。
二〇二四年の、「水瓶座流星群がすごい綺麗に見える日」は五月六日。五日深夜から六日の未明から明け方が見ごろだった。
二人が見たのはこの日だったかもしれない。
主人公は君という彼女といっしょに星を見ていて、やり取りから星に詳しいのがわかる。彼女が好きなことや、その彼女が」あの星は私にとっての一番星。それでいいの」といったことに対して、「はいはい」と答え、「なによ。馬鹿にして」と言われてしまう。でも、「馬鹿になんてしてないよ」と返すところにも人間味を感じる。
そのあとの「子供で悪かったですね〜」「いやいや。きれいなお姉さまであられます」「まあ許してあげる」と言ったやり取りも面白く、すごく彼女を気遣っているところもまた、優しさを感じる。それでいて、笑っていると「な〜に笑ってるの」といわれる。
ちょっと可愛そうに見えるところもまた、読み手は共感しやすい。
主人公の感情と思考を直接描写し、詩的と抽象的な表現を用いて、情景を想像させている。
彼女との関係、告白を感動的に描いていて、彼らが一緒に星を見るというシーンはロマンチックでよかった。
人物描写や情景描写は少ない。立っているのか座ってるのかもよくわからない。主人公や彼女の容姿もわからない。地下鉄駅の直ぐ側にある大きな公園の中心、街灯の光がポツポツあるけど、あってないような感じで、まわりは木に囲まれて、人の気配がない。そこで星を見ていることだけはわかる。
一文は読点がなく、長いものがある。会話文が続く中に、地の文が挟んである感じ。
おそらく、夜の公園で星を見ているため暗い。おまけに動きもない。だから会話が目立つ書き方になるのだろう。
だから五感の描写は、主人公の視覚的な感覚を中心に描かれている。雀が鳴く音、風の音では聴覚、草の香りで嗅覚、水平線の向こうから温かい光が指してきたでは触覚の刺激が描かれている。
星を見ている夜空では視覚、夜明けになると、ほかの感覚刺激が用いられ、動き出す演出表現をしているのだろう。
ということは、会話の多い書き方を意図的にしているのだ。
主人公の弱みは、彼が彼女に対する感情をうまく伝えることができないこと。
だから、公園で一緒に星を見ようと誘い、夏目漱石が言ったと言われている古典的なフレーズを使う。
弱みがあるから、それをどうにかするためにドラマが面白く展開していく。そこが面白い。
夏目漱石の告白の話について。
告白に用いられた作品は、毎回、カクヨム甲子園でみかける。
そのたびに、夏目漱石が実際にそう言ったという文献や証拠はどこにも残っていないけど、古来日本人の告白では直接表現はせず、奥ゆかしさや間接的なコミュニケーションを用いていたため、相手の気持ちを察し互いの心情を暗に伝え合うことが重視されていたことや、日本を代表する文学者である夏目漱石ならいいそうと多くの人が感じたのだろう、というような感想を書いたことがあった気がする。
また、「死んでもいいわ」については、本作品にも書かれていたように、二葉亭四迷がツルゲーネフの小説『片恋』(原題:Ася)を翻訳した際、ロシア語の「ваша(yours)」を「死んでもいいわ」と訳されたことからきている。
これは「I love you」の直接的な翻訳ではなく、文脈に基づいた意訳。原文の「ваша(yours)」を直訳すると、「私はあなたのものよ」となる。
二葉亭四迷の翻訳は、ヒロインの女性が相手に対して抱く深い愛情を表現するために、より強い言葉を選んだものと考えられる。
「I love you」を「死んでもいいわ」と訳したという誤解は、後世の人々によって作られた俗説が広まったのであり、二葉亭四迷自身がそのように主張したわけではない。
とはいえ、作中では、二人の会話に現実味を生み出しているので、このままでいいと思う。
主人公は彼女が好きで、なかなかいえない性格や星の知識があって、星を見ながらどんなやりとりなどが描かれているため、主人公がどんな行動を取るのか、予測しやすかった。
星に絡めた告白をする。
彼女との、これまでのやり取りから、すんなり伝わらない展開も予想通り。
ただ、星を見るなら、なぜ月のでている日に誘ったのか。
月明かりがあると、星が見えにくくなる。告白のために月が出ている日である必要があったのか、とおもわせてからの、「水瓶座流星群がすごい綺麗に見える日」だったとする展開は予想外。
彼女が驚くのといっしょに、読み手もいっしょに、驚きと興奮するかもしれない。
「流星群の様子はまるで空のカーテンのようだった」とある。
オーロラをイメージしてしまう。
星のシャワーとか、音もなく降り注ぐとか、適したもうひと工夫があると、流れ星の様子が想像しやすかったのではと考える。
「まるで光の庭だね」
この表現はいいなと思った。
「ゆ〜びきりげんまん。私を彼女にする代わりに、これから毎年私と流星を見ること。嘘ついたら針千本の〜ます。指切った!」と契約を交わしている辺り、彼女のブレていない性格と、尻に敷かれるタイプの主人公が、作品の面白さをつくっていて、読んでいて楽しかった。
彼女が主人公の告白を理解する過程や、彼女が受け入れる理由についても、もう少し知りたかった。おそらく、毎日のように一緒に帰っているだろうから、いろいろ話す機会はこれまでにあったはず。
彼女も、主人公と付き合いたいと思っていた。だから、告白されて受け入れた。そもそも、その気があるから、一緒に公園で星を見る誘いにのったのだろう。
周りを木に囲まれていた公園の真ん中で星を見ていたのだから、朝日がのぼるのは見づらいかもしれない。
「水平線の向こう」とあるので、地下鉄の駅に近い公園は、海にも近いところにあるのかもしれない。風に潮の匂いがしたり、木々の葉が擦れる音のなかにさざ波がかすかに聞こえる、といったことが書かれていても良かった気もする。
タイトルを読みながら、二人にとって一緒に見た公園は光の園になったのだろう。素敵な話だった。
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