水葬

水葬

作者 孵化

https://kakuyomu.jp/works/16818093074858853462


 自然と一体になりたい主人公は、山の中で首吊り自殺した男の遺体を見つけ、神秘的で自然の一部として見えた。十年後に同じ場所を訪れると、男の遺体は白骨化していた。自然と一体になる興味を失い、男の遺体を埋める話。


 純文学。

 描写の表現がいい。

 

 主人公は、自然にあこがれを抱いている人物。一人称、私で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。


 女性神話の中心軌道に沿って書かれている。

 自然にあこがれ、誰かの信仰の対象になりたい願いを抱いている。

 六月末。梅雨の晴れ間。山奥を散策していると、木にぶら下がる一人の男が目に入る。首吊りの男を見たとき、主人公にとって美しく、神秘的で、自然の一部として見えた。

 十年後。同じ場所に立ってきた。同じ場所を訪れると、男の遺体は地に落ち、虫に食べられ、白骨化していた。その光景を見て、主人公は自然と一体になるという興味を失い、男の遺体を埋めることを決意する。大穴に彼の遺体を落とし、土を被せる。

 夕立が降り出しても、しばらくそのままでいた。雨上がり、くぼみには男の亡骸と寂しさが満ちていた。主人公は記憶も流れればよかったのにとつぶやいて、水に顔をつけた。


 ある六月末の頃に何が起きたのかという謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どんな関わりをもって、どういう結末に至るのかに興味を抱く。


 書き出しがうまい。

 遠景で「ある六月末の頃」「半月ほど続いた梅雨が明けた、一番目の晴れの日」、近景で「照りだした太陽から身を隠すように、私は山の奥の方へと歩いていた」と描いてから、どんな山道をどう歩いたかの心情が続くことで、読者により深く様子が伝わっていく。

 

 文書の書き方がうまい。

 詩的で美しい言葉遣い、抽象的な表現と具体的な描写を組み合わせつつ、主人公の内面的葛藤と感情が直接的に描かれている。読者は主人公の心情に深く共感できるだろう。

 主人公や人物の動きを示す書き方がされていて、五行以上の長い文にならないようにしていたり、一文を短くしたり、短い文と長い文をバランスよくつかってリズム感を生み出したり、「髪が濡れ、服が濡れ、土が濡れる」では、テンポよく書きながら、髪、服、土と上から下へ、視線を下げさせて、張った水に顔をつけるラストにつなげている。

 五感をつかった描写が豊かで、物語世界を生き生きと感じさせてくれている。視覚だけでなく、音、匂い、味、触感など他の感覚を刺激する情報を用いて、描写されている。例えば、「踏まれる度に溶けた土がぐちょぐちょと音を立て、その断末魔が辺りを木霊する」「鼻腔を刺激する雨上がりの濃厚な土の匂い」「髪が濡れ、服が濡れ、土が濡れる」などの表現は、読者に物語の場面を具体的に想像させてくれる。


 主人公の弱みは、自然と一体になりたいという強い願望と、それが現実には不可能という事実との葛藤。

 この弱みがあるから、主人公の内面的な葛藤が深く掘り下げられ、独特な世界観を描きだしているところに、内容は首吊りを扱っているのけれども、面白みを感じさせてくれる。


 主人公が男の遺体を埋める決意をするのは、自然と一体になる興味が薄れたことがきっかけだけれども、主人公のことがあまり書かれていないので、もう少し詳しく知りたいと思ってしまう。

 最初、山に入ったとき、年齢は幾つくらいだったのか。どこで何をしているような子だったのだろう。

 十年経てば、主人公の生活環境だけでなく、考え方も変わるはずだから、主人公の背景や動機など、もう少し伺い知れたなら、より理解が深まる気がした。


「あの日と同じ、緩やかにも死を香るぺトリコール」がモヤッとした。

作者によると、「ぺトリコールはギリシャ語で『石のエッセンス』という意味を持ちます。その名の通り、アスファルトなどに染みた雨水がカビなどと混ざり、その匂い成分が熱により気体化したものを指します」「一般にぺトリコールと呼ばれる匂いは、雨の降り始めのものだと言われていますが、対して、雨が降った後の匂いのことをゲオスミンと呼んだはずです」「この作品の中では、どちらかと言うと『ゲオスミン』の方が適当ではありますが、雨と死を対比させた時、ゲオスミンでは既に死んでしまっているという暗示になるのでは!? と思い至り、的はずれながらぺトリコールにしました……」とある。

 なるほど、と納得。


 最後、主人公は「いっぱいに張った水にゆっくりと顔を付けた」とある。この水たまりは、男を埋めた窪みに貼った水だろう。

 土に埋めたことで、男の生きた記憶が消えるように、男がここにいたこと、死んだ記憶も消えるだろうかと、主人公は考えている。

 おそらく、消えると思っただろう。

 自然と一体になりたいという強い願望を持っていたが、十年後にその場所を訪れて現実を目の当たりにし、願望が幻想であると悟った。水に顔を付けたのは、主人公自身の過去の記憶や願望、幻想を「洗い流す」象徴的な行為だったと考える。

 自分の過去の幻想を埋葬し、自身の想いをも弔い、新たな現実と向き合おうとしたのだろう。

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