月と太陽

月と太陽

作者 ミコトノリ812

https://kakuyomu.jp/works/16817330664313589857


 孤独な主人公が自分を「月」、好きな女性を「太陽」と見立て、彼女との些細な交流を通じて微妙なつながりを感じ、自己を認め深めていく話。


 文章の書き方云々は気にしない。

 ちょっとしたことで、鬱屈した心が一変することはある。

 そのことに改めて気づかせてくれた。


 主人公は男子学生。一人称、自分で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。


 男性神話の中心軌道に準じて書かれている。

 アパートの204号室に両親と三人で暮らしていたが、いまは両親はおらず、一人で夜のコンビニアルバイトをしながら学校に通っている。友達も作れず、教室の隅に、いつも隅にいる。

 そんなとき、クラスの女子の中心的な人物である彼女と目があった。自分を月に、初恋の彼女を太陽とみなし、彼女の感情を理解しようとする中、自分と同じところがあるのではと思うようになる。

 自分に近づいてきたとき、躓いてしまった彼女を助けようと飛び出し、手を取る。「ありがとう」彼女の一言は、主人公にとっては大きな一回だった。

 一瞬、太陽と月が入れ替わった気がした。その後、彼女を見ると、微笑んでくれるようになった。自分と反対だと思えるものでも、一つだけ繋がりがある関係を大切にしたほうがいい、と思うのだった。


 雨が降る午後三時に授業の終わりを鐘が告げ、君を目で追いかける謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どんな関わり合いをみせながら、どんな結末にたどり着くのか気になる。


 主人公は、両親がいたけど現在はおらず、夜のコンビニバイトをしながら通学し、友達もいないといった孤独で可哀想な状況にあり、自分を「月」、すきな彼女を「太陽」と見立てる純真で情熱があるところ、部屋を綺麗にし、躓いた彼女を助けようと行動する人間味あるところに興味を惹かれ、共感できるキャラクターである。


 主人公の内面的な葛藤と感情を描くために、こまめな行変えや、長文と短文の組み合わせによる感情の揺れ動き、詩的で感情的な言葉、比喩や象徴を頻繁に使用している。おかげで、内面の感情を深く掘り下げを示していて、読者によく伝わる。


 五感を用いて感情が表現されており、視覚や聴覚、触感の彼が彼女の手を握ったときの温かさや、嗅覚の彼女の甘いシャンプーの香りなど、が描かれている。


 主人公の弱みは、自己評価が低く、自分自身を否定的に見る傾向があること。彼は自分が他人にどのように見えるかを常に気にし、自分自身を「月」と比較して「太陽」である彼女と自分自身を比較している。おかげで、詩的な表現を生み、独特な見方や描き方をみせているところに、面白みを感じるのがいい。


 主人公の内面的な葛藤に焦点を当てているため、他のキャラクターの詳細が少ない。くわしく書けば掘り下げることもできるかもしれないけれども、あえて抽象化することで、月と太陽の関係をシンプルに描き出せているともいえるかもしれない。

 物語の結末が少し曖昧で、主人公が自己認識に到達したのか、彼自身の問題をどのように解決したのかは、はっきりしない。

 カードをめくるごとく、劇的な変化ではなく、富士山を盗聴するための最初の一歩をようやく踏み出したくらいの変化を描いていると思うので、反対にみえるものでも一つのつながりはあり、「その『関係』を大切にしたほうがいいこともある」と、最後はいい切っても良かったのではと考える。言い切るためには、躓いた彼女に手を貸すに至るまでの一連の場面を、もう少し丁寧に描く必要があるかもしれない。


 部屋番号の204について。

「エンジェルナンバー」という、天使たちが私たちにメッセージを送るために使う数字がある。

 エンジェルナンバー2は「順調な成長」、エンジェルナンバー0は「神そのもの」、エンジェルナンバー4は「天使そのもの」を表し、そこからエンジェルナンバー204は、「あなたは神の癒しに包まれている」というメッセージを伝えている。

 。

 また、スピリチュアルな視点から見ると、「2」は、スピリチュ「創造へのステップ」「無の状態」「無限」「永遠」「調和と統合」を表すとも言われている。

「4」は、「安定」「地に足がつく」「現実主義」を表すとも言われている。

「0」は、「何も存在しないこと」「空っぽであること」「あの世」「宇宙」「無限」「ニュートラル」などの意味を持つとも言われている。

「4は現実的。2は傷付きやすい。0はそれを強調する」というのは、あながち適当に当てはめたものではない気もする。


 本作を読んだとき、一つの話を思い出した。

 車椅子を利用する障害のある人が、日曜日に教会へ行ってお祈りをしに行く。いつも寝たきりで、自分ではなにもできなくて、周りの人たちにお世話と迷惑をかけてばかり。心無い人からは、それで生きていると呼べるのか、と言われることもある。

 だけれども、教会で神様にお祈りをするとき、彼と世界が一つにつながる瞬間だけは、たしかに生きていると呼べるのだ。

 孤独だった本作の主人公は、彼女を助けることで、世界と一つ

につながり、まさに生きていると呼べる瞬間だった。

 すべては一つ、一つはすべて。

 月と太陽が反対の見方をすることもある。

 自分と世界、一つだけでも繋がる関係を大切することで、人は生きていける。

 つながりこそ、生きている充足感を得らるのだ。

 そんなことを、主人公は気付いたのかもしれない。

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