バスタブに堕ちる

バスタブに堕ちる

作者 粟野蒼天

https://kakuyomu.jp/works/16818093077102172382


 高校一年生の夏にうつ病になったわたしがお風呂に入ると、海につながっており、飲み込まれた鯨の中にあった家のお風呂でもう一人の自分と出会い、「頑張ったね」と抱きしめられ貝殻を受け取って戻ってきた話。


 文章の書き方云々は気にしない。

 現代ファンタジー。

 幻想的で癒やしがあり、非常に面白い。


 主人公は女子高校一年生。一人称、わたしで書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。


 女性神話とメロドラマと同じ中心軌道に沿って書かれている。

 小さい頃、猫足のバスタブのお風呂は海につながっていると想像したことがあった。主人公は高校一年生の夏にうつ病を発症し、学校を休学して自室で過ごす日々を送っていた。母親に促されて久しぶりに風呂に入ると、バスタブの中で不思議な体験をする。

 バスタブに浸かっていると、突然魚が現れ、触れると消えた。その後水中に引き込まれ、息ができる不思議な世界に迷い込み、様々な魚や絶滅した生物と出会いながら自由に泳ぎ回る。自由に行きたいと思いながら、それは生きているといえるのかと悩み、生きたくないと思ったとき、一匹の鯨に飲み込まれる。

 鯨の中に自分が住んでいる家があり、扉を開け、浴室にはバスタブに入ったもう一人の自分と出会う。

 もう一人の自分は、主人公の理想や願望の塊であり、彼女に「頑張ったね」と優しく語り、抱きしめられる。涙し、心の重荷が軽くなる主人公。

 辛くなったらまた会える。でも、ここにはもう来てはダメだからと、もう一人の自分から貝殻を受け取り、再び現実の世界に戻る。手のひらに残った貝殻を見て、夢ではなかったことを確信した主人公は、もう一度生きることを決意し、バスタブを出るのだった。


 高一の夏、うつ病になった出来事の謎と、主人公に起こる様々な出来事が、どんな関わり合いを見せ、どんな結末を迎えるのかが気になる。

 お風呂から海につながる展開にはどきりとさせられ、鯨に飲み込まれて、もう一人の自分と出会い、小さい頃に想像した世界だとする展開にユニークさを感じた。


 主人公は、周りからの過度な期待や罵詈雑言をいわれてうつ病になっている外れた状況、母親からオフロに入ったらと心配されるほど愛された存在、かわいそうな状態にあるので、読者に共感をもたれやすい。 ひどい言葉をぶつけられた経験は、多くの人は一度はもっているだろう。主人公と同じ十代の若者もそうにちがいない。

 うつ病になったことがある人ばかりではないだろうけれども、嫌な気持ちになったことがある人は、主人公との共通点を意識すると思う。そうなると、彼女に共感して読み進めてしまう。


 長文にならず、ときに口語的で、会話文からは性格がうかがえるなど、主人公の感情が非常にリアルに動きが描かれており、読者は彼女の苦しみや希望を強く感じることができる。

 五感を意識した書き方がされており、音や匂いや触感が意識的に描写されている。

 また、幻想的な体験が魅力を与えており、お風呂から出ようとして魚に気づき触ろうとして消えてしまい、その後堕ちる展開、海の中イワシの群れやなど、現実と幻想が交錯するところは上手い。


 主人公はうつ病という弱みがある。

 突然、お風呂が海に繋がり、呼吸もできる不思議な体験に一度ははしゃぐも、すぐにまた気分が落ち込んで沈み込んでいく展開は、彼女の弱みがあってこそ。

 動かないところを鯨に食べられる展開は、面白い。


 言葉が大きすぎるところがある。 

「シャチにイルカ、イワシやマグロ。深海に生息している、シーラカンス、ラブカ、ダイオウイカ」までは、おそらく読者は想像することができるだろう。「大昔に絶滅したはずのヘリコプリオン、ダンクルオステウス」と書かれても、どんな生き物なのかを知る人は少ないと考えられる。

 円形のこぎりのような歯をもったヘリコプリオン、中世騎士のヘルメットのように堅固な骨の装甲をもった巨大なダンクルオステウス、といった表現があると想像の手助けになるのではと考える。

 ただ、本作の物語において、この場面をここまで詳しくする必要があるのかどうかも、合わせて考える必要があるかもしれない。


 作中のバスタブ、海、魚、クジラなどは、主人公の心理状態や内面的な葛藤を、バスタブでの体験は、主人公の内面世界への旅を象徴していると考えられる。

 彼女が自分自身と向き合い、自己理解を深めるためのメタフォリカルな表現をしているのだろう。

「小さい頃の私たちが想像した世界」とは、主人公が子供の頃に持っていた無邪気な想像力と、現在の心理状態に影響を及ぼしていると推測される。

 つまり、バスタブの中で遭遇するさまざまな生物や状況は、主人公の心の中にある恐怖や希望、疑問、自己認識を表しているであろう。


 バスタブは、主人公が自己と向き合い、自己探求を行う場所として描かれ、バスタブから海への移っていくのは、自己探求の旅に出ることを表している。

 部屋から浴室まで、二十分かかったとあるので、ひょっとすると入浴する前からすでに、自己探求への旅は始まっていたのかもしれない。


 絶滅した古代魚に出会う場面は、彼女が自己の深層心理に触れ、過去の記憶や経験に向き合うことを示していると考えられる。

 獰猛な魚類は、過去、主人公に対して嫌なことをしてきた子の象徴かもしれない。

 そう考えたとき、「大昔に絶滅したはずのヘリコプリオン、ダンクルオステウス」は、いまではもう会うことはない、小学生時代にいじめてきた子なのではと邪推が働く。

 どんな嫌な目に合わされたのかを読者に想像させるためにも、見た目的な特徴を添えて描いたほうが良かったのでは、と考える。

 

 クジラに飲み込まれる場面は、主人公が自己の問題に直面し、受け入れる過程を象徴しているかもしれない。飲み込まれているので、このときの主人公の意識はまだ、受け身的なのだろう。


 魚たちには、主人公を連れてくるよう、もう一人の自分が頼んでいるので、配役を与えられているキャストみたいな存在でもあるだろう。


 主人公がもうひとりの自分に出会う場面は、彼女が自己理解を深め、自己受容に至る過程。

「辞めてよ、そんな他人行儀な口調。あなたはわたしで、わたしはあなたなんだから。まぁ強いて言えばあなたの理想、こうなりたいという願望の塊だね」

 なりたい理想の自分とは、未来像のことである。

「会えるよ、あなたがまた生きたいと思えるようになったらいつでもねね。でも、もうここに来ちゃ駄目だからね!」

 会えるとは、思い描いている理想の未来像を追いかけていけば、いつかはたどり着けることを意味しているだろう。

「もうここに来ちゃだめ」とは、過去の問題に固執せず、前に進むべきだと促す言葉。過去に戻れば、理想の自分には会えないのだ。

 

 最後にバスタブに戻る場面は、彼女が自己探求の旅を終え、新たな自己認識とともに現実に戻っていくことを示してる。


 比喩を用いて、うつ病と闘いながらも自己と向き合い、自己理解を深め、生きることを選ぶ勇気を見つける本作は実に素晴らしい。

 主人公に共感し、感情移入して読むことで、困難な状況にある読者も自己と向き合い、生きることを選んで進む勇気がもらえる気がする。


 前半の主人公がバスタブに入って、海に移っていくまでの描写が少し長い気がして、テンポが遅く感じるかもしれない。

 反対に、海の中で魚たちと遭遇や、クジラに飲み込まれる場面は、愚弟的な描写をもう少し加えたほうが、想像力が刺激される気がする。

 もう一人の自分との対話で、言われたかった言葉でも「頑張った。本当に頑張ったね」「ずっと見てたよ。ひとりでよく頑張ったね」と声をかけられてすぐないている感じに見受けられるので、もう少し対話をじわじわ涙がこぼれてくるような、そういう展開にすると、現実味が増したのではと考える。


 読後、タイトルを読みながら、ほかの興味がひく言葉でもよかったのではと邪推したくなる。はじめ見たとき、ホラーかと思った。読んでみると違ったので、目を引こうとしたのかもしれない。それはそれで、成功している気もする。


 本作を読んでいたとき、まつおかたかひで著の絵本、「おふろのなかのジャングルたいけん」「ベッドのなかはきょうりゅうのくに」が浮かんだ。絵本のほうは、楽しい探検をするものなので、本作とはまったくちがう。

 でも、お風呂に入ったら別の世界につながったという発想は子供らしく楽しい。同じように本作も、元は主人公が子供だったときに想像した世界なのだ。猫足のついたバスタブから、いろいろな発想が生まれるような子供だったのだろう。

 感情の描写や幻想的要素があり、魅力的な作品だった。

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