波打つ憂いが翼になるまで

波打つ憂いが翼になるまで

作者 夜賀千速

https://kakuyomu.jp/works/16818093079209078230


 生きることに苦しんでいる少女は、夢の中で天使と出会い、涙は塩となり、羽となり、泣きはらした夜を抱きしめ、捨てたい過去を愛して進んでいくんだと伝えられ、悲しみが自身を強く成長させてくれることを理解する話。


 ファンタジー要素。

 夢の中で自己探求する物語。

 とにかく言葉遣いが詩的ですばらしい。

 この作品は素敵。


 主人公は、おそらく少女。一人称、わたしで書かれt文体。自分語りの実況通経で綴られていて、言葉遣いは美しく詩的に書かれている。


 女性神話の中心軌道に沿って書かれている。

 主人公は、遠い空に移りゆく雲を見つめていたかった。どこか遠くの知らない街で、風に吹かれて本を読んでいたかった。痛みが満ちる現実を直視しないければ生きられないこの世が、どうしようもなく怖かった。そんな自分にも嫌気が差すものの、生を手放す勇気もなく、朝が来なければいいのにと願い、生きることに苦しんでいた。

 夢の中で天使と出会い、自身の悲しみと向き合い、その悲しみが自分自身を強くし、成長させてくれることを理解していく。天使は、主人公に涙は塩となり、それが目に見えない羽になると教える。

 天使の言葉に涙し、この涙もいつかは羽になるのだろうと思い、儚い夢がさめて本当の朝が訪れたとき、はたして自分は自分のまま生きていけるのだろうかと考える。

 未来を信じられるかわからない主人公に天使は、背中にはもう羽が生えていることだけを憶え、泣きはらした夜を抱きしめ、捨てたい過去を愛して進んでいくんだと伝えてくれた天使と、夜明けを迎える。主人公は、抜けるような青空に手を伸ばしたら、どこへでも行ける気がした。


 誰も知らない夢という謎と、主人公に訪れる出来事の謎が、どんな結末を迎えるのかに期待しながら、詩的な文章の書き方に心が震える。

 素晴らしい。


 書き出しもいい。

「誰も知らない、夢をみていた。世界でたったひとつの、朝靄に舞うささやかな夢だ」導入は抽象的でありながらも、目を見張る。

 遠景で、誰も知らない夢を見ていたことを書き、それがどうった夢なのかを近景で示して、間を置いて、夢から目覚めたような心情が描かれていて、主人公の気持ちが深く伝わってくる。

 しかも、夢から目覚めたのに、見渡す情景は幻想的で、現実世界でも巡り合うのが難しそうな美しい景色が広がっている。

 夢から覚めたと思ったら、更に夢の中にいたことで主人公ともども、読み手も物語の世界へ、深みへ進んでいく。


 主人公は、予期せぬ状況に陥っており、情景の美しさから夢の中だと理解しながら、夢から覚めなければいいのにと眼の前の光景がどのようなのかを表現するさまから涙するなど、感情豊かで人間味あふれた子だと感じられる。そして、天使に巡り合い自己探求する様は魅力的で、あこがれに似たものを感じられる。

 そんな主人公だからこそ、読み手は、夢の中で夢を見る彼女の体験に興味を持って読み進めていけるのだろう。


 叙情的でありながらもときに口語的。自然な会話。登場人物の性格を感じさせるセリフ。五感を意識した表現や比喩がなされており、やわらかくも物語世界へと引き込まれていく。

 一文は、過度に長過ぎず、ときにリズムよくテンポに書かれているので、感情を揺さぶってくるのがいい。

 漢字ばかりの表現は、重たく、読みづらくなりやすい。だから、難しい言葉はあえて漢字に閉じ、やさしい漢字は開いてひらがなを用いる書き方を、意図的にしている。

 だから、「可惜夜」といた言葉がでてきても、作品にうまく溶け込んでいるように思える。しかも天使とのやり取りから、読み方を知らない人でも、「あたらよ」と読むのかと理解できる。

 難しい知識を必要とせず、苦も無く浸れる書き方ができている。

 おかげで読者に、物語世界へ浸れる。

 些細なことだけど、そんな配慮ができているところは素敵だ。


 主人公は、現実を生きることに耐えられない弱みを持っている。

 夢の中で夢を見る主人公は、自分の心の痛みを受け入れ、新たな一日に向かって歩いていく決意をするだろうと、読み手は展開を予測しやすく書かれている。

 自分と向き合っていく努力の過程を描いているため、感情移入もしやすい。

 でも、生きるのが嫌な自分に嫌気が差しつつ、かといって自殺する勇気もなく、ただ今日を生きて明日へと運ばれていく。自ら進もうとすれば、足がすくんでしまう。そんな日々を生きている彼女が、どのように新たな一日に向かって歩いていけるようになるのか、想像しがたい。

 だから、天使の語った「僕の背中の白い羽は、涙が固まった塩でできてるんだ」に驚かされる。

「哀しみを振り切った現世の人の、限りある涙は塩になるんだ」

「きみのその背中にも、羽が生えていること。越えた夜の数の分、固まった塩でできた、目には見えない羽が」

「涙は、優しい海になるから。溢れた想いの、うつくしい代償だよ」


 本作のターゲット読者層は、同じ十代の若者だろう。

 多かれ少なかれ、希死念慮を抱え、青春終了のタイムリミットまでに、自分の生き方を選び、決めて、自分の足で一歩ずつ明日ニムあって歩いていけるようになるのか。不安を抱えたいくつもの夜を過ごしている人たち。それが本作の読者層だろう。

 ゆえに主人公の悩みや考えに少なからず共感し、主人公に、明日に向かって歩いていってほしいと思いながら、読者は自分自身を主人公に重ねて読んでしまうだろう。


 主人公は、夢の中で夢だと自覚している。

 つまり、明晰夢である。

 明晰夢の中では、夢の状況を自分の思い通りに変えたり、自由に行動したりすることができるといわれる。

 創造性やスキルの向上、トラウマの克服、自分の心の赤を探索し、自己理解を深め、新たな視点や認識を得ることができる。

 本作は、まさにそういう話である。


 作中の天使の存在と翼の比喩は、主人公の内面的葛藤と成長を象徴しているかもしれない。

 天使とは、一般的に神聖なメッセンジャーやガイドとして描かれる。本作で天使は、主人公に対して重要なメッセージを伝える役割を果たす。

 天使が主人公に「涙は最終的に塩になり、それが羽になる」と教えることで、主人公は自分自身の苦しみや悲しみが、経験と成長につながると洞察を得る。おかげで主人公は自己探求を深め、自己啓発を達成する道筋を見つけていくのだ。

 翼は一般的に、自由や解放、成長や変化を象徴している。

 本作では、涙が塩になり、羽になる比喩は、主人公が自己探求と自己啓発の過程で経験する苦しみや悲しみが、最終的に自由や成長につながると表しているのだろう。

 また、主人公がすでにその羽を持っているとする天使の言葉は、主人公が「自己啓発を達成するための力をすでに持っている」ことを意味する。


 これらの要素が読者を自分自身と向き合わせ、自己理解を深めるための鏡となる。そういった意味で本作は、読者の胸に深く届き、長く残るのではと考える。



「     」の部分は、主人公の内心の描写や感情の表現を示しているだろう。

 具体的な台詞はなく、主人公の感情や思考を表現するための空白、静寂、驚き、混乱、あるいは主人公が自身の感情や思考を深く探求する瞬間を表しているかもしれない。

 何を考えているかは、読者それぞれの解釈に委ねられているが、あえて挿入するとすれば、「この世界の美しさ、瞬間の静けさ、すべてが夢ならば、永遠に覚めずにいたい」かもしれない。


 主人公の内面的な葛藤と成長の描写は、細かい部分まで丁寧に描かれており、感情の移り変わりを如実に感じる。

 とくに、天使との出会いとメッセージがいい。

 涙が塩になり、羽となる比喩は、苦しみや悲しみが経験と成長につながることを表現しているのだろう。

 読者自身の経験とも、照らし合わせて考えさせるきっかけを与えてくれている。とにかく言葉遣いと描写は美しく詩的。

 読者を世界に引き込んでくれる。

 それでも、読者の中には、抽象的な表現や描かれたテーマが理解しにくいと感じる人もいるかもしれない。

 主人公が天使と出会った後、その出会いがどのように彼女を変えたかが明確ではないし、終わり方も突然で、主人公がどのように自己啓発を達成し、生きることへの恐怖を克服したのか、具体的に書かれていない。

 夢の中で夢を見ていただけなので、行動に移すまでに至らないのは仕方ない気もするけれども、さらにもうひと工夫、夢から覚めて現実世界で起きたことが、はっきりわかる描写がラストにあってもよかったかもしれない。


 読み終えて、タイトルを読みながら主人公の決意を感じた。

 泣きはらした夜を抱きしめ、捨てたい過去を愛しながら、明日に向かって歩いていくだろう。




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