かさとそ
かさとそ
作者 文字を打つ軟体動物
https://kakuyomu.jp/works/16818093080343933114
高校時代、オカルト好きの友人Fがみつけたサイト『かさとそ』を利用したことで彼女の存在が消失するという異常な現象に直面し、その現実を受け入れ、自分のことを忘れる前に書き記された話。
ホラー作品。
ネットに潜むホラー。
主人公は大人の女性、一人称、私で書かれた文体。高校時代の出来事を自分語りの実況中継で綴られており、現在過去未来の順番で書かれている。
ある意味、女性神話の中心軌道に準じて書かれている。
女子校に通っている友人Fちゃんはオカルトに興味を持つ普通の高校生。主人公は怖いのが苦手で、聞いている時はいつも手を強く握っていた。
友人Fは「かさとそ」というオカルトサイトを見つけるが、その時点ではどれほど危険なものであるかを理解していなかった。
こっくりさんのように文字を打ち込むと返事が返ってくる。「かさとそ様の正体を教えて」と友人Fが聞くと、「かさとそ のもくかのもるぎえさのもつたにもとのものそ」と返事が返ってくる。儀式の終わらせ方を聞くと、「いえ、これから始まるのです」と返事。
主人公は、Fの母親に挨拶して帰宅した。
その後、「かさとそ」のサイトに影響されて、筆箱がみえなかったり、扉が見えずにぶつかったりと、友人Fの行動がおかしくなり始めると、主人公は事態の深刻さを認識していく。
彼女の家を訪ねると、母親からFが無視するらしく助けを求められる。彼女には他の人が認識できなくなっていた。怖くて逃げ出したい気持ちでいっぱいになっていく。病院に連れて行った後、彼女の様態を聞こうと電話すると、その母親までがFや主人公の存在を否定し、混乱と恐怖に陥っていく。
自分が次に消えるのではないかと恐れ、その後はなにもないみたいな生活が続いている。Fのこと、自分のことを忘れてしまう前に、行動に移そうと決意。
友人Fの隣で見ていただけの主人公でさえ、キーボードの存在がわからなくなってきている現状から、自分自身のことも忘れ去られる前に『かさとそ』のことを書き残し、他の人々に「かさとそ」の危険から守ろうとする。
「これは、私の高校時代の友人についての話です」からはじまる謎と、主人公に起こるざまざまな出来事の謎が、どんなふうに起こっていくのかに、興味と恐怖を抱かせていく所が良い。
ホラーの構造として、平穏な状況からはじまる「導入」→「不安や緊張高める」→「異常の兆候」→「恐怖の増大」→「クライマックス」→「解決」の流れがある。
ホラーは怖いミステリーであり、ラストは主人公が恐怖を克服して助かるか、完全に恐怖に消費されて助からないかの二種類ある。
本作は助かっているので前者であるが、この先、Fと同じような影響をうけるかもしれない不安が残っているところに、本作の怖さを感じられるのがいい。
恐怖は段取り、フリが必要なので、主人公に感情移入させる必要はなく、必要なのは読者に現実味を感じさせることといわれる。
そう考えると、物語全体を通じて維持されている、不気味で神秘的な雰囲気が素晴らしい。おかげで、読者は物語に深く引き込まれていく。
友人Fのキャラクターがよく描かれている。彼女の興味や行動を通じて、彼女の人物像が明確に伝わってくるのもよかった。
しかも、物語はスムーズに進行し、一つのエピソードが次のエピソードへと自然と繋がり、深みを増していく。
物語の主人公は女子高に通う高校生。
主人公の友人Fはオカルト好きだったり、女子高生だったりするところ、怖い物が苦手といったところは、カクヨム甲子園の読者層である十代の若者との共通点を考えてのことだろう。
ただ、Fとのことを書き記している現在の主人公は、高校を卒業した大人だと考えられる。
「当時珍しかったコンピューターに目を輝かせながら」「当時はAIどころかコンピューターすら珍しかった時代」「面白そうなサイトを見つけた」とある。
スマホの保有率が高く、子供の頃からタブレットに触れる現在よりも、かなり昔の話だと想像される。
ちなみにウィンドウズ95が発売されたのは一九九五年だけれども、それ以前の一九八〇年代にも、PC98とか88とかMSXとか、コンピュータは存在していたし、持っている子は持っていたし学校にもすでにあった。。
これらを鑑み、一九八〇年代から九〇年代を想像する。
一九八〇年代は、日本でパーソナルコンピューター(PC)が一般家庭や学校に徐々に普及し始めた時期。この時代、コンピューターはまだ珍しく、多くの人々にとって新しい技術だった。
また、一九八〇年代は第二次AIブームの時期であったものの、一般の人々にとってAIよりコンピューター自体が珍しいものだった。一九八〇年代初頭に、エキスパートシステムという技術が開発され、AIの実用化が進み始めたが、まだ専門分野での利用に限られていた。
一九八二年には日本政府が「第五世代コンピュータプロジェクト」を開始し、AIの研究開発を推進したものの、一般の人々の生活とは距離があり。一九八四年頃には「AI冬の時代」への警告が出されるなど、AI研究と一般社会の期待にはまだギャップがあった時代。
「面白そうなサイトを見つけた」という表現から、インターネットの初期段階をしめしている。日本でインターネットが一般に普及し始めたのは一九九〇年代中頃からだが、一九八〇年代後半には一部の研究機関や大学でインターネットの前身となるネットワークが使われていた。
友人Fの家のコンピューターを使い、サイトを見つけているところから、彼女の父親が仕事で保有していたのかもしれない。
そう考えると、いまから三十年ほど昔、主人公が女子高生だったころの話となる。
そう考えると、本作を書き記している主人公の現在の年齢は、四十代後半と推測される。
または、女子高生だった主人公が書き記したものを、わたしたち読者が見つけて目にしているとも考えられる。
それでも、主人公を通して作品を読んでいくので、共感できた方がいい。
女子校に通っている女子高生だったり、怖いものが苦手だったり、友達を心配する心遣いができるといった人間味のあるところがあるので、共感できる。
怖いものが苦手、という弱みがあったのがよかった。
怖いけども、友人のことを心配する人間味あるキャラクターなので、主人公も関わり合っていくのだ。
読者は何かしらの弱みを持って生きているので、こんな弱みがあるのだと感情移入できるし、欠点があるからドラマが面白くなる。ホラーの場合は、怖くなくなる。
「ここからは怪談として完全に蛇足になってしまうのですが、私が残したいことですので勝手ながらお話させていただきます。」 この部分は、進行に必要な情報ではないけれども、作者が読者に伝えたい重要なメッセージや感情が含まれている部分を指していると考える。前半の受け身になりがちだった主人公が後半、作者自身の経験や感情、考えをより深く、より個人的なレベルで読者に伝えようとしているのだ。感情的に読んでハラハラしてくださいという合図でもある。
物語自体は非常に引き込まれ、読者を怖がらせるための要素がうまく盛り込まれている。「かさとそ」の正体についての謎や、友人Fの行動の異常さ、最後には存在が消えてしまうという展開は、強い印象を与えてくる。
一貫して一人称視点で書かれており、読者は主人公の恐怖を直接的に感じられるのもよかった。ホラーというジャンルにおいて、非常に効果的な手法であり、読者を物語の世界に引き込む力を持っていた。
欲をいえば、友人Fがはじめて「かさとそ」のサイトを見つけたときの彼女の反応や、主人公がサイトを見たときの感想があってもよかったかもしれない。
「当時珍しかったコンピューターに目を輝かせながら」と、コンピューターを見たときの主人公の感想はあるのだけれども、サイトを見た感想はない。
いくつか疑問が気になるところがある。
Fの母親が主人公を認識できなくなった理由、主人公が「何も無い、みたいな生活」を送っている具体的な意味など、明確な説明がない部分がある。
主人公は彼女のことを忘れていないようだけれども、友人Fは、どうなってしまったのか。
どれだけ月日が経ったのかなど。
これらの点に、もう少しくわしい説明があると、物語の理解が深まるのではと考える。
とはいえ、ホラー作品として、非常によくできた作品だ。
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