第5話
昼休みに羽那は古典の教科書と弁当を持ってA組に入る。
そこには自席に突っ伏す美梅がいた。
羽那は美梅の前席の椅子を美海の机に向けて座った。
机をガタガタと動かす手間は羽那にとって重労働と言えるものだ。
「美梅、おはよう。」
「ああ、おはよう……。」
美梅は気だるげに机に両手を着いて、重そうに身体を持ち上げる。
ストレートパーマをかけた黒髪がパサパサと美梅の顔の前に降りてきた。
美梅は寝起きの頭痛にだるそうな顔をしながら水道に手を洗いに行った。
チャンスは一度きりである。
羽那は立ち上がって古典の教科書を胸に抱えた。
美梅と入れ替わるように教室に春彦が入ってくる。
春彦は教室の端の席で前の授業の教科書を片付けていた。
羽那は春彦の元へ足早に近づく。
どの距離で話しかけるのが正解なの?
(この距離かな、いや、でもこの距離だと私の声届かない気が……そしたら周りからの目が気まずい。)
そうこう羽那が悩むうちに足が止まり、春彦は羽那に気づいて顔を上げた。
視線が重なる。
反射と焦りと諦めと、羽那は口から小さな声を絞り出した。
「え、あっ、あの……古典の教科書……ありがとうっ!」
「あ、うん……どういたしまして。」
羽那は心の中で崩れ落ちた。
「お礼したいけど、今手持ちがなくて……明日もってくるね!また話しかけてもいい?」
「そこまで言ってくれるなら、受け取ろうかな、ありがとう。」
なんて春彦は穏やかに笑った。
羽那はその笑顔に心を射抜かれ、顔に熱が集まる。
羽那は別れの挨拶をするのも名残惜しく、何か話したいと思うのに、会話が出てこない。
そのうち視界の端に美梅が見えて羽那は渋々と言ったところか別れを告げて美梅の机に戻った。
美梅の机で弁当を食べ始めるが、しんと静まりかえる2人。
美梅は羽那に問いかけた。
「羽那、どうしたの。いつも話してくれるのに。」
「やらかした……」
「は、はぁ……?」
「あのね、舘山くんに教科書返そうって思って、話しかけようとしたの。でもどの距離で話しかければいいかわからなくて、迷って一瞬立ち止まった時に舘山くんが気づいて上を向いてくれたの。「急に立ち止まって何?」とか「なんで話しかけなかったんだろう?」って思われたよなあって、思って……。」
羽那はため息をつくと、箸に挟まれたミニトマトが羽那の弁当箱の蓋に転がり落ちた。
トマトのヘタが取られた部分は美梅の方を向いた。
落ち込んで俯いた羽那の旋毛も美梅を向いた。
美梅はその2つを交互に見つめてから顎に手を当てて少し考える。
「そんなこと、考えてないと思う。」
「なんで……?」
「そんな細かいこと、すぐ忘れちゃうから。別に羽那のことを舘山くんが考えることになっても「あの時どうしてあんなことしたんだろう」とは、ならないと思う。だから、これ食べて元気だして。」
そう言って美梅は羽那が好きなお菓子を差し出した。
「これ、新商品の!ピーチ味っ!」
「そう。朝コンビニで買ってきた。」
「て、天才っ……?」
羽那は桃の味を堪能し、一時の不安や絶望に別れを告げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます