第3話

教室に入ると、羽那の世界の彩度は一瞬にして半減した。

教室の中で朝の時間を過ごすクラスメイトたちの口の動きが鈍って見える。

声も遠のいて、スローモーションで低く聞こえた。

いくら朝に春彦を見ることが出来たとはいえ、C組に春彦はいないのだ。


(どうしてこんなに世界はつまらないのだろう。)


羽那は窓際の列の後ろから2番目の席に座る。そこが羽那の席だった。

羽那は机の横に鞄を落とすように置くと同じように席に落ちるように座って窓の外を眺めた。肘をついて重い身体を支えながら。


目の前にあるのは東智大学の4号館でそれ以外はほぼ見えない。

せっかく窓際という良い席なのに景色が悪ければその良さも半減だった。


羽那は仕方なく妄想で時間を潰すことにした。

妄想はもちろん春彦である。


何よりも最初に羽那の目に飛び込んでくるのは春彦の目。

羽那は「春彦の見た目のどこが好きなの?」と聞かれれば、「目」と即答する。


羽那は妄想の中の春彦の目を見ながら心の中で愛を呟いた。


(やっぱなんと言ってもこの目だよね〜、決して目自体は大きくないんだけど女の子より長いまつ毛!上から見た伏し目がちな時の美少女みたいな儚さは忘れられない……。そして下まつげ!一本一本が細くて何故か束感があるからしっかり存在が主張されてる、なんでだろう?神様とうとうアバターに課金しちゃったのかな?次に涙袋!これがなんと私が今まで見てきたどんな女の子よりも綺麗なの!マスクをしている時に涙袋がマスクに乗ってるなんて生物学的に有り得るの?有り得ていいの?物理選択の私には分からない……)


「な……羽那!」

「はっ、雛……おはよう。」

「おはよぉー、はいこれ。」

「プリッツ?ありがとう。」


再び羽那を現実に引き戻したのは時雨しぐれひなだった。

赤褐色の目の下には深く刻まれたクマがある。

雛が朝にスナック菓子を食べている。これは雛の朝食がこれであることを意味する。


「あそこでみんなが恋バナみたいなことしてたよ。」

「みたいなこと?」

「男子の批評。」

「ふーん。」

「私にとっては舘山くんか舘山くん以外かでしかないから。」

自分以外の声が聞こえて、羽那は一瞬の殺意と共に焦燥が溢れる。

「何!?」

「今の羽那の頭の中。」

先程の発言をした女は羽那を見下ろして言う。

「間違ってはないけど……」

羽那は両手を机の上に戻して姿勢を正す。


雛は羽那の机の前にしゃがんでスティック菓子をまたひとつ咥えた。

「舘山くんは〜」

「!」

羽那と雛は固まった。暗黙の了解か、二人は遠くの会話に耳をすませた。


「何も知らないよね〜、天然って感じ。」

「純粋じゃない?女子と話してるところ見たことない」

「なんか、残念イケメンって感じ。でも可愛いよ。」


ペキッ!


雛は驚いて羽那を見上げた。

羽那の手によってスティック菓子は真っ二つにへし折られていた。

「そこがいいんだろっ……!お前らのような軽率な口で舘山くんを語るな……クソ女ども!」

怒りを押し殺した声で羽那は呟いた。

雛は羽那がへし折ったスティック菓子の片方を羽那の手から抜き取り咥えた。


「まあまあ、でももしあの人たちが舘山くんの良さに気づいちゃったら羽那より積極性あるだろうし勝ち目ないよ?羽那。」

雛の顔の前でスティック菓子が上下に動く。

「うっ……」

羽那は握りしめていた拳を解放して、半減したスティック菓子を咥えた。


確かにどれくらい春彦のことを知っているかという話になれば女子の中で羽那の右に出るものは居ない。

だが、羽那の圧倒的欠点は積極性。

妄想の中でならいくらでも会話の壁面収納が今にも溢れんばかりなのだが、いざとなると全てが真っ白な新居の壁状態に化けてしまう。


羽那はため息をついてから雛を見下ろす。


「今日、クマ酷いね。」

「イベラン中。」

雛は短く答えると画面が光ったスマホを見下ろす。

「あ、ライフ回復してる。周回するから先生来ないか見張ってて。」

雛はスマホに刺さっていた有線イヤホンを耳に装着しながら通知を押してそのままゲームを起動した。


雛は羽那の親友であり、こう見えて寺の巫女である。長女では無いため神社を継ぐ使命はないと基本放任主義らしいのだが、彼女が苦手な科目には一切取り組まないことと、ゲームに没頭する日々には両親共々頭を抱えているらしい。


羽那がいつなんどきでも春彦のことを考えて止まないように、雛にとってアイドル育成リズムゲームは気づけばアイコンをタップしているような存在であり、2人が何かに依存するように熱中することに違いは無い。お互いの共通認識がお互いのアイデンティティであることが2人の友情を強固にしていた。

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