第2話 交わした約束

 ジノが魔物を倒した日のカバーニュ村は大騒ぎであった。


 誰もがもう家を捨てるしかないと諦めていた中、ジノが被害を一つも出さずに魔物を倒してしまったのだから無理はない。

 村全体で開かれたパーティでは人々が大はしゃぎしている。


 当然ジノはその主役となっており、様々な人から感謝を告げられ、限界を超えて飲まされたり食わされたりした。

 パーティは日が沈む頃に始まったのだが、終わる頃には満月がほぼ真上に昇っていた。


「はあ、疲れた……」


 ようやく自由の身となって家に帰ったジノは、自室のベッドに寝転んで一息つく。

 疲労が溜まっているはずなのに、色々なことが起こりすぎて眠りにつくことができなかった。

 

「そういえばあの時もこんな感じだったっけ」


 ジノは天井に向けて手を伸ばし、自身の右手を見つめながら軽く笑う。


 前世で村を救った時もみんなでお祭り騒ぎをしていた。

 当然その時も自分が主役となって村中で振り回されて、疲れ果てながら家に帰ってきたことを思い出す。

 

「記憶を取り戻す方法はわかった、でも」


 ジノは拳をギュッと握りしめる。


「どうして俺は生まれてきたんだろうか……」


 恐らくその答えは失われた記憶の中にある。

 ただここで出てくる大きな問題が一つ、今のジノにこれ以上の記憶を取り戻すのは難しい。

 のんびりとこの村で暮らす生活では、勇者の記憶の手がかりなど手に入るはずもないのだから。


「だからって、言えないよな」

 

 しかし幾ら前世の記憶を取り戻したからといって、今の自分はジノ・フェルトという一人の少年。

 今日まで育ててくれた両親がいて、優しく接してくれる村の人たちがいる。

 前世のために旅に出ます、なんてとても言い出せない。


「はぁ……」


 ジノは一度気分を変えるためにも水でも飲もうかと、ベッドが飛び起きてリビングへと向かう。

 すると僅かに明かりがついており、そこにはアイルがいた。


「おや、眠れないのかい?」


「うん、まあちょっとね」


 だいぶ孫として接するのにも慣れてきた。

 ジノはいつも通りに振る舞いつつ水を取りに向かう、だがアイルは違った。


「まだ気持ちの整理がつかないんだよね?私にはわかるよ、私だってまた会えるなんて思っていなかったもん」


 突然アイルはそう言ったのだ。


 ジノはこれでもかというほど目を見開いて彼女を見る。

 

 色々驚きが多いのだが、その中でも一番驚いたのは彼女の口調と雰囲気の変化。

 それはこれまでの高祖母であったアイル・フェルトのものではなく、遠い記憶の中にあるものと一致していた。


「アイル、まさか……」


「気付くのが遅くなってごめんね、お兄ちゃん」


 実はアイルもまた初めて会ったあの日から、ジノに対してただの遠い孫ではない、かつていた兄に近い何かを感じていたのだ。

 それと同時に、生まれ変わりなどあるはずがないと自分に言い聞かせてきた。


 だが今日のジノの姿を、100年前の兄のそれと何ら変わらないのを目の当たりにして、ついに確信を得たのだ。

 目の前にいるこの少年が兄の生まれ変わり、兄そのものなのだと。


「約束、守りに来てくれたんだね……」


「約束?」


「うん。お兄ちゃんが旅に出ることになった時にした約束……」


 初めは何のことかわからなかったジノだが、アイルが『約束』という言葉を口にしたことにより、鮮明に浮かび上がるものがあった。




 それは勇者としての旅立ちの日の記憶。







『嫌だ!行かないでよ!』


『そう言うなよ、俺がやらなきゃいけないんだ』


『だって、危ないんでしょ⁉︎お兄ちゃん、死んじゃうかもしれないんでしょ⁉︎』


『大丈夫、兄ちゃんは強いからさ。魔王を倒してすぐに帰ってくるよ』


『ホント?』


『もちろん』


『じゃあ約束して、絶対帰ってくるって』


『ああ、約束だ』







 それが旅立ちのときに交わした指切りだった。

 なぜこんな大切なことを忘れていたのか、ジノはそんな自責の念に駆られる。


「ずっと、覚えてたのか……?」


「忘れるわけないよ、お兄ちゃんとの約束だもん……」


「そんな……俺はこんな大切なことを、今の今まで忘れてて……ごめん!」


「いいの、思い出してくれただけで……」


 ジノはアイルの目尻に溜まった涙を指で拭い、その手をそのまま頬に添える。

 顔はどれだけ皺だらけになっていても、その瞳は記憶の中のそれと変わっていなかった。


「昔のこと、覚えていないんだね」


 アイルがジノの手に自分の手を重ねて言った。


「ああ、覚えているのは村で過ごしていた時のことだけだ。どうやら思い出すにはキッカケが必要らしい、昔と似たような状況にならないと記憶を取り戻せないんだ」


「知りたいんでしょ?自分の記憶」


「……そう、だな。俺はもう一度生まれてきた意味を知りたい、その答えは記憶の中にある気がするんだ。だから思い出したい、でも……」


 アイルはジノを導いてあげるかのようにその手を取り、皺だらけの両手で包み込む。

 そして優しい声で言った。


「なら勇者学院に行ってみて。きっとそこでなら勇者のことがわかる、昔のことが思い出せるはずだから」


 勇者学院、それは王都にある国で一番大きい学院、将来国を守る王国騎士を育てるための養成施設である。

 また、そこには勇者とその仲間たちに関する資料も多く保存されており、記憶を取り戻したいジノにとってはこれ以上ない場所であった。


「それにお兄ちゃん、昔言ってたでしょ?いつか学院に行ってみたいって。ちょうどいいんじゃないかな」


「そういえばそんなことも言ってたな。でも、急に勇者学院に通うなんて言い出したら、母さん達も迷惑に思うだろうし……」


「大丈夫。だってお兄ちゃんは世界を救ったんだよ?どんなわがままも許されるよ」


 アイルは笑顔を浮かべながら、ジノの手をぎゅっと握りしめる。

 

「だから、自分のやりたいことをやって。私はずっと祈ってるから、お兄ちゃんが私みたいに……幸せに生きられますようにって……」


「アイルはさ、幸せに生きたって思えるのか?」


「うん、だって、お兄ちゃんにまた会えたんだもん……約束、果たせたんだもん……」


「アイル……?お前、まさか!」


 その時笑顔を浮かべたアイルの体から力が抜け、前に倒れそうになる。

 ジノは慌てて抱き締めるように受け止めた。


「大丈夫か⁉︎」


「お兄ちゃんと会えて、嬉しくて……安心したからかな……もう、力が入らないや……」

 

 アイルはジノの腕の中で幸せそうに笑っていた。


「お兄ちゃん、わかったよ……私はね、きっとこの日のために生きてたんだ……この約束を果たすことこそが、私が今日まで生きてきた意味……」


 そう言いながらアイルの右手が力なくあげられる。


「お兄ちゃんの生きる意味は、きっといつかわかるはず……焦らなくて大丈夫……だから今は他の誰でもない、お兄ちゃん自身のために生きて……そして、幸せを掴んで……」


「……わかった」


 ジノはしっかりとその手を掴んでお互いの小指を結ぶ。

 触れ合った指からは何かが抜けていくような感覚があった。


 これが最期の時だと理解してしまった。


「遅くなって、本当にごめんな」


 二人は泣きそうになりながらも、これ以上ない笑顔を浮かべて見つめ合う。

 ジノは思った、あるいは自分もこの約束のために生まれ変わったのではないかと、アイルのために生まれてきたのでは無いかと。


 しかしそれを口にはしない。

 アイルが望んでいるのは、ジノがジノのために生きることだから。


「ジノ、どうかしたの……ってお婆ちゃん⁉︎」


 騒ぎを聞きつけた両親もアイルの元へ駆け寄る。

 だが既に先ほどまで普通に会話していたとは思えないほどに衰弱しており、振り絞るように言った。


「ジノを、勇者学院に……行かせてあげなさい……」


 それを聞いた両親は少しだけ驚いた様子を見せたが、すぐにうんうんと頷いた。


 もうアイルの命は残りわずか。

 ジノは込み上げる思いを全て声に乗せ、アイルの耳元でゆっくりと言葉を紡ぐ。

 約束を果たすための言葉を。




「ただいま、アイル」


「おかえり、お兄ちゃん……だい、す……き」




 そう返すとともに、アイルは目を閉じた。

 そして最愛の兄に看取られながら、幸せそうな笑顔を浮かべてこの世を去った。


 ジノは解けていく小指をゆっくりと離し、それから小さな声でつぶやいた。


「アイル、お兄ちゃんは勇者学院に行くよ、だけどいつかまた必ず会いに行くから、その時まで待っててくれな」


 こうして、勇者の妹であったアイル・フェルトは112年の人生に幕を下ろした。

 そしてジノは己の記憶を取り戻すために、己の生まれた意味を探し出すために、勇者学院に通うことを決めたのであった。

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