8-3

 言い終わると枯芝は眠そうに目をこすりながら寝やすいところを探して歩き始めた。毛布を引きずりながら歩き回る子どものようだった。

 その場に残ったのは僕と小雀と仮面をつけたまま気絶している都知事の三人だった。

 右手には完全なる球体。左手には純真日記がある。

 完全なる球体は卓球の玉のような大きさであり黒光りしていた。材質はよくわからないが非常に軽い。中身は詰まっているようで力を入れても変形することはない。

 純真日記は表表紙と背表紙しかない日記だった。中にはページがなく当然ながら内容もない。これの何を見て純真であると名づけ日記の体をなしていないのに日記と呼ぶことにしたのかよくわからなかった。

「都知事は、どうしましょうか」

 小雀は深くため息をつきながら、僕を見つめた。

「そうだな、どうしようか」

 都知事は赤黒いスーツを着ている。どことなく古いロックバンドを思い出してしまう。

 小雀が都知事に近づき右腕を持って少しだけ体を待ちあげると仮面に手をかけた。

 やめたほうがいいというジェスチャーはしたが、見てみたい気持ちはあったので強くは止めなかった。

 仮面が外れる、その瞬間。

 僕は息を止めた。

 その顔は、僕の母親に似ていた。

 いや。

 似ているどころではない。

 母親だった。

 正真正銘、僕の母親だった。

 死んだはずなのに、何故か生きている。

 どうして。

 目の前にいる理由が分からない。

 電車の窓から見えた母親の顔の輪郭、耳、頬、鼻、唇、歯並び、そして瞳。すべてが合っている。

 思い出補正などではない。

 手で触れられる距離に、大好きな母親がいる。

 その瞬間、僕の脳内で何かが光った。

 去年、僕の父親がデッドバーストふれあい祭りを開催させて何か大切なものを手に入れた、という情報。

 そして。

 女遊びに精を出す腑抜けになってしまった、という情報。

 そうか。

 そういうことか。

 僕の父親は、デッドバーストふれあい祭りを開催することで母親を復活させることができたが、増殖する蛙の卵によって性欲を抑えられなくなってしまったのか。

 だから、母親は生きて、ここに存在しているのか。

 すべてが繋がっていく。

 僕は少しだけ父親のことを考えた。

 そして、すぐにやめた。

 父親が母親を愛していたのだ。それで十分だった。

 僕はゆっくりと母親の方に近づく。

 すると母親が目を開いて僕に向かって手を伸ばした。

 小雀もつられるようにして僕の方を見て手を伸ばしてくる。

 別に、二人は崖に捕まっていて助けを求めて手を伸ばしているわけではない。どちらか一人しか助けられず、もう片方は見殺しにするしかないというような意地悪な心理テストのような状況でもない。

 それなのに僕は。

 その二人のどちらの手を握るかで、この先の人生が決まってしまうような気がしていた。

 どちらに好かれて、どちらに嫌われるのか。

 いつの間にか完全なる球体と純真日記は地面に落ちていた。

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