8-2

「やってしまった。やってしまったんだよ」

 僕と小雀は心配で枯芝に近づこうとした。すると、枯芝は僕たちに向かって手を突き出して首を振った。

「近づかないでくれ」

「いやいや、あんた大丈夫かよ」

「それより私のことは分かるかね」

「おう、三ツ星区画で会った羽角教団の教祖をやってるおっさんだろ」

「そう、その通りだ」

 おっさん、を否定しないあたり、かなり疲れていると見える。

 僕は枯芝の取り乱し方を見て心配もあったが同時に不安も抱いていた。何かが起ころうとしているようにも見えたからだ。

「私は知らなかったんだよ。まさか着ぐるみが、いや、グリーンラビットが、中に人間が入ることを望んでいるなんて何も知らなかったんだよ」

「グリーンラビットがなんだって。おい、教祖のおっさん、グリーンラビットについてなんか詳しいこと知ってんのかよ」

「だからまんまと体を乗っ取られて、こんなことをしてしまった」

「おいっ、こっちの話を聞けって」

「見てのとおりだ。私は都知事を誘拐してしまった」

 一分ほどの沈黙。言葉が出なかった。

 東京都を驚かせた、あの誘拐事件の犯人が目の前にいるのである。

「では、その仮面をつけた女性が」

「あぁ、そうだ。都知事だ。なんてことだ。こんなつもりはなかった。命を狙われてしまう。都知事の信者と収集員たちと都庁兵士団に間違いなく殺される」

「何があったのか、詳しく教えて頂けますか」

 枯芝は深呼吸をしてから地面にへたり込むと両手で頭を抱えた。

「あぁ教えよう。まずグリーンラビットについてだが、これはただの着ぐるみであって特別なものではない。重要なのは山葵運送会社だ。あれが、このグリーンラビットを動かしている。いや強いて言うなら動かすためのパーツを持っていると言うべきだ」

「そのパーツとはなんですか」

「依頼書だ。山葵運送会社はグリーンラビットを使って配送を行っていたんだ。しかし、それが勘違いを加速させた。おそらくわざとだが、グリーンラビットを配送のためだけに使ったんだ」

「すみません。つまりグリーンラビットとは何なのですか」

「どんな願いもかなえる魔法の着ぐるみだ」

 枯芝は急に立ち上がると両手を広げて空を見上げた。口の端から唾液が垂れていた。

 小雀が枯芝に恐怖を感じて一歩だけ後ろへと下がった。

「グリーンラビットの中に依頼書が入っていただろう。あれに願いを書いて貼り付けるとグリーンラビットが動き出して願いを叶えてくれる。お菓子を見つけてほしいと書けばお菓子を持って来る。靴下の片方を探してほしいと書けば靴下の片方を手にして戻ってくる。誰かを殺してほしいと書けば、まぁ、色々できるわけだ。どんな願いも血まみれの金属バットと不思議な力でかなえてくれる夢と希望にまみれた緑色の悪魔、それがグリーンラビットだ」

「信じがたい性能ですね」

「言っておくが都知事を誘拐したい、と依頼書に書いて貼り付けたのは私ではない」

「では、誰なのですか」

「さあ、見当もつかないな。本来、グリーンラビットに入らなければいけないのは依頼書を書いた人間だ。だが、その誰かは依頼書を貼り付けただけで放置したようだ」

「何か突発的な問題でも発生したのでしょうか。いや、正しい使い方を知らなかっただけ、という可能性もありますね」

「どちらにせよ願いをかなえようとしたグリーンラビットは中身を求めて私を取り込むという決断を下した。だが、書いた本人が中に入るという本来の手順を踏んでいないため不具合が発生。結果、この靖香区画に不時着することになってしまったわけだ」

 グリーンラビットはただの布の塊と化しているが、黒い煙はおさまっていた。燃えたような跡もなければ、千切れているようにも見えない。むしろ僅かに動いているように見える。

 自己修復機能があってもおかしくはない。

 願いを叶えるために、また動き出す可能性は十分にあるだろう。

「そう言えば都知事も中に入っていましたね」

「全く、大人を二人分も詰めるような設計ではないだろうに、狭くて死にそうだった」

 都知事はまだ動かない。もしかしたら死んでいるのかもしれない。しかし、何故か助けに行こうと思えなかった。僕の中で枯芝との会話の方が優先順位が高かった。

「グリーンラビットについて、どうして詳しいのですか」

「グリーンラビットの知識は着ぐるみの中に落ちていたメモ帳で知った。空中を飛んでいる間に中で読んだんだ。不思議な話だが手足を抜いて自由な体勢になってもグリーンラビットは勝手に動くのだ。おかげで変なところに痣ができてしまったよ。しかし、これを知った信者がなんと言うか。いや、もう羽角教団は潰れたんだ。終わったんだ。長い夢だった」

 枯芝は泣き始めた。

 見ていられなかった。

「グリーンラビットに利用されたのにグリーンラビットのことを知ってしまったせいで、山葵運送会社に復讐をしようとも思えない。だって、そうだろう。どんな願いもかなえられる着ぐるみと自由自在に稼働させるための依頼書を生み出す開発力。完全に私の常識を外れている。私の敗北だ。私は負け犬だ。」

 小雀が頭をかきながら苦笑する。

「ま、まぁ頑張れよ。流石に復讐を応援しようとは思わねぇけどよ。そこまで卑下しなくたってさ」

「無理だ。技術や努力、時間、歴史そんなちゃちな差ではない。才能だよ。ただひたすら濃密で傲慢な山葵運送会社の才能が目の前に壁としてやってきて押しつぶしてくるのだよ。笑顔に圧死させられるようなイメージだ」

「グリーンラビットを逆に利用しちまうとかはダメなのかよ」

「もちろん考えたさ。でも、ダメだった。依頼書に願いを書いてグリーンラビットに貼り付けた人間は、願いが叶った瞬間にあるものを失う」

 小雀が驚いた表情をしながら、枯芝へと一歩だけ近づいた。

「なんだよ、それ」

「信頼だ。本人にとって最も大切にしている人からの信頼。それが消えてなくなる。まぁ、メモ帳に書かれていただけだから事実かどうかも分からないがな。仮に事実だったとして、羽角教団は消えてしまったわけだから信者もいない。ゆえに私への信頼もクソもあったものではない。でも、そんな私のことをまだ信頼してくれている人が、どこかにいるかもしれないと思うと使う勇気が出ないんだよ」

 枯芝は小雀のことを見つめると自嘲気味に笑ってグリーンラビットの中を漁り始めた。何かを手にすると僕たちの方に向かって歩き始めた。

「君たちには、これを渡しておこう。三ツ星区画のオーパーツである完全なる球体と黒区画のオーパーツである純真日記だ」

「ありがとうございます」

「何故か持っていたんだ。君たちはこれを探していたようだからな。まぁ、私が持っていてもしょうがないものだ。渡すよ、使うといい」

 僕は完全なる球体と純真日記を受け取った。

 意図せず、オーパーツが揃っていく。喜びよりも驚きの方が勝っており自分でも分かるくらいに無表情であった。

 枯芝があくびをする。

「さて、私は疲れたから、このあたりでひと眠りするよ。君たちはこの靖香区画のオーパーツでも探すといい。靖香区画を出るときは声をかけてくれ、一緒に三ツ星区画へ帰ろう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る