6-2

 インラ遊園区画に入って十分ほど経過した。

 森の中である。

 歩き続けても視界は変わらない。

 苔むした岩に空を覆い隠そうとする木々とその枝や葉。簡単にまたぐことのできる川をもう何本も見た。小さな魚が泳いでいるところもあった。人の足跡は一切なく、僕と小雀が歩くことで生まれた足跡も振り返ればどこにあるのか分からなくなる。地面は非常に柔らかく足腰の弱い人にとっては良いかもしれない。

 初めて自然を清潔に感じた。

 そういう心を持っている自分に驚いた。

 ただ、人が住むようなところではない。

 道らしい道もないので歩くたびに枝や岩で服がこすれる。鳥の鳴き声、水の音、枝のしなる音がどこか遠くで発生する。きっとあの方向だろうとは思うのだが予想を確実なものとする前に、どんな音であったかも記憶の彼方に消えてしまう。

「あ、なんかあるぞ」

 小雀が指をさして少し早歩きになる。

 僕はその後をついていく。

 公園だった。

 いや、かつて公園と呼ばれていた場所だった。

 ジャングルジムは黄色のようだが緑色の蔦が絡まり青紫色の小さな花がたくさん咲いている。特に足元になると別の種類の草木にも巻き付かれており、まるで草木の中から鉄の棒が生成されたように見えた。支配力が逆転しているのだ。

 その奥には滑り台があるが当然のように蔦が絡まっている。また今度は蔦だけではなく苔によってその大半が覆われてしまっている。おそらくキリンの滑り台だったのだろう。階段らしきところを上がり終えたところに二本の角のようなものが見える。これも苔によって緑色なのだが、逆に冷たいプラスチックを柔らかく包んでいるので温かみを感じられる。

 ほかにも乗ったら静かに折れるであろうシーソーや、何故か蔦に絡まれることも苔に覆われることもなく佇んでいるパンダとカバの乗り物。草木に覆われて地面と一体化したソファーのようなベンチなどがあった。

 公園を囲むフェンスは八十センチほどの高さである。そのどれもが草木に覆われてはいるものの、しっかりと立っている。触ってみて掴んでみて足で少しばかり蹴ってみたが、びくともしなかった。

 小雀がフェンスの草木を引きちぎっている。そのまま葉や蔦を地面に落とすと紛れてしまい分からなくなった。もう区別はつかない。

「おい、ここに看板があるぜ。えぇと、ここの公園の名前は第二公園だってよ」

「どこの第二公園ですか」

「いや、分からねぇな。インラ遊園区画のどこかの第二公園だな。へぇ、道路が近いからボール遊びとかはダメらしいし、うるせぇから大きな声を出すなだってよ」

「そうですか。気を付けましょう」

 僕と小雀は鼻で笑った。

 小雀が猿のようにジャングルジムを登っていき、てっぺんで仁王立ちをするとこちらに向かって笑った。

 僕はベンチへと座る。

 なんとなく温かい感じがした。

 装着した腕輪を見る。高級腕時計そのものだが、時計の部分にはデジタルな数字が浮かんでいる。残りは約三十九時間と四十五分。残り秒数は表示されておらず非常に不親切な設計であると思う。

 入ってきて、まだ誰にも会っていない。そう考えると、どこかに隠れながらこちらを監視しているとも考えられる。それとも住人の数がほかの区画に比べて圧倒的に少ないのか。

 足元を見ると何かが落ちているのが分かった。苔をむしり、蔦を引きちぎり、土を払う。

 黄色を地の色として黒い文字で関係者以外立ち入り禁止と書かれた看板だった。

 A4くらいの大きさであり紙に印刷した後にプラスチックによってコーティングしたもののようだ。字体やその字の周りに描かれている安全第一のヘルメットをかぶった動物たちのデザインが少し古臭い感じがした。どれほど前に作られたのだろう。

「土に還らないのか」

 まぁ、当たり前か。

 僕は持ち上げて裏表を確認すると意味もなく木々の切れ間から落ちてくる太陽光に透かしてから自分の横に置いた。わざわざ拾い上げたものをまた地面に戻すというのがはばかられただけである。

「おかえりなさいませ、お客様」

 後ろから声をかけられて振り向く。

 フェンスの向こう側。

 そこにはホテルのエントランスにあるカウンターがあり、その奥にホテルマンが立っていた。

 倒れた木々からキノコが生え、それが苔に覆われて、その隣に太い木が何本もあり、小さな川が静かに音を立てながら流れている。

 その中にホテルのカウンターがあり、奥にはホテルマンがいる。

 カウンターには蔦も絡まっていなければ苔もついていない。新品というか毎日清潔に保っているというような感じがする。

 ホテルマンはモスグリーンの制服を着ており清潔な身なりで笑顔を一切崩すことなくこちらを見つめている。

 先ほどまで、あそこにあっただろうか。

 そして。

 いたのだろうか。

 ここにカウンターなど、ホテルマンなど。

「お客様、観光はいかがでしたか」

 僕は立ち上がると公園を出てホテルマンへ近づいていく。

 カウンターの上にはメモ帳とペンホルダー。その横に指紋もついていない綺麗な呼び鈴がある。小さな花瓶があり、枯れかけのカーネーションが挿してあった。

「いや、その、あなたはホテルマンですか」

「えぇ、もちろんでございます」

「ということは、このあたりにホテルがあるということですか」

「お客様、ご冗談を」

「いや、その。何がでしょう」

「お客様はもう当ホテルに入られているではありませんか」

 僕は深呼吸をするとあたりを見回した。

 ホテルの中ではなく森の中である。

 というか外である。

「昔ここにホテルがあったということですか」

「いえ、今現在も営業中ですが」

「そうですか」

「お客様のお帰りをお待ちしておりました。この辺りを散歩なさっていたので御座いましょう」

「えぇ、まぁ。そう、そうですね。そんな感じですね」

「この辺りは空気もきれいですし、非常に晴れやかな気持ちになれます。基本的に区画の行き来はご法度のような扱われ方をされますから、外からお泊りにくる方は非常に少ないのです。ただ、一度お泊りになられて時間を過ごすと、病みつきになるとの感想を頂いております」

「確かに、その。中々ないホテルではありますね」

 天井はなく空が見える。

 床はなく苔が見える。

 壁はなく蔦の絡まった幹が見える。

「すごく、その。開放的です」

「えぇ、皆さま開放的な気分になれるとおっしゃいます」

「ホテルができて長いのですか」

「今年でちょうど三十周年です」

「あ、そうなんですか」

「このホテルはできて三十年も経過してはいないのですが、インラ遊園区画の中心にあるホテルの系列としてできたものなので、正確にはそちらの方が三十周年となっております。まぁ、食事やサービスの方も三十周年記念の仕様とさせていただいておりますのでお楽しみいただければと思います」

「なるほど。あの、お尋ねしたいことがありまして。その、オーパーツについてなのですが」

「オーパーツと言いますと」

「あの、このインラ遊園区画にあるオーパーツのことです。あぁ、分からないのであれば大丈夫です。このあたりを歩き回って探します」

「ですが先ほどまで散歩をなさって、それでも見つからなかったのではありませんか」

「えぇ。まぁ、そういうことですね。それでいいです」

「ということは散歩道から外れてそのオーパーツを探すということでしょうか」

「まぁ、そう、なりますかね。なるのかな、はい。そうですね」

「いけません、いけませんお客様。このあたりは急な崖や迷いやすい場所などもありますから散歩道を外れるなど危険極まりません。大変申し上げにくいのですが、そのオーパーツ探しはやめていただけますでしょうか。一度聞いてしまったからには私にはお客様を止める義務がございます」

「あぁ、でもですね。ちょっと入用でして」

「それは命よりも大事ということで御座いましょうか」

「いや、そうは言い切れないかもしれないですね」

「では、おやめください。お客様のお命をお守りするのも当ホテルの務めでございます。どうか、お願いいたします」

「ただ、その。見つけなければいけないものなので」

「オーパーツはお客様のものなので御座いますか」

「まぁ、一応。そうなりますかね」

「でしたら、ですね」

 ホテルマンは一度しゃがみ、カウンターの裏から何かを探しているようだった。何か独り言が聞こえてくるが。

「あぁ、これです、これです」

 カウンターの上に乗せたのは、いくつかのファイルだった。

「落とし物としてこちらに届いている可能性がありますので、是非オーパーツがどのようなものなのか教えていただけますか」

 ホテルマンがファイルを開きながらこちらを見つめる。

「落とし物という感じではないと思いますね。あの、すみません」

「いえいえ、それはつまり、落としてもほかの人から見れば落とし物として認識されないもの、ということで御座いますね」

「なんというか、今後僕の所有物になる予定のものと言いますか」

「なるほど。オーパーツの特徴をお願いできますでしょうか。言いにくいのであれば簡単でもいいので」

「えぇと、増殖する蛙の卵というものでして」

「お客様、今なんと」

「増殖する蛙の卵、です」

「それがお客様の探されているオーパーツというものなので御座いますね」

「えぇ、そうです」

「良かった。それは良かった。いやいや、と言いますのも、その増殖する蛙の卵ですが、お客様のお部屋を先ほど掃除した時に見かけましたよ」

「本当ですか」

「えぇ、もちろんでございます。わたくし、この二つの目でしかと確認いたしました」

「だとすると、あの、僕の部屋は」

「あぁ、そうですね。失礼いたしました。お部屋にお帰りになられるということですね」

 するとホテルマンは後ろを一度振り向き、空中で手を何度か動かしてからこちらに向き直った。ホテルマンの両手がカウンターの上を通してこちらに伸びてくる。

「お客様のお部屋、九〇九号室の鍵で御座います」

 ホテルマンの手の中にはいつの間にかモスグリーンのカードキーがおさまっていた。

「どうぞ」

 僕はホテルマンの笑顔につられて微笑みながら軽く頭を下げるとカードキーを取った。

 少しだけ温かかった。

「あの、申し訳ないのですが九〇九号室まではどのように進めばいいですか」

「お客様から見て左側に見えます廊下を突き当りまで進んでください」

 僕は顔を左へと向ける。

 廊下どころか道すらない。苔むした大きな岩がいくつも転がっており、その上に朽ちた木が乗っかっていた。

「途中、一〇一号室、一〇四号室、二〇七号室、五〇五号室、六一七号室、八〇〇号室、九〇〇号室に入りますが、そのまま通って問題ございません」

「ほかの人の部屋を通るのですか」

「えぇ、それが最短距離で御座います」

「問題になりませんか」

「と、言いますと」

「他人の部屋を通るわけですから」

「まぁ、お客様がそれを問題視されるのであれば遠回りをされるのがよろしいかと思いますが」

「途中の部屋に泊まられている方も問題視するでしょう」

「それは杞憂で御座います。全く問題ございません」

「本当ですか。本当に大丈夫なのですか」

「お客様。お客様のお泊りになられている部屋の番号は何番で御座いますか」

「九〇九号室ですが」

「はい、九〇九号室となります」

 ホテルマンが笑顔のままこちらを見つめて動きを止める。瞬き一つしない。

「それを承知の上で、九〇九号室の予約をされたので御座いましょう」

 姿形のないホテル。

 身に覚えのない予約。

 九〇九号室という特別な部屋。

 僕はカードキーをポケットにしまうと公園の方を向いた。

 いない。 

 小雀がいなかった。

 ジャングルジムのてっぺんにいたはずなのに。

「お連れ様なら先ほど別のカードキーを持って九〇九号室に向かわれましたが」

 ホテルマンは笑顔でこちらを見つめている。

 もうきりがない。

 僕は軽く会釈をして廊下と呼ばれている森の中を歩き始めた。

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