1-4
中は薄暗いが、非常に清潔だった。床も壁も天井も赤色に塗られているため、まるで巨人の食道を進んでいるかのような気分になる。指でなぞってみたが粘液が付かなかった。少しばかり安心する。
先は見えないが、二メートル間隔で立て看板と裸電球がある。そこには、用事のある方は奥までお入りください、と書かれている。
どこに通じているのか不安になるほど先が見えない。一度後ろを振り返ったが、入ってきた扉が閉まる瞬間だった。自然光もなくなると、いよいよあたりは暗くなっていく。
「こえぇな」
「大丈夫です。僕が先頭を歩きましょう」
「いや、それは当たり前だろ。でも、そうすると後ろが怖いんだよ」
「じゃあ、お姫様だっこをしましょうか」
「いいよ別に、そんなことしなくたって歩けるっつうの」
「怖くないんですか」
「いや、まぁ、そりゃ怖いけど。手とか繋ごうぜ」
「手ですか」
僕は自分の掌を見つめる。何もついていないことを確認する。
「やめましょう」
「なんでだよ、いいじゃねぇか手くらい」
「緊張するので」
「緊張するなよ、手くらいで」
「緊張しますよ。ちょっとは気になってる女の子ですから」
僅かばかりの沈黙が流れる。
僕は歩き続けるが、小雀の足音が聞こえなくなったのが分かった。
僕も止まる。
「お前、マジで」
「何がですか」
「ちょっとは、気になってる女の子ってあたしのことか」
「はい」
「お前、マジか」
「マジですよ」
「いや、それは、あ、そうなんだ」
「すみません。こんな時に」
「いや、別にいいけど。なんで、あたしなの」
「性格が好きですね」
「あ、そう」
本当にこのタイミングではなかったと思う。
僕は自分が緊張していることに気付いた。
「あのさ。あたしって、がさつだぞ」
「知ってます。そこが本当に好きです」
「なんで好きなんだよ。がさつは、だめだろ」
「がさつっていいと思います。でも、がさつなところが好きなわけじゃないんです」
「わけわかんないこと言うなって」
「がさつな女の子じゃなくて、がさつなあなたが好きです」
僕は歩き出す。
小雀も少しだけ歩き出す。
「ちょっと待ってくれ。ちょっと考えさせてくれよ」
「突然、失礼しました」
「いや、別に嫌な気分になったとかじゃねぇんだ。ただ、すごくその、難しいな。こういうのって」
「すみません」
「謝るなら告白してくるんじゃねぇよバカ」
小雀とは色々なところに行った思い出がある。映画も見に行ったし、ゲームセンターにも行ったし、水族館にも行った。
もはや、あれはデートだったと思う。
「悪くねぇな」
小雀がそんなことを小さく呟いた。
僕は小雀の顔を見ないまま進んだ。
僕の友達に田中というやつがいる。性別は男である。
田中はもてるし、どんな女の子とも直ぐに関係を持つことで有名である。だから、どんな形であれ、田中の周りには女の子が多くいるということになる。人によっては、それを正しいとか正しくないとか色々な価値基準で推し量ろうとするわけだが、そんなところはどうでもいい。
その昔、田中はこの小雀にふられたのだ。
そこはかとなく伝えて、玉砕ということになったそうだ。
田中はフェラ要員であるとか、金要員とか、連れて回る要員とかで女の子のストックがあるから、ふられたこと自体を気にしてはいないだろう。
田中は校長先生の奥さんとやったらしい。
孕ませたらしい。
直ぐにおろさせようとしたが、相手がおろしたくないと駄々をこねて結果的に間もなく生まれるのだそうだ。
田中は頭を抱えていた。
もうすぐ父親になるのだそうだ。
まだ、高校二年生である。
校長先生とその奥さんは離婚したそうで、奥さんの方はどこか遠くに引っ越してしまったらしい。
田中は今日も学校に来て授業を受けていた。生徒はみんな知っている。田中が間もなくお父さんになることも校長先生の奥さんを寝取ったのも。
一体どこにそんな切っ掛けが転がっているのかと思うが、そういうことは想像しないようにする。
僕はそういう点で言うと非常に遅れていると言える。性知識であるとか、セックスであるとか、そういうものについて詳しくない。男女の関係にはエチケットというものもあるそうだが、まだ分からない。
小雀という彼女を持ったのだから少しずつ覚えていかなければならない。
田中とは大きく違う人生を僕は歩んでいるけれど、蓋を開けてみれば好きな人とは付き合えたわけで、こんなにも嬉しいことはない。
「なぁ、田中っているだろ」
「はい」
「あたし、あいつに好きだって言われたことあるんだぜ」
「へえ」
僕は、知っていたとは言わなかった。驚いて欲しいからそういう発言をしたのだろう。不自然なリアクションになってしまう方が怖かったので、表情は変えなかった。
「嬉しいだろ。あたしの価値って高いんだぜ」
嫌な言い方をする。
「ああ、そうですか」
小雀はわざとらしくため息をつく。
「あたしから先に言うつもりだったのによ」
「何をですか」
「お前のことが好きだって」
僕は少しにやけた。
「彼女として、よろしくな」
小雀は僕の背中を少しだけ触った。
気持ちが良かった。
背中から脳天にかけて体をずっと貫いていた返しの付いた針を抜き取ってもらったような気分だった。痛くて気持ち良くて、少し涙が出たし白目になりかけた。
「変な声出すなよ」
気が付かなかった。
恥ずかしい。
「お前は、田中みたいになるなよ」
「どういう意味ですか」
「人の関係とか、家庭にちょっかいを出すなってことだよ」
「分かってます」
ほんの少し前だ。
僕は犯罪まがいのことをした。
校長先生の奥さんが妊娠してお腹が大きくなっている画像データを手に入れて大小様々な形でプリントし、田中とは全く無関係の生徒の名前を書いて職員室中にばらまいた。
後日、その無関係な生徒が職員室と校長室に呼ばれたのを見た。
あれは笑えた。
それを携帯のカメラで撮って動画サイトに流した。再生回数は全く上がらなかった。
その後、僕に名前を書かれてしまった生徒が結果的に転校したり、犯人が僕だと察した田中が問い詰めに来るなどのイベントは起きたが予想通りだった。
田中は何度も何度も僕に尋ねて来た。
何故したのか。
何が目的なのか。
何をしようとしているのか。
僕は基本的には無視をしたが余りにもしつこかったので、たった一度だけ、次に同じことを聞いたらぶっ殺すぞゴミ、と田中の耳元で囁いた。大した意味などないのに田中は何故か真に受けて泣いた。
それから田中は僕の機嫌を損ねるべきではないと考えたようで近づいてこなくなった。
おかげで僕の高校生活は静かなものとなった。少しでも話をするきっかけを失いたいと思っていたため非常に都合が良かった。
会話はカロリーと時間を消費する。しかも正確に伝わることはほぼないため無駄の極地である。言葉にしても無駄が多すぎる。早くテレパシーが使える様にならないかと祈るばかりである。
「オーパーツってなんなんだよ」
「オーパーツというのは、非常に優れた造形品です。ヴォイニッチ手稿はその内の一つと言えるかもしれません。まぁ、ヴォイニッチ手稿は今回のお祭りに必要なものではありませんが」
「優れた造形品もヴォイニッチ手稿も何がなんだか。まぁ、その、よくわかんねぇけど良いものなんだろ」
「悪くはないと思います。それ単体でも価値があって、そこに考察を挟む余地が幾らでもあるということです」
「考察ねぇ。別に勉強とか嫌いじゃねぇけどよ」
「とにかく七つ集める必要があると。ここに来たのはその内の一つである、完全なる球体をゲットするためです」
「なんだよ、完全なる球体って」
「完全なる球体ですよ。何の歪みもない完全なる球体です」
「そんなのこの世の中にある訳ねぇだろ。作り出すの、めっちゃ大変だろ」
僕も思う。
完全なる球体。
数百年ほど前、久十字路町内にある区画同士は、お互いを滅ぼすために戦っていた。その際に、大量の砲丸を作っていた。
その内の一つが、偶然、完全なる球体になったそうだ。
二千個、三千個ではきかない。一億、二億と作ればそのうちの一つくらい、と思ったりはするものだが、そもそも数多く作れば生まれるものという訳でもないだろう。それに今現在の技術ではなく数百年前の技術でそれが可能だったのか、と考えると疑問である。
人類ではない全く別種の高度な文明を持った意思が関わった可能性は否定できない。
僕はオーパーツについて既に先輩の実行委員から説明を受けていた。そのため、ある程度の知識はあるが、所詮は七つあることとその名前と簡単な説明だけである。頭に浮かんだ疑問を解消するような返答があったわけではない。結局は実際のものをこの目に映す以外に道はないということだ。
「他の六つはなんだよ」
「聞きますか。楽しみが減ると思いますが」
「じゃあ、いいや」
今の僕は、彼女もできて絶好調と言えるのかもしれない。運は向いてきている気がするし、もしかしたら七つ全てを簡単に集めてしまう可能性だってある。
そんなことを思った時だった。
あたりの光が完全に消え、突然ついたスポットライトが僕らを照らしてくる。
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