第5話 キリストと共に生きていくとやり直せる

 世の中は、逮捕されると人生終わりというレッテルを貼るが、同時に悪から離れるチャンスであり、やり直している人もいるのは事実である。

 竜也牧師が牧会する罪人寄り添い教会は、そういった人がやり直すために存在する教会である。

 信者のなかには、もちろん一般の人もいるが、神様は分け隔てなさらない。

 

 井出ゆみかは話を続けた。

「私は、覚醒剤から逃れ、少年院に行ったときは、心底ほっとしました。

 少年院のなかでの生活は厳しいものでした。

 しかし、私が少年院から出所すると、不思議と私と関係をもっていた組は解散したのです」

 えっ、そんな奇蹟が存在するのだろうか。

 まあ、暴対法以来、反社の出番は少なくなってきているというが、二十歳そこそこの女性が組を解散させる働きをするとは、まさに奇跡である。


 教会の会衆は、驚きの目線でゆみかを見つめたが、ゆみかは淡々と話を続けた。

「私は少年院から出所したら、どう生きていこうか心配でたまりませんでした。

 しかしそんなとき、キリスト教の教誨師と出会ったのです。

 その教誨師は、元暴走族でした。

 しかし、少年院でキリストに出会ってから、変えられたのです。

 神から離れた人間は誰でも皆、エゴイズムという罪を背負って生きている。

 しかし、イエスキリストを信じれば、誰でも皆、救われます」

 ゆみかは、一礼して講壇を離れた。

 教会の会衆は、シーンと静まり返っていたが、のちにほっとしたような救われた表情になった。

 竜也牧師は続けた。

「彼女のように、イエスキリストを信じる人は、イエスキリストと共に、新しい人生を歩むことができるのです」

 そのあと、讃美歌を歌うことになった。


    「私は主にふれられて」

 私は主にふれられて 新しく変えられた

 イエスの御名をほめ歌おう 私は変えられた

 イエスの恵み、イエスの愛 なにものにも代えられぬ

 主を愛して主に仕えよう 新しい心で

 イエスの御名をほめ歌おう 私は変えられた


 軽快なメロディーに乗せた讃美歌を歌っているうちに、私にも希望の光が見えてくるようだった。

 そう、どんな困難があってもイエスと共になら、生きることができる。

 また、いろんな誘惑からも身を守ることができる。


 主の祈りをして、礼拝は終わりを告げた。

    「主の祈り」

 天にまします我らの父よ

 願わくは御名をあがめさせたまえ

 御国を来たらせたまえ

 御心が天になす如く 地にもなさせたまえ

 我らの日用の糧を今日も与えたまえ

 我らに罪を犯す者を我らが赦す如く 我らの罪をも赦したまえ

 我らを試みに合せず 悪より救い出したまえ

 国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり

 アーメン


 竜也牧師は、私に声をかけた。

「るりちゃん、中学卒業以来だね。

 まあ、噂には聞いていると思うが、あれから僕の人生、真っ暗闇だったよ。

 この右手の小指を見てくれたらわかるだろう。

 しかし、イエスキリストに触れられてようやく更生したんだよ」

 私は驚いた表情で答えた。

「でも、竜也君って昔から変わっていないな。

 社交的で人なつこくって、そりゃまあ、少々強面になっちゃったけどね。

 私もあまり変わってないでしょう」

 竜也君は、微笑みながら言った。

「るりちゃんは、僕にとってはただ一人の救いのアイドルだった。

 大人になった今は、アイドルからマドンナに成長したんだよね」

 私は思わず、笑顔になった。


 その時、忘れてしまいたい、いや、忘れるべきおじさんが現れた。

 あれは紛れもない、私の母に結婚詐欺師まがいを働き、私をもセクハラしようとした野沢のおっさんに酷似した男性だった。

 野沢おっさん酷似男性は、まるでホームレスのような精気のないやつれた表情だった。

 骨の上に皮膚がかぶさっているかのような、骸骨のようなギスギスとした痩せ方。

 真っ青な生気のない表情は、末期がんを連想させるものだった。


 竜也牧師の方から、野沢おっさん酷似男性に声をかけた。

「あなたは野沢おじさんの双子の弟の野沢次郎だね。

 あなたのことは、中学二年のときから商店街の噂にのぼってはいたが、まあ、いろいろあって、この地に戻ってきたんだよね」

 野沢次郎は、罰が悪そうに口を開いた。

「あれからいろんなところを転々とさすらったのですが、僕の戻るところはここしかありませんでした。

 もう僕は、末期がんで余命宣告半年であるが、こんな僕でも神様は赦して下さるんでしょうか?」

 竜也牧師は、納得したような顔で言った。

「あなたがすべての罪を悔い改め、イエスキリストと共に生きるなら、やり直すことはできます。

 来週は洗礼を受けましょう」

 野沢次郎は驚いたように言った。

「こんな私が洗礼を受けていいんですか?

 ほかの洗礼仲間に迷惑がかかりませんか?」

 竜也牧師は答えた。

「人は皆、罪人である(聖書)

 ただし、罪人というのはいわゆる前科者とかではなくて、神から離れてエゴイズムをもった人のことをいうのです。

 僕は、あなたがどんな環境で育ってきたのかはわかりませんが、環境が変われば人は悪の世界に引きずり込まれていく危険性が多いです。

 今からイエスキリストを信じて下さい。

 そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」


 野沢次郎は、目を細めて昔をなつかしむように言った。

「思えば、僕は不倫の子で、実母は五歳のときに亡くなり、あとは親戚に引き取られましたが、ネグレストという虐待を受けました。といっても、まあ高校は卒業しました。

 そういえば、伝説のアウトロー大親分田岡一〇組長も高知県出身の不倫の子で、五歳のときに実母が亡くなり、神戸の親戚にひきとられたといいます。

 そこでは、学校にも行かせてもらえず、神戸港の港湾の力仕事ばかりやらされていたといいます。

 だから田岡氏は、親がいて、帰る家があって、学校に行かせてもらって、それでなおかつ不良に走るなんてことは、到底想像もできなかったといいます。

 ましてや、暴走族などまったく理解不能だったといいますね」

 竜也牧師は、感心したように聞いていた。

「そうかあ、まあ、犯罪者に幸せな家庭の人はいないといいますが、まさにその通りですね。

 でも、キリストのうちにあるならば、どんな過去をもった人でも新しくつくられます。そして、反省は一人でもできるが、更生は一人ではできないといいます。

 さあ、来週洗礼を受けましょう」

 そして竜也牧師は、急に美しいメロディーのゴスペルを歌い出した。


 誰でもキリストのうちにあるならば

 その人は新しくつくられたもの

 古きは過ぎ去り、すべては新しい

 キリストにあるなら すべては新しい


 野沢次郎は、目を閉じてうっとりとした表情で聞き入っていた。

 そして、急に涙を流した。

「僕の心の奥には、淋しさが常につきまとっていたのかもしれない。

 だから僕はというよりも僕も兄と同様、人の心を一人占めするための手段として、僕は人をだまし、セクハラまがいのことをした。

 まあ、僕も家庭には恵まれてたとは言い難かった。

 血は争えないというが、兄を嫌悪しながらも、世間の冷たい視線には勝つことができず、兄と同じことをしていたのだった。

 ネグレストで、僕がいじめにあっても、相談する人はいなかった。

 不登校一歩寸前にまでなったこともある」

 現代では、よくあるパターンである。

「しかしそれをバネにするだけの、精神力も僕は持ち合わせていなかった。

 ただ、人の注目をひきたかっただけなのかもしれない」

 竜也牧師は答えて言った。

「しかし、犯罪であることには変わりはない。

 あなたは、早くその犯罪の道から逃れられてラッキーでしたよ。

 あなたは、余命半年だと医者から宣告されているが、その残された命をこれからは、神のために捧げていきましょう」

 野沢次郎は、思わず躊躇したような表情になった。

「こんな僕でも、これからは教会に通い続けていくことが許されるのですか?」

 竜也牧師は笑顔で言った。

「神から離れた人は皆、罪人です。その罪を償うために、この教会が存在するのです。誰でも、何かの拍子にあなたのような罪を犯すという危険性はあります。

 逆にいえば、全くないと言い切れる人は、一人もいないでしょう」

 野沢次郎は、無言で去って行った。

 

 それから一週間後、教会に野沢次郎の姿があった。

 前とはうってかわったような落ち着いた表情で、礼拝に参加していた。

 しかしその帰り道、野沢次郎は道端で倒れ意識不明のまま、救急車で運ばれていった。

 病院に着いたときには、すでに野沢次郎は息を引き取っていた。

 享年 五十一歳。

 現代では、若い死である。

 しかし、野沢次郎はこの世の使命を果たしたのだ。

 

 その週の礼拝のとき、竜也牧師は、礼拝後、野沢次郎について祈り始めた。

「神様、野沢さんの弟、野沢次郎はこの世で罪を犯しましたが、あなたを信じてからは、天国に行っていると思います。

 どうか、神様、野沢次郎をお許し下さい。

 イエスキリストの名において祈ります。 アーメン」

 もし野沢おじさんが生きていて、こうやって神に祈ってもらえたら、救いはあったはずだと私は思った。

 その点、野沢次郎は、神にめぐり会えたけでラッキーである。

 私も竜也牧師のように、神様を伝えていこう。

 まず、いちばん身近にいる一人娘梨奈に伝えていかなければ。

 

 

 

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