第3話 昔の傷があらわになるとき

 トルエン中毒から鑑別所に入ったとんでもない野郎、近づくな、竜也君と近づくと、ドラッグ中毒になるぞ、いや、もしかして竜也君は、もう麻薬の売人に成り下がっているのかもしれない。

 麻薬の売人は一時的には儲かるが、しまいには自分自身が麻薬に溺れてしまうのが関の山である。

 だいたい鑑別所に入ると、そこで鑑別所仲間ができてますます悪事を働き、少年院送りになり、ワル仲間の間でははくがついたという妙なレッテルを貼られるだけである。


 竜也君の人生は、それ以来悲惨なものになった。

 ようやくの思いで入学した高校も、一年の一学期、ケンカで相手の鼻を折ってしまい、即刻退学。

 竜也君のその後の人生は、風俗店のボーイを経た後、反社集団に入ったという。


 でも私るりは信じていた。

 竜也君は、根っからの悪党なんかじゃない。

 進むべき道を間違えただけだ。

 きっと、昔の竜也君の片鱗は残っている筈だ。

 だって、あんなに人を感動させ、文才を感じさせる手紙を書ける人なんだから。


 その後、私るりは高校を卒業し、企業OLを経た後、二十五歳のとき婚約をした。

 婚約式のとき、私は婚約者である知紀の亡くなった兄の写真を見せられたが、驚愕のあまり、失神しそうになってしまった。

 なんと、忘れもしない、中学二年のとき、私の母親まゆかに結婚詐欺を目的で近づき、私にレイプというところまではいかないが、気味の悪いボディタッチをした野沢おじさんだったのだ。

 私も母親も忘れよう、記憶から拭い去ろうと、日常生活に励んでいた。

 なのに、あの忌まわしい記憶が、脳裏の底から再び蘇ってきたのだった。


 私るりは、婚約者である知紀に気付かれないように、細心の注意を払いながら、母と私の人生の大敵でもある兄-野沢おじさんのことを聞き出すことを決心した。

 しかし婚約者知紀とは、苗字が違う。

 まあ、偽名を名乗っていたに違いない。

「ねえ、兄さんの死因は交通事故なの? よくあるパターンね」

 知紀はハッとして、真っ青な顔でうつむいた後、顔を上げてきっぱりと答えた。

「このことは隠しておきたかったが、正直に告白するときが訪れたようだね」

 私は動揺を隠すために、まるで他人事のように平静を装って、知紀の話を聞いていた。

「彼は、僕にとっては義理の兄なんだ。

 僕の親父の後妻の息子なんだね。

 僕の実母は、僕が五歳のとき、乳がんで亡くなってしまったが、それから親父が再婚した義母との連れ子なんだ。

 だから、僕とは血のつながりはない」

 そうかあ、それで全く似ていなかったんだ。

 知紀は、淡々として話を続けた。

「正直言って、僕と兄とは折り合いが悪かった。

 両親共働きだったが、僕は兄の面倒を見ることはなく、ほったらかしにしていたんだ。

 それも、兄が犯罪まがいの方向に走った大きな原因だったかもしれない」

 私るりは興味津々で聞いていた。

 

 知紀は、淡々と話を続けた。

「それでも僕は、自分で料理をつくって兄にあげたが、偏食でアレルギーもちの兄は、一口食べただけで吐き出してしまう。

 まあ、僕としたらせっかくつくった美味しい料理を、吐き出されたらいい気はしない。

 今となれば、それが兄の体質だとわかっていても、その当時は、理解できなかった。僕も世間知らずだったんだね」

 私るりは、その兄というのは私にセクハラまがいのことをし、母に結婚詐欺を働いた野沢おじさんのことかなと尋ねるのを、必死でこらえ、平静なリスナーを装った上で、相槌を打った。

「そうねえ、視野が狭いとどうしても、相手のことが理解できない。

 大人になってわかることだって、たくさんあるわ」

 知紀は話を続けた。

「兄は、中学のときまではおとなしかったが、高校三年のとき、クラスメートを合わなくなってしまい、十日間くらい学校をさぼっていたんだ。

 僕も少し心配になって、兄にはお菓子を与えたりしたよ。

 そのときは、偏食の多い兄も嬉しそうに食べてたな」

 私るりは、顔をほころばせて言った。

 もう私のなかでは、知紀の兄が野沢おじさんであるか否かは、どうでもよくなっていた。

 今、そんなことを知紀に聞き出しても、無意味である。

「多分、知紀君の思いやりがお兄さんに伝わったんじゃないかな。

 家族に愛されると、自信がわくものよ」

 

 知紀は、少し残念そうに言った。

「その兄も、昨年交通事故で亡くなったよ。

 原因は、兄のスピード違反だったから、自業自得といっていまえばそれまでだけどね」

 私るりはため息をついたのを、知紀は見逃さなかった。

「僕は今、後悔しているよ。やはり自分の身近にいる人こそ、面倒をみなければならなかったんだ。

 身近にいる家族とうまくいかない人が、他人とうまくやっていこうとするのは、少々無理があるかもね」

 そういえば、更生活動をしている元反社牧師曰く

「犯罪者に幸せな家庭は、誰一人いない」という話を思い出した。

「だから僕は、出来る限りるりを理解し、面倒をみていこうと思う。

 このことは、義理の兄に対する罪滅ぼしでもあるんだ」

 もう義理の兄が、私達母子の天敵である野沢おじさんかどうかは、どうでもよかった。

 もしそうだとしても、知紀とは血のつながりはない。

 私るりは、知紀のその言葉に魅かれ、結婚を決意した。

 一年後の冬、長女梨奈が誕生した。

 

 梨奈には出来る限りの教育をつけさせたいと、小学校のときから塾に通わせ、有名中高一貫校に入学できたときは、これで人生の勝ち組街道を歩めるものだと、ほっと胸をなでおろしたものだった。

 しかし、世間はそう甘く、単純なものではなかった。


 梨奈は中学二年のとき、勉強についていけなくなってしまっていた。

 周りの子は多分IQが高く、生まれつき勉強好きなのだろう。

 親に言われなくても、徹夜までして勉強を続け、いや、親から変人と言われるほどの勉強好きで、教科書を丸暗記した上で、勉強に対して探究心をもつほどの生徒ばかりだった。

 梨奈だけが、いわゆる平凡なIQをもつ、極めて平凡な中学二年生に過ぎなかったのだった。

 

 梨奈は、私と同じくひきこもり気味になってしまった。

 勿論、学校だけが生活のすべてではない。

 梨奈には、一生可能な人生の楽しみを与えてやりたいと思っていた。

 ふとテレビのスイッチをつけると、新番組の宣伝コピーで

「元アウトローから作家に転身ー刑務所生活の実態をリアルに描きます」

 著者は、竜也と記されていた。


 竜也というと、中学二年生のときの同級生だった竜也君ではないかという期待感がわいた。

 早速ネット検索すると、ドンピシャだったときは不思議な縁を感じた。

 

 中学二年のときの竜也君の面影が迫ってきた。

 淋しそうな顔をして、お腹をすかせていた竜也君。

 私がこっそりカフェランプでご馳走したお握りの味、まだ覚えてるかな?

 道交法違反と、トルエン所持で少年鑑別所を出院してからというもの、反社集団に入ったとは聞いていたが。

 まあ、世の中には反社から牧師になった人もいるというから、竜也君が作家になったとしても、不思議はなかろう。

 私は、早速、著者 竜也の本を購入した。


 竜也君は有名アウトローの出世頭だったが、十数年の刑務所生活を送り、出所したときには組を破門になってしまった。

 元々アニメや本の好きな竜也君は、刑務所時代に書き溜めた小説を出版社に持ち込み、それがきっかけである編集者の目にとまり、出版するチャンスを与えられたという。


 元々竜也君は人当たりのいい人だった。というより竜也君曰く、前科者が世で認められるためには、感じのいい人という印象を与えねばならない。

 刑務所という一般社会から隔離された場所から出所してきた竜也君は、昔の恋人に会いにいったという。

 しかし、元恋人女性は竜也君のことなど、全く眼中無しで転職先で知り合った男性と付き合っていたのである。

「もう二度と、会いに来ないで」と言われたときは、まるで浦島太郎の如く、自分だけが昔の思い出にひたり、現代から取り残されているという気分になったという。こういうのをムショぼけというのだろう。

 まるで、時代遅れの高齢者のようである。


 竜也君は、携帯のかわりにスマホ、電気掃除機のかわりにルンバを見たとき、初めてAIという言葉を実感したという。

 著書に掲載されている竜也君の風貌は、いかにもアウトロー特有の人を寄せ付けない凄みのあるいかつい風貌だったが、やはり昔の面影は残っていた。


 私は、梨奈に竜也君の著書である

「元アウトローから作家に転身ー刑務所生活の実態をリアルに描きます」 の本を私ながら、中学二年のときのクラスメートだった竜也君との家庭教師もどきの思い出話をしようと思った。


 梨奈は、当時は口には出さなかったが、クラスメートと会話がかみ合わず、昼休みになると、いつも一人で図書室にダッシュして、読書にふけっていたという。

 このときだけが、梨奈が梨奈でいられる唯一の場所だったと言っていた。

 私はそれもアリだと思った。

 仮面をかぶってクラスメートと合わせていても、しんどいだけである。

 

 

 

 


 

 

 

 

 


 


 


 

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