第2話 私るりは村田君によって汚れから解放された
私るりは、いつものように母親まゆかの経営するカフェ「ランプ」に帰宅すると、客は誰もいなかったので、私は食器を片付けようとした。
するとなんと野沢は、トイレのドアを開けて私を呼び出し、ボディタッチをしようとした。
野沢は私るりの口にハンカチをあて、いきなり胸とおしりを触り、スカートの下に指を入れようとした。
「今、トイレのドアを開けっぱなし状態だね。だから、逃げたかったら逃げてもいいんだよ」
野沢のそんな声が、まるで遠い世界の出来事のように聞こえてくる。
私るりは驚きのあまり身体を動かすことができず、無抵抗でいるしかなかった。
野沢はチェッと舌打ちし、
「もっと抵抗しろよ。嫌だとか言えよ。何も言わないマネキン人形相手に、タッチしたって面白くもなんともないよ」
そんな捨て台詞を残して、店のドアを開けて去っていった。
私るりはそれ以来、おじさん恐怖症になりかけてしまった。
おじさん=不潔なおやじのイメージしかなかった。
だいたい、キャバクラ通いをしたり、出会い系サイトで若い女性に金を払うのはおじさんでしかない。
私るりはおじさんに対して、こびりついた汚れのような絶望感しか抱かなくなってしまった。
私の母まゆかは、野沢おじさんとの結婚の夢を抱くようになっていた。
ムリもなかろう。人当たりがよく、一見親切なおっとりとした女性好みの物言いの野沢は、いわゆる人たらしだった。
そして、先日のトイレの一件を、私は母に話すことはなかった。
というより、レイプされたわけでもなし、ボディタッチ寸前だから話す必要もなかった。
野沢おじさんは、それ以来、私にも母にも近づくことはなかった。ということは、私とのトイレのボディタッチは、出来心ではなく、最初からそれが目的だったのかもしれない。
それから一週間後、野沢おじさんはたちの悪い結婚詐欺師まがいであるという噂が、商店街に飛び交うようになっていった。
母親まゆかは最初は、信じられないような顔をしていた。
しかし次第に、土地家屋が目的だったということに気付き始めた。
野沢おじさんは、二度と私達母子の前に姿を現すことはない筈だ。
しかし、それから十年後、想像もしない再会が待ち受けてるとは、運命のいたずらとしか言いようがなかった。
母親まゆかは、野沢おじさんのことを忘れようと、新メニューを考案しはじめた。
いわゆるチープシックなおかずの入ったコッペパンである。
おからと鶏むね肉と大根葉をカレー粉やケチャップで煮込んだ具、昆布のような風味のブロッコリーの茎を細切りにした味噌汁やスープ。
この値上げ真っ最中の世の中で、リクエストが多く、嬉しい悲鳴を上げるようになった。
私るりは母親を手伝い、朝六時に起きて仕込みの手伝いをするようになった。
このことで、母親と共通の話題(といってもときには、文句や愚痴も混じるが)ができたことが嬉しかった。
中学二年の二学期頃というと、勉強にも差がつく時期でもある。
しかし、私は勉強だけは、塾にもいかず、ネットの古本屋で参考書を半額で購入し、平均点以上をとった。
私るりの勉強術は、教科書丸暗記である。
なんと教科書十回を読み込み、飽きるまでドリルを繰り返した。
数学に至っては、方程式を問題と紐づけして覚えるという方法をとった。
この問題にはこの方程式をつかって解くというパターンを丸暗記した。
すると、徐々に今までわからなかったこと、チンプンカンプンであきらめの境地だったことが、まるで目から鱗がとれたように、はっきりと見えるようになってきたことは、大きな進歩だった。
竜也君は、クラスメートには内緒で、母親が経営するカフェランプに来店した。
私は竜也君に中学校の数学いや、それ以前の小学校の算数の基礎である九九や分数を、家庭教師一歩手前のような個人授業をしていた。
もちろん、授業料など一切無しの、ボランティアである。
それ以前、竜也君は、ストリートダンスサークルの仲間に入ろうとしたが、やはり十五歳以下という年齢がネックになって一週間で断られたという。
竜也君は、運動神経はよく、ダンサー並みのテクニックをもっていたが、それが裏目に出て、竜也君を真似たいという子がでてきたりしたという。
なかには、塾をサボってダンスを始める生徒もいたので、ダンスサークルとしては、このままでは大人からにらまれると忖度し、十五歳以下の参加をお断りするようになった。
竜也君は、その二か月前に母親が夜、働きに出ていたので淋しさを持て余している最中だった。
竜也君は、最初はアニメを見ていたが、ラストミュージックがかかると、なんともいえない寂しさが襲ってくるのだったという。
竜也君は、母親のために昼間は化粧品を買いにいっていたが、夕方五時前に濃い化粧をした母親が、ドアを開けてでていくと、背中に軽いじんましんに悩まされるようになったという。
「夜の母子背中草」
夕暮れ前に訪れる 淋しさ時
母のドレスの背中のファスナーをあげた途端
化粧品のかすかな匂い
母はまた 僕の知らない別の女に変身し
ドアを開けて ネオン街へと旅立っていく
ネオン街戦争は 僕の知らない
熾烈な戦いに満ちていることだろう
後ろ髪ひかれる母の背中が
そのまま僕のじんましんとなる
淋しさと不安のあまり
僕は刺激を求めはじめ
気が付くと 点数主義の人間へと
溺れていった
点数さえ良ければ 何をしても許される
行方知らずに生え続ける草のような僕の生き方を
母はどう見ているだろう
僕はどんな大人になるのだろうか
月の光が いつもこの僕を監視している
竜也君は、案外頭の回転が速く、私の教えた九九や分数を、すいすいと理解していった。
私は竜也君から、授業料をもらうことはなかったが、見返りとして皿洗いや荷物運びを手伝ってもらっていた。
竜也君が、サクサクと理解力を深めていくのを見ると、私もなんだか家庭教師気分になったみたいだった。
しかし、竜也君はある日を境に、カフェランプに来店することはなくなってしまった。
なんでもトルエン所持が原因で、少年鑑別所に送致が決定したのだった。
そういえば、麻薬を吸っていると、集中力が増し頭の回転が速くなるというが、竜也君はそのせいで、スイスイと問題が解けたのだろうか?
送致期間は、一か月余りで学校に復学することになったが、そのときの竜也君からの手紙を私はまだ覚えている。
拝啓
僕の個人的家庭教師だったるりちゃん。健全な中学生活を送っていますか?
僕は少年鑑別所で反省の日々を送っています。
この頃は秀才大学生でも、麻薬をしているという現実が増加の一途を辿っていますが、間違っても僕と同じ体験をしない人生を送って下さい。
まあ、女性の場合は売春に利用するために、麻薬を打たせるという悪党がこの世にはうようよしていますので、悪党にひっかからないようにして下さい。
僕達のような誰かにかまってほしい未成年者は、無愛想な怒り顔で叱りつける善人よりも、愛想のいい気のあいそうな悪党に魅かれるパターンが多いけど、人を見る目を身につけて下さい。
なーんて、人に説教できるガラの僕じゃないけれど、このことは心に留めておいてくれると、僕も鑑別所に入った甲斐があるというものです。
僕の自作の詩をご披露します。
「いつかこの街で君と」
この街の片隅のカフェランプという小さなステージ
僕は人生の基礎である算数の九九や分数を教えてくれたのは
君が初めてだった
ときどき見せる君の陰ある瞳が 気になっていたが
君がいる限り 僕はこの街で頑張るしかない
カフェランプには君の笑顔があるから
そしていつか 君を笑顔にすることが
僕に与えられた義務だから
竜也君はトルエンを辞め、無事復学を果たした。
しかしこれでハッピーエンドというわけにはいかず、世間の目は冷たかった。
竜也君は、すっかり不良のレッテルを貼られてしまうことになった。
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