~・・・・事件~(『夢時代』より)

天川裕司

~・・・・事件~(『夢時代』より)

~・・・・事件~

 残骸(むくろ)の身塵(ちり)から幻(ゆめ)が現れ、自体(おのれ)の理性(はどめ)を孤高に信じる現代人(ひと)の怜悧を横目に据え置き、無垢に屈(こご)める髑髏の印象(マーク)は自己(おのれ)の聖致(せいち)へ信じて活きても、一幻(ゆめ)の道理に不敵に見送る事始(こと)の概句(おおく)は既視(おおめ)に見られて滑稽だった…。不当の信理(しんり)へ自答を束ねる白亜の偏見(せいぎ)は一女(おんな)を消し去り、飾り立て生く不屈の性差に女性(おんな)の身重を身軽にして生き、純白(しろ)い一体(からだ)に不義を通して迷歩(ある)いて行くのは懐手(ふところで)をした女性(おんな)の自主(あるじ)の得手に潰さぬ無教(むきょう)であった。幻(ゆめ)の身寒(さむ)さに暖(だん)を取りつつ愉快の〝子種(こだね)〟は俺から遠退き、次元の異なる更なる空間(すきま)へ転々(ころころ)公転(ころ)がり姿勢(すがた)を失(け)した。忙(せわ)しい女性(おんな)が無数に拡がり幻(ゆめ)の概(おお)さに白砂を観る内、自分の未完(みじゅく)が宙(そら)へ翻(かえ)れる脆(よわ)い空気(しとね)を充分にも観て、独りで過せる強靭(つよ)い〝旧巣(ふるす)〟を自覚の瞳(め)に見て久しく耐えた…。一女(おんな)の過去から杞憂に昇(あが)れる拙い音頭を一幻(ゆめ)に観てから凍える温度は温味(ぬくみ)を失くせる個人(ひと)の自覚(かくご)を充分差し替え、脆(よわ)い西陽(にしび)に幻想(ゆめ)を届ける漆黒(くろ)い魔術に幻影(かげ)を得て居た。俺の背中は奇妙の根城に男・女(ひと)を観て採り病躯の姿勢(すがた)を現代人(ひと)に見て取る旧い方(かた)から幻域(げんいき)を見て、未だに埋まらぬ白紙の行間(すきま)を児(こども)へ魅せ付け至難を採った。暗夜(よる)の一角(かど)から遅れを取らせる純白(しろ)い孤独が俺へ訪れ、旧い友から斬新(あらた)の友まで「供(とも)」と呼べ得る未聞(みぶん)を訴え、「しどろもどろ」に欠伸をして生く能無しばかりは「自由」に見限る〝不在〟を呈し、幻夢(ゆめ)の一角(かど)から文言(ことば)を違(たが)える斬新(あらた)な自覚(かくご)を自己(おのれ)に識(し)った。女性(おんな)の柔裸(やわら)が軟身(やわみ)を知り活き俺を置き去り、「明日(あす)」の過去から「今日」を覗ける現行(いま)の流行(ながれ)に流暢(ながれ)を観た後(のち)、古びた文句(ことば)が「自由」を取り巻く白紙の翻(かえ)りを大事に見た感覚(いしき)を手繰れば、現行(いま)の目下(ふもと)を朗(あか)るく照らせる現行(いま)に活き得る「欠伸」の宙(そら)には、自体(おのれ)の気色を真面に相(あい)せる無垢の共鳴(さけび)に自明を寄越せる夢中を識(し)り得る…。幻想(ゆめ)の独歩(あゆみ)を懐(うち)に観るうち至算(しさん)の経過は漆黒味(くろみ)を吟味(あじ)わい、明日(あす)の安転(まろび)が白亜を通せる夜目(よめ)の挙句に共鳴(なげき)を観た儘、現代人(ひと)の姿勢(すがた)が宙(そら)から落ちない旧い〝絵図〟にて無頂(むちょう)を詠み取り、自体(おのれ)の感覚(いしき)に連なり始める「男・女(ひと)を排せる自体(おのれ)の一連(ドラマ)」は、孤高の一敗地(アジト)に清算して生く無想(むそう)の真理(しんり)に通快(つうかい)だった…。俺の孤独が孤独を識(し)りつつ孤独に向く内、無垢の純粋(わく)から気楼を愉しむ不快な分業(ノルマ)を達成して活き、男・女(ひと)の孤独は益々膨らむ〝宙(そら)の一敗地(アジト)〟へ分散され出し自体(おのれ)の無憶(むおく)に追随し得ない未有(みゆう)の体裁(かたち)に一方成った…。暗夜(よる)の独義(ドグマ)が自己(おのれ)を切らせる「暗夜(よる)の途切れ」は孤独を相(あい)して、白亜(しろ)い俗世(ぞくせ)に衣(きぬ)を着せ得ぬ「無用の自主(あるじ)」を吟味したのち夕べの幻想(ゆめ)には〝未知〟を配せぬ無用の孤独が充満して居て、一通(とおり)を避(さ)けない脆(よわ)い音頭は心底(そこ)から化け得る活気を説いては、一幻(ゆめ)にまで見た阿漕の職種を俚諺に突き差し他方へ保(も)った。苦労無く発(た)つ臭いを呈さぬ信仰(まよい)の渦中(うず)から俺の文言(ことば)は何らに透れぬ不意の主観(あるじ)を器用に見て取り、一女(おんな)だてらに器用を見て取る機敏の動作は衰退しながら、自体(おのれ)の行動(うごき)を横目に見て象(と)る不義の嘲笑(わらい)に徹して在った。微吟(うた)の手数(かず)から私浪(しろう)が漏れ出し漆黒(くろ)い〝旧巣(ふるす)〟に一頂(やま)を観るのは美容の痩躯に通底して活き、事始(こと)の見事に想起を発して自体(おのれのからだ)を一幻(ゆめ)に観るのは、自己(おのれ)の代理を無闇に掲げる幻夢(ゆめ)の微動(うごき)の一連(つらなり)だった。自己(おのれ)の無知から曲体(からだ)を仕留めて白き体の迷妄(まよい)を識(し)る後(のち)、私宝(しほう)の一頂(やま)から〝過去〟を囀る宙(そら)の寝床が煌びやかの儘、孤島に取り付く無為の歴史は清閑(しずか)に囀る〝無意〟と識(し)り活き、呼吸を調え未知の流行(ながれ)に白体(おのれ)を観るのは、無信(むしん)の自然(あるじ)へ自体(おのれ)を捧げる幻(ゆめ)へ連なる絶頂だった。幻視(ゆめ)の孤独に有頂を識(し)るのは他(ひと)の表情(かお)への〝気遣い〟でも在り、発狂して生く未活の偏見(せいぎ)は何処(どこ)へ向けども一面多意(たい)にて、初めから無い無成(むせい)の唸りが白線(かこい)に跳び付き虚空を見上げる。女性(おんな)の全てが暗夜(よる)と連なり感覚(いしき)を失くして、未用(みよう)の両眼(まなこ)に文言(ことば)を失くせる無毛の汗にて〝華〟を取り次ぎ、俺の目前(まえ)から姿勢(すがた)を消し得る紫陽(しよう)の早朝(あさ)にて無論を相(あい)して、宙(そら)の行方(かなた)へ性(かたち)を失くせる私用(しよう)の小敗地(アジト)へ下(くだ)って入(い)った。暗夜(よる)の宙(そら)には一幻(ゆめ)に纏わる一連(つらなり)が在り、自体(おのれ)の両腕(かいな)に活気を割け得る孤独の清閑(しじま)の活力(ちから)が湧き発(た)ち、未重(みじゅう)の空間(すきま)に土足で入(い)るのは陽(よう)を差すのと違(たが)いの無い儘、自体(おのれ)の生気を〝正気〟に観るのは〝微吟(びぎん)〟の手数(かず)より概(おお)くと成った。体裁(かたち)の無いまま住処へ向かえる怒涛の怒りの矛先さえ無く、白体(しろいからだ)の無垢へ失(き)え生く旧い根城の〝齷齪〟等には、無理を示せぬ無用の主宴(うたげ)が初歩(いろは)を呈(しめ)せる手法さえ就き、暗い夜路(よみち)を白体(からだ)に通れる無言の自主(あるじ)の闊達等には回顧(レトロ)が呈(しめ)せる針の筵の貴重な労苦の人災(わざわい)すら発(た)つ。宙(そら)の行方(かなた)に〝始動〟を醸せる一幻(ゆめ)の初歩(いろは)の不透(ふとう)の成果(さき)には、無頼の信途(しんと)が一通(とおり)を見下ろす暗空(そら)の身重が一面(すべて)に戯れ、幻想(ゆめ)の辺りが奇妙に見廻す無造(むぞう)の自主(あるじ)の〝向き〟の誉れは、苦労の寝言を黄泉へ翻(かえ)せる身軽(かる)い独義(ドグマ)に無頂(むちょう)を観て居た。白体(からだ)を辷らす宙(そら)の真面に後光が差し込み、懐かしさに観る一揆に先立つ無言に在りつつ、白体(しろいからだ)の要所(ところどころ)で一幻(ゆめ)の向きへと自然(あるじ)を差すのは、稚小(ちしょう)に掲げる無為の小人の孤踏(ことう)に対する凌ぎで在った。白体(しろいからだ)が暗夜(よる)に対する姿勢(すがた)に有り付き「一幻(ゆめ)を乖離(はな)れる清閑(しずか)な成果(さき)」への児(こども)の天然(あるじ)の晴嵐(あらし)を観た時、孤高に送れる〝始動〟の四隅(すみ)には四肢(てあし)を忘れた思春(はる)が活き立ち、無情(こころ)の共鳴(さけび)を両眼(まなこ)へ差し込む無造の自然(あるじ)は純粋(わく)から逸れた。

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 俺は中島みゆきのコンサートへ行く為に、本当に薄暗い北海道の海沿いを飛んで居た。俺はドラゴンボールのベジータのように空を飛ぶ事が出来て居たのだ。始め低空飛行からグゥンと真上に向かって(ほぼ直角に)高空へ昇って行く時は本当に気持ちが良く、昇り着いた高空で下界の周りを見廻し、又次の箇所へ移動する時はこの上無い幸せを感じた。

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 宙(そら)の高嶺に華を見付けて幻想(ゆめ)の小言(ことば)が脳裏(あたま)に懐ける無頼の信途(しんと)へ概(おお)きく成る時、一幻(ゆめ)の所以(ありか)に明かりを認める無機の空気(しとね)は

「無頼」を取り下げ、憂き世へ昇れる脆(よわ)い肢体(からだ)は微妙を相(あい)して遠退き出した…。自己(おのれ)の〝向き〟から自体(からだ)を囃せる不理(ふり)を信じて、幻想(ゆめ)の信理(しんり)へ句調(くちょう)を統(たば)ねる一連(ドラマ)の経過(ながれ)を悶々観た儘「自由の信途(しんと)」は肩を並べる無想の呼気(こき)から未完(みじゅく)を廃して、遊び疲れた二性(ふたり)の主観(あるじ)に一幻(むそう)を引いては「独創(こごと)」を束ねる二性(ふたつ)の音頭へ意味を解(かい)せる〝都会〟を感じ、俺の実体(からだ)は偽造を保(たも)てる無機の感覚(いしき)を平静(しずか)に保(も)った…。無戒(むかい)の郷里を彷徨う最中(さなか)に〝郷里〟に浮んだ自分の教理は俺の身許(もと)から段々乖離(はな)れて、電子の零度(おんど)が躰に懐かぬ不毛の論理に一幻(ゆめ)を介して透って入(い)った。自己(おのれ)の未完(みじゅく)に白旗(はた)を振り貫(ぬ)く自然の通りを俯瞰するのち未覚(みかく)の〝吟味(ぎんみ)〟は宙(そら)へ流行(なが)れる不覚を装い、果して既知まで自由を辿れる身軽(かる)い論議は背中を押されて、俺の精神(こころ)へ懐ける独裁(ドグマ)は暗黙(やみ)を越えつつ私闘を抜けた…。足場が無いまま現代人(ひと)と付き合い自然と付き合い、誰の両眼(まなこ)に精神(こころ)が見得ずに分身(かわりみ)ばかりを追い駆け始める未完(みじゅく)の論理を現行人(ひと)へと宛がい、俺の心身(からだ)は空虚の眼(め)をして未活(みかつ)に息衝く俗世(このよ)の生気を不毛に採れた。無言の教理に自然(あるじ)を幻見(ゆめみ)て無数の思惑(こころ)が主観(あるじ)に見送られて活き俺の思惑(こころ)は善人から成る滑稽(おかし)な独義(ドグマ)を沢山保(も)ったが、自分の懐(うち)から外界(そと)へ行かない不遜の小手から様子を遮り、現代人(ひと)の表情(かお)から独裁(ドグマ)を照らせる幻覚(ゆめ)の大手がその実(み)を失(け)せた。白亜(しろ)い手紙に白体(おのれ)を這わせる幻夢(ゆめ)の煩悩(なやみ)は一幻(ゆめ)に逸(はぐ)れる孤独の主観(あるじ)と〝渡航〟を介して俗世(このよ)を遊泳(およ)げる無想の信理(しんり)を順呑(じゅんの)みした儘、遠い御宙(おそら)に端正(きれい)に紛れる夜波(よわた)り上手(じょうず)の端麗(きれい)な静寂(しじま)は、俺の真横(よこ)にも真向きの裏面(うら)にも「私欲(よく)」を見棄(みす)てて没我を尽せる不当の自主(あるじ)の欲望(のぞみ)が在った。未知の牙城(とりで)を精神(こころ)に観た儘、行方知らずの〝孤高の自主(あるじ)〟は活きも絶え絶え迷走して生き、旧来(むかしながら)の矛盾の覚醒(しばり)に大器(うつわ)を落して宙(そら)へと発(た)った。無想に飛び散る一つの独裁(ドグマ)が俺の欲望(のぞみ)に吸収され活き夢想(むそう)と無想(おもい)の矮小(ちいさ)な開眼(まなこ)を現(ゆめ)に引っ提げ野放しにもして、純白(しろ)い孤独が頭上(うえ)に波(わた)れる無信(むしん)の我欲の概(おお)きな進歩は、現世(このよ)の末路へ概(おお)きく跳べ得る一幻(ゆめ)の強靭差(つよさ)を謳って入(い)った。明日(あす)の人並(なみ)へと逆らう晴嵐(あらし)に恐怖の箍から「地道(じみち)」が産れ、一幻(ゆめ)の主観(あるじ)へ接吻して生く孤高の水面(みなも)は努力(ちから)を安(やす)めて、昨日の生活(かて)から自像(かたち)を見紛う身欲(みよく)の自主(あるじ)は宙(そら)へと失(き)えても、俺の自覚(かくご)は蝙蝠(けもの)を通じて飛散して活き、〝天婦羅学生〟、〝児(こども)の褌〟、未完(みかん)に未完(みじゅく)の俺の文言(ことば)は一幻(ゆめ)に連なる麻薬を識(し)った――。

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 ――中島みゆきのコンサートながらに夜会が似合いそうな黄昏時の暗い空でロマンティックであり、俺はその分でも楽しみながらにふと、ライン向こうを見ると、中島みゆきらしい黒い人影がよそよそと、コンサート会場へか、スピード遅くも小走りになって海沿いを行くのが見えた。きっと中島みゆきだったように思うが、その時見た彼女は(人影は)まるで俺にとって別人だった。

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 無憶(むおく)の旧さに児(こども)が産れて透明色した下品な「価格」は紋黄(もんき)を付せ得る律儀が見て採れ、思惑(こころ)の煩悶(なやみ)に理知が通れる虚空の一通(とおり)を真傍(まよこ)に観るのは、旧来(むかしながら)の淡い夜にて一夜の孤独に千夜(せんや)が蕩(ゆ)れた…。無造の日々から身欲(よく)が零れて滑稽(おかし)な傀儡(どうぐ)に自ず落ち生く刹那を以ても、明日(あす)の〝襖〟を伽藍に開(あ)け得る旧(ふる)びた空間(すきま)は俺に併(あわ)さり、未活(みかつ)の総てに無為を囀る「行方知れずの伽藍」は死んだ。暗い夜路(よみち)を独りで競歩(ある)ける無残な空間(すきま)幻想(ゆめ)の間(ま)に間(ま)に、明日(あす)の試(こころ)を夢想に囀る孤高の個独(こどく)は〝論破〟を幻見(ゆめみ)て後光を着飾り、古い手水に小手(こて)を敷き得る無謀の欠伸は大手を振り貫(ぬ)く輪舞曲(ロンド)を識(し)った。闊達して生く純白(しろ)い飛沫(しぶき)が俺の背後で概(おお)きく翻(かえ)り、無機の現(うつつ)に未謀(みぼう)を計れる古びた規定(おきて)は一幻(ゆめ)の格子に少々絡まり、腹痛ばかりが現行人(ひと)を苛む快(あま)い心地の標(しるべ)の一端(そら)へ掲げる無想の純粋(わく)から確信(こころ)が漏れた…。純白(しろ)い気色が具体を識(し)り貫(ぬ)き幻想(ゆめ)の迷妄(まよい)に自体(おのれ)を失(け)しても、幻想(ゆめ)の快夢(オルガ)に文言(ことば)を蔑む孤高の八頭(おろち)は新鮮ながらに、現(うつつ)の夜(よ)に降(ふ)る古い肢体(からだ)の主宴(うたげ)の一端(はし)には、孤高が起(おこ)せる無意(むい)の輪舞曲(ロンド)の未信(みしん)の小泡(あぶく)が転々(ころころ)暗転(ころ)がる。無機の水面(みなも)に囀る翌朝(あさ)には私闘の合せに身悶えして活き、乱れ過ぎ生く神秘(ふしぎ)の生絆(きずな)の浮浪の脚(あし)には、〝古典的〟から兆しを解(ほだ)せる無想の輪舞曲(ロンド)空城(くるわ)が在った。細い両脚(あし)から詩吟を保(たも)てる白い悪夢に狂々(くるくる)包(くる)まり、幻想(ゆめ)の手前(まえ)から夢限(むげん)が零れる未活(みかつ)の進歩は屈曲(まが)らないでも、俺の幻視(ゆめ)から後光は仕上がる一幻(ゆめ)の肢体(からだ)は五体を欲しがり、孤踏(ことう)の間際に届く芽の無い幻覚(ゆめ)の進化は没我に発(た)った。宙(そら)の白日(ひび)から活力(ちから)が湧き出し未有(みゆう)の日(ひ)の掌(て)を私欲(よく)に留(とど)める四季(しき)を早めた〝向き〟の用途の未活に活き得る無残の暦(すな)には、一人(ひとり)に発(た)ち生く個人(ひと)の群化(ぐんか)が自己(おのれ)を幻見(ゆめみ)て器用に達する、無欲の初端(はな)から無想が拡がる悪の律儀に生能(きのう)を発(はっ)する…。正白(しろ)い〝律儀〟は未属(みぞく)の楽園(その)まで無機に活き得る器用を見定(たしか)め、俗世(このよ)の〝楽園(その)〟から〝併鏡(あわせかがみ)〟で熱意(いしき)を片手に未分(みぶん)を覚(さと)され、俺の孤独は幻見(ゆめみ)を洗える事始(こと)の律儀へ通(とお)って行った。四(よ)つ這(ば)いから成る不足を呈した四肢(てあし)の断片(かけら)は、自覚(おのれ)の感覚(いしき)を貴重に感じて他(ひと)を損ねる無聊を幻見(ゆめみ)て、「明日(あす)」の〝両眼(まなこ)〟を両掌(りょうて)に発する孤狼(ころう)の景色を気色へ遣った。「自由」を掴めぬ日本の選抜者(あるじ)の生能(きのう)が無く成り、無機に弄(あそ)ばれ〝向き〟へ阿る四相(しそう)の四肢(てあし)は競歩(きょうほ)を欲しがり、作品(おのれ)の自覚(かくご)を決定出来ない発狂(くる)える境地の一幻(ゆめ)の所以(ありか)は、無駄を蹴散らし無益を欲しがる商いから観た無言を呑んだ…。

 俺の文言(ことば)は白亜(はくあ)を着せ得る私欲(よく)の水面(みなも)に浮きを観た儘、憂き世の行く手を器用に解(ほだ)せる一幻(ゆめ)の自主(あるじ)に望遠されつつ、明日(あす)への文句(ことば)を寝間の許容(うち)から未用(みよう)に描(か)き得る無垢の逆差(さかさ)は現代人(ひと)の〝哀れ〟を身軽(かる)く生育(そだ)てる無様(むよう)の憐れを微かに書いた。他(ひと)の歩幅を自然(じねん)に逆行(もど)され正純(せいじゅん)ながらに精神(こころ)の歪曲(ゆがみ)は、幻視(ゆめ)の自覚(かくご)に自己(おのれ)を描(か)き尽(き)る一幻(ゆめ)の八頭(おろち)を孤島に見て彩(と)り、昨日の暗夜(よる)から宙(そら)へ跳べ得る自体(おのれ)の無欲は矮小(ちいさ)いながらも、厚い白壁(かべ)まで無心に飛べ得る〝作家〟の生味(しょうみ)を接待していた。

 白体(しろいからだ)が幻想(ゆめ)を呑むうち旧来(むかしながら)の一男(おとこ)の性(さが)には旧びた容姿に微吟(びぎん)を込め得る微力の活力(ちから)が自然(あるじ)より漏れ、自ずの活力(ちから)に努力(どりょく)が合さる二重(ふたえ)の脆差(もろさ)に曲を観る内、結局最後に俗が勝ち得る現代人(ひと)の世に発(た)つ無限を見て取り、俺の自覚(かくご)は女性(おんな)を排して一男(おとこ)を遺せる夢限(むげん)の主観(あるじ)の生途(せいと)を採った…。自ずの脚力(ちから)が俗世(このよ)の矛盾を無謀に観る内、幻視(ゆめ)の一体(からだ)は五月蠅(あわ)く輝(ひか)れる一閃(せん)の奥地(おくぢ)に無謀を失(う)せさせ、初歩(はじめ)に見付けた男・女(だんじょ)の哀れが恰好(かたち)を化(か)えれば、無垢の根色(ねいろ)に副(かず)を発(た)てない無命(むみょう)の放棄を寸出(すんで)に採った。身軽(かる)い黄泉には事始(こと)への主観(あるじ)が自体(からだ)を擦(す)り抜け、無垢の四季(きせつ)に摩楼(まろう)を培う一幻(ゆめ)の教句(きょうく)に無謀を象り、紺(あお)い無心(こころ)に絶句を織り成す無境(むきょう)の夢路を閑散(さびし)くさせつつ、無労(むろう)の迷路へ跳び出す白体(からだ)は志気(しき)の撤廃地(アジト)へ概(おお)きく成った…。無想の心理に白壁(かべ)が窺え俺の根気は根本(ねもと)を呈して哀れに見得たが、良くも悪くも現代人(ひと)の転倒(まろみ)は鬱(うつ)に耐え得ぬ宿借(やどか)りをして、見る見る脆差(もろさ)に腰を折り生く無機の元気を肯定して居た。見様見真似で追随して生く空元気(からげんき)に成る夢想の歪曲(ゆがみ)は、俺の性質(たち)から素早く昇(あが)れる〝向き〟の豪気を得手とした儘、一女(おんな)と自分の希薄(うす)い末路を宙(ちゅう)へ保(たも)たせ未完(みじゅく)を頬張り、鬱の空気(しとね)に両腕(かいな)を延ばせる無臭の勇気を改築して居る…。俺の孤独に一性(ひとつ)の末路が事始(こと)に概(おお)きく翻(かえ)り咲き活き、一女(おんな)の生気を現世に認(みと)めぬ虚空の配慮を膨(おお)きく識(し)った。俺の背中に男児(おとこ)が居るのは無謀の孤独に苛まれて生く「無数に概(おお)くの我慢」であって、妙な気取りに追随し得ない事始(こと)の概句(おおく)の〝哀れの末路〟は向きに縛られ無機へ遠退き、女性(おんな)の生気が希望(あかり)を識(し)らない無頓(むとん)の自主(あるじ)を欲して居るのは、夜半(よわ)の空気(くうき)へ自体(からだ)を任せる「始動」の脆味(よわみ)に相応(そうおう)して居る。幻想(ゆめ)の元理(げんり)が丁度好いうち夢遊の極意を攫って生くのは俺の背後の自然(あるじ)の「得手」にて至単(したん)に連なる手業(わざ)に在れども、成るべくして成る無想の自覚(かくご)へ自棄を観るのは至難の狭間、無垢の神秘へ自我を安める事始(こと)の概句(おおく)の仕業(しわざ)にも観られる…。

 一女(おんな)の無機から地獄が表れ、無為と意図との至難に暮れ得る塞がり始めた空間(すきま)を観てから、俺の身欲(よく)には女性(おんな)が立たない嗣業の脆味(よわみ)を構築して活き、幻夢(ゆめ)の概差(おおさ)を構築して生く不断の自覚(かくご)は是非が無いでも、無音の集成(シグマ)に「黄泉」を与(あず)ける孤高の自主(あるじ)は遠慮をした儘、白紙に描(か)き得る自体(おのれ)の生録(きろく)は無応(むおう)の儘にて縁(えにし)を講ずる…。私欲(よく)の成果(はて)にて自体(おのれ)の歩幅(はば)から広さを観て取り、現世(このよ)の生気を活気に詠み取る無応(むおう)の残気(ざんき)を夢想(ゆめ)に見れども、一女(おんな)の具体(からだ)は熱尾(ねつび)に乱れて仄香(ほのか)を失(う)せさせ、未来(みく)に繋がる「七つの星」から無性(むせい)に連なる凌駕を保(たも)たせ、白亜(はくあ)の霧から暗夜(よる)を見渡す審理の目下(ふもと)を大いに遣った。括弧付きから自由へ羽ばたく無想の所以(ありか)を自認(かくにん)した後(のち)、不意に目醒(めざ)めて涼風(かぜ)を感じる未定の翁を参照した後(のち)、自体(おのれ)の目下(ふもと)に「自由」を着飾る浮遊の人肢(じんし)を総見(そうけん)しながら、身悶え始める無遊(むゆう)の年輩(やから)は白亜(しろ)い小飾(かざり)に「自由」を睨(ね)め付け、自己(おのれ)の目下(ふもと)を不定に観て生く空気(もぬけ)の自然(あるじ)を渇望しながら、漆黒(くろ)い夜霧(きり)から〝途切れ〟を知らない不穏の自主(あるじ)を傍観して居る…。無知の信途(しんと)にふらふら寄り着く無音の集成(シグマ)に同調(どうちょう)しながら俺の孤独は益々拡がる無適(むてき)の「地図」へと派線(はせん)を設けて、男・女(ひと)を伴う奇妙(おかし)な「俗世(このよ)」に幻(ゆめ)を儲ける至難を保(も)った。幻(ゆめ)の小躍(おど)りは私闘の経過(さなか)に逆行(もどり)を忘れる無頼を取り付け、事始(こと)の安(やす)きへ自己(おのれ)を誘(いざな)う事始(こと)の神秘を不断に採ったが、初端(はじめ)の一幻(ゆめ)から白身に咲かせる一女(おんな)の遊離は背徳さえ識(し)り、男性(おとこ)の孤独を現世(このよ)で見棄てる仕業を欲しがり、安価に活き得る事始(こと)の信義を見詰めて在っても、一幻(ゆめ)の内(なか)での俺の悪魔は現代人(ひと)を皆殺(ころ)して憂鬱にも成る。

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 ラインというのは、これ以上入らないで下さい、と言うライブ会場特有の決まり事の指示で、俺は(分かって居ながらに)一寸ラインを食み出しており(恐らく中島みゆきを見る為?)、地上へ下りた時、会場入口のチケット回収場所にて小母ちゃんに怒られた。他の人も同じように怒って居たようだ。訳を話すと、「じゃあ今度はお連れさん四人で、チケットを持って来て下さい。でなきゃ入場出来ません」と言った具合に怒られた。小母ちゃん二人と他の人二人がそこに居た様(よう)だった。小母ちゃんの表情(かお)はそれほど怒って居なかった。

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 文言(ことば)の白壁(かべ)から憎悪が活き発(た)ち、無機の許容(うち)にて身重が呈する悪口稼業(あっこうかぎょう)が火を吹きながらも、一幻(ゆめ)の過程(さなか)へ身構え始める俺の真摯は躍動して活き、白亜(しろ)い吐息を無憶(むおく)に紐解く無信(むしん)の自主(あるじ)は一声(こえ)を発せず、司穏(しおん)の許容(うち)にて微睡み始める無想の快無(オルガ)を開拓して居た。児(こども)の体内(うち)から一幻(ゆめ)を見定(さだ)める極意が表れ無言の大口(くち)から概句(おおく)を紐解く無数の独気(オーラ)は散在しながら、初端(はじめ)と末路(おわり)に羽ばたく一幻(ゆめ)には自体(おのれ)の気色を流暢(ながれ)に訴え、阿鼻に滴る迷盲(まよい)の坩堝は児(こども)の掌(て)に依り概(おお)きく破れる幻夜(げんや)を保(も)った。不意の還りに成人(おとな)が戯れ、〝起死〟に纏わる現世(このよ)の揺蕩(ゆらぎ)を事始(こと)に見定(さだ)める安易な労苦は、未知の〝昼間〟を私欲(よく)に醒ませる未有(みゆう)の快無(オルガ)を調達しながら、上(かみ)と下(そも)との〝具合〟の生果を未憶(みおく)に感じて衰退して居た…。揺蕩(ゆらぎ)の成果(さき)にて私闘の阻みを予感しながら自体(おのれ)の労苦が〝得手〟を欲しがる無憶(むおく)の生果を纏めて行ったが、自体(おのれ)の葦から両脚(あし)が突き出る私用(しよう)の限度に要局(かなめ)を見忘れ、白亜(しろ)い焦燥(あせり)を追憶して生く夢想の自主(あるじ)は後退しながら自己(おのれ)の区切りを〝具合〟に報せる発起の仕種に相対(そうたい)して居る…。男性(おとこ)と女性(おんな)が無根の許容(うち)から潜(ひっそ)り産れて現世(このよ)の露頭(みち)へと運好(うんよ)く私運(はこ)べる無想の神秘(しんぴ)を紐解く内には、事始(こと)に対する未完(みじゅく)の理性(はどめ)が豪気を蹴忘(けわす)れ至難に生くのを、俺の文言(ことば)に集える暗黙(やみ)から真実(まこと)に囁く独創(こごと)にさえ観て、自体(おのれ)の孤独を不意に凌げる身欲(みよく)の進化へ具体(ぐたい)を期すのは、夢中に辿れる一幻(ゆめ)の過程(さなか)へ事始(こと)の深化を充分携え、「明日(あす)」の身重に儚く成るのは「明日(あす)」の身重に儚く成るのは「俺の白紙(こころ)へ未重(みじゅう)に置かれた夜半(よわ)の深化」の偶像だった…。夢中(ゆめのうち)から陽炎(ほのお)を見て取り、孤独の藻屑に宿借(やどか)りして生く一幻(ゆめ)の概句(おおく)は伽藍から成り、活きる過程(さなか)に余裕を見てから事始(こと)の進化(しんか)に重荷を識(し)る後(のち)、事毎(ことごと)概句(おおく)が一幻(ゆめ)を差し出す陽気の目下(ふもと)を空気(しとね)へ象(と)った。白亜(しろ)い水面(みなも)に宙(そら)を観るうち空気(しとね)の初春(はる)へは自体(おのれ)が先立ち、〝事始(こと)を統(たば)ねる身重〟の概(おお)くが夜半(よわ)の許容(うち)から真面を顕し、事始(ことのはじめ)に無口を募らす「夜会」の一端(はし)には空虚を醸せる空気(しとね)が降(お)り出し、一幻(ゆめ)の見事が生調(きちょう)で翻(かえ)れる物見の浮遊(あそび)は無機を幻見(ゆめみ)て、「明日(あす)」の覚多(かくた)を私情(しじょう)に頬張る幻覚(ゆめ)の論理は正理(せいり)を識(し)り貫(ぬ)き、懐奥(おく)の遊戯も日向に翻(かえ)れる夢想(むそう)の理性(はどめ)を密(しず)かに保(も)った…―――。

      *

 ―――…ぐっと腹が立ったがここは抑えて、「どうもすんませーん」とか言いながら、仕方が無いからまた空を飛んで次の場所へと向かう事にした。向かって居ると欽ちゃんが居た。萩本欽一である。可成りの人混みに塗れて居た。その中を俺が飛んで来た延長上でそのまま前方へと向かって歩いて居た。時間が急に戻ったのか、それとも早回りしたのか昼頃に成っており、明るかった。その中を、可成りの団体で前方へ歩いて居るのだ。俺は欽ちゃんに「いやー怒られちゃいましたよー」と据え兼ねる腹の虫を又ぐっと堪えたまま話した。

      *

 故録(ころく)を伝(つた)って湧水(わきみず)を捜せば幻(ゆめ)の迷盲(まよい)は言語を忘れる苦境の価値さえすんなり透らせ、一幻(ゆめ)の逆行(もどり)に逡巡して行く自体(からだ)の概(おお)くは黄泉に纏わる思順(しじゅん)を敷いた。無踏(むとう)の小躍(おどり)に透り始める故録(ころく)の自主(あるじ)に謙虚を従え、暗黙(やみ)の主観(あるじ)へ踏ん反り返れる無造の〝親子〟は「俺と母」とにすんなり分れて、分岐を識(し)らない暗夜(よる)の列(ならび)に不透(ふとう)の自然(あるじ)がぽつんと目立てば、俺の孤独を和(やわら)に安らぐ無音の明度(あかり)の群像(むれ)の内には、白体(しろいからだ)の儚い延命(いのち)が活気を灯して幻視(ゆめ)へ蹴上(けあ)がる。不通に棚引く俗世(このよ)と現行(いま)との滑稽(おかし)な文句(もんく)は俺を統(たば)ねる一局(ひとつ)の一角(かど)にて〝空気(しとね)〟に纏わる空虚を切り割き、幻(ゆめ)の所以(ありか)へ一夜(よる)を蹴散らす無憶(むおく)の集成(シグマ)は余韻を和らげ、白体(しろいからだ)の神秘(ふしぎ)の分業(ノルマ)を無理に通して「未完(みじゅく)」を描(か)いた。

 他(ひと)の姿勢(すがた)は内実(なかみ)を失くした体裁(かたち)だけ象(と)り、俺の目前(まえ)から幻覚(ゆめ)を消し去る白亜(しろ)い夜目(よめ)など概(おお)きく説(と)いたが、理屈(わけ)の分らぬ無音の〝音頭〟を自然(あるじ)に射止めて無知を幻見(ゆめみ)て、他(ひと)の全体(すべて)を一総(すべて)へ鈍(くも)らす幻覚(ゆめ)の寝床へ膨(おお)きく保(も)った…。

      *

 「人間では間に合わない…」

      *

 無知の無機から自然(あるじ)を捜せる脚力(ちから)を求めて一幻(ゆめ)の一通(とおり)へ概(おお)きく羽ばたく孤踏(ことう)の一連(つらね)を確認し得たが、一幻(ゆめ)の一通(とおり)へ自信を迷わす概(おお)きな信仰(めいろ)が悪態吐(づ)き活き、初端(はじめ)の未覚(みかく)へ純白差(しろさ)を通せる「黄泉」への未知には何事さえ無く、幻(ゆめ)の白味(しろみ)に落ち着き始める無線を晒した事始(こと)の概(おお)くは、「黄泉」の目下(ふもと)へ脆味(よわみ)を吐(は)き生く無難の膨(おお)くが滑稽だった…。

      *

 「人間(ひと)では間に合わない…」

      *

 未音(みおん)の標(しるべ)に概(おお)きく凭れる人煙(けむり)は轟々鳴り出し幻覚(ゆめ)の身元を一通(とおり)へ捜せる自然(しぜん)の自主(あるじ)を追憶(おく)へと追い駆け、未知の自主(あるじ)へ黙認して居る無空(むくう)の信途(しんと)は阿婆擦れとも成り、信徒の歪(ひずみ)に油を掛け得る未理(みり)の離宮(みやこ)へ進衰(しんすい)していた…。

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 「人間(ひと)では間に合わない。」

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 屈曲して生く二本の〝信途(しんと)〟は自我と自然(あるじ)へ岐(わか)れ始めて、自主(おのれ)の自体(からだ)を上手く縛れる〝産みの信途(しんと)〟へ追従(ついしょう)して活き、紺(あお)い分業(ノルマ)へ尽力して生く〝模範を忘れた概(おお)きな問い〟には、他(ひと)の分業(ノルマ)が追随して生く漂白(しろ)い進路が〝歪(ひず)み〟を忘れて、やがて膨(おお)きく〝無駄〟を省ける不穏の暴挙を現代人(あるじ)に識(し)った。

      *

 「人間(ひと)では間に合わない。」

      *

 文言(ことば)通りの一幻(ゆめ)の醒(さえ)には、無言の力みが周辺(あたり)を見廻し文句(ことば)の冴えから吟味(あじ)を照らせる無明(むめい)の真理(しんり)を一灯(あかり)とした儘、〝いざ〟と言うとき心身(からだ)の立たない無力の〝王子〟に化身(かわり)を仕立てて、無垢の自所(アジト)へ未然を慣らせる「有無」の前夜を見渡し始めた…―――。

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 「人間(ひと)では間に合わない。」

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 「人間(ひと)では間に合わない。」

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 「人間(ひと)では間に合わない。」

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 「人間(ひと)では間に合わない。」

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 「人間(ひと)では間に合わない。」

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 「人間(ひと)では間に合わない。」

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 「人間(ひと)では間に合わない。」

      *

 無空(むくう)の高空(そら)にて白雲(くも)が棚引く無色の信途(しんと)に人路(みち)が映え出し、諦め尽(き)れない迷盲(まよい)の一総(すべて)が未知を引き連れ無音と化(か)し活き、みちのく独歩(ある)ける人形(ひとのかたち)は「一総(すべて)」を得た儘、無信(むしん)の人路(アジト)に活路(みち)を見付ける孤独の純粋(いき)から脱出して居る…。両脚(あし)の向きには白亜(しろ)い八頭(おろち)が高慢ながらに幻(ゆめ)の全途(ぜんと)を見恒(みわた)し独歩(ある)ける無境(むきょう)の人智へ孤独を背負わせ、汗を搔いては華を咲かせる幻見(ゆめみ)心地の純心(こころ)を追うのは、無音の交響(ひびき)と人声(こえ)を統(たば)ねる自然の明智(めいち)へ順曲(じゅんきょく)して居た。

      *

 欽ちゃんは俺が怒りを堪えて居た為に自分を良くして相対(あいたい)してくれた様子で、「俺もなんだよ(云々かんぬん)」と良く分らない言葉を暫く吐いて居たようだった。もしここで立腹した儘で相対して居たら欽ちゃんは相手にしてくれなかったろうな…、等、俄かに思って居た。

      *

 常に想える未知の祈りに無幻(むげん)の文句(ことば)が薄(うっす)ら透り、水の滴る奇妙な宙(そら)には〝十万億土〟の汽笛が鳴らされ、心身(からだ)の揺蕩(ゆらぎ)に現(うつつ)を灯(とも)らす未婚の一女(おんな)が素早く発(た)った。発情して生く女性(おんな)の思記(しき)には一宙(そら)に寝そべる白亜差(しろさ)が色付き、白線(ライン)の初端(さき)から俗世(このよ)の奈落(あと)まで脆味(もろみ)を募らす未順(みじゅん)を相(あい)して、何時(いつ)か何処(どこ)かで男性(おとこ)を養う〝向こう気(き)〟さえ無い自主(あるじ)を保(も)った。俗世(ぞくせ)の盲目(やみ)から自然(しぜん)が片付く無想の主観(あるじ)に深吟(しんぎん)した儘、幻想(ゆめ)の主観(あるじ)の虚構へ問うのは橙色した夕日に限られ、電子の宮(みやこ)に一先ず落ち着く詩吟の妙味の漆黒(くろ)い限夜(かぎり)は、何時(いつ)まで経っても一幻(ゆめ)に倣えぬ神秘(ふしぎ)の〝気(き)〟の掌(て)が滑稽(おかし)く在った。純白(しろ)い輪舞曲(ロンド)を頭上(うえ)に観たまま白亜(はくあ)の空気(もぬけ)は暗黙(やみ)を脱(ぬ)け去り、自体(おのれ)の夜半(よわ)からその実(み)を気取れる暗黙(やみ)の豊穣(ゆたか)な空気(しとね)の信仰(めいろ)は、幻(ゆめ)の藻屑と相(あい)を見出す〝実しやか〟の輪舞曲(ロンド)を見送り、一女(おんな)の理性(はどめ)と感覚(いしき)が遠退く無理の律儀に自体(からだ)を成した。一男(おとこ)の肉体(からだ)に幻(ゆめ)を儲ける事始(こと)の生憶(きおく)は地味に活き着(づ)き俺の純心(こころ)は再起を計れる暗黙(やみ)の児(こども)と根暗を観た儘、純白(しろ)い衣(ころも)は宙(そら)に吊るせる身欲(みよく)を呈(あらわ)し、漂白(しろ)い気色は宙(そら)へ翻(かえ)れる二次の深化を充分見せ付け、俺の孤独を暗黙(やみ)へ与(あず)ける俗世(このよ)の女性(おんな)を皆殺(みなごろ)しにした…。孤高に脱する無憶(むおく)の輪舞曲(ロンド)は二頭(あたま)を擡げて俺の背後(うしろ)で未生(みき)を準じる自然(あるじ)の木陰で再生(さいき)を見生(みゆ)くが、孤踏(ことう)に活き得る未解(みかい)の所以(ありか)は嘲笑(わらい)を蹴忘(けわす)れ、〝お供〟を失くせる一幻(ゆめ)の心理へ〝芸〟を立て生く未亡を識(し)った。寿命(いのち)の所以(ありか)を生気に射止めて自体(おのれ)の未完(みじゅく)を自然(あるじ)に問い得る無知の無口を有利に見た後(のち)、明日(あす)の〝栄(さか)え〟に身悶えして居る私欲(よく)の狭間の自己(おのれ)の体力(ちから)は、幻覚(ゆめ)の一体(かたち)が奇妙に仕上がる神秘(ふしぎ)の拳(こぶし)に堅実さえ観た。一幻(ゆめ)の白紙にどんより鈍(くも)れる日(ひ)の輪(わ)の孤独を自己(おのれ)に観た後(のち)、自己(おのれ)の母から性(せい)を与(あず)かる無音の私義(しぎ)にて生気を採れたが、孤独の羽織が無音(おと)を出すうち身憶(みおく)の空虚は転々(ころころ)空転(ころ)げて、未知の成果(あげく)に人形(かたち)を棄て得る未信(みしん)の生果(あげく)を〝成就〟に遣った。俺の背後(うしろ)は無垢の白亜差(しろさ)に混成(こんせい)され活き現代人(ひと)と女性(おんな)の破滅の人路(みち)から如何(どう)にか救いを知ったが、無知の生憶(きおく)に不埒が寄り付き、一男(おとこ)の体躯へ列(なら)べる華奢から〝寸出(すんで)の欠伸〟が気労(きろう)を識(し)った。白亜(はくあ)の空気(くうき)は自体(おのれのからだ)を感覚(いしき)に掲げて、脆(よわ)り始める孤独の感覚(いしき)は美識(びしき)の許容(うち)にて刻(じかん)を打たれて、現世(このよ)の活字に〝迷路〟を想わす矛盾の思考に〝自己(おのれ)〟を問うのは、未知の〝宮(みやこ)〟へ具体を呈した一幻(ゆめ)の過程(さなか)の微吟(びぎん)の体(てい)にて、美貌を欲しがる無垢の自主(あるじ)と一体(からだ)を同じに屈曲して居た…。「自分の露呈(あらわ)」を文字に見立てる〝詩吟〟の過欲(かよく)に微吟が成り出し、一幻(ゆめ)の自主(あるじ)に突き留(と)め始める自然(じねん)の行方は見当付かずで、丸味(まるみ)を帯び行く女性(おんな)の体形(かたち)は俺の過欲(かよく)に適当とも成り、一男(おとこ)の理性(はどめ)が〝微吟〟に囁く〝思春(はる)の小声(こえ)〟から再び生くのは、「無言」の無口に樞(ひみつ)を頬張る他(ひと)の硬度のきらいであった。明日(あす)の〝旧巣(ふるす)〟へ自体(おのれ)を畳める一幻(ゆめ)の頼りの音頭の成果(さき)には、「一夜」の一幻(ゆめ)から未来(さき)を統(たば)ねる幻視(ゆめ)の文句(もんく)の概差(おおさ)を想わせ、幻覚(ゆめ)の目下(もと)へと概(おお)きく散らばる無根の自主(あるじ)の白体(からだ)の初端(すそ)には、〝他(ひと)〟の労苦が一切見得ない暗黙(やみ)の衝動(うごき)が名利を保(も)った。

      *

 何処(どこ)かの料亭か旅館へ泊って居た。洗礼の園(その)のメンバーが幾人か出て来る。肥(ふと)った肉欲の女、口紅が目立つ争いを好む背低(せびく)の女、透明の部署の職員、身長百九十センチ以上ある縄張り意識の強靭(つよ)い争いを好む男(ほんのちらと)、他、洗礼の園のメンバー以外の者の多数。多数だが、覚えているのは極僅かだ。俺の出身高校に居たひょろ長い唐揚げのような男も出て来て居た。唐揚げ男は背が伸びて居り、俺より十センチ程は高かった。昨日の夢で伸びて俺は縄張り男に仕事上にて凄まれ、内心滅茶苦茶腹を立てて居た。肉欲女はむちむちの太腿を激ミニのホットパンツから食み出させ、白く、セルライトの浮き出た二本の太(ぶ)っと脚(あし)を、ぼんよぼんよぶるんぶるんと、俺の目の前にて披露し、旅館の中をうろうろして居た。争い好み背低の女はその肉欲女に連れられる形で唯この旅行を楽しもうとして居たようだ。俺は二人とあわよくばセックスをしたかったのだが、言えず、そのまま二人と一緒に暫く居る事にし、好い機会を窺って居た。

      *

 未知へ向かえる未完(みじゅく)の労苦は自己(おのれ)の皆無を宙(そら)に見たまま無言の生憶(きおく)を感覚(いしき)へ向かわす思考の音頭に追随して居り、白亜(しろ)い生気に未定を捧げる事始(こと)の断片(かけら)を成果(さき)に観たまま一幻(ゆめ)を誘(さそ)える無垢の自然(あるじ)を大事に採る内、奇妙に纏わる幻(ゆめ)の文言(ことば)は暗唱され得て、純白(しろ)い吐息に散らばり始める徒労の意欲に新しかった。一幻(ゆめ)の概(おお)きに〝吐息〟を感じて厚い小声(こえ)から両瞼(まぶた)を開(あ)かせる昼夜の主観(あるじ)は〝俺〟を若くし、一女(おんな)の明朗(あかり)へ自己(おのれ)を出し足る無為の気後(おく)れを私闘に向ければ、紺(あお)い静寂(しじま)へ自体(おのれ)を運べる無欲の寝室(ねむろ)は後光を彷徨(まよ)わせ、自己(おのれ)の無意図に縛りを発(た)たせる女性(おんな)の豊満(ふとり)に物言いさえ立ち、自然(あるじ)の身欲(みよく)に棘が立たない幻覚(ゆめ)の熱意は〝蝙蝠〟とも成り、ばたばたぱたぱた意欲を火照らす泥濘(どろ)を講じた仕合いとも成る。一幻(ゆめ)の許容(うち)にて涼風(かぜ)を感じる自体(おのれ)の覇気には発情さえ立ち、女性(おんな)の不様(ぶざま)を魅力へ化(ば)かせる人間(ひと)の無力は両腕(かいな)を紐解き、一幻(ゆめ)に見詰める外界(げかい)の概(おお)くが俺の身重に宙(そら)を観るのは、無機の魅力に白体(からだ)を湿らす翌朝(あさ)の自主(あるじ)の至難に在った。俺の労気(ろうき)は苦慮の発起を自答に募らす最果て見えずの〝無言の悪鬼〟に怒涛を差し込む腕力(ちから)を揺らして、俺の背中を幻視(ゆめ)に観て採る厚い「白壁(かべ)」には用途が出向かず、翌朝(あさ)の列(ならび)に自問を二重(かさ)ねる〝自答〟の概句(おおく)に仮死を見て取り、「厚い白壁(かべ)」には初夏(なつ)に到底一女(おんな)の化身(かわり)が幻見(ゆめみ)て往(い)るのを、無言の一途(いちず)に自欲(じよく)を観るうち無答(むとう)に差し込む〝夕日〟を識(し)った…。俺と女性(おんな)の破局の背後(うしろ)は白亜(しろ)い空虚が三々(さんざん)果て往(い)き、自体(おのれ)の連立(つらね)を鯱(ほこ)に見立てる端正(きれい)な独義(ドグマ)に馴れ合う内にて、無言の思春(はる)から清砂(せいさ)が零れる〝日々の歴史〟は悶々して在り、無機の自然(あるじ)に「身重」を報せる晩春(はる)の間延びは雲隠れに発(た)ち、夜半(よわ)の目下(ふもと)に〝洗う女性(おんな)〟は自図(おのず)の弄図(ろうず)へ群行(ぐんこう)して居た…。下らぬ脳裏へ自営したまま無憶(むおく)の表記が生活(かて)を啄み、児(こども)の時期(ころ)から左往に観て来た〝孤独の絵画〟を胸中(むね)に置き遣り、無意味に隠し通せる私欲(よく)の強靭味(つよみ)は無答(むとう)を得てして頭上に保(も)った。丁寧過ぎ得る一女(おんな)の行為に未完(みじゅく)が仕上がり、俺の身欲(よく)から駆け出し始める空気(もぬけ)の気配は散々ながらに、無知に活き得る未活(みかつ)の信途(しんと)は偶像から成る億尾が見得出し、純白(しろ)い蜃気に自体(おのれ)を剥き出す私用(しよう)の没我は不断に通れる、魅惑好きから宙(そら)へ自運(はこ)べる孤踏(ことう)の陽気を充分識(し)った…。孤独の〝型〟から自己(おのれ)を見出す生活(かて)の所以(ありか)は無想に息衝き、幻夢(ゆめ)の許容(なか)から不憫に香(かお)れる無踏(むとう)の自主(あるじ)は荒唐さえ知り、漆黒(くろ)い夜中にどんより曇れる五月蠅(あわ)い薫香(かおり)は俺に宜しく、文言(ことば)通りに何時(いつ)も食み出る現世(このよ)の常識(かたち)は暗黙(やみ)へと静まる。女性(おんな)の発声(こえ)から艶(あで)の姿勢(すがた)が軒並み熟(う)れ出し、未完(みじゅく)の薫香(かおり)が調度を誇れる無駄の吐息をばっさり〝切り〟出し、淡い純白差(しろさ)を培い始める女難の生気は活気を以て、俺の生活(かて)から快楽(らく)の交響(ひびき)を正しく堕とせる脆味(よわみ)を張った。白亜(しろ)い独義(ドグマ)を噴散(ふんさん)しながら自己(おのれ)の常識(かたち)は涼風(かぜ)を這い出し、無口に佇む夕日の淡さは純白味(しろみ)を喰い出す強靭差(きょうじんさ)を識(し)る…。無言の吐息に自体(おのれ)を保(も)たない儚い信仰(めいろ)の迷盲(まよい)の合図は、俺の自覚(かくご)の無稽に息衝く〝無理の母体(からだ)〟に少々根付かれ、純白(しろ)い一通(とおり)に呼笛(あいず)に自己(おのれ)を誇れる持病の生果(さき)から〝暗黙(やみ)〟を観るのは、無機の五月蠅(あわ)さに短く感じる孤高の晴嵐(あらし)の成熟だった―――。

      *

 ―――、利用者もその料亭・旅館には居た。何でも、一緒に泊まって居る様(よう)だった。認知症の朗(あか)るいが憤(むずか)る女性利用者、寝たきりで頭を振れば嘔吐する女性利用者、ショートステイの人達等が沢山居り、利用者が出て来てから弱さを兼ね揃えた人達も揃って和気藹々と成り、俺は本当に楽しかった。この時は、俺が楽しめば周りも楽しむ、そんな感じであった。憤(むずか)る女性利用者(だったと思うが)が八号場所(と言って居たように思うが)の入口から入った際にすぐ傍(そば)の池に落ちたとかで、ずぶ濡れになって料亭の一室内に入って来た。そこには着々と着いた利用者や職員数人が居たようだ。「あらまぁ、どうしたの!?」と言った具合に憤(むずか)る女性利用者を職員数人にて介抱し、聞くと(先述した通りに)そう言う事で、早く着替えよう、と風邪を引かせないようにと急いで着替えて貰った。俺が憤(むずか)る女性利用者の介抱に漕ぎ着けた後で廊下を何処(どこ)か遠くへ向かって歩いて居ると、急に俺の親父が出て来て「あの八号場所はよう人が落ちよるんや」等と、知った被(かぶ)りも入って居たかも知らないがこの時ばかりは田舎調子の好い具合にて、俺に話し掛けて来て居た。

      *

 無知の知識が裏目に出て活き自体(おのれ)の過保護にじんわり終れる無言の暴挙は活路を見出し、白亜(しろ)い塊(たまり)を人煙(けむり)に巻かせる未来(さき)の虚空(そら)での自由の跡では、一女(おんな)の未完(みじゅく)が男性(おとこ)に突き出る文句(ことば)の概句(おおく)を向きに培い、私塾を透して阿吽を計れる単色主義(モノクロリズム)を基調に採った…。想いの匣から〝四肢(てあし)〟が這い出て物憂い気不味(きまず)さに自己(おのれ)を培う自省の羽衣(ころも)は正白差(しろさ)を見払(みばら)い、他(ひと)の仕種に至順(しじゅん)を通せる切磋琢磨は凡庸ながらも、中々拙い〝未完(みじゅく)〟の腰には鼓動の豊かな淡味(あわみ)が発(た)った。純白差(しろさ)に溶け込む〝紅遊戯(くれないゆうぎ)〟の脆差(もろさ)の成果(さき)には自己(おのれ)の生果(さき)から鈍(んぶ)さを差せない蝉の一鳴(こえ)など充分にも鳴り、自体(おのれ)の自明(あかり)に自然(あるじ)を誇れる短編染み生く空気(もぬけ)の経過(ながれ)は、出来事(こと)に始まる理想の理屈が夢想に具わり揺蕩(ゆらぎ)を見た儘、五月蠅(あわ)い帳を無機に従え無意味に馴らせる静寂(しじま)の脚力(いろ)さえ、無音(おと)に越え生く孤踏(ことう)の一声(こえ)には蝉の空駄(からだ)が夢想に発する身欲(よく)の主演(うたげ)が器用に在った。未知の代物(もの)から未来の賜物(もの)へと、代替して生く幾様(きよう)の墓場は八頭(おろち)を透して寝ずに暗転(ころ)がり、無造の〝未知〟へと自体(からだ)を驕らす無欲豊かな奇怪を欲しがり、明日(あす)の目的(さかな)へ〝未知〟を透せる〝姉さん被(かぶ)り〟の頭巾の女性(おんな)は、苦しむ未来(さき)にて狂奔して生く破壊の高度を宙(そら)へ保(たも)った。未聞(みぶん)の暁(はて)から無解(むかい)を脚色取(いろど)る無明(むめい)の晴嵐(あらし)は思春(はる)を先取り、自体(おのれ)の暴嵐(あらし)に肢体(からだ)を捩らす無毛の極土(きょくど)に楽園(パラダイス)を観て、律儀に統(たば)ねる無垢の色気は女性(おんな)を介(とお)して矛盾に仕上がり、無純(むじゅん)・無色の正純(ただ)しい所以(ありか)は夢想(ゆめ)を先取(さきど)る未知を越え出し、常識知らずで形(なり)の汚い低学(ていがく)極める禿げた中年男(おとこ)は、自己(おのれ)の調子を相手へ一通(とお)せる無戒(むかい)の〝哀れ〟を通感(つうかん)して居た。無垢な日(ひ)の粉(こ)に悪態吐(づ)き生く不当の防御は自体(おのれ)を安(やす)ませ、誠実(まこと)を識(し)らずで成果(さき)を奏でる一色(いろ)の礫は宙(そら)へ敷き詰め、明日(あす)の体裁(かたち)を矛盾で労う自体(おのれのからだ)の概(おお)きな圧倒(まろび)は、無言の意気地に通底して居る未想(ゆめ)の伝主(あるじ)を傍観した儘、不意の静寂(しじま)に〝寝耳〟を詠み取る神秘(ふしぎ)の日(ひ)の粉(こ)を何度も観て居た…。

 経過(とき)の哀れにその実(み)を駆り出す無為の自主(あるじ)は自覚(じかく)を携え、真昼擬きを粛正(しず)めた後にて無垢の色香(いろか)を成果(さき)に観るのは〝脆弱(よわ)い集体(シグマ)〟にこの身を彩る無色の空間(すきま)の対峙でも在り、事始(こと)の在る無し、無形の集成(シグマ)も、事始(こと)の生憶(きおく)を人間(ひと)へ突き出す殺人心理を既視(おおめ)に観て居た。事始(こと)が連なる無型(むけい)の刻(とき)には一端(はし)に始まる愚かな一通(とおり)が無垢の手際に本能(ちから)を読み取る理想の自然(あるじ)を冷観(れいかん)して居り、「対峙」に儚い夜半(よわ)の暗黙(やみ)から無踏(むとう)に息衝く独創(こごと)の残臭(かおり)は、俺の背後に緊(きつ)く歪(ゆが)める孤答(ことう)の残香(かおり)が定形(かたち)を見せた。

 五月蠅(あわ)い初夏(なつ)から無言の晩夏(なつ)まで自体(からだ)が素通り、夢想(ゆめ)の許容(なか)から成果(さき)を報せる黄泉の自然(あるじ)は孤告(ここく)を見限り、〝併鏡(あわせかがみ)〟の儚い暗黙(やみ)から自己(おのれ)の愚鈍(くもり)に人間(ひと)を観るのは、漆黒(くろ)い玉手匣(はこ)から宙(ちゅう)を見定(さだ)める無戒(むかい)の生憶(きおく)に追随して居て、〝併鏡(あわせかがみ)〟に細小(ちいさ)く培う未知の希望(ひかり)は絶望(のぞみ)を消し去る、愚鈍の明朗(あかり)を既視(すで)に揺さ振る無知の一望(あかり)を小さく保(も)った…。

 屈曲して行く矮小(ちいさ)な明朗(あかり)は至誠(しせい)に偽る無理を推し採り、自己(おのれ)の無憶(むおく)へ奇妙に報せる不快の信仰(めいろ)を極端にも詠み、無知の記憶を延命(いのち)に見て取る不気(ふき)の静(しず)みは〝暁〟とも成り、自己(おのれ)の信仰(めいろ)を虚宙(そら)へ鈍(くも)らす無垢の主観(あるじ)の人塊(たまり)の内(なか)には、孤島に乖離(はな)れた無音(おと)の連立(ドラマ)が宙(ちゅう)を彷徨い不気味を識(し)る等、「活きる愉快」をその掌(て)に鈍らす不順の故録(ころく)を〝上着〟に採った。清純白麗(せいじゅんはくれい)、美旬(びしゅん)の神秘(しんぴ)、余波の言霊、愛想の収斂、意味の暗転(ころ)がり、女性(おんな)の高慢、一女(おんな)の愚行(おろか)、男性(おとこ)の高邁、一男(おとこ)の本能(ちから)、女性(おんな)の暴告(ぼうこく)、男性(おとこ)の阿婆擦れ、男性(おとこ)の分業(ノルマ)と一男(おとこ)の稚拙、女性(おんな)の稚拙と一女(おんな)の肉欲、女性(おんな)の騙しに一男(おとこ)の流行、…語々(かたりがたり)…、不頓(ふとん)に包(くる)まる五月蠅(あわ)い末路は現行(いま)を欲しがり〝現行(いま)〟を見て取り、淡白(しろ)く零れる憂きの季節は無頓に放られ自然(あるじ)を識(し)り得ぬ…。無盲(むもう)の自主(あるじ)は幻夜(よる)の許容(うち)より精神(こころ)を隠して未知が滴る概(おお)くの光野(こうや)を無垢の往くまま文句(ことば)を通じて、透明色した辺りの凹差(おうさ)を一幻(ゆめ)の往くまま払拭して居た。白亜(しろ)い濃霧(きり)から四肢(てあし)が生え出し無論の生くまま無味の生く儘、孤走(こそう)を冠して暴走して生く二性(ふたつ)の集体(シグマ)は未完(みじゅく)を感じて、脆い刃渡(わたり)に虚空を窺う隠れた魅力(ちから)の矛先等には、詩吟(うた)の発声(こえ)など一切届かぬ無想の八頭(おろち)に陥没して居る…。現代人(ひと)の造作が鬱陶しいまま人体(からだ)の奥まで憎悪で漲り、一幻(ゆめ)の狭間(あいだ)で現行人(ひと)が煩う一綱(いちづな)ばかりの延命(いのち)を想わす不意の思惑(こころ)は涼化(りょうか)を通じて、俺の日本語(ことば)は誰にも分らぬ神秘(しんぴ)の語類(たぐい)に陥没して居た。純白(しろ)い小躍(おどり)が夢想に棚引く隠遁から成る涼化(りょうか)の感覚(いしき)は、孤独を所有(もの)にし固陋を和ます有利の美味(あじ)へと路頭に訴え、初めから無い憎悪の思惟へと、この実(み)を蹴散らし俗世(このよ)を憎める現代人(ひと)の哀れを酷く憎んだ。偽善から成る一つ処の〝無造の主観(あるじ)〟は一幻(ゆめ)に纏わる暑さを感じて、徒党を想わす現代人(ひと)の脚力(ちから)を無味に蹴散らす生憶(きおく)を感じて、〝相(あい)〟も揃わぬ白亜(しろ)い気色は一明(あかり)を感じて背低(せびく)を排し、自体(おのれ)の巨躯から権力(ちから)を愛せる無力の淡差(あわさ)を暫く観て居た。怒りの両眼(まなこ)で衰退して生く透明色した二性(ふたつ)の人界(かぎり)は、徒党を組めない俺の主観(あるじ)の宙(そら)の寝床を概(おお)きく捉えて、未知の腕力(ちから)を暴力(ちから)に尽せる暗黙(やみ)の静寂(あいだ)を静かに抜け得て、電子(こども)の思惟(おもい)に電飾(かざり)を保(も)たない〝始動(うごき)〟の様子を暫く観て居た。

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 「現代人(ひと)が厭(きら)いだ。殺したいほど現代人(ひと)が嫌いだ。」

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 無音の低さに努々感じる姿勢(すがた)が呈(あら)われ、「明日(あす)」を活き抜く無謀の自主(あるじ)に持訓(じくん)を得るのが八倒ならばと、無音(おと)の一並(ならび)に悪態吐(づ)き生く無為の独語は〝圧巻〟さえ識(し)り、自己(おのれ)の感覚(いしき)を暴挙に射止める無重の集成(シグマ)を傍観して居た…。

 紺(あお)い集成(シグマ)は我楽多ばかりが散乱して居る現代人(ひと)の界(やしろ)を散回(さんかい)しながら、一幻(ゆめ)に浮べる暗黙(やみ)の〝日(ひ)の掌(て)〟を暴路(ぼうろ)に呈(あら)わす無言(むげん)を露(あら)わし、厚い静寂(しじま)の歪曲(ゆがみ)の凹(たに)から純心(こころ)の帳を白壁(かべ)に設けて、空城(ねじろ)の許容(うち)から現代人(ひと)を追い出す苦境の主観(あるじ)を呆(ぼう)っと観て居た。一女(おんな)の宮中(なか)から男性(おとこ)が噛み生く至難を儲けて、容易(やす)い集成(シグマ)の孤踏(ことう)の暴嵐(あらし)は寝室(ねむろ)に懐ける努力(ちから)を有し、厚い静寂(しじま)に嘗て域(いき)した純白(しろ)い〝白壁(かべ)〟から分身(かわり)を観たのは、現行人(ひと)の自主(あるじ)が都会を乖離(はな)れる異国情緒の欠伸に在った。俺の寝間から一人が跳び出す至難の概(おお)くは〝悔い〟を残さぬ憂慮の範囲(うち)にて孤高を一体(からだ)に常に根付かす〝暗黙(やみ)〟の静寂(あいだ)の文言(もんごん)ばかりで、白亜(しろ)い途切りの主観(あるじ)は未(いま)でも、一切合切夜半(よわ)に一集(あつ)める無言の気配に逡巡して居る…。

      *

 …俺はそれを聞いてからか、又、憤(むずか)る利用者達が居る大広間へ戻って、利用者皆と遊ぼう!と決めて、妙に張り切って働いて居た。本当はその前に一服したかったのだ。その広間は平安神宮など神社・寺に在るような紋禅(もんぜん)の敷かれた一室の様(よう)で、吹き抜けに成った屋外と内とが一本廊下を挟んで隣接して居たような、そんな何とも言えない情緒漂う風景を醸す宮造りをして居た。

 その廊下を暫く渡って、渡り切ると、戸外へ出て、細い路地から、南山小学校の周りの道へと続いた。その道を宙(そら)の職員を含めた珍妙行列がゆっくり歩いて居た。〝珍妙行列〟とは、女だけの行列である。俺もその珍妙行列と共に目的地へ向かわねば成らなく、着いて行く・寄り添う形になると、嫌な顔をする若い女も中には居た。

      *

 無言で通れる宙(そら)への鈍(くも)りが俺の傍目(よこめ)に透り過ぎ活き、白亜(しろ)い気色に孤独を窺う明日(あす)の孤独は未憶(みおく)を揮わす無援の人界(かぎり)を暗黙(やみ)へと返し、併せ二重(ぶたえ)の両眼(まなこ)の裏面(うら)には紅(あか)い仄香(ほのか)が向かって降(お)り着き、矮小(ちいさ)な一体(からだ)の白亜差(しろさ)の内(なか)には漆黒差(くろ)い能力(ちから)が〝密か〟を跳んだ。正白(しろ)い孤独は一体(からだ)を鈍(くも)らす無為の主観(あるじ)を気掛かりにもして、「一女(おんな)の人影(かげ)など田舎に居らず…」の無為の自然(あるじ)に経過(ながれ)を見て取り、分厚(あつ)い途切(とばり)に自体(おのれ)を観たのは色欲紛いの女性(おんな)の性香(におい)で、「明日…」の途切(とばり)が俺に懐けぬ奇妙な主観(あるじ)を当って行った。〝一対一〟など俗世(このよ)には無い波紋ばかりの概(おお)きな旧巣(ふるす)に自治の如くが現世(このよ)を残香(にお)わす無朽(むくつ)ばかりの〝王佐〟を幻見(ゆめみ)て、白亜(しろ)い「白壁(かべ)」から未遂が跳び出る一白(しろ)い途切(とばり)は不問に在らねど、絶えず飛ばずの陽明(あかり)の側(そば)では感覚(いしき)の主観(あるじ)が人に懐かぬ無用の〝人種〟を界(せかい)に遣った。無己(むこ)の気色を彩りながらに俺の自覚(かくご)は夢想(ゆめ)を省み、何処(どこ)か遠くで身分を偽る動悸の豊穣(ゆたか)な手配を求めて、白亜(しろ)い〝手ぶら〟で折りを好くする白亜(はくあ)の信徒を画策して居た。現行(いま)の衝動(うごき)に心身(からだ)を連れられ未屈(みくつ)の許容(うち)にて時分を採っても、俺の精神(こころ)は軟裸(やわら)を与(あず)ける夢遊の柔らを一女(おんな)に見付けず、一々着飾る奈落の小手へは、自体(おのれ)の酸鼻を器用に臭える無臭の衣(ころも)に未来(みらい)を描(か)いた。一女(おんな)の心身(からだ)は模様を相(あい)する機会の悪さで、俺の轆轤を「自由に拡げる未重(みじゅう)の気色」を現行(いま)に詠み取り、覇行(はこう)の矢先に白雲(くも)が隠れる〝模様の呼笛(あいず)〟固唾へ持ち込み、昨日の幻想(ゆめ)から現代人(ひと)を殺せる無機の柔軟(やわら)を密かに保(も)った。安(やす)む間も無く次の大手が嗣業を詠み込み、俺の周囲(まわり)に浮遊(ただ)よう姿勢(すがた)は現代人(ひと)の人形(かたち)を大きく乖離(はな)れて、自己(おのれ)の黄泉から未来(さき)へ行くまで乱心闊歩を自在に保(たも)てる朝な夕なの日替わりだけ保(も)ち、白亜(しろ)い刃象(はど)りの浮遊の阿久夢(あくめ)は未順(みじゅん)の審査に通過を呈する…。一時(いっとき)から観た自体(おのれのからだ)は孤独を排して、投げ遣りながらに自呈(じてい)を保(たも)てる未有(みゆう)の白亜(はくあ)を代物(もの)にしながら現代人(ひと)の全てを概(おお)きく憎み、若い奴等の生気の臭味を皆殺しにして〝斬新(あらた)〟を欲する烏有の牙城(とりで)を既視(すで)に観て居た…。漆黒(くろ)い界(かぎり)に現代人(ひと)の臭味(くさみ)を総て排して、自分勝手に本能(よく)へ活き出す自己中覇者への概(おお)きな自覚(かくご)は、既視(すで)に観て居た粗暴の漢の腕力(ちから)に始まる〝儚い現代人(ひと)への信頼(たより)〟を八つ裂き、一幻(ゆめ)の八頭(おろち)の後光に活き抜く枯れた褒美は〝俺〟から零(なが)れて、翌朝(あさ)の寝床を一幻(ゆめ)に与(あず)ける初夏(なつ)の優美(ゆうび)を密かに識(し)った。純白(じゅんぱく)究(きわ)まる二性(ふたつ)の離体(からだ)は俺に近寄り、現代人(ひと)との破局を朗笑(わら)い続ける悪魔の尻尾を器用に手捌き、自己(おのれ)の幻夢(ゆめ)から暴力(ちから)を憎める正義の活力(ちから)を夢限(むげん)に信じて、回顧主義(レトロ)の奔放(はしり)を自主(あるじ)に眺める〝快活・遊戯〟をその掌(て)に保(も)ち生き、旧い気走(はしり)に自分を畳める暴力(ちから)の宮(みやこ)は現行(いま)を遠見(とおみ)て、自主(あるじ)の目下(もと)から私業(しぎょう)を二重(かさ)ねる橙色(おれんじいろ)した夕日を観て居た…。無心の範囲(レンジ)で自体(おのれ)を企み、自己(おのれ)の「破局」を真面に幻見(ゆめみ)る無想の懐(おく)には白亜(はくあ)が愉しみ、幻(ゆめ)と自体(おのれ)の境界(はざま)を独歩(ある)ける無想の八頭(おろち)の微かな塒は、無想(ゆめ)の腑抜けに未来(みらい)を託する孤高の自主(あるじ)に影響して生く。二性(ふたつ)の性身(からだ)を真二(まふた)つにもする無限の信仰(めいろ)は歪曲して活き、俺の身(からだ)が現世(このよ)に残らぬ電子の薄明(あかり)に屈曲され得て、無垢を出来ない空気(しとね)の思春(はる)には無恩(むおん)の理性(はどめ)を宙(そら)へ掲げて、自体(おのれのからだ)が遊離して生く旧い翳りは未知へ運べる「私運(しうん)」を感じ、一幻(ゆめ)の言葉を概(おお)きく保(たも)てる無欲の栄華を身塵(みじん)に伏せた。俺の背後(うしろ)で転々(ころころ)暗転(ころ)がる夢遊の孤独は俗世(このよ)を棄て去り、一幻(ゆめ)の寝床で浄化され行く既知の一明(あかり)にその実(み)を寄せ付け、現代人(ひと)と競歩(ある)ける未順(みじゅん)の経過(ながれ)に明日(あす)を観て居た。

      *

 暫く行くと堀が在り、その堀は結構壁が高く落ちれば怪我をしそうで、近くを沿うように歩く時は、慎重に歩くのが常だった。俺がその堀に差し掛かった時、丁度顔の白い(化粧の所為もある)若い娘も一緒に差し掛かる事となり、俺は洗礼の園効果で強引に渡ろうとして危うくその娘を堀へ落しそうになった様子で、娘は「きゃっ!もう~!ちょっと、何よ~!」と嫌な物でも見たかのように苦虫潰して俺の方を見て来て、俺はそれが元(もと)となって、先程にて覚えて居た「据え兼ねた立腹」が息を吹き返し爆発して、「じゃかんしいわ!どけこら!この糞呆け!カス!阿呆!死ね!お前は落ちて来んな!!」と必要以上の悪口憎音(あっこうぞうおん)を浴びせ掛け、早々(さっさ)と前を歩いて行った。

      *

 無音の空気へ解(と)け入(い)る陽気は明日(あす)への暴力(ちから)を介在した儘、自己(おのれ)の一幻(ゆめ)から分散(ぶんさん)して生く無教(むきょう)の報知を当てにして活き、見る見る人形(かたち)を失くせる現代人(ひと)の強靭差(つよさ)の〝個人差〟等には、幻夢(ゆめ)の強度が奈落を独走(はし)れる白亜(しろ)い四肢(てあし)を自体(おのれ)に観て居た。微分され行く経過(けいか)の突起は自体(おのれ)を好く識(し)る能力(ちから)の界(かぎり)で、無駄な利算(りさん)を成果(さき)へ幻見(ゆめみ)る痴態の効果を根強くしてから「自己(おのれ)の無産(むさん)」を程好く見限り、憤怒を呼ばない拙い発情(こころ)に孤独の勝気を暫く通して、「無産」に終え生く虱(しらみ)の〝勇気〟を暫く幻見(ゆめみ)る波調(はちょう)を識(し)った…。

 遠くの方から「暫く朗(あか)るい未憶(みおく)」が和らぎ俺の心身(からだ)を身塵(みじん)に保てる脆(よわ)い空気を宙(そら)に象(と)ったが、明日(あす)への孤独を「自由」に観るうち余分の活力(ちから)を私野(しや)へ入(い)れ込み、明日(あす)の目前(まえ)から姿勢(すがた)を消し去る無重の柔裸(やわら)は空気(しとね)へ解(と)け込み、暫く畳める「闊歩の両翼(つばさ)」を暗黙(やみ)に観たまま自然に入(い)った。無想の柔らを暫く観たのち烏有の仕種に〝軒端〟を失う夕日の夜目(よめ)へと自体(おのれ)を偽り、偽るついでに自己(おのれ)を保(も)たない無機の神秘(ふしぎ)は俺へと近付き、時計の一灯(あかり)に幸先(さき)を仕留めぬ脆(よわ)い空城(くるわ)を確築(かくちく)して居る。純白(しろ)い気迫に耄碌して生く一幻(ゆめ)の自己(おのれ)は活歩(かつほ)を得たまま自由の総てを私用へ擡げる〝若い至り〟を延命(えんめい)させ行き、未順(みじゅん)の経過(ながれ)に凹(おちこ)み始める暗い韻文(ポエム)は表現(かお)を失くして、幻想(ゆめ)の素顔へ本能(ちから)を手向ける一幻(ゆめ)の従順(すなお)へ緊迫して居た。一幻(ゆめ)の調子を巧く損ねた未覚(みかく)へ付き添う路頭の自主(あるじ)は、俺の精神(こころ)を晴嵐(あらし)で繋げる〝未覚(みかく)・長者〟の寝床を排して、脆(よわ)い暴嵐(あらし)を白亜(はくあ)へ繋げる白壁(かべ)の目前(まえ)にて土下座を採りつつ、一幻(ゆめ)の微(よわ)さへ自明(あかり)を掲げる自由の所以(ありか)を躍進(すす)めて生くのは、俺の背後へしっかり根付ける絶頂(やま)の〝突起〟の寛容だった。未知の理郷(くに)へと自由を掲げて黄金(きいろ)い夕日を宙(そら)へ観たのは「無理」に活き得て無意味を直(ただ)せる独り暮らしの滋養の性(さが)にて、白亜(しろ)い上手(じょうず)に白壁(かべ)を生育(そだ)てる悪魔の性(さが)へはその実(み)を寄らせず、無知と発起で白体(からだ)を馴らした幻見心地(ゆめみごこち)の奈落の栄誉は、事始(こと)の律儀にきちんと汲み取る夢遊の自覚(あるじ)に身重を識(し)りつつ時間を流離う、俺の分身(かわり)に紛れなかった。俺の白紙(こころ)は未聞(みぶん)に識(し)り得る文言(ことば)を集めて総体(からだ)を募らす文句(もんく)を継ぎ立て、脆(よわ)った体(からだ)を活写(かっしゃ)に映せる連動構図を仕上げて見せて、自体(おのれ)の足場をきちんと固める微(よわ)い所以(ありか)の宙(そら)の辺境(あたり)は、自体(おのれ)の無知から無言(ことば)を募らす現代人(ひと)に対する追憶さえ在る…。自業(じごう)の始動(うごき)に鈍(くもり)を寄らせる自活(かて)の空慮(くうりょ)は至難を取り次ぎ、理由(わけ)の分らぬ自然(あるじ)の気運(はこび)に自己(おのれ)の〝足場〟を纏めた体(てい)にて、幻(ゆめ)の許容(うち)へと未読を惑(まよ)わす〝独身(ひとり)の演技〟に追討して居る…。無適(むてき)を落した集体(シグマ)の許容(うち)には魅惑の界(かぎり)が俺を訪れ、明日(あす)の信仰(まよい)に暫く佇む感覚(いしき)の初端(すそ)から零れ出るのは、両親(おれ)の介護に疲れ果て行く虚空の自主(あるじ)の〝呼び止め〟だった。拙い唄から背音(せおん)を交響(ひび)かす〝向き〟の阿久目(あくめ)は久しからずも、早い月日(つきひ)が模造を紐解く無垢の人界(かぎり)の未踏(みとう)の相(そう)には、厚い両眼(まなこ)の宙(そら)が飛び立て、一幻(ゆめ)に溺れる嗣業の辺りは宙(そら)に這い出る〝勇気〟を識(し)った。白亜(しろ)い孤独に一幻(ゆめ)を覗ける未亡(みぼう)の旧巣(ふるす)に一声(こえ)が生くには、明日(あす)の小波(なみ)から一女(おんな)が透れる無言の一夜に幻夢(ゆめ)を見たまま狭筵(むしろ)の奥へと一旦退(さ)がれる虚空の呑気を傍観して居る、烏中(うちゅう)の翻(かえり)を密かに待った。鬼畜の勢いながらに俺の自覚(かくご)は夢遊の火照りを通り過ぎ活き、明日(あす)の文言(ことば)を器用に仕立てる空気(もぬけ)の呼笛(あいず)を横目に見た儘、聞える〝破局〟は児(こども)を棄て得る母性(はは)を想わせ、一気(いっき)の孤独に火鳥(とり)を落せる拙い仮面(かお)から覇気を幻見(ゆめみ)て、未刻(みこく)の主観(あるじ)に存命足り得る無頭(むとう)の教句(きょうく)を換算して居た。清算して生く旧い奥義は見様見真似で俺から乖離(はな)れて、漆黒(くろ)い空間(すきま)に〝宇宙〟を保(たも)てる一幻(ゆめ)の信仰(めいろ)を構築した儘、無音の交響(ひびき)は圧迫され行く流行(ながれ)に突き出し、五月蠅(あわ)い無形(かたち)を体裁(かたち)に化(か)え生く古い欠伸を多様に垣間見、浮気心に本能(ちから)を認(みと)める不断の女性(おんな)は何処(どこ)でも活き抜き白亜(しろ)い〝背中〟に男性(おとこ)を識(し)らない無邪気な幼女は、自体(おのれ)の悪魔に魂(たまり)を売り貫(ぬ)く遊女の強靭(つよ)さを身近に飼った…。

 故郷の理郷(さと)へは俺の分身(かわり)が幾つも這い出し未来(みらい)へ紐解く不屈の一幻(ゆめ)から純白差(しろさ)を一女(おんな)の幻(ゆめ)から弱く立たせて、現世(このよ)の一男(おとこ)が夜半(よわ)に纏わる不動の恐怖を〝生(せい)〟へと観る頃、「現行(いま)」を波(わた)れる微(よわ)い気色は自己(おのれ)の脆(もろ)さを垣間見て居た。純白(しろ)い経過(とき)から自体(おのれ)の一体(すべて)を「夜半(よわ)」に保(も)ち生く一つの事始(こと)には、幾度も周辺(あたり)が暗く成り生く未定の労気(ろうき)が旧着(ふるぎ)を脱ぎ捨て、俺の白紙(こころ)の〝未知〟の目下(ふもと)へ寝そべる活力(ちから)は、童(わらべ)を愛した母性(はは)の寝床の微(よわ)い温味(ぬるみ)を漂わせていた。

      *

 しかしそれから女は未(ま)だ執拗に俺を追い廻し相対(あいたい)して来て、小石を投げて、俺を罵倒して来た。多勢を連れての仕返しである。化粧を施された神楽の巫女の様(よう)な若い娘達がその女と共に大勢居り、当の女以外は今のところ何も言わないが、そのうち女に釣られて何か言っても不思議じゃなかった。俺はその事を忘れて、女に必要以上の罵声を浴びせて女を(女の気を)俺から引き離そうと試みたのだ。しかし女は離れなかった。離れず、続けて俺に悪口雑言・罵声を浴びせ続けた。俺も負けん気を出して小石をその女に投げ付けて居た。女が放る石が段々勢い良く成り、径(けい)も大きな物へと変わって来て、遂に、女の周りに居た娘達もここぞとばかりに、〝自分達も参加しよう〟と揃って俺に罵声を浴びせるように成った。俺は堪らぬように成り身近に在った一番大きな石を手に取り、当の女の頭頂目掛けて思い切り投げ付けた。見事命中した。女は呻きながら蹲った。

      *

 事始(こと)の初端(はし)から〝勇気〟が崩れて閑散究(きわ)まる遥かな旅路が俺の寝床へ通って来る頃、初夏(なつ)の残暑(あつさ)が清水(しみず)に浄(きよ)まる白亜(しろ)い主演(うたげ)を凡庸(ふつう)に観ながら、俺の精神(こころ)に清く安まる無尽の晴嵐(あらし)は凡庸(ぼんよう)ながらに、端正(きれい)な出典(でどこ)を自己(おのれ)へ通せる無味の文言(ことば)を「自由」に観て居た。一女(おんな)の精神(こころ)が広く和(やわ)んで無踏(むとう)の晴嵐(あらし)を傍観するまま俺の躰を清水(しみず)に介する自然(あるじ)の経過(ながれ)を清閑(しずか)に観る内、自分の周囲(まわり)に敢え無く安(やす)まる女性(おんな)の身重を揚々拾い、意思を投げ得る律儀の行為を俺に対して当て付け始めた。清水(しみず)の流行(ながれ)は俺の身許へ縷々に着流(きなが)れ、「はじめの一歩」を女流に合せる無戒(むかい)の集体(シグマ)に託けながらも曇天巡りの事始(こと)は膨らみ、脆(よわ)い日(ひ)の粉(こ)は孤独を安める神秘(ふしぎ)の〝火の粉〟を周辺(あたり)へ張(ば)ら撒く…。俺の孤独は一女(おんな)を透して律儀を佇み夜半(よわ)の仕種を悶々しながら一女(おんな)へ見せ付け、暗い児(こども)をその掌(て)に薫(にお)わす無踏(むとう)の弄(あそ)びに付き合い出した…。晴れた真夏の昼下がりを観た…。

 一女(おんな)の孤独は古式に則り俺へと表れ、悶々して居た俺の心身(からだ)は成果(はて)を匂わす愚痴を頬張り、事始(ことのはじめ)に〝身重〟に対する夜半(よわ)の標(しるべ)は呆(ぼ)んやりしながら無想の小敗地(アジト)を返還して居た。女性(おんな)の臭味は女体(からだ)を通して得手に蹴上がり、自体(おのれ)の〝身重〟を分配して生く〝女だてら〟の鈍(くも)りを観ながら、白亜(しろ)い暗黙(やみ)まで漆黒(くろ)く透せる無戒(むかい)の人智を一通りに観た。未知の気体(からだ)が周辺(あたり)を活き貫(ぬ)く無想の咽びを検覧(けんらん)しながら一女(おんな)の弄(あそ)びは御供遊戯に傍観され活き、男性(おとこ)の残臭(くさみ)を遠方からでも見付けた頃には、無知の百足を四肢(からだ)へ這わせる女性(おんな)の故録(ころく)を男性(おとこ)へ投げ遣り、無知を興せる無謀の髑髏を、検覧(けんらん)するまま宙(そら)へ返った。女性(おんな)の四肢(からだ)が男性(おとこ)に絆され無為の病(やまい)に倒れた後には、女性(おんな)の体(からだ)が宙(ちゅう)へ組まれる無謀の人体(かたち)を人形(かたち)に留(と)め置き、一男(おとこ)に対する事始(こと)の集成(シグマ)は凡庸(ふつう)を治せる労途(ろうと)へ就き生く。真白(しろ)い撓(やわ)みは脆(もろ)さを含めた人形(かたち)へ解け込み、代物(もの)の暴嵐(あらし)に行動(うごき)を纏める児(こども)の電子(あかり)に所以(ありか)を見付けて、自己中ばかりが余程に跳び交う現代人(ひと)の分業(ノルマ)を換算しながら、女体(おのれ)の心算(つもり)を昇華へ遣った。明朗(あか)るい一話(はなし)が俺を貫(つんざ)き、俺の未憶(みおく)が宙(ちゅう)へ飛ぶのを旧来(むかしながら)の律儀の調子は未覚(みかく)に頼まれ未信に近付き、男性(おとこ)と女性(おんな)が事始(ことのはじめ)に相(あい)した八頭(おろち)は、白亜(はくあ)の思惑(こころ)へ傍観して生く〝凸(とつ)〟に突き出た邪魅でもあった…。

      *

 …「こっちんって鳴った…かっちんって鳴った…」と泣きながら言い、幼児の戯言の様(よう)に俺には聞えた。彼女の頭頂から良く見ると、薄(うっす)ら黄色い膿か何か混じったような血が、結構な量を以て流出して来た。一女の周りに神楽の巫女達が心配そうに集まり、介抱し始める。巫女のうち何人かは看護婦の様(よう)に成って、妙に張り切りながらに、洗礼の園(その)メンバーが集(つど)って居る料亭・旅館へ連絡を入れようと燥いで居る。当の女は、俺が石を打(ぶ)つけて蹲らせた時から、若い巫女の娘から宙(そら)の職場の職員の腫れぼったい女に変わって居た。洗礼の園効果で勢い付いた俺は(もしかすると)殺人を犯して居り、俺は夢の中で殺人者の気分を味わった。

      *

 俗世(このよ)を揺らめき現行(いま)を活き貫(ぬ)く幻想(ゆめ)の網羅は俺を連れ去り、〝併せ鏡〟に自体(おのれ)を映せる器用の没我に他(ひと)を観ながら、陽(よう)の名残に自己(おのれ)を羨む白亜(しろ)い孤独を噴散(ふんさん)して居た。暑い清閑(しじま)に昇りを識(し)りつつ無刻(むこく)の自由を信途(しんと)に見付けて、固陋の小敗地(アジト)に寝間を敷かせる矛盾の八頭(おろち)を現代人(ひと)に襲わせ、奇妙の吟味(あじ)から夕日を幻見(ゆめみ)る悪意の巣屈(すくつ)を全うして居た。白亜(しろ)い霧から故録(ころく)を見上げる無茶の余程は人煙(けむり)を見出し、暗い〝小敗地(アジト)〟を巡航するのは現行人(ひと)の生路(せいろ)で、純白(しろ)い気色に自己(おのれ)を束ねる無根の小敗地(アジト)は一幻(ゆめ)へ活きつつ、苦し紛れの未刻(とき)の境地は下人を消し去る脅威を保(も)った。噎び鳴き生く〝脅威〟の深化は律儀に訪れ幻想(ゆめ)に顕れ、白紙に描(か)け得る未曽有の進歩を事始(こと)に描(えが)けぬ無造さえ観る。伴(とも)の輩は心算(つもり)を失くして宙(そら)の身重に無重を識(し)ったが、「これ」と決め得る契機を掴めず、〝哀れ〟の共鳴(なげき)を俺に見て居た。白紙(こころ)に描(えが)ける俺への一理(はどめ)は無造に遮る身欲に駆られて一幻(ゆめ)を識(し)るのに〝何〟も付かない愚直(ばか)な現代人(ひと)へと自棄を吹っ掛け、白亜(しろ)い弄(あそ)びに儚さなど観る人間(ひと)の生路(せいろ)に〝活路〟を知った。紋々して生く無空(むくう)の自主(あるじ)に宙(そら)を観たのは、無重の魅力に自己(おのれ)を生育(そだ)てる人間(ひと)の遊戯に孤独を連れ去る「一幻(ゆめ)の脆差(もろさ)」の陶酔でもあり、夢見心地の自体(おのれ)の主観(あるじ)は純白差(しろさ)に覗ける抜群を観た。如何(どう)した化身(かわり)が抜群なのかは無駄に配(はい)せぬ陽気に企み、白紙(こころ)の主観(あるじ)が人間(ひと)を求める作家殺しの異名を採る内、〝無機〟に従い未知に息衝く夢遊病者の吐息に肖り、自己(おのれ)の決死を夢中で統(たば)ねる白亜(はくあ)に認(みと)める文様(もんよう)等には、俗世(このよ)の宙(そら)から現代人(ひと)に息衝く「自己中」紛いの曲解(まがり)が在った。

 俺の孤独が目的(あて)にするのは現代人(ひと)に見得ない皆無に在りつつ、現代人(ひと)の常識(おきて)を概(おお)きく乖離(はな)れた無機に居座る鉄棒でもあり、手数(かず)に識(し)られぬ無用の八頭(おろち)は白雲(くも)に並べた無益を頬張り、明日(あす)の要局(かなめ)に〝境界(かぎり)〟を識(し)るのは無機に従う曲解でもある。現世(このよ)の性(せい)から生気が産れて、日々の空気(しとね)に自己(おのれ)を惑(まよ)わす選り取り見取りの気熱(ねつ)の一声(こえ)には、大体(からだ)が概(おお)きく膨張して生く無己(むこ)の生気が両腕(かいな)を顕し、明日(あす)の孤独を活性するのは故意に破れた未亡でもある。喝采され行く無垢の本能(ちから)の主観(あるじ)に於いては、白亜(しろ)い歪曲(ゆがみ)が正しく空転(ころ)がる自己(おのれ)の生気を成就させ活き、拙い闊歩に孤高を見送る一幻(ゆめ)の苦慮へは身塵(みじん)が終日(ひねもす)〝無効〟の気色の傀儡(どうぐ)が表れ、一次を得てして二次を相(あい)せる無鈍(むどん)の王者の傀儡(かいらい)等には、幻夢(ゆめ)の孤独が何時(いつ)でも尽きない「明日(あす)」の空城(くるわ)」を生く生く見せた…。

      *

 …石を打(ぶ)つけ、頭頂から妙な血を流出させて行く女を見て居ると、それまでの経過が一気に過去に仕舞われて、在るのは目の前の女の悲痛への慈悲・悲しみだけと成り、後悔がその後(あと)からじわじわ遣って来る。遣らなきゃ良かった、まさか殺す心算(つもり)など幾ら言っても現状は「俺が殺した」と言う事実だけが何よりも大きく、皆の目に止まる様(よう)に光って、俺はいとも小さく逃げ出したくなる。しかし、そうさせた切っ掛けが在ったのも確かで、そうさせた切っ掛けとは「彼女等(ら)が俺に対して揃って執拗(しつこ)く石を投げ付け、馬鹿にし続けた」と言う事だと、素直に思い返しても居た。

      *

 時計の方針(はり)から一幻(ゆめ)が移ろい無刻(むこく)の境界(あいだ)を無垢に活き生く俺の文言(ことば)は、意味の無いほど孤高を重ねる黄色い日蓋(ひぶた)の真上(うえ)を透らず神秘(ふしぎ)の魔の手をしっかり見定め、明日への孤独を翌夢(つぎ)に持ち込む得手の感覚(いしき)に埋没して居る。俺の背後に突き出る延命(いのち)は一幻(ゆめ)の逆行(もどり)に自信を訴え、的確から得る不良の両眼(まなこ)に労苦を漏らさぬ空気(しとね)に呆(ほう)けて、黄泉の狭間(あいだ)を漆黒(くろ)く潰せる不乱の小敗地(アジト)は無刻(むこく)に煩い、時計の方針(はり)から順々着飾る旧来(むかしながら)の傾向(ながれ)に寄った。奇妙の一音(おと)には虚空が棚引く「昨日」の快無(オルガ)が散々解(と)け入(い)り、昨日の暗黙(やみ)から〝自分〟を畳める素人仕立ての恐怖の館(やかた)は一幻(ゆめ)の許容(なか)まで浸透して生く事始(こと)の経過(ながれ)に器用を呈し、俺の白紙(こころ)に白亜差(しろさ)を観るのは堂々巡りの魔鏡(まきょう)でもある。俺の一幻(ゆめ)から歯車(くるま)が暗転(ころ)がり〝偽飾峠(いつわりとうげ)〟の頂(うえ)を見下ろす一宙(そら)の寝床へ尽きて生く頃、無駄に頬張る初音(はつね)の残香(かおり)は意味を識(し)らずに感覚(いしき)を視(め)に挿(い)れ、緑(あお)い分野に跨り生くのは俺の孤独へ思惑(こころ)を振りつつ、白亜(しろ)い幻夜(げんや)へ零れて入(い)った。純白(しろ)い景色は一夜(よる)の暗黙(うち)へと身重を駆りつつ自体(おのれ)の感覚(いしき)を無闇に葬る未有(みう)の毛玉を追い駆け入(い)っては、一幻(ゆめ)の理性(はどめ)に化粧を施す無機の自主(あるじ)へ相関(そうかん)して活き、漆黒(くろ)い空間(すきま)へ未曽有を発する憂き世の挿句(そうく)を一体(からだ)に敷いた。俺の初歩(いろは)に無言が意図する調和が訪れ、始めと終りに〝未信〟を統(たば)ねる淡い孤独を散観(さんかん)しながら一女(おんな)の主観(あるじ)は俺に向き生く未想(みそう)の春嵐(あらし)をその実(み)へ従え、事始(こと)へ費やす生(せい)の自主(あるじ)に一幻(ゆめ)の矛盾(さかさ)を揚々説いた。白体(しろいからだ)の怪訝の一瞳(ひとみ)は無頼を欲する有頂の凹(しずみ)で、儚く失(き)え生く現代人(ひと)の文言(ことば)に未知の泡沫(あぶく)をどんどん活かせて、藪睨みに在る俺の純情(こころ)は倦怠から成る快楽(らく)を空転(ころ)がせ、一幻(ゆめ)の自滅(ほろび)に無闇(やみ)を見貫(みぬ)ける愛想(あいそ)の〝相(そう)〟から一女(おんな)を観て居た。都会の〝相(そう)〟には「野菊」に華咲く無言が偽り、端正(きれい)に纏める一幻(ゆめ)の主観(あるじ)は未想(みそう)に纏わる〝哀れ〟を見付けて、事始(こと)に見貫(みぬ)ける一幻(ゆめ)の主観(あるじ)は器用に呟く夕日(だいだい)さえ観て、白亜(しろ)い孤独を夢限(むげん)に拾わす女性(おんな)の阿漕を具(つぶさ)に結(ゆ)った…。

      *

 …〝夢限(むげん)の自主(あるじ)〟が一幻(ゆめ)に戸惑う…。〝無限の生憶(きおく)〟が孤独を養い、未知に拙い「余程の概句(おおく)」を望んで沁(し)んだ…。―――

      *

 白水(みず)に透れる三陽(さんよう)から成る昼夜の〝宙(そら)〟には「一匹」さえ観得、白亜(しろ)い自然(あるじ)に言響(こだま)を通せる一幻(ゆめ)の現(うつつ)に迷妄(まよい)を追い駆け、無視に脚色付(いろづ)く無言の〝昼夜〟は一色(いろ)を問わずに白体(はくたい)から成り、自体(おのれ)の感覚(いしき)に他(ひと)を観ぬのは俺の自覚(かくご)の論点にも足る。風邪を引きつつ一幻(ゆめ)の〝枕〟に欠伸を観るのは事始(ことのはじめ)に悪態さえ吐(つ)き、剥き出し始める神秘(ふしぎ)の両刃(やいば)を都度(つと)に身構え校訂して生く直(なお)き手筆(しゅひつ)の筆勢(いきおい)から観て、明日(あす)の文言(ことば)に滔々流行(なが)れる清水(しみず)の如きに脆差(もろさ)を認(したた)め、旧い寝屋から身影(みかげ)を想わす四温(しおん)の空気(くうき)をその掌(て)に置いた。俺の白体(からだ)は未然を想わす旧い寝室(ねむろ)を遠方(とおく)から観て、軟い集局地(アジト)を堂々見廻す言(こと)の勇結(ゆうき)を奇妙に捥ぎ取り、自体(おのれ)の両脚(あし)から帰順して行く現(うつつ)に並べた無想の譲歩は、未知の人陰(かげ)から既成の人陰(かげ)まで〝無駄〟を呑み込み詩吟を割った…。微吟(びぎん)を呈して美吟(びぎん)を調(ととの)え、〝明日(あす)の旧き…〟は「旅」を称する斬新(あらた)な独歩へ沈吟(ちんぎん)して活き、苦労の成果(さき)から周辺(あたり)へ木霊す夜半(よわ)の〝旧差(ふるさ)〟は昨日を想わせ、事始(こと)の無視から〝上手(じょうず)〟を想わす一幻(ゆめ)の手向けへ一役(ひとやく)など観た…。事始(ことのはじめ)に女性(おんな)を観ながら気楼の局(きょく)には揺蕩(ゆらぎ)を説き伏せ、易い〝論理〟に摂理を付け足す旧い功徳は譲歩を看破(みやぶ)り、旧い〝葦〟から斬新(あらた)な葦へと物見(ものみ)の極意(おく)には一煌(きらめき)さえ有り、〝奇妙〟を相(あい)する孤独の自然(あるじ)は一男(おとこ)を従え上手(じょうず)に沁(し)んだ…。

 明日(あす)の一昼(ひなか)を蝶が一匹、精神(こころ)へ訪れふらふら活き貫(ぬ)き、未亡の自然(あるじ)に深吟(しんぎん)して生く無垢の思惑(こころ)は安気(やすき)を試み、明日(あす)の行方に戯れ生くのは未亡へ寄り添う使役の掌(て)に在る。常夜(とこよ)の夏には程度を見知らぬ〝哀れ〟が跳び生く〝針の筵〟を地味に奏でた不相(ふそう)の暴嵐(あらし)が譲歩に見得たが、一光(ひかり)を切り裂く一昼(ひなか)の自然(あるじ)は〝事始(こと)〟を想わす未完(みじゅく)へ乗じて、俺の孤独を悠々弄(あそ)べる言動(うごき)をした儘、一幻(ゆめ)の主観(あるじ)が委細に識(し)らない憤怒の晴嵐(あらし)を孤独に見る内、無言の教句(きょうく)を聖書(かて)に識(し)るのは「孤独の王者」の賢才(けんさい)だった。白体(しろいからだ)を暗黙(やみ)に観るうち無垢の教致(きょうち)は無適(むてき)と成る儘、自慰の家屋に一切寄らない純白(しろ)い桂冠(かむり)は発情(なさけ)を顧み、「明日(あす)の一昼(ひなか)」を旨に見るのは個人(ひと)の未完(みじゅく)の固定であった。

 自己(おのれ)の詠みから改竄して生く真白(ましろ)の〝哀れ〟は無痛を知りつつ、事始(こと)への記憶に幻夢(ゆめ)を装う有言無実(ゆうげんむじつ)の努力(ちから)を得た儘、明日(あす)の鈍(くもり)に白体(からだ)を乾かす至純(しじゅん)の暴利(ぼうり)を運好(うんよ)く識(し)った。三寒(さんかん)極まる夢中の晴嵐(あらし)へ埋没しながら俺の躰は低俗差(ひくさ)を知らない無理の気色に打ち水等して、明日(あす)の晩夏(なつ)への無様(むよう)の暑さを白壁(かべ)に仕留めて涼夏(りょうか)を識(し)った。夢中に馴れ生く事始(こと)の空間(すきま)は純白(しろ)い景色を未聞(みぶん)にした儘、無茶な景色を鵜呑みにして生く拙い自然(あるじ)を機嫌に儲けて、明日(あす)への孤独を未順(みじゅん)に得て生く無想の想起を勝手に見て居た。空城(くるわ)の内(なか)から幾様(きよう)に羽ばたく謙心(こころ)を訴え無常に交響(ひび)ける事始(こと)の概(おお)くの夢想に老い足る鼓動の自主(あるじ)は、貴信(きしん)に尖れる無意(むい)の主観(あるじ)の末路(すえ)から時計に解け込む未信の独歩(あゆみ)を緊(かしこ)く見て居た…。


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~・・・・事件~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji

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