第6話 人間イエスと共になら新しくやり直せる

 そうかあ、たこ焼きを買えなかったという困窮が、たこ焼きもどきというチープシックな製品を生み出したのか。

 中島氏は、続けていった。

「あと、ソースの代わりにポン酢とケチャップを混ぜたものをトッピングしてるんだ。ポン酢もケチャップも酸っぱいから、腐り止めにはなるんだよ」

 私は思わず、感心した。

「勉強になります。さっそく、この店でも使わせて頂きます。

 そういえば、中島さんは調理師学校時代から、よく読書をなさっている勉強家でしたよね。私は中島さんは、作家になるべき人かなと思ったこともあったくらいでしたよ」

 中島氏は、感心しながら言った。

「あの頃、理沙ちゃんは僕の執筆した小説を読んでくれたね。

 そのおかげで、執筆を継続し続け、今は知り合いの経営している、小さな出版社に勤めてるんだよ」

 中島氏は「有限会社HONZUKI」と明記された名刺を差し出した。

「小さな出版社だから、営業から事務まですべてやらなきゃならない。

 まあ、事務の場合はパソコンがあるから、大分助かってるけどね」

 中島氏曰く「物書きは、フィクションよりも、自分の実体験を書いた方がいいよ。とにかく、書きたいことを書け、嘘は書くな。

 読者は、すぐ作家の心理状態を見抜くものだよ」

 

 中島氏は、メモ帳を見ながら言った。

「僕が今、書いているストーリーを紹介します。

 僕の姉が、一人暮らしのワンルームマンションで不倫をしているという、噂が飛び交っていた。

 最初はウソだろう。名誉棄損で訴えるぞと憤っていたが、確認のために僕は姉のマンションを訪れることにした」

 私は興味津々に聞いていた。不倫の噂は真実だったりしてね。

 中島氏は話を続けた。

「僕は姉から借りていた鍵を開け、玄関口に靴を置いて、トイレに行った。

 すると、ドアが開いて、ある中年男性が僕の靴を見てこう言った。

『なあんだ。先約がいたのか』

 これじゃあ、まるで姉が売春婦みたいじゃないか。

 そりゃあ、不倫というのは、女性は恋愛と思っていても、男性にとってはただの遊びでしかないというが、いくらなんでも失礼な言いぐさだ」

 私も腹立たしいものを感じた。

 まあ、不倫男性の常套句として

「妻と別れて一年以内に結婚しよう」

ー逆にいえば、君との関係は一年限りの遊びである。

「僕の妻は不細工な顔をして、鬼のような形相で、僕に逆DVをする」

ーいかにも自分を悲劇の主人公のようにして、なにも知らない第三者の同情を買おうとする。

というのが、定例パターンである。

 中島氏は深刻な表情で、話を続けた。

「僕は思わず、その中年野郎を殴りつけようとしたが、なんとかこらえた。

 こんな奴のために傷害罪で逮捕されるの、真っ平ゴメンだからね」

 そうだよ。刑務所に入ったら、風呂は夏は週に四回、冬は週に三回、しかも、五分しか入れないよ。ゆっくり湯船に浸かるなんて、夢のまた夢だよ。

 私は心のなかでそうつぶやいた。

 中島氏は、私を見つめて言った。

「僕はこのことを、小説にしようと思ってるんだ。

 理沙ちゃん、昔よりも愛想がよくなったんじゃない」

 私は持論を展開した。

「そうね。私は昔は人見知りだったの。その背景には、嫌われるのが怖いという自己保身があったわ。

 でも、今はもう嫌われることに対して、そう抵抗はないわ。

 だから、かえって誰にでも笑顔で愛想を振りまけるのよね」

 中島氏は、それに答えて言った。

「たしかに、そうだよね。

 でも、聖書に「人はうわべを見るが、神は心を見る」の通り、やはり人間、つくり笑顔だとわかっていても、愛想のいい人に魅かれていくんだよね」

 ああ、私もそうだったなあ。

 だいたい、私に近づいてくる悪党は、初めは笑顔であったが、慣れてくると急に態度が豹変して、私を悪事に利用しようとする。

 ああ、いけない。思わず暗い表情になっちゃいそう。

 私は中島氏に悟られないように、笑顔を浮かべてお世辞を言った。

「ホント、中島さんって、文学的にものを考えるわね。

 私も聖書を読んでみようかな。絶対、いいことが書かれてあるに違いないよね」

 中島氏は

「聖書のなかに「聖書の御言葉は骨をも刺す」とあるよ。

 あっ、もうそろそろ退散しなきゃ。もしよければ、HONZUKIにメールしてよ。

 物書きは、フィクションよりも実体験を書くべきだよね。

 理沙ちゃんもできたら、小説を書いてみない?

 僕みたいなおじさんは、世代の違う若い人のことも知りたくてね。

 僕はこれでも、老害にならないように努力しているつもりだよ」

 私は思わず

「なあに、その老害って?」

と尋ねると、中島氏は

「現代と比べて、昔の時代は良かったなどと、古き良き時代を美化したり、今の若い奴はなどと批判したあげくの果て、あの若者と別の若者とを比較してみて、どちらがまだマシな野郎だと思うかなどと、比較したりして、まあ、要するに今の時代に害になることをすることだよ。

 そうならないためには、やはり少しでも若い人と接して、現代を知ることだよ」

 私は思わず

「いつの時代においても、人は自己中心。だからこそ、自分が今の時代に合うように、常にチェンジしていかなきゃね。

 チェンジ、チャレンジ、チャレンジャー精神で明日を生きていきましょう!」

 なんてビッグマウスを一発かましてしまった。


 中島氏はしんみりと言った。

「最初から賞なんて目指さない方がいいよ。

 昔は、有名人になりたいという動機で、小説を書いてた人もいたけど、今は、本は売れない時代。だから、賞をとったらとったで、新しいいろんなことを要求されてつぶれてしまう人もいるんだ。

 実は僕も、今はもう無くなってしまったけど、小さな新人文学賞で賞をもらったんだけどね、その後、ある出版社にスカウトされ、いわゆる官能小説を書いてくれと言われたんだ。

 売れなくなった青春小説家は、売れなくなったアイドルのように、エッチ関係に走るけど、そうなれば、自分の書きたいことを書けなくなって、かえって行き先がわからなくなり、息がつまって書けなくなってしまうんだ」

 私は思わず口をはさんだ。

「そうなってしまえば、小説家としては終わりね」

 中島氏は答えた。

「物書きは、フィクションよりも実体験をもとに書いた方がいいよ。

 そこに、実体験が根っこにあり、そこにフィクションの芽がでて茎が伸び、最後にはフィクションのハッピーエンドの花を咲かせた方がいいよ。

 そうしないと、現実から離れてハッピーな夢をみるための、フィクションの意味がなくなる」

 私は思わず

「ときおり、罪を犯した人は「幸せになっていいんですか?」と聞くけど、人間誰でも、幸せになれる権利はあるよね。

 ただし、悪から離れたらの話だけどね。だから逮捕されることは、ある意味では、悪から離れるチャンスでもあるというわ」

 いっけない。私の刑務所体験が、バレてしまいそうだ。

 中島氏は、手書きの栞を渡した。

「しかし、たとい罪を犯した者であっても、自分の犯した罪を離れ、私のすべての律法を守り、公正と正義を行うなら、死ぬことはなく、必ず生きる。

 彼が犯した過去の罪はすべて忘れられ、正しい生活によって生きるようになる。

 主である神は仰せられる。私は、たとい罪を犯した者であっても、その人が死ぬことを喜ぶだろうか。彼が悔い改めて、生きるようになることを喜ぶ。

 しかし、正しい人が正しい生活をしなくなり、罪を犯し続けるようになるなら、果たして生きることができるだろうか。

 以前、彼がしていた正しい生活は忘れられ、彼の不信仰と犯した罪のために死ななければならない」(エゼキエル18:21-24現代訳聖書)


 私は真実の言葉に触れた気がした。

 中島氏曰く

「反省は一人でもできるが、更生は一人ではできない。

 といっても、現実は、少年院の場合は両親が離婚して、母親に引き取られたり、また親戚も絶縁されるケースが多い」

 まあ、私は幸い、小学校四年のとき父親は交通事故で亡くなり、親戚ともとうに疎遠になってたけどね。

 私は中島氏に尋ねた。

「中島さって、もしかしてクリスチャン? 

 クリスチャンというのは、イエスキリストと共に生きている人でしょう。

 私も、キリストと共に生きられるのかな?」



 

 

  

















 

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