第4話 私の人生の堕落はワル男から始まった

 当時、世間知らずで主体性も協調性もなかった私は、大和の指示通り、昌子姉さんに嫌ごとを言った。

「私はこのクラスの人はみな好き。ただし昌子を除いては。

 明日、五万円もってきてな」

 昌子姉さんは、はあと怪訝な顔をしただけで、怒ったりもしなかった。

 もう一押し。私は昌子姉さんから五万円せしめることができるかもしれない。

 そうして、大和と三人で山分けすると、昌子姉さんとは永遠の友達以上の仲間でいられる。

 私は大和にすっかり洗脳されていた。


 翌日、私は調理師学校で昌子姉さんの腕を引っ張り、壁に押し当てた。

「五万円払うのか、払わないのか」

 昌子姉さんは、怪訝な顔をした。

「あんた、頭がおかしくなっちゃったの?

 どうしてカバンをもってやっただけで、五万円払わなきゃならないのか」

 私は、少々ドスを利かせた声で

「そんなこと、私には通用しないんだよ」

 そう言い終えた後で、いきなり私は昌子姉さんに、びびりながらビンタをくらわした。

 パシッという音のあとで、私の手のひらに、昌子姉さんの頬の温もりが感じられた。

 昌子姉さんは、少々びっくりしたような顔をした。

 しめしめ、ビビっている証拠である。

 私は大和の指示通り、啖呵を切った。

「私は少年院出よ。このことは、誰にも言うな。

 もし校長に伝わったら、お前を待ち伏せしてしばきあげるぞ」

ともう一度、昌子姉さんの頬を再びビンタした。

 その後、私は急に私は心臓がバクバクと鳴り、昌子姉さんを殴った手のひらに恐ろしさを感じた。

 罪の意識から生じる罪責感とはこういうことなのだろうか?

 私は自分が取り返しのつかないことをしてしまい、もう今までの生活には戻れないほど、遠い世界へ堕ちていくような気がした。

 まるで、身体中がゆっくりと地獄に沈んでいくようだった。


 それから、三分後、私は校長室に呼び出された。

 もちろん、昌子姉さんが早速校長室に報告したに違いない。

 一部始終の話を聞いた教頭は

「カバンを放り投げたとかいうのならわかるけど、カバンを持っただけで五万円必要である?!

 お前、今までどんな世界で生きて来たんだ」

 私は泣きべそを浮かべながら

「だって、五万円払うって言ったもの」

と苦しい言い訳をした。

 昌子姉さんはもちろん

「はあとは言ったけど、払うとは言っていない。

 なぜ、カバンを持ってやっただけで、五万円払う必要があるのですか?」

と当たり前のことを反論した。


 昌子姉さんは、校長室から返され、それから私に対する事情聴衆が始まった。

 当時の私は、敬語も使えず、昌子姉さんのことをまさこなどと呼び捨てにしていたのだった。

 私は一応、反論の材料として、

「カバンを持ってもらった時、コンクリートの壁にぶつかって傷ができた」

などと苦しい言い訳をした。

 

 私は、大和とのいきさつを話した。

 そして、昌子姉さんに

「私は、少年院出だ。このことは誰にも言うな。

 もしこのことが校長に伝わったら、お前をしばきあげるぞ」

と脅したことも、包み隠さず認めた。

 校長も教頭も、びびったような顔をしていた。

 しかしそれと同時に、私が包み隠すことなく認めることで、校長も教頭も、私のことをワル男にだまされ、いいように悪用された可哀そうな未成年の被害者だと思ってくれたらしい。

 このことは、私にとっては悪者認定されずにすんだ不幸中の幸いであった。

 

 私は三日間の停学を言い渡された後、私と昌子姉さんが呼び出され、校長曰く

「友人試しなどと突飛な出来事であったが、お互い恨み憎しみを抱かないように。

 それと、お互い年齢も住む世界も違うのだから、もう近づかないように」

と約束させられた。

 昌子姉さんは、ほっとしたような顔でそれに応じた。

 これで、私と昌子姉さんとの友達の細い絆ははかなく消えた。

 しかし、昌子姉さんは、陰で私のために祈ってくれていたのだった。

 昌子姉さんは、いつもクロスのペンダントしていてクリスチャンではないかと想像していた。

 昌子姉さんの祈りが思わず功を奏する結果になるとは、そのときの私には想像もつかなかった。


 後に大和にそそのかされた五人以上の女性がーいずれも独り暮らしの地方出身者や高校中退の孤独な女性達であったがー警察に通報し始めた。

 のちにわかったことであるが、大和のいうドラマのエキストラというのは、アダルトビデオのことだったのだった。

 大和は恐喝及び詐欺教唆で逮捕された。

 大和のような女性を利用、いや悪用するような男性は、ストーカーの如く執念深くまとわりつくという話は聞いたことがある。

 なかには、いくら女性が引っ越してもなぜか追いかけてきて、もう離さないという。

 しかし、大和が逮捕されたおかげで、私は大和に縛られることもなくなった。


 調理師学校を卒業してからは、私は調理師の資格を生かし、地元のカフェでアルバイトすることになった。

 初めの一か月は、オーナーは普通の人だった。

 しかし二か月目から、態度が豹変するようになった。


 私が、皿洗いを終えて帰った翌日、オーナーは

「あんたが帰ったあと、洗剤がこぼれていた。覚えはないか?」

 私は「私は洗剤のキャップを絞めて帰りました」

 オーナーは怪訝な顔をした。


 また翌日、私の目の前で、なぜかホースが焼け焦げていた。

 オーナーが血相を変えて飛んできた。

「なにをしている!! 弁償してもらうぞ」

 当然、私は反発した。

「私がなにかしたという証拠でもあるんですか」

 オーナーはドスの聞いた声で答えた。

「今回は見逃してやる。しかし次からは承知せんぞ」


 まるで反社みたいだ。

 もう辞めた方がいいのではないか。ここら辺が潮時である。

 もしかして、バックには反社がついているのではないか?

 だとすると、どんな災難に巻き込まれるかわからない。

 そういえば、こんな話を聞いたことがある。

「実は僕も、昔飲食店を経営してたとき、そういった輩がよく来たんだ。

 みかじめ料が目的だね。

 そんな店にいても給料はロクにもらえないどころか、犯罪に巻き込まれる恐れがあるよ」

 ブルブルブル・・・ 身体から震えがきて、目の前が真っ暗になった。

 私は退店する決心をした。


 翌日、店でトイレ掃除をしたが、なぜか水洗つまりをしていた。

 そのことをオーナーに言うと、大声で

「はい、あんただ。あんただ雑巾を便器に詰まらせたと言うことが、考えられる。

 だいたい、あんたは社会的信用がない。

 あんたなら、やりかねない」

 まるでアニメみたいだ。私はポカンとして、その場に立ちすくむしかなかった。

 もうこれは絶望的。このままでは、便器の修理費まで弁償を要求されかねない。

「私はオーナーだ。文句があるなら、首を切るということもある」

 高圧的な物言いをするオーナーに対して、私はこのオーナーのそばにいると、朱に交われば赤くなる式で、私まで人間として壊れてしまうという、黒い予感にひしひしと包まれた。


 私はさっそく翌日の朝、オーナーに電話をかけた。

「風邪をひきましたので、二、三日休ませて頂きます」

 オーナーは、すごい剣幕で怒鳴った。

「なにい、休むだと。まあ今日一日はゆっくり休め。

 その代わり明日から休むなどと言いやがってみろ。

 お前の居場所はないと思えよ」

 やはりオーナーは、私をこの店の売上に利用することしか考えていなかったのだ。

 まるで反社そのものだ。


 その明後日、私はオーナーに辞めるということを、電話で言った。

 オーナーは、少々驚いたような声で

「そうか、わかったわかった」と言って、電話を切った。


 給料日の日、銀行振り込みの金額を見ると、なんと13,000円足りないのだった。

 そのカフェは、給料明細書はなかったが、一か月目にあたる先月は、時給通り給料が振り込まれていた。

 やはりオーナーが反社まがいになってから、給料も引かれるようになったのだろうか。

 さっそく、オーナーに電話で通告すると、

「まずあなたは、急に辞めると言い出したので3,000円、そして今までのペナルティーとして10,000円引かして頂きました。わかってもらえたかな?」

 私は思わず

「ペナルティーって、どういうことですか」と尋ねると、オーナーは無言で電話を切った。

 あっけにとられたが、こんなカフェから離れられたことが不幸中の幸いだった。


 カフェを辞めてからは生活は苦しく、私は知らず知らずのうちに詐欺的行為に加担する羽目に陥っていた。

 

 



 


 

 

 

 

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