第3話 あの男は私と昌子姉さんを騙した

 調理師学校は、白衣にネクタイを結ぶのであるが、私はネクタイ結びができず、もたもたと迷っていた。

 それを助けてくれたのが、私より一回り以上年上の昌子姉さんだった。

 私は、昌子姉さんに頼りたいという思いを抱いてしまった。

 大人に対して、両親以外にこのような思いを抱いたのは初めてだった。


 私は今まで、人と会話をしても噛み合わないものがあったが、昌子姉さんはなぜかうまく噛み合わせてくれた。

 私は昌子姉さんを、理解してくれる友人だと思い込むようになり、できたら昌子姉さんを保護者のように思い始めた。

 私は昌子姉さんの気持を確かめたく、

「理沙のこと、友達だと思ってる? 卒業しても友達でいてくれる?」

と、なかばすがりつくようにねだった。

 昌子姉さんは、少々戸惑ったように「はあ」と答えるだけだった。

 きっと昌子姉さんは、私のことを家庭には恵まれているが、友達のいない孤独な子、でも悪党ではない少々可哀そうな小学生のような子だと思っていたに違いない。


 調理師学校の帰り、昌子姉さんと歩いていると保育園の前で園児が遊んでいるのが目についた。

 私は、小さな子供が大好き、保母さんになりたかったんだと昌子姉さんに告げると、昌子姉さんは

「そうねえ、今からでも定時制高校に行って、資格試験の勉強をすればいいよ」

とアドバイスしてくれた。

 あいにく、私は勉強が苦手だったので、絶望的な気分になった。

 まあ、なかには努力する人もいるというが、私にはそんな根性も持ち合わせていなかった。

 もし、死に物狂いで教科書に取り組んでいれば、人生も変わっていただろう。

 中学までは、教科書さえ丸暗記すればある程度の点数がとれる筈だったから。

 

 昌子姉さんと別れ、一人で駅のプラットホームに立っていると、三十歳くらいの子ブランドスーツに身を包んだイケメン男性が声をかけてきた。

「ねえ、彼女、僕は会社役員なんだけどね、今、新しい店で従業員を募集してるんだ。階段を上がったところのビルなんだけど、見に来ない?

 大根のかつらむきの秘伝を教えるよ。そして無料で抗菌まな板をプレゼントしますよ」

 私は思わず、ラッキーだと叫びたい気分だった。

 実は、私は調理師学校で、大根のかつらむきができないままだったのだ。

 大根をリンゴの皮を薄くむくようにし、切れることなく1mほどむけたら合格である。

 大抵の子は、二回目でクリアしたが、私は薄くむくことすらもできない。

 これができなければ、卒業は不可能である。

 私はそのイケメン男性が、救いの神のように見えた。


 男性は名刺を差し出した。

「株式会社はなわ 秘書 大和博」と明記された名刺を、私は珍しいものを見るようにしげしげと眺めながら、私はその男性が、救いの天使のように見えた。

 おまけに抗菌まな板なら、調理の役に立つに違いないという一心から、その男性についていくことにした。

 ブランドスーツ姿の男性と並んで歩いていると、まるで私までが、OL風の大人になったような気がした。

 今から思えば、そのブランドスーツ男性は、この駅には調理師学校の生徒が多く、かつらむきができないと卒業できないということを知っていて、狙いを定めていたに違いない。


 階段を上がったところにある駅前のビルの3Fは、一見高級ラウンジ風であり、いあかがわしい風俗店などでは決してなかった。

 私は、二十歳前後の十人くらいの若い女性に交じって、大根のかつらむきの指導を受けることになった。

 コツは包丁を持つ手にあまり力を入れず、左手をクルクルと上下左右に動かしながら、最初は分厚くてもいいから、とにかく大根を回すように切っていくことだった。

 途中で切れてしまうと、失格になるので、最初は20㎝を目安に切っていくことが目標だった。

 慣れれば、徐々に薄く切れるようになっていくと教えられた。

 できるようになるまで、家で数回リピートして練習することが大切だと言われ、大根を半分、プレゼントしてくれた。

 そのとき、参加者全員の連絡先を聞かれ、お土産に抗菌まな板をプレゼントされたが、これがワナだったとは、参加者全員、気づかなかった。


 翌日、自宅に電話がかかってきて、私は昨日行った事務所に行くと、ブランドスーツの大和博が、今度はぜひ友人を誘ってきてほしい。

 しかしその前に、友人試しをしてほしいと提案された。

 私は思わず怪訝な表情で「友人試しとは何ですか?」と大和に尋ねた。

 

 大和が語るには、友人試しというのは、その友人が自らをどう思っているのか試す必要があるというのである。

 やり方として「ああ、肩が痛い。カバンを持ってほしい。そのカバンに傷がついていなかったら、お礼の印に五万円払う。

 でも少しでも傷がついていると、逆に五万円支払ってもらうことになる」

というインチキまがい、脅しまがいの内容だった。

 

 しかし大和曰く、その友人がホンモノかどうか探るには最も有効な手段であり、五万円ゲットのチャンスがある。

 私は昌子姉さんのことを、ペラペラと大和に話した。

 昌子姉さんは、私が友達のいないヤンキーまがいとみられていることを知った上で、私と付き合ってくれている信用できる大人だということ。

 大和はウンウンと真剣に聞いてくれたあと、こう言った。

「僕が思うにね、その昌子姉さんというのは、君と友達となんか思っていないよ。

 年齢も違うし、君みたいな十代の子に興味をもち、君のことを探ろうとしているに違いない。

 君は昌子姉さんを信用しているか?」

 そう言われればそうかもしれない。

 昌子姉さんは、いわゆる可愛い系で悪党とは程遠い。

 学歴は高卒であったが、本当に私のことを友達と思ってくれているのだろうか?

 大和は、私の表情を探りながら話を続けた。

「君がこれから昌子姉さんと友達でいたかったら、ぜひ探る必要があるな。

 一度、カバンの傷の件について、昌子姉さんを試した方がいいよ。

 あっ、それと僕は有名プロダクションにも知り合いがいるんだ。

 今から演技の勉強をしてみないか?

 ドラマのキャストというよりは、エキストラくらいになれるかもしれないよ」

 大和は、急に形相を変え、鋭い目つきになった。

 私は蛇ににらまれたカエルの如く、なかば大和の言いなりになっていた。

 その反面、ドラマのエキストラに対する興味と好奇心が芽生えた。


 私は大和の指示通り、昌子姉さんに「ああ、肩が痛い。カバンを持ってくれないかな」

 昌子姉さんは、私のブランドのカバンを持ってくれた。

 そのあとで、私は大和の指示通りのセリフを発した。

「今から、賭けをしよう。

 このカバンに傷がついていなかったら私は昌子姉さんに五万円払う。

 しかし、もし傷がついていたら五万円払ってもらう」

 昌子姉さんは、無言で私にカバンを返した。


 そのことを大和に報告すると、大和は私をいきなり抱きしめ、キスをした。

「君は、いい子だ。勇気ある賭けをしている。

 昌子姉さんが、君と友達であるかどうかを試すチャンス。あと一歩だ」


 翌日、私は大和の指示通り、昌子姉さんに

「昨日、カバンを持ってくれて有難う。

 ところで、そのカバンには傷がついてたんだよね。

 約束通り五万円払ってね」

 昌子姉さんは、ポカンとした表情をしていた。

 

 そのことを大和に話すと

「もし、昌子姉さんが五万円払ったら、これで僕たちの仲間である。

 君は昌子姉さんと一生つきあえるチャンスである」

 私はいつか、大和に洗脳されていた。


 それから私は、相変わらず大和の指示通り、昌子姉さんの顔を見るたびに

バカの一つ覚えのように「五万円、五万円」を連発した。

 昌子姉さんは、ポカンとするだけだった。

 大和にそのことを話すと、大和曰く

「あと一歩だ。昌子姉さんが君を無視するなら、今度は脅し作戦でいこう。

 人間は、脅されたら相手の言いなりになるしかない。

 これで昌子姉さんは、一生僕たちの仲間である」

 私は、大和の言うことをすっかり鵜呑みにし、昌子姉さんを脅すことにした。

 

 

 


 


 

 

 


 

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