第4話
唯は頭を左右に振り、過去の雑念を追い出す。
今と昔では、立場がまるで違う。二の舞を踏むはずがないのだ。
去年と同じように、さり気なく意見を出して、それで終わり。それだけなのだ。
そんなことを考えていると、気がついたときには唯の前まで順番が回ってきていた。
黒板を見ると、ピザトースト屋の票が1番多くなっていた。その次に多いのは喫茶店となっているが、最後の2人が喫茶店を選んだとしてもピザトースト屋に勝つことはない。
それを眺めて、組み合わせたらいいのに、と思う。
喫茶店の料理として、ピザトーストを出すのはどうなのだろうか。これなら多くの人の意見を組み込めるのではなかろうか。
そこまで考えて、唯は思考をやめた。
自分が関わったことで失敗、などにでもなったら……。
「──それじゃあ、最後。一条さんお願いします」
凪に呼ばれ、唯は自分が答える順番になったことに気づく。
クラスメイトの視線が唯に注目する。
「──っ……!」
ピザトースト屋がいいと思います。そう言おうとしたが、声が出なかった。
学園祭の準備にクラスメイトからの視線。そんな条件が揃ってしまったからだろうか。中学時代のことが頭によぎってしまう。
声が出ない。いや、唯自身が発することを拒んでいる。
こんな状態が長く続いてしまった場合、傍から見たら不審がられるに決まっているだろう。
ヤバい、そう感じる。しかし、唯はどうすることもできない。
クラスメイトの視線から逃げるように、少し隣を見てみる。
ちょうど、凪と目があった。
『何か困ったことがあったら、いつでも僕を頼ってほしい。凪』
以前もらった手紙の内容を思い出した。
どんなことでも、凪が助けてくれる。そう考えると、凍りついていた喉が少しずつ溶けていく。
「……」
声が出ない。だが、これは唯にある考えがよぎって、思いとどまったからだ。
このまま最多票に合わせるように意見を出す。去年と変わらない方法で、一番安全な方法でもある。
ただそれは、唯がありのままの自分を否定しているとも言える。
もちろん、今だってクラスメイトから嫌われることは怖い。
(だけど──)
唯は凪に改めて視線を送る。自分の意志を乗せたそれは、生まれ変わったかの如き力強さだった。
その視線とともにその意志も受け取った凪は、太陽のような笑顔で頷き返す。
何かが溶けていくような、不思議な感覚だった。
「──……喫茶店の」
先程までが嘘かのように、するっと言葉が出てきた。
「喫茶店のメニューとして、ピザトーストを出してみてはどうですか? ピザ、とはいえもとはパンですし、コーヒーや紅茶との相性もそこまで悪くないと思いますが……」
他人から求められたわけでもないのに。自分の意見をこんなにも素直に伝えたことなど、それこそ3年ぶりかもしれない。
あとは凪のフォローを待つだけ。そう思っていると。
「なにそれ! めちゃくちゃいいじゃん!」
「そうだよな、たしかに一つに絞る必要はないしな」
「こんなことに言われるまで気が付かないなんて、お恥ずかしい……」
「いやお前はいつも鈍感じゃねえか!」
クラスに笑いが起こる。みんなが笑顔だった。
その『みんな』に、唯も入っていた。
「あっ……」
自分が笑っていることに、あとから気付いた。どうやら、自然と笑っていたらしい。
唯は過去を乗り越えた。3年という月日が経ったが、それでも乗り越えたのだ。
そのことに気がつくと、唯は何故か、凪の方へ視線を送った。
凪はもう一度大きく頷き、優しさに満ち溢れた光を──笑顔を向けてくれる。それはまるで、「よく頑張ったね」と、そう言ってくれているように思える。
その仕草に、唯が新たに決意をしたところで、長いようで一瞬で過ぎ去った、維の人生にとって大きな分岐点となる時間が終わった。
その日の学校終わり。唯は帰路についていた。
ちらりと隣を見ると凪が歩いていた。
「すいません。わがまま言って……」
「ううん、全然大丈夫だよ」
唯から一緒に帰ろうと誘ったのだ。今日の1件に関しての感謝だけでなく、全てを打ち明けようと決意したから、という理由もある。
「それにしても……大丈夫だった? すごくつらそうだったけど……」
「はい、ありがとうございます。以前体調を崩したときにいただいたお手紙を思い出して、何があっても涼風さんが助けてくれるんだって思えて……」
「あはは、あの手紙ちゃんと読んでくれたんだね」
「でも、やっぱり過去のことを思い出しちゃった感じ?」
「はい……って、あれ? そのこと涼風さんにお話しましたっけ……?」
これから打ち明けようと思っていたことを、凪の口から聞き、唯は驚きの声を上げる。
「いーや? こっちが勝手に気付いただけ」
「気付いただけって……私バレないように振る舞っていたと思うんですが……」
「はじめてちゃんと話しかけたときに言ったこともあるけど、僕と境遇が似てたってこともあるかな」
「えっ……? 境遇が似てるって……涼風さんが……?」
唯は、中学の頃のから今に至るまでの、凪の人生を聞いた。
唯とは真逆の存在であったが、中学の反省から高校では立ち位置を変えた、ということは同じであることも知れた。
そして唯も、自身の境遇を凪に打ち明けた。
唯の過去を知られるのは穂乃香以外だとはじめてだったが、凪には安心して打ち明けられた。
静かに、だが唯に寄り添うように、凪は話を聞いてくれる。
「……ふむ、なるほどね。僕は中学の反省から明るく過ごしているけど──」
「私はそれで失敗したから、おとなしく過ごしているのです」
驚くほどするっと言葉が出てきた。やはり相手が凪だからなのだろう。
「一条さんはその一件から、やっぱり人と関わるのを避けてるんだね?」
「そう、ですね……またいじめられるのかと考えると、どうしても……」
ぶるっと体が震える。どうしても過去のことを思い出すと、今でもこうなってしまう。
すると凪が唯の手を握った。
「あっ……」
とてもあたたかい手だった。突然握られたというのに、さらに震えることはなく、心すらもだんだんと落ち着いてくる。
「関わりたくなくなるのも、十分に分かる。それを知ったうえで聞いてもいい?」
「は、はい」
手の方に少し意識がいくが、返事を返す。
「今日、一条さんが勇気をだして自分の意見を伝えたあとの、クラスの反応はどうだった?」
唯の意見に賛同してくれた、みんなが笑顔になったときのことだ。
「……はじめは、私の意見を言っているときは、とても怖かったです。でも、みなさんが笑顔になってくれたこと。それは、本当に嬉しくて……」
凪は静かに唯の言葉を待つ。
「自分を隠さなくていいんだ、って、そう思えました」
唯が今の自分の気持ちを、しっかりとした意思をもって口にする。
その決意を聞き、凪は優しい笑顔を浮かべる。
「どうしてもね。中学の頃の一条さんや今の僕みたいな性格の人は、一定数からは妬まれちゃうんだ」
「はい。でも──」
「うん。それを気にするよりも」
「たくさんの人と笑顔に過ごす方が、よっぽど楽しそうです」
夕日が空を淡い橙色に照らす下で、唯の瞳にも勇気と決意の色があらわれていた。
「私、頑張ります。自分をわざわざ隠さずに、いろんな人との関わって、楽しく過ごしたいです」
周りの様々な生き物が唯の応援するかのように、優しい音色で合唱をしている。
「でも……」
「ん?」
唯の言葉に凪が視線を唯に向ける。唯も凪を見つめる。
「──また、私が悩んだり困ったりすることがあったら、凪くんを頼ってもいい?」
小さく首をかしげながら凪に尋ねる。
凪は急激に顔があつくなるのを感じ、顔をそらしながら口元を手で覆った。
「……もちろん、だよ」
夕日に照らされるだけではならないほど、耳まで赤くなりながらそう答える。
唯もうすうす自分のこと好きなのかな、と感じることがあったが、どうやら妄想による勘違いではなかったらしい。
それでもタメ口は少し恥ずかしかったが、そんな様子を見て唯は嬉しそうに、
「……うん」
と言い、大事そうに凪の手を少し強く握った。
◇◆◇
そうこうしていると、2人は唯の家にたどり着いていた。
「一緒に帰ってくれてありがとうございます」
「い、いや全然気にしなくていいよ。それじゃ、また明日」
唯と目を合わせることが恥ずかしいのか、そうそうに立ち去ろうとする。
「──凪くん」
その様子を見て、唯は凪に声を掛ける。
「ん? どうかし……って、ちょっ!?」
凪が唯の方へ振り返るとすぐに、唯が凪に抱きつく。
身長差もあって、唯は凪の胸に顔をうずめるようにして、自分の気持ちを口にする。
「──……今日はほんとにありがと。ほんとは、すごい怖かったけど、凪くんのおかげで頑張れた」
唯のその言葉を聞いて、凪は慌てるのを止め、唯を安心させるように優しく、ただ、もう一人にはさせないというように抱きしめ返す。
「……大丈夫だよ。どんなことがあっても、僕が助けてあげる」
「……うん。ほんとにありがと……!」
嬉しさやらあたたかさやら、様々なものを感じ、唯の感情がぐちゃぐちゃになる。凪の言葉を聞いて、嬉しさから涙が溢れてくる。
ただ、最後にこれだけは凪に伝えたかった。
「……凪くん」
「ん?」
「……大好き」
──夏はもう過ぎたというのに、小鳥だけでなく、蝉も鳴いている日のことだった。
FIN.
閃冰奏でる幻想曲 もかの @shinomiyamokano
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