第2話
体調は1日で落ち着いたが、心臓は鳴りっぱなしだった。
とはいえこれは、変なことを喋っていないか、気づかれていないか、などから来るものである。
凪に対していろいろ考えてしまったのも、微熱によるものだろう。
そもそも、唯は中学の一件から軽い人間不信に至っている。恋愛だの以前に友達というものにすら、少し不信感を抱いてしまう。
異性など、もってのほかである。
◇◆◇
土、日としっかり体も休め、また移り変わりのない学校生活が始まった。
いや、唯にとってはその『移り変わり』が命取りとなってしまうので、それでよかったのかもしれない。
先週は念には念をということで、部活は休みをもらった。
唯は美術部に所属している。とはいっても、部員は唯を含めて2人しかおらず、もう一人と唯は唯一といっていいほどの友達である。
そして、唯の秘密を知っている、ただ1人の生徒でもある。
今日も数ヶ月前に予習した範囲の授業を真面目に受け、放課後まで時間が流れた。
凪は以前と比べ、わずかだか話す機会が増えた。唯自身、『親しい関係』と言えてしまうほどには話さないだけであって、クラスの人とも当たり障りのない会話程度ならしていた。
しかし、同じように接しているはずの凪との会話は、唯にとって楽しく、そして心地よいものだった。
(人との会話を『心地よい』と感じるのは、いつぶりでしょう……)
太陽の優しい光と、心地の良いリズムで鳴り響く小鳥のさえずりを聞きながら、唯は美術室の扉を開いた。
中では、その光とさえずりに加え、筆を走らせる爽快な音楽も演奏され、1つのコンサートとして出来上がっていた。
「あっ! 唯ちゃーん!」
学校特有の少しうるさいが、それでいてどこか気持ちの良い扉のスライド音に気づいた
そして、優しく抱きつく。いつものことである。別に慣れたというわけではなく、唯もその行為は気持ちの良いものなので、受け止めているだけである。
「むぎゅ〜……唯にゃ可愛いし、いい匂い〜……一緒お風呂入る?」
「入りませんよ。描いてるときはあんなにかっこいいのに、なんでこうなっちゃうのでしょう……」
「大丈夫大丈夫。さすがにお風呂一緒に入るのは、唯ちゃん以外としかしないって」
「『以外とはしない』じゃないパターンあるんですね……。いや、それはそれで困るんですけども……」
たっぷりと唯から元気をもらった穂乃香は、やっと満足したのか離れていった。この状況だと、光とさえずりは穂乃香の心情を表しているかのようだ。
穂乃香はまた席に戻り、唯はセットを持って穂乃香の隣の窓際席に座る。
この時期は特に募集されているポスターなどはなく、穂乃香は両頬に人差し指を軽く当てる女の子のアニメキャラを描いていた。
描いている内容を知ると、あのコンサートと思ってしまったほどのかっこよさはなんだったのか。
とはいえ。
「やっぱり穂乃香さん、光の当て方上手いですよね……」
髪の艶に髪の影、服のしわの影などなど。さまざまな箇所に工夫をこなすことで、あたかもある箇所から光が当たっているように見える。穂乃香の得意な技法だ。
それに加えて、そもそもの技術が高く、よくコンテストで優勝を決めている。
「うぐっ……またさん呼びになってる……ちゃん呼びとタメ口にしてくれていいんだよ?」
「……穂乃香ちゃん、光の当て方教えて?」
「ふわあぁぁぁあああ! やっぱり最高だぁ! ぐへへ、同じ部活の私だけの特権……」
「気持ち悪くなってますよ穂乃香さん……」
「ぐはぁ……! こんなことするから敬語とさん呼びになるのかぁ……」
穂乃香はわざとらしくしょぼーんと肩を落とす。いつもこの調子なので、唯は特になだめることなくちいさく笑う。
そして、唯は前を向き、どこから手を付けようかと考える。唯は動物のデッサンを描くのが好きで、今は猫のデッサンを描こうとしていた。
しかし、どのような構図で書こうかと考えるも、なかなか思いつかない。
そんな時、唯はよく周りを見渡す。視界を変えることで、脳を活性化させたいという発想によるものだ。
何気なく、窓の外に目を向ける。雲一つない空が橙色から淡い水色にグラデーションされている下で、サッカー部が練習しているのが目に入る。
放課後も部活に打ち込む様子は唯と変わらないようにも思える。だが、自分のやりたいことを全力でやっているという点では、唯とは正反対であった。
「ん? 唯ちゃんどうかしたの?」
「いえ、なんでも──」
「……はっ! まさか──……」
穂乃香はなにかに気付いた様子で、口元に手を近づける。
(……そうでした。穂乃香さんは私の事情を知っていますし、今のでもしかしたら気づかれてしまいましたかね……)
気づかれたところでなにかに問題があるわけではないが、余計な心配をかけたくないのだ。
どう言い訳したものか、と考えていると、その結論にたどり着くより先に穂乃香が言葉を組み立てていた。
「まさか……サッカー部に好きな人いるの!?」
「……いつも通りの穂乃香さんで安心しました」
「ねえ、それ私バカにされてない……?」
唯はそんな様子に苦笑いする。
もしかすると、唯の気持ちに気づいていたのかもしれないが、わざわざ聞くなんてことはしない。
「でも、唯ちゃんモテるんだから、彼氏選び放題でしょー?」
「? 別にモテてませんよ?」
「え? うそ、気づいてないの?」
気づいてないもなにも、唯は久しく必要時以外で異性に声をかけられたことがない。もっとも、凪は除いてだが。
それだと言うのに、急にモテてるだの言われても思い当たる節がないのは当然のことである。
言われてみれば、視線を感じることもあった気もするが、それが異性かどうか判断することはできなかった。
中学時代までだったら、「今私のこと見てた?」くらいには声をかけていた。
高校でも同じような目に遭いたくない唯が、判断するなんて不可能であった。
「あぁ〜、氷姫って呼ばれてるくらいだし、異性に興味なんてないのかぁ……」
「……別に、興味がないわけでは、ありませんけど……」
「ほぉー? 最近凪くんとの距離が近いのも、もしかしてそ・う・い・う?」
「へっ……!?」
まさか穂乃香から凪という言葉を聞くとは思っておらず、唯は変な声を出してしまう。
「ち、違います。あれは私の事情に勘付きはじめただけで、好きとかそういうのでは……」
「あれ? 私、『好きなの?』って聞いたっけ?」
「ほとんど聞いたようなものでしょう!!」
唯が慌てる様子を見て、穂乃香はニヤける。笑うのではなく、明らかにニヤけている。
「いやーでも、凪くんを好きになっちゃう気持ちもよく分かるな〜。イケメンだし、優しいし、頭も良くて運動もできる……あれで彼女いないってさすがに優良物件すぎるよね〜」
「だからそういうことでは……」
「それに」
そう言って穂乃香は唯に手を伸ばす。唯がその侵攻を止めるよりも前に、穂乃香の手が唯の顔、ではなくメガネに届く。
そして、あくまで優しくそのメガネを取った。
「唯ちゃんもこーっんなに可愛いし、凪くんの気持ちも分かるなぁ」
「凪さんはただ私を心配してくれただけですって……」
「にしし。ま、そういうことにしておいてあげようかな」
「もう……」
穂乃香はメガネを唯に返す。そこで雑談は途切れ、お互い部活に集中する。
(そうだ。海を描きましょうか。波の一切ない綺麗な海を書いてみたいです)
穂乃香は唯が絵に集中しだしたのを確認してから、こっそりとチャットアプリを起動する。
(えぇーっと……凪くんに……「もう一押し♡」っと)
小鳥のせせらぎの大合唱の中、一通のメールがその歌にのって凪に届けられたのだった。
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