day10 散った(夜に咲く花)
学校が休みの日は、朝からミヤコ屋にいるのが
宿題は大抵、学校から帰ったらすぐ終わらせてしまうので、休みの日は一日が自由時間だ。
本を読んでいることが多いが、塗り絵をしたり、人形と遊んだりすることもある。一人遊びは朝恵の得意なことであった。
この日は、図書館で借りてきた本を読んでいた。普段読む系統とは違う、歴史の人物を描いた本だ。最初はちょっと難しく感じたが、読み進めてみると面白い。ページをめくる手にも、熱が入っていた。
「朝恵。ちょっといい?」
夢中になって本に没頭していたら、母が店の方から呼んでいる声がした。
「はーい」
本にしおりを挟んで閉じると、朝恵は立ち上がる。靴を履いて店の方に行くと、回覧板を手にした母の姿があった。
「朝恵。これを
「いいよ。おにいちゃんにわたしてくるね」
母の手から回覧板を受け取ると、朝恵は店を出た。そしてすぐ隣の清遊堂に行くと、この暑い日にもひんやりして感じる扉を開ける。
「いらっしゃいませ。――ああ、朝恵ちゃんか」
「こんにちは、おにいちゃん。かいらんばんです」
「ありがとう。――朝恵ちゃんはいつも手伝い熱心だな」
朝恵の小さな手から回覧板を受け取った
「この時期は毎度ながら多いな、連絡が」
ボールペンで回覧板に何事か書き込み、中から紙を一枚抜き取りながら、真雅は呟く。――言われてみれば、夏と、あと年末年始前は回覧板を清遊堂に持って行くことが多い気がする。きっと、商店街の大事な連絡が多いのだろう。
「――そうだ。朝恵ちゃんは花火をするか?」
引き出しから飴を出しながら、真雅が朝恵の顔を見た。
「花火? ときどきしてるよ」
「そうか。それはいい。――これも持って行ってくれ」
真雅は椅子から立ち上がると、朝恵に飴と、花火のセットを手渡してくれた。
「――おにいちゃん。これ、わたしがもらってもだいじょうぶなの?」
「構わないぞ。俺様は花火をしないからな。朝恵ちゃんが遊んでくれれば、丁度良い」
「ありがとう、おにいちゃん!」
朝恵は花火のセットを抱きしめると、真雅に頭を下げた。
「もし花火の相手がいなければ、俺様付き合うくらいなら構わないぞ」
「ほんとう? わたし、おにいちゃんと花火、したいな」
「それなら、ご両親に聞いてきたらいい。今日、裏で花火をしていいかと。許可が出たなら、裏から呼んでくれれば、俺様は出て行くからな」
「うん。わたし、そうするね」
早く両親に、花火で遊んで良いか聞いてこなければ――
弾む足取りで、朝恵は清遊堂を出たのであった。
両親はあっさりと花火で遊ぶ許可をくれた。何でも今日は遅くまで用事があったとかで、どうしようかと悩んでいたのだそうだ。大人である真雅が付き添ってくれるというのも、ポイントは高かったようだ。
早く夜にならないかな。塗り絵をしながら、朝恵は外が暗くなるのを待った。
「おとうさん、おかあさん。花火、してくるね」
「行っておいで、朝恵」
「清遊堂さんにあまり迷惑をかけないようにね」
両親に声をかけてから、朝恵は裏から外に出る。
清遊堂の裏――真雅の家のインターホンを鳴らそうとその前まで行こうとしたら、そこに人が立っているのに朝恵は気付いた。艶やかな短い黒髪をオールバックにした、スーツ姿の男の人だ。学校の先生に服装は似ているが、まとう雰囲気は全然違う。
「おや。小さなお嬢さんだ」
男の人も朝恵に気付いたのか、少し屈むと朝恵と視線を合わせた。その黒い瞳は穏やかで、口髭を生やした口元は笑んでいて、全体的にどこか柔らかな雰囲気の男である。
「どうしたのかな? こんな時間に。迷子だったら大変だ」
「花火をしにきました。おにいちゃんをよびにきたの」
「――ああ。なら君が朝恵ちゃんか」
「おじさん、どうしてわたしのなまえをしってるの?」
このおじさんに会うのは、間違いなく初めてだ。初対面のおじさんが自分の名前を知っていたので、朝恵は面食らった。このおじさんは何者なのだろうか?
「ああ、君をびっくりさせてしまったようだね。私は君のことを、あらかじめ聞いていたのだよ。ジェフ……」
「? だれ、その人?」
「じゃなかった、ここでは真雅か。まあ、この家の主にだよ」
「おじさんは、おにいちゃんのしりあいの人なんだ」
それにしては、真雅の名を呼ぶときに、別の名を呼ぼうとしていたのは不思議だったが。もしかしたら、真雅のあだ名だったのだろうか。
「朝恵ちゃんが彼を呼んでやってくれるかな? 私が呼ぶよりもいいだろう」
おじさんがインターホンを示してくれたので、朝恵はインターホンを押した。すると程なく真雅が、家の中から出てくる。真雅は水を満たしたバケツとマッチ、そして蝋燭を用意していた。
「君。花火に蝋燭とマッチなのかね」
「悪いか、ラン。生憎俺様、ライターは持っていないからな。――いらっしゃい、朝恵ちゃん。すぐに火を準備するからな」
真雅はおじさんのことをランと呼んだ。きっとそれが、おじさんの名前なのだろう。
「おじさんは、ランってなまえなの?」
「何だ、ラン。お前は外で朝恵ちゃんに出会っておきながら、自己紹介もしていなかったのか?」
「ついさっき、朝恵ちゃんに出会ったばかりだからね。――そうだよ。私は
「じゃあ、ランおじさんってよんでもいい?」
「勿論だとも」
嵐はにこりと笑んだ。笑うと目尻が下がって、いっそう柔和な印象になる。
朝恵が嵐と喋っている間に、真雅は火の準備をしていた。蝋燭を立てて、マッチで火をつける。火が灯ると、ほんの少し辺りが明るくなった。
「火が準備出来たぞ。風も吹いていないから、絶好の花火日和だな」
真雅に促されて、朝恵は花火の封を切る。花火セットには、色んな種類の花火が入っていた。朝恵が見たことのない花火も、中にはある。
「ねえ、おにいちゃん。これも花火?」
「どれだ? ――ああ、ネズミ花火か。それも花火だぞ。――こうやるんだ」
真雅は朝恵の手からネズミ花火を受け取ると、火をつけた。するとその花火は、地面を素早く回転しながらくるくると動いていく――
「すごい……こんな花火、わたしはじめてみた」
「そうだったか。――他の花火はわかるか?」
「うん。だいじょうぶだよ、おにいちゃん」
朝恵は一本花火を取ると、先端に火をつけた。吹き出す炎は赤に、白にといろんな色へと変わっていく。これはおなじみの花火だ。
「たまにはこうして手持ち花火を見るのもいいねえ。打ち上げ花火とはまた違った、趣があるよ」
「そうだろう? だからお前を呼んだんだ」
「そうだったのかね? ありがとう。しかし、朝恵ちゃんにとって君はお兄ちゃんで、私はおじさんなんだね。君の方が、私よりほんの少し年上なのに。……髭のせいかな」
「そう感じたのなら髭を剃ればいいだろ、ラン」
「それは断るよ。せっかく綺麗に整えているのだからね」
真雅と嵐は並んで親しげな様子で話し込んでいる。多分嵐は、真雅の友人なのだろう。花火をしながらそっと真雅の顔を窺い見ると、真雅の黄色い瞳はいつもよりも生き生きとしていたから。
花火は綺麗だが、すぐに終わってしまう。一本花火が終わるたびに、朝恵は真雅の用意してくれたバケツの中に、ちゃんと花火を始末した。花火はこうしてしっかり始末しないと、火事になる危険性があるのだと、朝恵は両親にしっかりと教えられているのだ。
「あれ、朝恵ちゃん。線香花火はしないのかね?」
「するよ。いちばんさいごにするの、ランおじさん。わたし、せんこう花火がいちばんすきなの」
「そうだったのか。――線香花火は風情がある。あれは、俺様もなかなかだと思うぜ」
いよいよ最後の線香花火になった。
朝恵は手に持った線香花火に、そっと火をつける。
線香花火は、夜の闇の中に小さな花を咲かせて、輝いた。オレンジの、刹那の輝きだ。この小さな光が、朝恵は花火の中では一番好きなのだ。
「きれいだね、おにいちゃん、ランおじさん……」
「ああ……」
「この美しさはまさに夏の、風物詩だね……」
線香花火は闇の中に花を咲かせて、そして、あっという間に散っていった。
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