day9 ぱちぱち(プールの後はしっかりと)

 夏の授業の定番というと、プールだろう。


 十分に暑くなっていたので、朝恵ともえの通う小学校でもプールの授業は始まっていた。


 といっても、小学一年生の朝恵が受けるプールの授業というのは、ほぼ水遊びであったが。


 水着になって、しっかりと準備運動をしてから、プールに入る。無条件に冷たい水は気持ち良く、暑い日のプール授業は皆に歓迎されていた。


 朝恵も例外ではない。学校の友達らと共にプールへと入ると、ビート板を使って遊んだり、水をかけあったりしたりと、目一杯楽しむのが常であった。





 プールの授業は好きだが、目が痛くなるのだけは難点だ。


 授業の後は目をよく洗うわけだが、この目を洗うのにも朝恵はまだ慣れていないときた。


 変わった形の蛇口をひねって、目を洗う。ぱちぱちと、瞬きをして。


 よく目を洗いなさいと学校の先生は言うので、朝恵なりにしっかり洗っている――つもりではある。


 更衣室へと帰って、タオルで顔を拭くと少しほっとした。


 目がまだ少し痛いのは気のせいということにして、朝恵は着替えを済ませる。


 しっかり運動をしたので、お腹も空いた。今日の給食も楽しみだねと友達と話しながら、朝恵は教室へと帰っていくのであった。





 給食を食べると、小学一年生はもう下校時刻だ。


 まだほんの少し痛い気がする目をこすりつつ、朝恵はミヤコ屋への道を歩く。


 今日はよく遊んだから、いつも以上に疲れている。宿題をやり切ったら、眠ってしまいそうだ。


 もう少しでミヤコ屋の裏口だ、というところで見知った人影が前を歩くのに朝恵は気付いた。ウェーブのかかった艶やかな黒髪と、すらりとした長身――真雅しんがだ。


「おにいちゃん!」


 朝恵はその背に呼びかけると、走り出す。


「――朝恵ちゃんか。お帰り」


 足を止めてくれた真雅は、朝恵の方を振り向くと鮮やかに笑んだ。


「おにいちゃんは、どこかにお出かけだったの?」


「ああ。用事があって、知り合いの家に行ってきたところだな」


 真雅の知り合い。朝恵にとっての、学校の友達のような存在なのだろうか。気にはなるが――少し立ち入りすぎていて、これは聞いてはいけないことだろう。


「それより――朝恵ちゃん、目はどうした?」


「目?」


「……随分と赤いぞ。目をこすりすぎていないか」


 それはそうかも知れない。今日はプールの後、目が痛いのがずっと続いていて、目をこすっている時間も長い気がする。朝恵は素直に頷いた。


「――そうか。プールの後は、しっかりと目を洗わないといけないぞ。病気になる」


「そうなの、おにいちゃん?」


「ああ。――そこまで赤くなっていたら、目薬をした方がいいだろう。ご両親に目のことを話して、目薬を買ってくるんだな」


「……わたし、目ぐすりにがてなの」


 どうにもあの、目の中に液体が落ちてくるのが怖くて、朝恵はうまく目薬をさせないのだ。それを聞いた真雅は低い声で笑った。真雅が声をたてて笑うのは、珍しい。


「苦手でも、もっと酷くなって病院に行くよりはいいだろう。それとも、朝恵ちゃんは病院が好きだったか」


「ううん。びょういんにはいきたくない」


「なら、しっかり目薬をするしかないな。――どうしても自分で目薬をするのが無理なら、俺様がさしてやっても構わないが」


「……だいじょうぶ。一人でがんばれるから」


「そうか。――それなら、早く目薬を買ってくるんだな」


 真雅が長い指で、ミヤコ屋の裏口を指す。朝恵は真雅に頭を下げると、店の中に入っていった。





 ――朝恵の顔を見るなり、両親にも真雅と同じ事を言われた。これは、目薬をしないといけないと。両親曰く、結膜炎になりかけているのだそうだ。


「朝恵。一人で買いに行ける?」


「だいじょうぶだよ、おかあさん」


「子ども用の目薬よ。あと、これ以上目をこすらないようにね」


「はーい」


 母から小銭入れを受け取ると、朝恵は商店街の薬局へと向かった。目をこすりたくなるのを、我慢しながら。『千草ちぐさ薬局店』は彩花商店街あやはなしょうてんがいの一番街にあった。


「いらっしゃい。あら、ミヤコ屋のお嬢ちゃん。何が欲しいの?」


「子ども用の目ぐすりをください」


「ああ、その目ね。――はい、これね」


 代金を支払って、目薬を受け取る。朝恵も見ているキャラクターの絵が入っているパッケージが可愛い目薬だった。


 ミヤコ屋に戻ると、目薬とひとり奮闘を開始する。頼れば真雅がさしてくれると言ってくれていたが、そこまで迷惑はかけられない。


 上を向いては、何度も躊躇ためらってやめることを繰り返した。――やはり怖い。でも、病院はもっと嫌だ。


 意を決して、朝恵は上を向いて目薬をさした。こすりすぎた目に、目薬はすごく染みる。思わず更に目をこすりたくなったが、それを何とかこらえて、目をぱちぱちとする。片目が無事に済んだら、もう片目にも頑張って目薬をさした。


「いたい……」


 目薬が想像していた以上に、染みて痛い。――どうしてプールに入っただけで、目がこんな風になるんだろう。毎朝、洗面所の水で顔を洗ったりしても何ともないのに。プールの水は、家の水道の水とはまた違うものなのだろうか。


 今度、両親に聞いてみよう。もし両親がわからなくても、きっと真雅に聞いたら知っているはずだ――。


 小さな欠伸をすると、疲れきった朝恵は畳の上に横たわって、寝息を漏らし始めたのだった。

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