day4 アクアリウム(浮かび上がる魚たち)
その本は、家のお使いで訪れた本屋『
「わあ……」
雑誌の中には綺麗な魚がたくさん、載っている。メダカもいたし、もっと色鮮やかな魚もたくさんいた。水槽の中も綺麗に整えられていて、それは学校の教室にある水槽とは全く異なるものであった。
「おや、ミヤコ屋のお嬢ちゃん。その雑誌が気になるのかな?」
「うん。おじさん、これはなんの本なの?」
「それは、毎月出ているアクアリウムの雑誌だね」
「アクアリウム?」
「アクアリウムというのは、その雑誌に載ってるみたいな綺麗に整えられた水槽で、魚とかを育てるもののことだよ。小さいのだとそんなに場所も取らないみたいだね」
「そうなんだ。――わたしにも、できるかな?」
「もう少し大きくなったら、お嬢ちゃんにも出来るんじゃないかな」
大きくなったら出来るのか。大きくならないと出来ないことはたくさんある気がしてならない。そのたび朝恵は思うのだ。早く大きくなりたいと。
「じゃあ、もうすこし大きくなったらやってみるね。ありがとう、おじさん!」
「またおいで、お嬢ちゃん」
朝恵は本屋を出ると、ミヤコ屋に向かって歩き出した。お使いで買った本を忘れずに持って。
もうすぐ七夕ということで、笹に飾られた短冊は溢れんばかりになっている。この賑やかな光景が、商店街の大人達と同様に、朝恵も好きだ。何となく、わくわくしてくるから。
「おとうさん、おかあさん。ただいま!」
「お。お帰り、朝恵」
「はい、おとうさん。本、うけとってきたよ」
「ちゃんと出来たな。ありがとう、朝恵」
朝恵の父は、タオルで汗を拭いてから朝恵の頭をその大きな手で撫でた。奥から朝恵の母が出てきて、にこりと笑う。
「おやつが奥に置いてあるから、食べてらっしゃい」
「はーい!」
朝恵は奥の部屋に駆けていく。手を洗いに行きながらテーブルの上に視線をやると、水ようかんが置いてあった。
「――いただきます」
テーブルの前に正座して座り、手を合わせてからフォークを手に取った。
水ようかんはよく冷えていて、甘くて美味しい。朝恵の好きなおやつのひとつだ。
「ごちそうさまでした」
食べ終わるとフォークを置いて、皿を洗い場に下げた。
これからはいつもの自由時間だ。家から持ってきた本を読もうかと思ったが、さっき見た雑誌のことが頭から離れない。
「うちにもアクアリウム、ほしいなあ」
両親にお願いしてみようか。朝恵は靴を履くと、店の表に出ていった。
「あら? 朝恵、何かあった?」
「ううん。――ねえ、おかあさん。うちにもアクアリウムがほしいの。だめ?」
「アクアリウム? うーん……朝恵がもう少し大きくならないとねえ。一人でお世話しきれないでしょ?」
母は眉を曇らせた。そこに父もやってくる。
「どうしたんだ?」
「あのね、おとうさん。わたし、アクアリウムがほしいの。……だめ?」
父も腕を組んでうーんと唸った。――これは、どうも駄目そうだ。
「あのな、朝恵。朝恵がもう少し大きくなって、自分で全部世話が出来るようになったら、父さん別にそれくらいしても構わないと思ってる。でも、まだ朝恵は小さいだろう?」
「……うん」
小さな手。小さな身体。――まだ小学校に入ったばかりの、自分。
「だから、もう少し待ちなさい。いいな?」
「……うん」
「よし。わかればいいんだ」
「そうよ、朝恵。今すぐには駄目なだけで、いつかはやってもいいんだから」
でも、本当は今すぐやってみたい――その言葉を、朝恵はぐっと飲み込む。
「うん。……おとうさん、おかあさん。ちょっと、ひろばまでいってきていい?」
「それなら構わないぞ。気をつけて行っておいで」
両親に見送られて、朝恵は店の外に出た。
七夕のお願い事をしに行こう。アクアリウムが欲しいのだと。
朝恵は人で賑わう商店街をひとり、歩き出した。
広場に着くと、短冊を一枚貰った。色は、黄色にした。黄色は、お兄ちゃんの瞳の色――朝恵の好きな色だから。
「アクアリウムがほしいです さいとうともえ」
習ったばかりのひらがなとカタカナで、頑張って書いた。
そして、いざ短冊をどこかに吊そうと思ったのだが、朝恵の手が届く位置はもう一杯で、短冊を吊す隙間がどこにも無い。
どうしよう。短冊を手に、しょんぼりしていたときだった。
「どうした、朝恵ちゃん? 短冊か?」
「おにいちゃん」
声のかけられた方を向くと、
「おにいちゃんも、おねがいごとをかきにきたの?」
「いや。俺様は事務所の用事だな」
広場の奥に、商店街の事務所がある。朝恵はまだ、そこが何をする場所なのかはよくわかっていないのだが。
「それで、朝恵ちゃんは何故そんなにしょげているんだ?」
「あのね。たんざくをつるせないの」
「なるほどな。――俺様にそれを貸してみな」
朝恵は真雅に短冊を渡す。すると、真雅は笹の一番上のところに朝恵の短冊をいとも容易く吊してくれた。
「――ありがとう、おにいちゃん!」
「朝恵ちゃんが喜んでくれたなら、俺様何よりだ。――帰るか」
「うん!」
朝恵は真雅と一緒に歩き出した。
歩く道々、いつものように話をする。
「あのね、おにいちゃん。おにいちゃんは、アクアリウムをもってる?」
「アクアリウムか。それは俺様も持っていないぞ」
「そうなの。……わたしね。アクアリウムがほしいの。でもおとうさんもおかあさんも、もう少し大きくならないとだめだって」
「そうか。――それは、ご両親の言うのにも一理あるな。やはり一人で水槽のお世話が出来ないとな」
「そうだよね……」
お兄ちゃんもアクアリウムは持っていないし、両親同様にまだ早いと暗に告げていた。まだ小さいのが、とても歯がゆい。
「アクアリウムそのものは見せてやれないし、朝恵ちゃんがすぐにアクアリウムを持って良いとも言えないが――それに代わる物なら、俺様すぐに見せてやれるぞ」
「ほんとう?」
「ああ。――ミヤコ屋に戻る前に、ちょっと
「うん!」
お兄ちゃんがアクアリウムじゃないけど、何かを見せてくれるという。
何を見せてくれるのだろう。少しずつ、わくわくしてくるのを朝恵は抑えられなかった。
「ここで少し待っていてくれ」
ひんやりした清遊堂の店内で、朝恵は真雅が戻ってくるのを待った。
このお店の中は、いつもほんの少しひんやりとしている。置いてある品物のためだと、前に真雅は教えてくれた。骨董品屋さんもいろいろと大変なことがあるようだ。
「待たせたな、朝恵ちゃん」
「ううん。そんなにまってないよ、おにいちゃん」
真雅は大きな鉢を手に持っていた。お料理を盛り付けるには、少し大きく感じるほどの鉢だが、それ以外に変わっているところは無さそうに思える。
「いいか。この鉢の中を見ているんだ」
朝恵が鉢の中をじっと見つめているところに、真雅は水を注ぎ入れた。
すると、変化が現れた。――鉢の中に花が浮かび上がり、そこに流麗な魚が泳いでいるのだ。
「おにいちゃん、これ……!」
「これは俺様の私物だな。アクアリウムではないが、こうしてやれば魚が泳ぐ。いいものだろう?」
とても、綺麗だった。――雑誌の中のアクアリウムとは全然違うが、これもまた、美しい。
「すごいね、おにいちゃん。このはちには、さかながすんでいたんだね」
「そうだ。――またいつでも、これでよければ見せてやろう。だから、今はご両親に従って、本物のアクアリウムはもう少し、辛抱だな」
「うん。わたし、大きくなるまでまつね」
しょんぼりしていた気持ちも、気付けば綺麗に消えていた。鉢の中に浮かび上がってきた、魚たちを見ているうちに。
「おにいちゃん。もうすこし、みていてもいい?」
「勿論だ。好きなだけ、見ていればいいぜ」
真雅が持ってきてくれた椅子に座って、朝恵は飽くことなく器の中に泳ぐ魚たちを眺めた。
浮かび上がる魚や花は、生きてはいないはずなのに、とても活き活きとしているように朝恵には思えたのであった。
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