day3 飛ぶ(少し悲しい音の意味)
その日も、
今日読んでいるのは、公共図書館で借りてきた本だ。可愛い表紙に惹かれて手に取った本である。中身はというと、おまじないや占いをテーマにした物語のようだった。
「うらないって、こんなにかんたんなのかなあ」
物語の主人公達は容易く試しているようだったが、朝恵はそういうおまじないや占いの類のことはひとつも知らなかった。朝恵はまだ小さいからだろうか。
「朝恵。今日も熱心ね」
そこに母が顔を見せた。手に何かを持った。
「うん。本ってとてもおもしろいから」
朝恵がそう答えると、母は微笑んで頭を撫でてくれた。
「たくさん本を読むのは良いことよ。朝恵の好きなだけ、読みなさい。――でも外でもちょっとは遊びなさいね。これをあげるから」
母は朝恵に、手に持っていたものを渡してくれた。それはシャボン玉のセットだった。
「わあ。いいの、おかあさん?」
「勿論よ。朝恵が遊ぶだろうからって、わざわざいただいたものなんだから」
「ありがとう、おかあさん!」
シャボン玉をするのは久し振りだ。朝恵は靴を履くと、裏口から外に出た。
外は今日もよく晴れていた。
付属のストローをシャボン液に浸すと、ふうっと吹き出す。すると虹色のシャボン玉が、たくさん空に舞った。
シャボン玉はきらきら輝いて綺麗だが、すぐに弾けて壊れてしまう。そこがちょっと寂しいと、朝恵は前から思っていた。シャボン玉ももっと長持ちしたらいいのにと。
物悲しいといえば、シャボン玉の歌もそうだと朝恵は感じている。シャボン玉がすぐに壊れて消えてしまう歌。歌詞もどこか悲しいが、そのメロディもまた、ほんのりと寂しさを感じさせると。一体何故、あんなにシャボン玉の歌は悲しそうに感じるのだろう? 朝恵の両親に以前尋ねてみたことがあるが、二人ともその理由は知らないとのことだった。
「誰かが外にいる気がしたが、朝恵ちゃんだったか」
そのとき、朝恵の背に声がかけられた。振り返ってみると、そこにはバケツを片手に提げた
「あ、おにいちゃん。こんにちは。――きょうもうち水をするの?」
「ああ。そろそろ、良い頃合いだと思ってな」
真雅は水をさっと撒く。空気がひんやりとしてくるのは、やはりとても心地良い。
「うち水にいいじかんとか、そういうのもあるの?」
「あるな。夕方前が丁度良い。昼の最中みたいな暑い時間帯だと、すぐに水が蒸発して余計に暑くなるだけだ」
「そうなんだね」
いつも感じることだが、真雅はよくものを知っている。――もしかしたら、シャボン玉の歌のことも知っているだろうか?
「あのね、おにいちゃん。ちょっときいてもいい?」
「ああ。朝恵ちゃんは俺様に何を聞きたいんだ?」
「わたしね。シャボン玉をしてたの。シャボン玉はきれいだけど、すぐにこわれちゃうでしょう?」
「そうだな。壊れにくいものもあるが、普通のはすぐに弾けてしまうな」
「こわれにくいシャボン玉もあるの?」
「あるな。――でも、朝恵ちゃんの聞きたいことは、これではないだろう?」
「うん。シャボン玉のうたのことなの」
朝恵は真雅に語った。シャボン玉の歌のことで、前から疑問だったことを、全て。
「まえからわたし、ふしぎだったの。どうしてシャボン玉のうたは、すこしさみしそうなのかって。おにいちゃんは、そのりゆうをしってる?」
真雅は少し考える風をしたが、ひとつはっきりと頷いた。
「――知っているな」
「ほんとう? わたしにおしえてくれる?」
「俺様教えてもいいんだが――少し辛い話になるぞ。それでも朝恵ちゃんは構わないか?」
少し辛い話。――どういう、話なのだろう。
でも知りたかった朝恵は、真雅に向かって頷いてみせた。
「うん。わたし、しりたい」
「わかった。朝恵ちゃんがそこまで言うのなら。――あの歌は、今よりも少し昔の時代の状況を反映していてな。シャボン玉を、歌詞を作った人の赤ちゃんに例えた歌なんだ。……生まれてすぐに、儚くなってしまった、な」
「……はかなくなった?」
「ああ、朝恵ちゃんには難しい言葉だったな。――儚くなった、というのはこの世を去ってしまった、ということだ」
この世を去ってしまった――つまり、赤ちゃんは……
朝恵の重い沈黙を、話を理解したと取った真雅は、更に話を続ける。
「だから、最後に続くだろう? ――生まれてすぐにシャボン玉を消してしまうような風は、吹くなと。あの歌が少し悲しそうに聞こえるのは、そんな理由だったんだ。朝恵ちゃんがあの歌を寂しい歌だと感じたのは、良い感覚だな」
「そうだったんだ……」
真雅の話を聞いているうちに、目元にうっすら透明なものが滲んできた。それをぐっと拭ってから、朝恵はまたストローを吹く。虹色に煌めきながら、空へと飛んでいくシャボン玉たち。――これからは前にもまして、風が吹かずに長い間飛んでいけと願うことだろう。
「シャボン玉、きれいだね……」
「ああ、そうだな――」
青空を舞うシャボン玉は、あの歌の少し物悲しいメロディを思わせることなく、きらきらと輝いていた。
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