即席ゾンカ・レッスン

 ブータンの公用語はゾンカと英語の2つで、機内アナウンスも両方の言葉で流される。ゾンカは「ゾン(城)の言葉」を意味する現地語である。

 私にとって海外旅行の楽しみのひとつは現地で現地語を使うことなので、ゾンカも少しくらいは学んでおきたいと思っていた。もちろん、せいぜい2、3個のフレーズを丸暗記する程度なのだが、それでも旅行先で通じると旅の楽しさが倍増する。

 そのためにゾンカの会話帳を購入したのだが、困ったことに発音がよく分からない。こうなると頼みの綱はインターネットなのだが、私の検索の仕方がまずいのか、探してみてもゾンカ学習用の動画がほとんど見つからないのだ。結局、私に覚えられたのは簡単なあいさつ言葉と1から10の数字、それと「コーヒーをください」である。

 機内食が配られた際に私はさっそくゾンカを試してみた。「コーヒーをください」の応用で「コーラをください」とゾンカで言うと、コーラと一緒にゾンカがたくさん返ってきた。

 言葉が通じたのは嬉しかったが、相手の言っていることがまるっきり分からずぽかんとしていると、客室乗務員は英語に切り替え「どこで働いているの?」と私にたずねてきた。質問の意味が分からずに聞き返すと「あら、ブータンで働いているのかと思ったわ」と言われた。なるほど、観光客はゾンカを話さないというわけだ。

 ダッカからの乗客のひとりが最後部座席に座ったが、スーツを着たこの男性は見たところブータン人のようだ。渡りに船とばかり、私はゾンカの会話帳を片手に、ゾンカを教えてくれないかと、この男性に話しかけると、もちろん! と笑顔で快諾してくれた。

 こんにちは、クズザンポー。ありがとう、カーディンチェ。

 おや? 「ありがとう」は「カーコンチェ」だと思っていたが、どちらも同じ意味なのだろうか。

「いや、全然違うよ。『カーコンチェ』は「のどが渇いた」という意味」

 あぶない、あぶない。間違って覚えていた。ブータンの旅行中、やたらと飲み物を欲する変な人になってしまうところだった。

 「こんにちは」や「ありがとう」に限らず、ゾンカでは文末に「ラ」を付けると表現が丁寧になる。日本語のです・ますと同じである。しかし、私はこの「ラ」をついつい付け忘れてしまう。

 ダッカから最終目的地のパロまではわずか45分ほど。まもなく高度が下がり始めるというアナウンスが流れ始めたところで、私は男性に「大変ありがとうございました」とゾンカで言って自分の席に戻った。「大変」という表現を身に付けたのがこのレッスンの成果のひとつである。

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