第3話
執務室にペンを走らせる音と、時折苛立ちに任せたようなドンッという印の押される音がする。
無駄な会話のない静かなこの執務時間はいつもと同じことだが、今日はただ静かなだけではない。
レオフェルトの顔にはいつにも増して恐ろしく、冷たい表情が貼りついており、そんな彼の顔を見つめるライアンの顔も険しい。
「…お前も何か文句があるのか」
レオフェルトが書類から視線を上げ、凍てつくような目でライアンを見る。
ライアンはその視線をじっと受け止め、厳しい口調で言った。
「ご自身が一番良くわかっているでしょう」
ライアンの責めるような言葉に、レオフェルトはペンを置き、椅子に背を預けて机の前に立つ男を睨み上げる。
「その件なら覆す気はない」
「…一体どうしたんだ、君らしくない。これはただの職権濫用だぞ?わかってるのか?」
思わず立場を忘れ、敬語が抜ける。
ライアンのその真摯な眼差しを、レオフェルトは少しバツが悪そうに逸らした。
今朝出勤して早々、レオフェルトは食堂に行くと言うので、ライアンは一体何の用かと不審に思いながらも、いつものようにそのすぐ後ろを付いて行った。
向かった食堂で、レオフェルトは
そして一方的に告げたのである。
「貴様はクビだ。出て行け」
そう冷酷に告げ、レオフェルトはすぐに去って行った。
告げられたララはもちろん、厨房のコック達も、ライアンも、誰もが状況を飲み込めず、暫く動くことができなかった。
そして事態に気付き、厨房は徐々に喧騒に包まれていく。
誰しもが横暴だ、不当解雇だ、人種差別だと口々にレオフェルトを罵った。
ライアンはレオフェルトに怒鳴り込もうとする者たちを何とか押さえ込み、自分が何とかするとその場をひとまず鎮めたのだった。
いつもレオフェルトに何を言われてもにこやかに対応していた彼女も、さすがに戸惑った表情を浮かべていた。
そんなララに、ライアンは掛ける言葉が見つからなかった。
「きっと話は今日中には隊舎中に広まってるぞ。君の悪評と一緒に」
「…肌の色が理由ではない」
「あぁ、そうだろう、わかってるさ。だが世間はそうは思わない。わかってるだろう?」
ララには間違いなく異国の血が混ざっている。あのブロンズの肌が、何よりの証拠だった。平均的な彼らの肌の色に比べると、幾分か薄いララの肌色は、恐らく別の血も混じっているのだろう。この辺境の地では特段珍しいものでもない。
彼ら異国の民は、褐色の肌に黒い瞳を持つ者が多い。
そして男性は大柄で筋肉質、女性は肉感的でグラマラスな体型が特徴的だった。
対してこの国では、白い肌に青い瞳、男女共にすらりとした細身の者が多い。
両者は余りにも顕著に対照的だった。
そんな彼らが都ではまだまだ珍しい存在で、偏見の目で見られているのは想像に容易い。
人は自分と異なるものを警戒し、排除しようとする。
最もらしい正論をかざして自分たちの行いを正当化し、その威厳を保とうとする。
それが、却って自分達の弱さを晒しているとは気付かずに。
元々この国は閉鎖的な国で、他国民の受け入れには消極的だった。
しかし20年ほど前に猛威を奮った流行病によって都の人口が激減したのを機に、徐々に労働力として彼らは受け入れられるようになった。
彼らの病に負けぬ丈夫で逞しい肉体は、あらゆる場面でその力を求められ、国の再建に大きな功績を残したと言っても過言ではない。
そんな彼らのことを認め、受け入れ、協力し合って行くべきだと言う声が徐々に高まりつつある。
異文化に寛容な若者の間では、健康的なその褐色の肌が魅力的だと言う者もおり、あえて自身の肌を小麦色に染める者もいると聞く。
しかしそうした徐々に受け入れようとする社会の動きの中で、頑なに変化を恐れる者たちがいた。
そう、問題は、特に貴族社会ではそれが顕著なことにある。
今回のレオフェルトによるララの解雇は、明らかに肌の色による差別だと思った者も多いだろう。
名門貴族の子息が、ブロンズ肌の娘を解雇した。
そこに例え正当な理由があっても、きっと文句を言う者はいた。だが、今回のケースはライアンもレオフェルトを庇い切れないと溜め息を溢す。
それ程までに、この問題は今社会ではデリケートなものとして扱われているものだった。
それゆえに、普段の冷静なレオフェルトであれば絶対にしないような行動だと、ライアンは思った。
「レオ、ちゃんとララちゃんと話せ」
「っ、」
言ったライアンの言葉に反論しようとするレオフェルトを目で制し、ライアンは続ける。
「少なくとも彼女には、理由を知る権利がある。これは友としての助言だ。…君の過去に、ララちゃんを巻き込むな」
レオフェルトはうな垂れたように肘を付いた片手の平に額を落とすと、俯いて何も返さなかった。
*
控えめなノックの音が室内に響く。レオフェルトはその音に、体がずっしりと重くなるのを感じた。
対応したライアンが扉を開け、中に人を招き入れる。
Tシャツにデニム姿のララが、おずおずと中に入ってきた。
「俺はしばらく外すが、聞きたくない話ならすぐに立ち去ってくれていい。ララちゃん、我慢はしなくていいから」
優しく彼女の肩に触れて言ったライアンに、ララが頷いて返す。
ライアンは優しく微笑むと、そっと扉を閉めて部屋を後にした。
机の向こうでララに背を向け、黙って立ち尽くしているレオフェルトを見、ララは途方に暮れたような顔をする。
暫くの静寂は、なかなか破られない。
「…苛々する。貴様を見ていると」
唐突に、レオフェルトは言った。顔は未だ、外に向けられたままだ。
窺うようにその背を見つめ、ララは言葉を返すべきか逡巡する。
「私は女が嫌いだ。だが貴様のように、見ているだけで苛立ち、むしゃくしゃするようなことはこれまでなかった」
これまでのレオフェルトは、女を相手にすると嫌悪感を感じることはあっても、ララのように苛立つことはなかった。
そう、嫌悪感は感じないのだ。不思議なことに。
女に目を向けられるだけで虫酸が走り、不快感がせり上がってくるあの感じが、ない。
「…何故だ?」
レオフェルトは振り返り、ララを見て問い掛ける。
その目に冷たさと苛立ちは宿っていても、拒絶するような色は見えなかった。
ララはその問いに答えることができず、戸惑ったようにその目を受け止めることしかできない。
その冷たいアイスブルーの瞳の奥に、不安に揺れる子どものような目が見えた気がした。
「何か…嫌なことがあった?」
ララの言葉に、レオフェルトは顔を強張らせる。
「あたしが…隊長さんの嫌なことを思い出させてしまうなら、ごめんなさい」
鋭い眼差しでララを捕えるレオフェルトの顔が、怒りに染まる。
「…違う!お前は、あの女とは、何もかも、違う!!」
レオフェルトが机の横を通り、ララの前まで詰め寄る。
真上からララを射殺すように見下ろし、昂ぶる感情を必死に抑えようとしているようだった。
ララの顔に緊張と、怯えが走る。
「何なんだ…クソッ!なんでこんなにも腹が立つ!」
荒い呼吸と噛み締められた唇から、彼が今、必死に自身の感情と闘っていることがわかった。
恐怖に顔を強張らせたララが一歩下がるのと同時に、レオフェルトもじりじりと追い詰めるようにその距離を詰める。
「…お前は、何なんだ…!」
どこか、救いを求めるような声だった。
ララの足が来客用のソファの肘掛けに当たり、もうそれ以上下がることができなくなった。
そのままぼすん、とソファに倒れ込んだ体を、肘をついて起こし、高い位置にあるレオフェルトの顔をただ見上げる。
ごくりと息を呑んだララの顔の横に手をつき、上から覆い被さるようにしてレオフェルトが顔を寄せた。
その瞳の奥に答えを探すかのように。
「髪も目も肌も、何一つ同じじゃない…同じじゃ、ないんだ…」
弱々しく、絞り出すように告げられた言葉。
レオフェルトはララの瞳の奥を覗き込み続ける。
ここにいるのは、あの女ではないと確かめるように。
「あの女と、お前は違う。なのに、お前にあの女が、重なる」
今にも泣き出しそうな、悲痛な目だった。
ララは、無意識のうちにそっと手をレオフェルトの頬へと伸ばす。
怯えた動物のような彼を、怖がらせないように、慎重に、優しく、そっと頬に触れた。
優しく繭を撫でるように親指を動かし、微笑む。
「あたしは、ララよ」
ふにょり。
レオフェルトは頬に触れた、柔らかで程よく弾力があるそれに、ゆっくりと確かめるように目を瞬かせる。
胸元の開いたTシャツから伝わる、しっとりとした肌の温もりと、少し早まっているような鼓動。
――これは一体、なんだ?
レオフェルト・マッケンリーにとってそれは、未知との遭遇であった。
体を硬くし、されるがままになっているレオフェルトの頭を、小さな手が優しく包み込み、ゆっくりと撫でている。
柔らかな膨らみに顔を預け、レオフェルトは不思議な安心感に包まれていた。
ララの手が優しくレオフェルトの背を摩り、髪を撫でる。
何度も何度も、子どもを寝かしつけるように、優しく。
「大丈夫。あたしは、違う」
レオフェルトはそっと目を閉じる。
語り掛けられる、
これまで感じたことのない安らぎに、心が軽い気持ちになっていくのを感じる。
――しばらくしてコンコン、と控えめなノックの音が鳴った。
「入るぞ?」
果たしてどれほどその状態が続いていたのか。夢見心地で微睡んでいたレオフェルトの耳にノックの音が届き、外からライアンの声が聞こえた。
レオフェルトはハッと目を開き、咄嗟に我に返る。慌てて体を起こし、扉の方を見た。が、もう遅い。
そこには驚いたように目を見開いた、ライアンの姿。
これはマズイ。
レオフェルトの中でけたたましく警鐘が鳴り響く。
「これは、どういうことだ、レオ」
スッとライアンの目に怒りが宿る。
唖然とした表情で、レオフェルトに馬乗りになられているララ。
「見損なったぞ!そこまで地に落ちたかレオフェルト・マッケンリー!」
唖然と事を見ているララを尻目に、レオフェルトは大きく息を吐いて立ち上がり、ライアンの前に立つ。
レオフェルトに弁解の余地はないし、するつもりもない。
「きゃっ!」
ドスッという音と共に鳩尾を殴られたレオフェルトは、片膝をついて崩れ落ちた。
そうしてやっと事態を把握したララが、レオフェルトの襟元を掴み、再び殴り掛かろうとしているライアンを必死に止め、なんとか事態は収束するのだった。
氷の男をスパダリに覚醒させたのはギャルでした @chacha11_maru21
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