第2話
「隊長さん、今日も遅いのね」
カウンターの奥からお盆を差し出し、ララがにこりと笑って言う。
レオフェルトは不機嫌そうな顔をしながら、ジロリと彼女を睨んだ。
「…貴様は相変わらず能天気そうだな」
「またキサマって…ライアンさんは、多め?」
「いや、今日は普通でいいよ。ありがとう、ララちゃん」
昼時を過ぎ、食堂も落ち着き出した時間帯。
レオフェルトは近頃この時間に昼食を取ることが多い。
そしてレオフェルトの側近であるライアンも行動を共にしていることが多いため、だいたいがこの時間帯になっている。
「…風紀が乱れる」
ライアンが配膳を待っている間、レオフェルトは苛立ったように呟いた。
「隊長も仲良くしたいなら、素直にそうすればいいでしょう」
「…ッ!誰がこんなアバズレと…!」
ライアンはレオフェルトが都で勤務していた頃からの側近である。出会いは士官学校時代に遡るため、付き合いはかれこれ10年程になるが、恐らく軍の中では誰よりもレオフェルトを理解している人物だった。
初めこそレオフェルトのプライドの高さと、愛想の欠片もない性格に嫌気が差していたが、少しずつそんな彼も実は扱い易い人間であると思うようになっていった。
確かに情の籠らぬその顔と声は、厳しく、非情に思われるかもしれない。
だが彼の判断は常に的確で、信頼に足るものだとライアンは知っている。
ただ一つ、女性絡みでさえなければ。
彼が何故、こんなにも女性を蔑視し、偏見を持って接しているのかはわからない。
彼と出会った頃には既にそうなっていたため、恐らく原因はもっと過去だ。
だがある種異様なまでのその嫌いようは、余程のことがあったのだろうと詮索することを
「…隊長さん、あたしはともかく、絶対他の女の子にそんなこと言っちゃダメだからね」
ライアンにお盆を差し出しながら、呆れたような声でララが言った。
思わずライアンも咎めるような目でレオフェルトを見たが、当の本人は性懲りもなく
「フンッ、貴様は認めるのか」
「レオ…!」
これ以上はダメだと、ライアンはレオフェルトを制する。
だが当のララは、いつもと変わらぬけろりとした様子で言った。
「あなたの思うアバズレの定義がわからないから何とも言えないけど、少なくともあたしはあなたからすれば汚れた人間なんでしょうね」
その回答に、男二人は思わず言葉を失い、黙ってララを見た。
その言葉の真意は、何なのだろう。
「冷めないうちに食べてね」
そう言っていつもと変わらぬ笑みを浮かべたララは、厨房の奥へと消えて行った。
「行きましょう、隊長」
ライアンは固まっているレオフェルトを見やると、軽く溜め息をついて言う。
近頃のレオフェルトはおかしい。あんなにも女性を毛嫌いしているにも関わらず、何故かララには執拗に絡んでいるように見えた。
ララが嫌ならば、配膳も別の人間から受け取ればいい。なのにあえて彼女から受け取ろうとするのは何故なのか。
だが恐らく、その不可解な行動に最も戸惑っているのはレオフェルト自身に違いない。
そのため、ライアンもあまり彼を責めることができずにいた。
不機嫌そうにその美しい顔を歪めながら食事を取る上司であり、友人を見て思う。
ある意味レオフェルトは、最も人間らしい人間なのかもしれない、と。
*
午後からの長い会議を終え、レオフェルトは足早に自室へと廊下を歩んでいた。
先日の摘発で捉えた罪人達を都へと移送するため、都の部隊が来ており、こちらで把握している事件の内容を引き継ぐために行っていた会議だった。
思っていた以上に長くなってしまったため、さすがのレオフェルトの顔にも疲れが滲んでいる。
だがレオフェルトの疲労の原因は、それだけではない。
思えばあの事件の日、自分の気紛れが全ての始まりだった。
あの時、ぎゅっと握りしめられた温かな手の感触。じっと見つめてくる黒い瞳の奥には深海のように深い青が輝いていた。それらが時折レオフェルトの脳裏によぎり、無性に彼を苛立たせるのだ。
やはりあの時、本能に従いあの化け物を拒否すべきだった。
そうすれば、こんな訳のわからない感情に振り回されることもなく、これまで通りいられたのに。
レオフェルトは苦々しい思いで、プラチナシルバーの髪を掻き上げる。
「…そうなの?大変だったのね」
「ほんとに困ったよ…それでさ、」
ふとレオフェルトの耳に聞き覚えのある声が届いた。足を止め声の方へ顔を向ける。
廊下から見える窓の外、食堂の裏辺りに立つ見知った男女の姿が目に入った。
一人は言わずもがな、今レオフェルトを苛立たせて
「ほんとに軍の仕事って大変なのね」
「まぁね、でも最近は前より毎日出勤するのが楽しいんだ」
「そうなの?それは良いことじゃない」
「うん…それもこれも、君が…ララがここにいるからだよ」
反吐が出そうだ。
二人の親密な様子に、腹の奥底からドロドロとした得体の知れない感情が湧き出てくる。
それなのに、自分は動くことも出来ず、そんな二人をこそこそと盗み見ることしかできない。
男がララの手を握り、彼女の目を真剣な眼差しで見つめる。
レオフェルトの角度からララの顔は見えないが、その首の角度から、彼女も黙ってその熱い視線を受け止めていることがわかった。
夕焼けの中、二人の距離は少しずつ近付いていく。
「ララ、その…僕と、付き合ってくれないか」
レオフェルトは、その後のララの言葉を聞くことは出来なかった。
気付けば体は一刻も早くその場を離れようと、忙しなく足を動かしている。
やはり女なんてものはどいつもこいつもその本性は変わらない。
常に自分の寄生先を探して目を光らせ、男を喰らい、貪り尽くそうと獲物を狙っている。
その毒牙は、例え年端のいかぬ子どもであろうと
一見、優しく温かい眼差しも、その奥に狡猾な悪魔のような魂胆がある。
かつて自分に向けられた女の嬲るような目付きと、じわじわと攻め立ててくる冷たい手の感触が蘇る。
――綺麗よ、とっても。
女は何度もレオフェルトの耳元で囁くのだ。
呪文のように何度も。
――きっと貴方も虜になるわ。
ぬるりとした舌の感触が、震えるレオフェルトの体をじりじりと這い回る。
穢れを知らぬ彼の体は、女が触れた箇所からどんどんと汚れ、侵されていくような気がした。
やめろ、やめろ、やめろ、
「やめろ!!」
自室に戻り荒々しく扉を閉めたレオフェルトは、ずるずると扉にもたれ崩れ落ちる。
いつまでも自分を蝕んで止まない悪夢のような記憶に、頭を抱えてただ怯えるしかなかった。
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