氷の男をスパダリに覚醒させたのはギャルでした
@chacha11_maru21
第1話
慌ただしく人が行き来している。喧騒の中で男は手元の資料を眺めながら、足早に歩を進め、
隣に立つ部下は入れ替わり立ち替わり男に何事かを尋ねて、男はその度に短く的確に指示を出していく。
「マッケンリー隊長!ご意見を伺いたいのですが」
「何だ」
新たに駆け寄って来た男は、一瞬言いづらそうに言葉を詰まらせた後、隊長と呼んだ男の顔色を窺うように告げた。
「給仕係として働いていた女が、ここで働きたいと言っていまして…」
男は歩みを止め、部下を振り返った。そう言った部下は緊張した面持ちで、男の美しく整った、けれどその一方で冷酷に見える顔を恐る恐る見やる。
「貴様はそんなことを私にわざわざ確認しに来たのか?」
氷のような冷たい目で部下を見やり、男は苛立ったように問い掛けた。
部下は緊張で体を強張らせ、少し青褪めた顔で短く息を呑む。
レオフェルト・マッケンリー、この辺境の地で部隊長を務める軍人である。
プラチナシルバーの髪に、アイスブルーの瞳を持った恐ろしく整った顔立ち。彼のにこりともしないその顔と冷淡な性格に、氷の男との異名を持つ男だ。
これまで数々の将校を排出した、国内でも有数の名門貴族家の子息でもあり、頭脳明晰、文武両道で軍でも将来が約束された、自他共に認める花形エリートである。
そんな彼がこの辺境の地に居るのは、単にこの先の昇進のために過ぎない。この僻地での任をこなせば、経歴に箔が付く。ここで勤務している者の多くは、そうした昇進への近道を狙っている者のため、ここの人間の入れ替わりは激しい。
ここは東西が至近距離で隣国と接していることもあり、人の往来がとにかく激しい。
その分事件の数は国内でも群を抜いているため、昇進には手っ取り早いという訳だ。
「そ、それが、その女があの店で働き始めたのは昨日からのようで、職が無くなるのは困ると…」
数時間前に薬物売買が横行していることを理由に、あるパブを一斉摘発した。店内にいた全員を連行したため、隊員たちはその対応に追われ、隊舎がずっと騒々しい。
部下の話を要約するとこうだ。
職を失ったのはお前たちのせいだから、何とかしろ。こんな辺境の地で女がそう易々と職を見つけられない。ここで働かせろ。と
「…勘違いも甚だしい」
レオフェルトの冷たい眼差しと声に、部下が思わずヒッと声をあげる。
「何故我々がそんなアバズレの職の世話までしてやらねばならん。軍の職は偽善事業じゃない」
「お、おっしゃる通りです!ふざけるなと突き返してきます!!」
部下はピンッと体を強張らせ、一刻も早くこの場を立ち去ろうと踵を返した。
「待て、私も行く」
だが聞こえた幻聴かと思ってしまうようなレオフェルトの言葉にピタリと足を止め、ぎくしゃくと振り返る。
「た、隊長がですか?」
「どんなやつがそんな非常識なことを言えるのか、その顔を拝んでやる」
レオフェルトにとって、ほんの気紛れに過ぎない行動だった。
そもそもこの摘発のためにここ数日はかなり根を詰めて働いており、疲れや睡眠不足から彼の苛立ちはピークに達していた。
そこにこの訳の分からない要望である。
要は、彼には怒りの矛先が必要だったのだ。
「何をしている、行くぞ」
呆けている部下を冷たく一瞥し、レオフェルトは足早に聴取室へと向かった。
*
狭い室内に入った途端、鼻に付くどぎつい香水の匂いが香った。
その下品な臭いにレオフェルトは思わず顔を顰め、手の甲を鼻先にあてる。
「あ、ねぇきいてきてくれたの!?」
簡素な椅子に腰掛けていた女が、扉の方を振り返る。
その顔には聴取を担当していた部下が朗報を持ち帰ったと確信したかのような、満面の笑みが浮かんでいた。
――なんだこの化け物は。
レオフェルトはその顔を見、思わず内心で呟く。
まるでキャンバスかのようにゴテゴテと塗り潰されたその顔は、彼の中での化粧というものの概念を覆した。
目には毛虫のようなものがバサバサと付いているし、唇は下品なまでに赤々と塗り潰され、油のようなものでヌラヌラと光っている。髪は爆発に巻き込まれたかのようにチリチリで短い。
浅黒い腕には、ジャラジャラと見るからに安そうな腕輪をつけ、その身には服と呼べるのかわからないバスタオルを巻いただけかのような、蛍光ピンクの布地を纏っていた。
ただその体だけは男をそそる様に肉感的で、この目の前の生き物が一応人間の女であることを証明しているようだった。
「いや、その…」
そのインパクトにやられ、言葉を失っていたレオフェルトの横で、部下が言いにくそうに言葉を詰まらせる。
レオフェルトはハッと我に返り、女を蔑むように見た。
「ここにはお前のような化け物ができる仕事はない」
冷たい声で告げられた、その歯に衣着せぬ物言いに、女は驚いたように目を見開いてレオフェルトを見る。
「どうして!?だってここ、厨房係募集って貼り紙してたじゃない!」
女の言葉に、レオフェルトは廊下の貼り紙を思い出した。
確かに隊舎の食堂は人手が足りていない状況が長く続いている。コックは都から定期的に交代制で派遣されてくるが、その他の雑用を請け負う厨房係は現地調達だ。軍所属のコックは気の荒い者が多く、その下で働ける者はなかなかいない。その上こんな僻地ともなれば、事態は更に悪化していた。
ここに連れて来られるその短時間に、その情報得ていた女には多少感心する。
だがそれとこれとは話が別だ。
「お前みたいな身元もわからんアバズレに務まるわけがないだろう」
「どうして?給仕係なら経験あるし、料理も多少できる!」
「フンッ、これまでどんな給仕をしてきたか知らんが、ここでは役に立たん」
レオフェルトの小馬鹿にしたような物言いに、女もさすがに苛立ったように眉を顰めた。
「そんなのやってみなきゃわかんないでしょ。とりあえず雇ってみてよ。それで使えなかったら切ってくれていいし」
女は挑むような目でレオフェルトを見て言い放つ。
「こんなとこで女が仕事探すの、ほんとに大変なんだよ、あなたたちにはわからないかもしれないけど。この仕事だって、確かに怪しい感じはしたけど、仕方なかった。生きて行くためだもの」
女はどこか諦めたような寂しさをその瞳に浮かべて言った。
室内に少しの沈黙が落ちる。
「あの、隊長…差しでがましいことを申し上げますが、とりあえず雇ってみたらどうでしょうか」
――こんな女に絆されたのか?
おずおずと申し出た部下を、蔑むように横目で冷たく見やる。
だが部下の目は真剣だった。
「人手不足が深刻なのも事実です。幸いと言いますか、この女が今回の件には無関係であることもわかっていますし、薬物反応もありません。過去の犯罪歴もないようですし…」
部下の発言は最もだ。
レオフェルトは先日もコックから人を寄越せと要望が上がっていたことを思い出す。
だがレオフェルトの本能が、コイツはないだろうと止めるのだ。
しかし背に腹は変えられない。この隊舎の長としての役割に、個人の感情を加味してはならないと理性を働かせる。
むしゃくしゃとした気持ちを吐き出すように、大きく息を吐いてから吐き捨てるように言い放った。
「…コックに、明日から新人が来ると伝えておけ」
レオフェルトは冷静に状況を考え、理性で何とか言葉を絞り出した。
それを聞いた部下の顔に、思わず笑みが浮かぶ。
「!!ありが――」
「ありがとう!隊長さん!!」
部下の言葉を遮るようにして、女が声を上げた。
立ち上がり、レオフェルトの手を両手で握って、全身で喜びを告げる。
「あたし、ちゃんと頑張るから!」
毛虫に覆われた奥の目が、キラキラと輝いていた。包まれた手から女の熱が伝わってくる。
レオフェルトはその勢いに戸惑い、身を引きつつも、その瞳から目を逸らせなかった。
「ッ!コックがいらんと言えば即クビだ!」
我に返ったレオフェルトは、強引に手を引き離し、女から距離を取った。
そのまま恐ろしい顔で女を睨みつけ、拳を握り締める。
何を隠そうこの男、女嫌いでも有名だった。
異様なまでのその毛嫌いっぷりは、どうやら彼の過去に関係があるらしいというのはもっぱらの噂だ。
それに関しては数々の憶測が隊員達の間で密やかに行き交っている。
だがその真相を知る者はいないし、誰も彼にそれを問うことなどできない。
そんな軍の誰もが恐れるレオフェルトの怒りに満ちた表情を前にしても、女はにこにことその顔色を変えないのだからたまげたものである。
――何なんだこの女!!
「ほんとありがとね、隊長さーん!」
そのまま逃げるように部屋を後にしたレオフェルトの背中に、女の陽気な感謝の言葉が届いた。
*
翌日、昼時になり食堂に向かったレオフェルトは、奇妙な光景を目にする。
配膳をする複数の列の中で、異様に長い列が一つだけあった。
普段は空いている列に率先して並ぶはずの隊員達が、何故かそわそわと前方を気にしながら順番を待っているのである。
「何だこれは」
レオフェルトは眉を顰め、目線は行列に向けたまま
隣の側近も、同様に首を傾げる。
レオフェルトは訝しげに行列の横を通り、先頭まで進み出た。
「はい、お待たせしました!」
定食を受け取るカウンターの奥から、元気な女の声がする。
差し出されたお盆を握る手は、見覚えのあるブロンズ肌。
レオフェルトの脳裏に、まさかという言葉が浮かぶ。
「あ!隊長さん!!」
カウンターの奥から聞こえるその声は、間違いなく昨日の化け物の声だった。
しかしその容貌はまるで別人。
化粧っ気のない健康的な肌に、涼しげなアーモンド型の目。その周りには、もちろん毛虫は貼り付いていない。唇も自然な色で艶やかに弧を描いている。
そしてあの爆発したかのような髪は、真っ直ぐなダークブロンドになり、後ろで軽く束ねられていた。
「…誰だ貴様」
頭の中でわかってはいたが、問わずにはいられなかった。
レオフェルトの中で、どうしても昨日の化け物と目の前の女が結びつかない。
「やだ、やめてよ!そんなに違う?」
「何もかもが違うだろう!あの爆発した頭はどうなったんだ!?」
「あーあれはウィッグ。やっぱり場に合わせるって大事じゃない?昨日までのは、あそこで働く用にああしてただけ!ここではここに合わせた格好にしなくちゃでしょ?」
にこにこと告げられる言葉に、レオフェルトは目眩がしそうだった。
何もかもが自分の常識を逸している。
「それより、ここの人たちみんなすっごく良い人なの!ここでならあたし頑張れそう!ほんとにありがとう、隊長さん!」
またしても自分の耳を疑うような発言に、レオフェルトは思わず額に手を当てる。
――ここの連中が皆良いやつだと?
厨房の奥にいる強面のコック達を見やるが、ずっと女の様子をチラチラと窺っていた彼らは、レオフェルトの視線を感じると
――どいつもこいつも絆されやがって…!
「はい、ほんとはちゃんと列に並んで欲しいけど、隊長さんは特別ね」
にっこり笑って差し出されたお盆を見て、レオフェルトはもう何を言っていいのかわからなかった。
この長蛇の列に割って入るとは、由々しきことだ。だが氷の男と呼ばれる恐ろしい男に意見できる者など、この場には存在しない。
「貴様…」
「ララよ。キサマじゃないわ」
レオフェルトはそう返された言葉にぐうの音も出ず、忌々しそうにお盆を受け取り去って行った。
その姿にその場にいた全員が度肝を抜かれ、唖然とその背を見送る。
突然食堂に現れたブロンズ肌の美人が、あの氷の男を手懐けている。
その一報は瞬く間に隊舎内を駆け巡った。
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