第3話

「流石は王女の側近。良い場所を知っているものだね」


「お褒めに預かり至極恐悦ですよ、お嬢様」


「ハハハッ、そんなに不貞腐れないでよ。流石に傷つくよ」


多少罪悪感を感じているらしいミスト・カインズを適当にあしらいメニュー表を見る。


ここは王都の南東部にあるとある居酒屋だ。東側や南側は平民の住居や歓楽街が多く貴族はあまり立ち寄らない。それゆえに、こんな場で貴族が密会をするとは誰も思わないのだ。加えて、ここに入れる人間はこの店に入るための仕掛けとこの店を取り囲む地下迷宮の道を覚えている必要がある。それ故、新規の客が来ることはほぼない。


まさに究極の初見さんお断りの店なのである。アイセアと一部の貴族しか知らない場所だ。異常に頭が良くてチート並みの腕があれば無理やり攻略はできるだろうが、普通は無理だ。まあ、俺は原作知識を持っていたためかなり昔に自力でたどり着いたのだが。


完全防音の個室制であり店主の口も堅い。


テーブルに黄色く燃えるキャンドルが置かれていて、淡い炎光と天井から降り注ぐ暖色光が心を温める。


「それで?話を聞こうか」


「…自分の情報を一方的に知られているのはやっぱり不愉快?」


「別に不愉快ではない。お前の情報収集能力が一枚上手だっただけだ」


「アハハハ、そっちが素なの?」


敬語が抜けた俺を見て面白そうに口角を上げたミストを見て、俺のことを完璧に調べているわけではないと感じた。


「人の顔や事実、世の中のあらゆる事象が持っているのは単一の側面だけではないということだ」


「ふーん。まあそれには同意だけどさ」


室内は薄暗くお互いの顔がはっきりとは見えない。それでもミストが今どんな顔をしているのかなんとなくわかる。


「カインズ家の不正帳簿と売国疑惑」


「ッ!?」


俺の一言にミストは目を見開き言葉を失う。


「昨日の意趣返しのつもりかい?性格が悪いね」


「飼い犬は飼い主に似るらしいからな」


「ここ数年でアイセア王女がさらに力を付けた理由がわかった気がするよ」


ため息を付きながらコップを持ちあげストローで中身を吸っていく。


買い被りだった、俺が情報戦でミストを上回ったように見えるのは原作知識というチートのおかげだ。ちなみに思い当たるのがこれしかなかったからなんとなくで情報開示しただけ。なぜその話を俺にするのかがさっぱりわからない。


「お察しの通り、私はカインズ家の不正と売国行為を暴露したいんだ。私だけだと揉み消される可能性がある…協力してほしい」


「俺に声を掛けたのは何故だ?」


カインズ家の不正を暴露して父への復讐を遂げついでに貴族の地位を捨て行方をくらませるという計画を練っていることは知っている。だが、それを実行に移すのはまだまだ先のはずだ。原作開始前にやることでは………ないはず。


「君たち………いや、君が王女の敵になるであろう貴族や有力者を消して周っている話を耳にしたからかな」


「は?」


なんだそれ。知らない。大体、あんな殺しても死なない公式チート女を何で守る必要があるのかと疑問に思って生活しているんだぞ?そんなことするわけないだろ。


「自分を拾ってくれた王女への恩義と熱い思い。人は君を苛烈だというだろうけど、私はそうは思わない。たとえそこにどんな思惑があってもね?」


「…いや」


「間違いなくカインズ家の当主は君たちの敵になる。それに売国奴を潰したとなれば君たちの功績にもなる。悪い話じゃないだろ?」


捲し立てる様に事実を並べるミストを視界に入れながら頭を整理する。




ミストにとってのターニングポイントは5年前に起きた暗殺未遂だ。表向きはミスト・カインズを狙ったものではなく、カインズ家自身を狙ったものであり、とある貴族の謀略だったとされている。当主と家督を継ぐ可能性がある男児には厳重な警備と護衛が施されていたため、結果的にミストとその姉が狙われた。間一髪のところでミストは生き残ったが、彼女の姉は襲撃者によってミストの目の前で殺害された。襲撃者を率いていたのは彼女たち姉妹のメイドだった。


ちなみに姉妹のメイドは教団のメンバーであり、はなから姉妹を狙っていた。目的は彼女たちの血液。だが、そんなことは今はどうでもいい。


大事なのはこれ以降、ミストは人を信用することを怖がるようになり、貴族という立場に嫌気が差すようになっていったことだけだ。彼女にとって、貴族という立場は安寧と権力の代価として危険と不自由を求めてくるものでしかないのだ。


普通であれば、デメリットを飲み込んで立場に甘んじるほうが得るものは多い。しかし、彼女はそうは考えなかった。ミストは女であり、次女だ。当主になることはない。政略結婚に使われて終わりだと本人は考えている。


ミストにとって貴族はとても危険な立場だ。


ただでさえ危険な貴族という立場にいるのに自由もなく未来まで決められるということはミストには許容できない。何より、ミストにとってはあの暗殺事件がトラウマになっており、姉の存在がミストに弱い貴族令嬢のままでいることを許容させない。


だから彼女は自由と力を欲している。彼女は自分が当主になれるのであれば、貴族の地位を求めるだろうがなれないのであれば貴族の地位を捨てて、ただのミストになりたいと考えている。少なくとも原作開始時ではそうだ。


どうせ軽い原作崩壊を起こしているので、主要人物への干渉を躊躇ったりはしない。ただ、主人公と仲間たちの邂逅の流れが狂うことだけは避けなければならない。主人公君たちには仲間と出会って強くなってもらわなければ邪神が召喚されて世界が滅ぶ。


だから、俺がするべきことは――――――


「一つ確認したい」


「なんだい?」


「目的は父への復讐か?」


嘘は許さない。殺気を向けながらミストに向かって真っすぐと視線を向ける。


「ッ———そうさ!私たち姉妹を見捨てて跡継ぎと自分だけに警備兵をすべて使いあまつさえ、姉を出来損ないと罵ったあの男を許すことはできない!」


震える声に、熱が混じった。僅かに滲んだ涙と共に溢れ出るそれは、きっとミスト自身が抱いている本音だ。だけど、足りない。


「それだけじゃないだろ?」


「ッ!」


「何を言って――――」


震える声で、彼女が言葉を探している間に思考をまとめきる。


「お前の渇望を話せ。腹のうちを俺に見せろ。お前はどうなりたいんだ?」


しばし沈黙を挟み視線を交錯させる二人。睨み合いが続く。ナプキンがコップに付いた水滴を吸って重くなっていく。

それは敵対行動ではなく、互いの器量を測り合うようなやり取りだった。やがてミストは諦めたように嘆息し、口を開いた。


「父への復讐という面はあるよ。でも一番は現状のまま籠の中で生きていくことを姉さんも私も許せなかったっというのが大きいかな」


「お前のことは調べた。あの事件のことも。妹であるお前を庇った姉は今のお前を許さないと?」


「うん、少なくとも私はそう思う」


「――――――――――姉がただお前を愛していただけだとは考えないんだな」


ミストはわずかに顔を歪めて視線を下に下げた。


「あれは姉さんの意地だよ。私を狙った襲撃者を邪魔してやろうっていう、ただ無意味に死んでいくことを恐れた姉さんの意地だ」


悲しげに笑うミストを見て踏み込み過ぎたと反省した。


「…いいだろう。協力してやる。ただし、三つ条件がある」


「聞こうかな」


「一つは俺のお願い事を聞いてくれること。二つ目は、カインズ家をお前が継ぐことそして雲隠れはしないこと。三つ目は、事件の真相をきちんと調べること」


ここで貸しを作っておきたいのは俺のただの欲だ。ミストはかなり優秀な少女だ。どうせここまで原作が狂っているのなら是非ともつながりを作っておきたい。そして、いかに原作と乖離していようと主人公たちとの出会いをなくすわけにはいかない。だから、最低でもこの国と学園には繋ぎ留めておく必要がある。そして、事件の真相を知って教団のことを知れば主人公とも協力しやすくなるだろう。そう考えて、この条件を出した。


「………。どうして、そんな条件を?」


驚愕で目を見開いた後、力なく笑うミストに俺はよどみなく答える。


「言っただろ?人の顔も事実も世の中のあらゆる事象は単一の側面だけではない。ミストという女は籠から飛び立っていなくなってしまうには惜しいと感じた・・・・・・。それだけだ」


ミストが自由と力を欲するのは過去の事件のこともあるが一番は、父から切り捨てられ妾の子だと出来損ないだと周囲から罵られたことによる承認欲求の肥大にある。


そこを利用した。ミストの好感度を上げて交渉をやりやすくするために、原作知識を使ってその心を土足で踏みに抜いた自分に吐き気がする。


「ハハッ、光栄なことだね」


「お前が俺を利用しようとしたように俺もお前を利用したくなっただけだ。気にするな」


ミストは可憐さと獰猛さを併せ持った笑顔でこちらににじり寄る。


「アハハッ!私を利用する気満々。でもいいよ。先に利用しようとしたのはこっちだし、毒を飲み干す度量がなければやってられないもんね。よろしくね?ヴィレム」


罪の意識を感じたまま無垢な好意を向けられるのは苦しい。だから、俺はアイセアの元を離れたくないと時折思うのだろう。































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