第6話 彼

 「……あきれた」

彼女は僕の隣で呆然と彼を見つめている。無理もない。けど僕は、彼ならこれぐらいやるだろうなとは思った。焚火の明かりと向かい合って、彼は今パソコンで授業を受けている。彼曰く、「いやー、先生に頼んで、後でまとめてやるからって言ったんだけど、コマが全部決まってて無理だった」らしい。「んで、旅に行くって言ったら『旅先で授業受けろ』だってよ。馬鹿じゃないか? あいつら」。彼はそれでも、「ま、仕方ないか」と笑った。

「なんであんなに必死に勉強してるの?」

彼女が恐ろしいものでも見るように指さす。

「科学者になるって夢がある」

僕が答える。

「夢?」

彼女がきょとんとして僕を見る。

「『夢』って言った? そんなこと言ってる奴が、まだいたのか……。それに、科学者って言った? そんな職業何の意味があるの?」

彼女が独り言ちる。僕は答えず、黙っていた。だんだん彼女の声が遠のいていく。

僕はかつての彼の言葉を思い出していた。


「あのさ、実はな、人間の脳みそってのは、神様なんだ」

話しているのは、『教養』時代の僕と彼だった。夕暮れの、いつもの芝生の上。彼の声が聞こえる。

「神様?」

僕は確か、本を読んでいた。

「うん。人間は、手とか足とかじゃ何にもできないけど、頭の中じゃ何でもできる。神様が思いつかないことだってできるんだ」

「神様って、ホントにいるの?」

僕はとんちんかんな答えをした。

「そんなこと知らない。それで、カガクシャっていうのが、その頭の中をホントにしてくれるらしいって聞いた」

彼はどんな顔をしていたっけ。そのあと、僕はなんて言ったんだっけ。彼は「カガクシャ」なんて言葉をどこで知ったんだろう……。そうだ、『教徒』だ。その話もした。

「神様なんて言ってたら、『教徒』に目をつけられるんじゃない?」

「『教徒』なんて僕がぶっとばす。カガクの力で」

「ぶっ飛ばせるの?」

「うん」

多分、彼は自信満々の顔で言ったんだろう……。


「おい」

目線を上げると、目の前に彼が立っていた。後ろで、まだ焚火がパチパチと音を立てている。彼が木をくべたんだろうか。

「終わったのか」

「終わってないけど」

「そういえば、なんで遠隔できてるのか?」

「ああ、なんか緊急用に飛ばしてる衛星があるらしい。町唯一の人工衛星」

彼が小さい箱のような受信機を手に取る。

「えらい力入ってるな」

「そうだな。で、こいつ寝てるから小屋に運んでやろうと思ってたんだけど……」

横を見ると、彼女は顔を土にうずめて静かになっていた。

「分かった。僕がやる」

僕は彼女をかかえて、小屋に入る。部屋は一つしかない。小さな木の板を張っただけのベッド。その下に大きな収納箱。そして入り口から差し込む月明かりが、床を埋め尽くす本の海を照らしている。彼女を寝かせる。ありえない、と思う。ただ町がぼんやりしているというだけで、こんなところに住むだろうか。駆り立てるだけの何かがあったに違いない……。強烈な体験が、あの町に。あるいは、この森に? 僕はドアを閉めて、焚火の方へ降りていった。

 彼は彼女に借りた古びた木の机に向かってノートを開き、パソコンの画面をじっと見つめている。耳にイヤホンをつけている。時々、ぱちっ、と火の粉が爆ぜる。僕はそれをじっと眺めていた。教養時代を思い出す。彼が『夢』だなんてずっと言ってるから、僕ら二人でちょっと浮いてしまったじゃないか。学校でも、町でも。まあ僕も変なところがあったのは確かだけど。炎が、彼を赤色に照らしている。僕は月を見上げて考える……。

 「おい、終わったぞ。起きてるんだろ?」

彼の声が聞こえた。

「ああ、終わったのか」

見ると、火は消えていた。

「もう寝るか」

「君は?」

「そうだな……」

彼はぼんやりして月を見上げる。

「そういえば、旅人の話を思いついた」

「旅人?」

「うん。さっき思いついた」

「へえ。気になるな」

「暇なら話すよ」

「ああ」

僕は勝手に、さっき思いついた話を話し始めた。


 あるところに、何回も旅を繰り返す男がいた。そいつは自分が何でこんなに旅をするのか分かっていなかった。自分は旅が好きなんだろう、ってことで、実際旅を楽しんでた。けど、ある時から旅ができなくなった。急に。っていうのも、旅先で歩いてて誰か人と目が合ったら、意識が無くなってしまうんだ。それで次の日に目が覚めると、自分の家に帰ってきてる。持ち物もそのままで。何回もその症状が起こるから、怪しくなって病院とか勤め先の人に相談したら、気味悪がられたり、笑われたりして、相手にされなかった。結局、自分で気が付くんだけど、二重人格だったんだ。彼の中に、旅が大っ嫌いな人格がいて、そいつが邪魔してたんだ。


僕は少し黙った。

「それで?」

彼が聞く。僕は続ける。


 彼も、二重人格だ、ってだんだん気づいてたけど、旅を重ねていって、やっぱり確信に変わった。それで、頑張って人と目を合わせないようにするんだけど、それじゃ旅はつまらないし、周囲から「ヘンな人」だって思われる。思いつめた彼は、自宅を売り払って「帰る場所」を無くした。焦ったのは片割れの方だ。実は旅嫌いな方は、なんで自分が旅をしているか知っていたから。それは、自殺の場所を探す旅だったんだ。理想の自殺ができる場所。彼は無意識にその場所を探してて、必死に交代人格の方が止めようとしてたってわけだ。家が無くなったから、交代人格が出てこられなくなった。それで、彼は結局、その理想の自殺の場所を見つけてしまう。そこで初めて、これが旅の目的だった、って気づく。


また沈黙する。少しして、僕は続ける。


 そこで交代人格は力を振り絞って彼を引きとどめようとする。交代人格に一生懸命説得されて、最後に彼はぎりぎりで踏み留まる。自分が自分に説得するんだから、伝わりやすかったのかもしれない。それに、無意識下ではやっぱり自殺なんかしたくなかったんだろう。それで、一晩二人で腹を割って話し明かしたあと、翌朝また二人で新しい旅を始める。今度は、前に住んでた家じゃなくて、本当に「帰るべき場所」を探す旅だ。


僕は話し終えて、彼の方を見る。月の明かりに照らされて、彼は仰向けに寝ていた。気のせいか、気持ちよさそうに寝ていた。結局、どこまで聞いていたんだろう……。


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