第6話

 受診を終えた次の日は仕事で、ちょうど紹介をしてくれた同僚と一緒だった。「どうだった?」と、訊かれたので、「何も変わらなかった。先生はいい人だった」ということだけを伝えた。

 

「そっかー。ほっち行ってもダメだったら、薬もそれしかないってことやな」

 

「みたいですね。悪化の一途を辿っているのに、これしかないって、どうしようもないですね」

 

 悲観的にはならなかった。楽観的すぎると言われればそうかもしれないけど、治らないとは思ってもいなかったから、薬を飲んで安静にしていれば大丈夫だと思っていた。

 次の日。

 朝起きたその瞬間から右手が痛かった。今までとは違って、手首の痛みと、右手全体に痺れがあった。

 最悪なことに今日は出勤日だ。痛くても、薬を飲んで仕事をしなければならない。

 ロキソプロフェンに痛み止めをさらに追加しようか。アセトアミノフェンくらいなら大丈夫だろうか。

 悩んでいたが、飲み合わせのこととかを考えながら、飲むのをやめた。それで何かあったときの方が怖いから。

 ここまで手を痛めながら運転をしたのは初めてだった。右利きだからと言うのもあると思うが、曲がる時に右手を基本としてハンドルを切っているから、手首をうまく使えない今は、スローペースで曲がるのが精一杯だった。90度に曲がっている場所では初心者よりも遅い10キロ以下でゆっくりと曲がらないとハンドルを切れなかった。ここまでとは思ってもいなく、いつもと同じ時間に家を出たから、会社に着いたのはギリギリになっていた。遅刻しなかったから咎めはないけど、始業準備の遅れが出たのは確かだった。

 その頃には痛みは引いたのか、単に薬が効いているだけなのか、運転をしている時とは違って、手は動いていた。

 日勤で勤務していれば、朝1番は排泄介助だ。何をどう頑張っても両手を使うことは必須だ。そして、汚れる可能性があるから、装具は付けられない。サポーターでどうにか乗り切るしかない。

 始めた頃からずっと不安だった。それがまさか的中するとは思ってもいなかった。

 排泄介助自体は1時間くらいで終わる。9時から勤務し始めて、10時の時点でもう既に手に痛みがあった。薬は飲んでから1時間半しか経っていないと言うのに。

 こんな短時間しか薬の効果が何のなら、8時間の勤務中6錠も飲まないといけない計算になる。だが、ロキソプロフェンは1日3回が上限で最低でも4時間。できれば6時間空けて飲むことが推奨されている。つまり、仕事中に6錠も飲むことはできないのだ。せいぜい2錠が限界。初めに飲んだのが、8時半ごろだったから、次に飲めるのは最低でも12時半。ちょうどお昼時だ。それまでに最難関である、利用者の移乗介助も存在している。それも11時ごろに。

 朝早くに飲んだのは失敗だったかもしれない。移乗が始まる前に薬を飲むべきだった。そう思いながら、移乗介助に挑んだ。結果は予想通りだった。手は痛むは痺れるは、散々だった。

 それから食事介助を終えて、ようやく私の食事時間がやってきた。胃の中にご飯を入れるよりも先に、まずは薬を飲んだ。効き始めるまでに30分くらいの時間を有するから、何よりも先に飲んだ。本当は空腹時に飲むのは副作用の危険性とかもあるからよろしくない。だけど、手の痛みのことを考えると、それどころじゃなかった。もちろん昼食は

 弁当箱を机の上に置いて、左手で食べた。

 昼食を終え、仕事に戻る。この後は15分くらいカンファレンスを行う。この間に薬の効果が出てきて、痛みが引いていけばいいな。と思い、早めに飲んだのに、痛みは全くと言うくらい引くことはなかった。

 カンファレンスが終わって、薬を飲んでから40分が経とうとしていた。そろそろ効かないと困る。

 数人ではあるが、10分少々で移乗をしていた。その間も手の痛みは引くことはなかった。

 薬を飲んでから1時間くらいが経って、手を使うことも少なくなったからか、痛みは徐々に引いていた。やっと薬が効いてきたのだと安堵していたが、どうやら薬が効いていたわけではなかった。

 何気に文字を書いている時だった。また、右腕に電気が走ったような痛みを感じた。それからと言うもの、手の痺れが一段と酷くなったのだった。今までは3本の指に痺れが出ていたが、今は違った。右手全体が痺れていた。そして、その痺れのせいか、右手の感覚が鈍くなっていた。痛覚はあった。母指の付け根を軽く捻ったら痛かった。だけど、左手と比べると痛みは少なかった。何よりも大変だったのは、右手で物を持った感覚がなくなっていたことだ。ペンを持っても、持っているのかわからない。視覚情報があるから、脳はペンを持っていると認識はできているが、もしそれがなければ、触っているものその全てが何かわからない状態だった。

 感覚が鈍くなったせいか、ペンをうまく持つこともできていなかった。私自身の中では、ペンをギュッと握っているつもりでも、目を凝らしてみると、ペンがすり抜けるくらいの空洞が空いていた。指を手のひらにくっつけて握ることができなくなっていた。流石に焦った。

 手を閉じたり開いたりを繰り返してストレッチをしたり、タオルを握ってみたり、何をしても痺れは治ることはなかった。

 うちの施設には、利用者ごとにタンスが置いてあって、人にはよるがほぼ空洞のような使い方をしている人もいた。たまたま、私はその場所にいた。その利用者のタンスの取手に手を掛け引くと、見事に取手に掛けていた手だけが取れた。

 感覚どころか、筋力まで落ちていた。今握力を測ればとんでも無く低い数値が出るのだろうなと思った。

 私の知っている限りでの施しはなくなった。もうこの先、安静以外ない。それから1時間くらい、右手をいっさい使わずに仕事をした。何より大変だったのはパソコンだった。左手だけの入力は無駄に時間を浪費した。

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