第3話

 世間の学生は夏休みと言う一大イベントで盛り上がっている最中だった、8月半ば。普段から何気に介助している利用者を持ち上げた時、いつもより重量を感じた。そんな太ったようには見えなかったけど、ハイカロリーな生活(体が小さく、高カロリー栄養剤を毎食摂取していました)をしている人だったから、知らないところで太ったのだろうと思っていた。

 それから1週間後。この日は、施設の利用者全員の体重測定の日だった。それに参加した私は、介助中に重いと感じた利用者を記憶して、前月との体重を見比べていた。利用者の体重測定は服を着たまま測るから、冬になると体重が少し増える人が多くいた。7月から8月にかけてはみんな薄着になるから、若干ではあるが痩せる人が多くいた。それは問題なのではと、思う人がいるかもしれないが、日内変動にちないへんどうと言うものがあり、1日の中でも、食事前と後、寝起きなど1キロ近く変動することがあるから、1キロ以内なら、大した問題にはならないのだ。

 それでは病気を見逃すのではないのか、と思っているのだろうが、単純に体重が1キロ落ちていることより、それが脂肪が燃焼したことにより体重が落ちたのか、筋肉が衰えたことにより体重が落ちたのか。どちらなのかの方が重要で、脂肪が燃焼されたことによって体重が落ちたのであるならさほど問題はない。筋肉が落ちているのなら、報告だけはする。そこから先、それが病気なのか、ただ単に痩せただけなのか。それを決めるのは僕ら介護福祉士の役目ではない。医者の役目だ。勝手な判断で病気を決めつけるのは、それこそ誤診や見逃しに繋がる。こんな症状があるからこの病気じゃないのか。それを疑うのは勝手だ。だけどそれを医者に言うのは間違っている。何のために私たちは利用者の1番身近でいるのか。体調や言動の変化、性格をよく観察するためだ。それを報告するまでが僕らの役目だ。

 話が逸れてしまったから戻そう。

 体重測定を終えて、前月と見比べて見ると、どの利用者も体重は先月より減っていた。多い人で1キロ少ない人で300グラム体重が減少していた。日内変動があるとしても、全員が前回とほぼ変わらない結果ということだ。

 私自身、天気の悪い日や疲れが溜まった日には、力が入らなく、脱力感が出る日がしばしばあった。たまたまその日が被ったこともあると思うが、ここ最近ずっと重さを感じていたから、違和感しかなかった。その違和感を抱えたまま、8月は過ぎていった。

 9月に入って中頃になった頃だった。朝起きたその瞬間から右手が重かった。500ミリリットルの水をずっと持っているかのように重さを感じていた。普段から右利きでほとんどのことで右手を使うのだが、この時だけはスマホが重たくて持てなかった。いつも使っている280ミリリットルしか入らない、とあるブランドのコップに水を入れても、それを持ち上げるのに、意識しながら時間をかけながら口に運ぶことしかできなかった。これが発覚した日は休みの日だって、すぐに病院に行った。手の痺れが手のひら右半分にあること。最近物の重さを感じていることを伝えた。そこで初めて例の“手根管症候群しゅこんかんしょうこうぐん”と診断された。そこで医者に言われて、高校卒業以来一度も触っていなかった、握力計を握った。懐かしさを抱きながら、右手で思いっきり握った。正直少し手が痛かった。結果は24キロだった。高校時代の握力なんて覚えていなかったから、そんなものだろうと思って、今度は左手で握った。左手の結果は42キロだった。僕は計測をしている小学生の頃から、左手の方が握力が強かったことは一度もない。それに、18キロも差を出したこともなかった。ずっとあった違和感の正体は握力の低下が原因だった。医者からは、右手をできるだけ使わないようにして、痛みが生じた時は安息と冷却をして、様子を見るように言われた。介護をしている限り、痛みが生じた時に安易に安息と冷却なんてできない。

 医者から仕事を聞かれ介護をしていると答えると、医療用の装具(金属の入ったサポーター)を紹介された。医療用の装具だってこともあって、装具1つで6000円近くと高かった。だけど、装具の購入は、保険の適応内で、まずは全額を払わないといけないが申請をすれば3割になり、2000以下の値段になった。それなら、自分で買った装具と変わらないから装具を処方してもらった。それとは別に、痛み止め(ロキソプロフェン・レバミピド・神経障害性疼痛治療薬しんけいしょうがいせいとうつうちりょうやく〈神経系痛み止め薬〉タリージェ)とビタミン剤(メコバラミン)を処方されていて、処方箋薬局しょほうせんやっきょくで待ち時間に早速試していた。市販で買ったものより、装着時の安定感があった。手首の可動域は市販品よりも狭く、ほとんど手は固定されていた。それでも、市販のものよりは右手が自由に使えていた。自由と言葉を使うと語弊があるかもしれないが、右手で箸を持ったり、鉛筆を持ったり、この装具のおかげで痛むことなくできることが増えていた。それ以外にも、はじめは汚れることを恐れて仕事には使っていなかったが、痛みが強く使おうと決意し、実際使ってみると、今までの苦労はなんだったのか。と思うような楽さだった。これが処方された装具の力か。と、この時は調子に乗り過ぎていた。後になってまさかあんなことになるなんて想像もしていなかった。

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