#14:Memories.
名前は『
女優としてのデビュー当時は『水の女神』とか『主役を喰う女優』と呼ばれていたが、今はもっぱら『笑わない女優』として認知されている。
世間はワタシに対して何を求めているのか、上司にしたい女優とか、女性が好きな女優というランキングで、ワタシをトップに押し込んでいる。
正直、そんな評価はどうでもよかった。
仕事を与えられることは有難いことで、親友の言葉を借りて言うと、『自分ではない別人になれる』この仕事は、ワタシの天職だと思っている。
特に、
『
デビュー作となった『天然水』のCMも、あれからずっと続いていたし、最近では競馬のイメージキャラクターを務めていて、CMだけでなく競馬場でプレゼンターとして、華々しい表彰式に登壇したりしていた。
ただ、笑えなくなる前からの『ワタシと面識のある関係者』の中で唯一、オファーを出さなくなった人間も居た。
どのみち『作り笑顔』すらできないワタシにとって、モデルとしてカメラの前に立つことは、到底務まる仕事では無いだろうと、自分自身が一番理解していた。
「それで監督、お話とは何でしょうか?」
「いや〜、そんなに畏まらないでよ海ちゃん。もう長い付き合いでしょう」
(付き合いが長ければ馴れ合える関係でも無いだろう。こういうところは、本当に瞳さんとよく似ている)
「憶えてるかな?あの映画」
「あの映画と言いますと?」
(この人の作品には何本も出ているし、他の監督の作品で主演女優賞を受賞したものだってある)
「ほら、キミが初めて映画に出た『memories』だよ」
「もちろん…憶えています」
「あれの続きを撮ろうと思っていてね、またキミ達に出て欲しいんだよ」
(キミ達?続き?あの話に、続きは無かったはずだ)
「監督…お言葉ですが、あの作品…原作に続きは無かったと思いますが」
「それがさ〜、いまって昔より本が売れないでしょ?先生も出版したくても出来ないらしくてさ〜」
「そうですか…それは残念ですね」
「でね、まずは映画から出して、その後に本を出しましょうって話になったんだよ」
「そうなんですか。では、ワタシは今回どんな役を担当するんでしょうか?」
「へ?もちろん灯だよ〜、他に役なんて無いでしょ?
「未来が映画ですか?!」
正直驚いた。未来はあの作品を最後に、活躍の場をドラマにシフトチェンジしていた。あれからすぐ朝ドラの主演も取ったし、月9にも常連の『数字を持った』女優だ。
「驚いたでしょ?映画に戻るなら、『親友の』キミと共演することが条件だったみたいだからね〜」
「はあ…」
「私はね、またキミ達を撮りたいんだよ。サブスク映画じゃない、劇場で流れる映画をね」
(この人は女優を潰すなんて言われているけど、人脈だけは間違いない人だよな)
「それに、私はこの作品で最優秀監督賞を取りたいんだよね〜。あの時はキミ達二人とも受賞しちゃったからさ〜」
「それは真美さ…監督が賞なんて要らないって公言していたからじゃないですか」
真美さんは、自分が賞賛を浴びるよりも、演者や原作者が評価されることを望む人のハズだ。
「ま〜そうなんだけどさ〜、私もそろそろ
「お話は分かりました。事務所にはワタシから話をしておきます」
「オッケー助かるよ〜、お宅の部長さんは『おっかない』からね〜」
海:お疲れ様です。先ほど島岡監督から映画のオファーを受けました。来月から撮影に入りますので、お手数ですが新規でのお話は暫くお断りして下さい。よろしくお願いします。
山縣:承知いたしました。分かり次第、スケジュールの共有をお願いします。
海:わかりました。特に事務所からの挨拶は不要とのことです。
山縣:そういう訳にはいきません。事務所として、ご挨拶に伺います。
海:わかりました。よろしくお願いします。
いつからか、美咲さんとも必要最低限の会話と、こういう事務的なやり取りしかしなくなっていた。
(あの子にも伝えておかなきゃな…)
花:来月から映画の撮影が始まります。やはり入学式には行けそうにありません。ごめんなさい。
ひまわり:りょーかーい!
ひまわり:大丈夫だよー!
ひまわり:ファイトー!
花:ありがとう。
世間に『公表していない私の娘』という立場を、隠して生活させてしまっていることは、本当に申し訳なかった。けれど、最近のあの子は『何かあった』のか急に話かけてくれるようになった。それに、やけに明るくて笑顔を見せてくれる。
雰囲気は彼とよく似ていて優しく、あまり感情を面に出さない子だと思っていた。来月からは高校生…あの子も少しずつ大人に近付いているということだろう。
高校のデザイン科に進みたいと話をしてくれた時も、急にイヤリングカラーを入れてきた時も驚いたけれど、母親として『あの子のやりたいこと』を応援したい。
結局、ワタシには
笑えない女優と言われようが、どうでもいい。
あの子の母親として、恥じぬように生きていたい。
それが、彼への償いになると信じて。
彼に…忘れて欲しくなくて。
「あ…はな…海ちゃん…久しぶりだね」
本当に未来はあの頃と変わらないな。こういう所が、この子の魅力だし大好きなところだ。
「そうだね。
「映画なら…たくさん…一緒にいれるね…嬉しいなぁ」
(嫁にしたい。これで本当にワタシと同じで、今年35歳になるのか…流石お嫁さんにしたい女優NO.1だ)
「〝ひまわりちゃんは…元気に…してる?〟」
そう小声で聞いてくれる未来は、美咲さんと瞳さん以外で唯一、あの子の存在を知っている信頼できる人間で、ワタシのたった一人の親友だ。
「〝元気だよ。もう来週から高校生だよ〟」
こういう話をしている時は、初めて会ったあの頃に戻れた気がして楽しかった。秘密を隠し持つことは、思っている以上に心と体に堪えるし、こうして本当の事を『口に出して言える相手』がいることは、とても幸せなことだと思う。
彼にも私のように、この秘密を話せる相手がいるのだろうか…。彼は『ひけらかす』ような人ではないし、ワタシと付き合っていた時も、そのことは誰にも話していないと言っていた。実際『女優:海』に、そんな憶測が世間で飛び交うことは皆無だった。
もしかすると、私が女優を続けていることは、彼の重荷になっているのかもしれない。
彼のことを考えると、いつもこうだ。
忘れて欲しくなくて、見ていて欲しくて続けている『女優として生きること』は、本当に正しいのだろうか。
もう別の誰かと幸せに暮らしていて、優しい彼に『ワタシという苦しみ』を、与え続けているだけなのかもしれない。
「海ちゃん…これから本読みだけど…その…大丈夫?」
「まぁ。何とかするしかないかな。頑張るよ」
「あんまり…無理しないようにね…私も…出来ることは…何でも協力するから…」
(無理しないように、か…)
「ありがとう。助かるよ」
未来が心配している『こと』は、ワタシ自身も心配していることだった。
あの冷酷非道で、どこまでも主人公の澪を恐怖に陥れた、場を破壊した灯は、まるで心を洗濯されたかのように、明るく穏やかで『よく笑う』女性になっていた。
この『ダブル主演』と銘打って世に出す作品を、無事に完遂することが出来るだろうか。
ワタシは、笑うことが出来るのだろうか…。
演者を変えることも出来たのに、ワタシと未来が再演することを選んだ真美さんには、何が見えているのだろうか。
『本読み』は
自宅に向かって車を走らせている最中も、そのことばかり考えてしまって、表情が硬くなっていた。
「笑顔か…」ふと、あの子の顔が頭に浮かぶ。
「最近よく笑ってるよな…」
彼氏でも出来たのだろうか。身嗜みも以前より気にしているようだし。
(ワタシにも、そんな時期があったっけ…)
東京都現代美術館を右手に、車を走らせる。
(このままだと右折入場になって駐車場に入れないな…)
考え事をしていると、つい道を誤ってしまう。
『白河三丁目』交差点を右折して、扇橋を越えて大門通りに出て猿江橋を越えて…やっぱり運転はワタシには向いてないと実感して悲しくなった。
「あ、おかえんなさーい」
「ただいま…まだ起きてたのね」
「うーん、ちょっといまノッてきてるから」
何かの絵を描いているようだ。この子は昔から絵を描くのが好きで、着せ替え人形にもあまり興味を示さなかった。
(それにしても最近、よくリビングに居るようになったな)
「あ、お風呂沸いてるからねー、ママ先に入っていいよー、白くなるヤツも入れてあるから」
「ありがとう」
あの子が沸かしてくれた、乳白色をした『スキンケア入浴液入り』のお湯に浸かりながら、台本の流れを反芻していた。
灯と澪にも娘ができていて、その娘たちが高校生になり、入学式で再会を果たすところから物語が始まる。
「ワタシ、あの子の入学式に行ったこと無いな…」
幼稚園の卒園式以降は、あの子が二歳になってから活動を再開した『女優:海』としてのキャリアを順調に積んでいたことで、外で目立ってしまうことが出来なくなっていた。何より公表していなかったことが大きかったので、小学校も中学校も入学式だけではなく、行事という行事には何も参加することが出来ていなかった。三者面談は流石に行くつもりでいたけれど、美咲さんからNGが出てしまい、美咲さんが『叔母というフリ』をして代理を務めてくれた。
(あの時のあの子はどんな気持ちだったんだろう…)
頭にタオルを巻いて、顔全体に化粧水を叩き込み、乳液で潤いをつなぎとめる。
「やっぱり入学式には行こうかな…」
最近は会話することも増えたし、あの子も喜んでくれるだろう。それに『今回の芝居の糧』になるかもしれない。
「あの…入学式なんだけれど」
「んー?来れないんでしょー?大丈夫だよー」
「いや、あの…」
「ママが来たら大変なことになるから無理しなくて良いよー」
「そ、そう…ごめんね」
(大変なことになる、か…)
「それにママ…その丸眼鏡じゃ…バレるよ?」
「………そうね。ありがとう」
クランクイン前日、久しぶりに娘と一緒に食卓を囲んでいた。この日はワタシの誕生日の前日でもあり、明日はお祝いできそうにないと『無事に高校の入学式を終えた』彼女が、手料理を振舞ってくれるそうだ。
包丁で指を怪我したり、火傷したりしないか心配だったけれど、初めての経験にワタシは胸が躍っていた。
(こんなにも嬉しい気持ちになるのは何年振りだろう…)
「ねぇママ、明日からの映画ってどんな内容なの?」
「あまり詳しくは言えないけれど『memories』っていう作品の続編なの」
「えー!ママ女子高生やるの?!」
「さすがに女子高生ではないけれど、また同じ役を演じることになったの」
「そうなんだー、じゃあまた椅子を蹴ったりするんだ?」
(一緒に観た記憶は無い…この子は、あの作品を観たことがあるのだろうか)
「その…あの時とは性格も変わっていて、ちょっと大変かもしれない…」
「そっかー、無理しないようにしなよー」
「ありがとう…」
(無理しないように…)
最近やたらと言われるその言葉は、昔彼からもよく言われた言葉だった。そんなことを思っていると、目の前に娘の手料理が提供された。どこか見覚えのあるそれは、キラキラした半熟卵の布団が綺麗に乗せられた『オムライス』だった。
「私の卵はこれから作るから、冷めないうちに食べてねー」
「ありがとう。いただきます」
初めての手料理を写真に残したかったけれど、気持ちを抑え、手を合わせて、ワタシに料理を作ってくれたことへの感謝を伝える。
「え、美味しい…ひま、このオムライスとっても美味しい」
「でしょー!実は、たまに一人で料理してるんだよねー。まぁ、コレは私のレシピじゃないけどね」
「ごめんなさい。ワタシがあまり家に居ないものだから…」
娘の成長は手放しで嬉しかったけれど、自分の至らなさを痛感して恐縮してしまう。
このオムライスはレシピサイトを見ながら作ったものなのだろうか。そうだとしても、作るのは簡単では無いし、卵の半熟具合の美しさといい、味が少し濃い目のチキンライスも最高に美味しい。
箸ならぬ、スプーンが止まらなかった。
でも、三口目を口に運んだあたりから、何か違和感を覚え始めていた。
ワタシ好みの味付けだけれど、あの子はワタシの好みをここまで熟知しているのだろうか。
いや、違和感は『そこ』だけじゃない。
懐かしくて心が温かくなるような、これと同じ物を食べたことがある気がしていた。
どうしても気になってしまい、不躾だったけれど、チキンライスを採掘した。ケチャップで染められたお米に囲まれて、鶏肉、人参、グリンピース、コーン…。
(あった…)
「どうですか?愛する娘の手料理は?」
得意気に言いながら、自分のオムライスを作り終えて来た娘に、聞きたいことがあった。
このチキンライスの中には、ダイスカットされたプロセスチーズが埋まっていた。
「ひまわり…これって、どこで…誰に作り方を教わったの?」
見つめた先にある娘の顔は、ワタシがそう言うと予期していたかのように、真剣な表情に変わっていた。
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