#13:Mission.
一度だけ聞いてみたことがあった。
幼稚園で『パパ』や『オトウサン』という言葉を耳にしていた私が、同じ組の子に質問をしたことが『きっかけ』だった。
「ねえ、パパってなぁに?オトウサンって?」
聞けば、それは『お母さんやママ』が『ケッコン』した相手で、人間だということ、中には『オトウサンやパパ』が居ない子も居たし、逆に『お母さんやママ』が居ない子も居た。
その『オトウサン・パパ』という存在について知りたくなった私は、迎えに来てくれた母に尋ねてみた。
「ねえママ、ママにはパパがいるの?」
「…いるよ」
「それは、あたしのパパなの?」
私の手を握るママの
「違うよ…。ママのパパは、ママのお父さんだから…」
「ふ〜ん。じゃあ『あたしの』オトウサンは?」
ママは急に立ち止まってしまった。
次第に呼吸が荒くなっていって、寒いのか震え始めてしまった。外に出る時は、いつもサングラスを掛けていたけれど、すぐに涙を流していることが分かった。
「ママだいじょうぶ?カゼかなぁ…はやくおウチにかえろうね」
「大丈夫…少し体が冷えただけだから…」
そう言ったママの手は、とても温かくて震えていた。
家に帰ってからのママは、いつも以上に感情の無い顔をしていて、でもどこか悲しそうな表情をしていた。
これは『二度と聞かない方が良い』ことなんだと思った。
一週間ほどは悲しい顔をしていたけれど、いつの間にか『いつもの無表情のママ』に戻っていた。
「ママにはパパがいるのに、あたしにはパパもママのパパもいないの」
私と同じ『パパがいない子』に聞いてみると、その子にはママのパパが居て『オジイチャン』と呼んでいた。オジイチャンには『オバアチャン』というママのママが居ると聞いた時には、さすがに私もショックを受けてしまった。
ママのパパとママ、つまり私には祖父母との面識もなかったのだ。パパの存在は図らずも、アルバムで思い出すことが出来たけれど、祖父母は一体どんな人なのだろう。健在なら、母方にも父方にも『居るはず』のその存在は、あのアルバムの中には姿が無かった。
*******
「そういえば…あの場所に一緒に行ったこと、よく憶えていたね」
(まだ三歳になる前だったのに、よほど鮮烈な記憶として刻まれているんだろうな)
「いや〜、正直あんまり憶えてないんだよね。ちょうどアルバムの中に写真があって、三人で写っているのを見つけたの」
(アルバムか…まだ持っていてくれたんだ)
「あのアルバムでパパのことも分かったし、なんて言っても、
(やっぱりボクの知っている彼女とは、だいぶ印象が違うな…この違和感は何なのだろう)
「そうだパパ、さっきの絵本!読んでみたいな!」
「あぁ…そうだね、ちょっと待ってて」
クローゼットに向かい、例の収納ボックスを手に取り、リビングに戻った。
(もう見ているんだろうから…良いよな)
「あれ?このボックス、
「昔あった雑貨屋さんで買ったんだよ」
「へえ〜」
(娘よ、悪代官みたいな顔をするのを止めなさい)
ボックスを開けて、中身を取り出して行く。
最上段のアルバムを出し、絵本を探す。中には他にも、保存袋に入れられた『クマになるお
「あった…。ひまわり、あった…よ?」
絵本を渡そうとしたけれど、娘はアルバムに夢中になっていた。
「これも
*******
ママが持っているアルバムと同じ物の表紙を開くと、最初のページにポストカードだけ差し込まれていて、捲ると『まだ私が産まれる前』のパパとママの姿。お腹の大きくなったママに、似合わないサングラスをしているパパ。洗濯物を干しているパパの姿。
(やっぱりこれって、ウチのバルコニーだよね…)
産まれたばかりの私を、大切そうに抱いて見つめているママの姿に、写真でも分かるくらい不慣れな手つきで私を抱いているパパ。
『WELCOME ♥ひまわり♥』と書かれた、手作り感満載のフラッグガーランドが掛かった壁を背にして写る三人、あの砂浜に写る三人…。
そこには、私の知らない『幸せそうな』顔をするママの姿が、大切に残されていた。どうしても聞いてみたくなってしまった。
「あの…パパ…怒らないで聞いて欲しいんだけど…」
「うん…」
「どうしてパパとママは一緒に暮らしてないの?」
いつかは聞かれるだろうと覚悟はしていたけれど、もう逃げないと決めた。少しでも、この子が彼女に対して『不信感』のようなものを持っているのだとしたら、その感情を消してやれるのはボクしかいないだろう…。
「全部…ボクが悪いんだよ」
「えっ?」
「パパは…ママと、君から…逃げたんだよ…。だから、ごめん。パパが全部悪いんだ」
(悪い?逃げ出した?他に好きな人でも出来た…とか?そんな人には見えないけれど…)
「ほ…他に…ママじゃない好きな人ができたの?」
「そんなこと…ある訳ないだろ」
「じゃあどうして逃げたりなんかしたの?」
「……………」
「ママが無愛想だから嫌になったの?私が可愛くなかったから?なんでっ?」
「ママは…無愛想なんかじゃない…それに、ひまわりのことだって…本当に嬉しかったし可愛いと思ってたよ」
「思ってた?過去形なの?!今はどうでもいいってことなの?」
責めても仕方がないと分かっていても、好奇心の化身になってしまった私は止まらなかった。
「そうじゃないよ…どうでもいいなんて思ってない…」
「それに…私は、おじいちゃんにも、おばあちゃんにも会ったことがない!それも何でなの?!」
「えっ…本当に?会ったことが…?」
「ないよ!生きてるのかどうかも分かんない!見たことも聞いたこともないよ!」
「まだ…ご健在だよ…話はしていないけど」
「え?わたしの知らないところでコソコソ会ってるの?なにそれ?信じらんない!」
「会ってはいないよ…見かけることがあるだけだよ」
「じゃあどうして私は会えないの?!」
「それも…全部パパのせいだよ…ごめん」
「私が産まれたのもパパのせいだって言いたいの?」
「っ…そんなこと言ってないだろ!」
パパは泣いていた。でも初めて出したパパの大きな声に、私は怯んでしまった。
「じゃあなんで私は一人ぼっちなの…」
「ママが…ひまわりにはママがいるだろ…」
「ママなんて仕事仕事で、私のことなんてどうでも良いんだよ!入学式にも卒業式にも来たことがない!授業参観にも運動会にも、学芸会にだって来たことがない!そんな人が自分の母親だなんて思えないよ!」
溜め込んでいた思いが、涙と一緒に流れ出てしまった。
「そんなこと…言ったらママが可哀想だよ…」
「じゃあ、どうしてパパは私達と一緒に居てくれなかったの!?ママいつも悲しそうな顔してるよ!初めてパパのこと聞いた時だって泣いてた!」
「…パパのせいだよ…ごめん」
「ごめんごめんって…ママもそればっかり!入学式に行けなくてごめんなさい、運動会にも行けなくてごめんなさい!私が悪いみたいじゃない!」
「じゃあどうすりゃ良かったんだよ!ひまわりがママのお腹の中に居た時も!産まれてからだって何も出来なかったんだよ!何も変わらなかった!パパが二人と一緒に居る資格なんて無いんだよ!」
「なにそれ…全部私のせいだって言いたいの?」
「だからっ、そうじゃないって…!」
「二人して私の存在を否定しないでよ!私から逃げないで!私はここにいるんだよ!」
「ひまわりもママも悪くないんだよ…。全部パパが…全部悪いんだよ…ごめん」
ボックスの中にある、写真で見たフラッグガーランドが目に入った。
(取っておいてくれてたんだ…)
それを見たら、言い過ぎてしまった自分が馬鹿らしくなって、少しだけ冷静になれた。
「ごめんなさい…ちょっと言い過ぎちゃって…」
「いや…大丈夫。パパこそ、大きい声を出してごめん」
きっとパパは、理由は分からないけれど、罪悪感を抱いていて、私たちから離れたのだろう。だからこそ、いま私と向き合ってくれている。
うつ病で苦しいハズなのに私もママも、パパの傍に居てあげられない…。
一人ぼっちなのはパパの方だ。
「パパは沖縄で会った時から、ずっと暗い顔をしてたから元気になって欲しくて…」
「……………」
「だから、あの…パパにお願いがあるんだけど」
「…お願い?」
「そのっ…またここに、パパの家に遊びに来てもいいかな?昔の話とかも色々と聞いてみたいし…」
「…そうだね。いつでもおいで、待ってるよ」
「パパ、大丈夫。パパには私が居るからね」
「うん…。ありがとう」
泣いているパパの顔は、少しだけ明るくなっていて、ちょっぴり嬉しそうだった。
私にはパパとママ、二人の血が流れている。
きっと私は、二人を幸せにする為に生まれてきたんだ。
『もうパパを一人にしない、ママに幸せという感情を取り戻してあげたい』
これは無駄な思考なんかじゃない。
私がやらなきゃいけない。
これは私の『使命』なんだ。
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