#3:Lonely.

高校2年の秋、修学旅行で沖縄に来ていたワタシは、一人で行動をしていた。いわゆるというやつだった。


行くつもりは無かったけれど、両親と小学生だった妹にお土産をせびられ、半ば強引に空を飛ぶことになった。そもそも飛行機に乗ることも怖かったし、何よりワタシはクラスで浮いた存在になっていた。


推薦入試で高校受験も終わり、久し振りに実家の花屋で手伝いをしていたあの日に、お客さんとして訪れたモデル事務所の人にスカウトされたことが『きっかけ』だった。ウチの常連客だという咲子さきこさんは、ワタシをひと目見て『ビビッと』きたらしい。


両親は、常連客である彼女を警戒することもなく、ワタシを置いてけぼりにして話を進めていた。自分の容姿に自信があった訳では無かったけど、熱心に誘ってくれる彼女を拒む理由は特に無かった。


嫌になれば直ぐに辞めれば良いと、軽い気持ちでワタシのモデル人生はスタートした。




最初の仕事は、聞いた事も無いティーン向けファッションブランドの、サマーコレクションの撮影だった。


冬なのに夏の服を着ることや、想像していた以上に多くのオトナ達が『ワタシ』を撮るために仕事をしている姿は、心をときめかせた。


着る服を替える度に髪型も変えてもらって、カメラマンのひとみさんの軽快なトークに乗せられ、楽しく過ぎていった時間は、最高に幸せで、ワタシは『この為に生まれてきた存在なんだ』と、15の齢で確信していた。


ワタシは、それから何度か瞳さんがカメラマンを担当する撮影に参加した。


「いや〜、ホントに君はいい笑顔をしてくれるね〜」


そう言う瞳さんは、掴みどころが無いけれど、裏表の無い性格をしていて、良いものは良い、納得できないところは絶対に譲らない、確固たる信念を持った人だった。


「瞳さんがワタシを笑わせてくれるんですよ」


そう言うと、照れくさそうに『はにかむ』彼女は、とてつもなく可愛らしかった。


「瞳さんがモデルをやった方が、カワイイと思いますよ?」


中性的な顔立ちで、スタイルも良い彼女こそモデルという職業が似合いそうだと思っていた。


「いや〜、私ってカメラの前だと笑えないんだよね〜」


無理無理と言う瞳さんは、少し困ったような笑顔をして話をしてくれた。


「ホントはね、モデルになりたかったんだ。勉強は嫌いで、運動神経もなくて、歌もダメで音痴だったし。でも、どうやっても笑うことが出来なかったの。緊張しちゃうって言うか、自分でも良く分からないんだけどね〜」


あははは、と話をしてくれていることは、ワタシが聞いてしまっても良いことなのか、どこか後ろめたい気持ちがしていた。


「モデルとしては無理だったけど、現場には凄く沢山のスタッフの人達が居て、みんながキラキラ輝いて見えたんだ〜」


カメラのレンズを取り替えながら、彼女は続けた。


「モデルとしてじゃなくても、この場所に関わってみたいって思ったんだ。それから必死になってカメラの勉強をしたんだよね」


そう言ってレンズを覗き込む彼女の姿は、プロとして真剣に生きているオトナの覚悟を感じるものだった。


「表現するのはモデルだけじゃない。雑誌には名前しか載らないけれど、モデルさんを笑顔にして、最高の一枚を撮る。カメラマンも立派な表現者なんだよ」


カッコイイでしょ、という彼女の言葉は、胸に深く響いて刻み込まれた。軽い気持ちで入った世界だったけれど、モデルになることを諦めてもなお、表現者で在り続けることを選んだ彼女と向き合うことが、果たして出来ているのだろうか。カメラの前に立つからには、沢山の人達の想いを背負わなければならない。プロとして仕事をする覚悟を持たなければ失礼だと思った。




高校に入学して、初めてのゴールデンウィークが明けた初日。クラスに入った瞬間、空気が変わったことを感じた。


クラスメイトの一人が、持っていた雑誌とワタシを交互に見て、不敵な笑みを浮かべる。


手に持っていたのは『ワタシの初仕事』が載っている雑誌だった。


直接的に何かを言われることは無かった。コソコソと〝内緒にしていた〟とか〝調子に乗ってる〟なんて言葉が耳に入ってきた。別に秘密にしていた訳では無いし、誰かに話す必要なんて無いと思っていた。そもそも、そんな言葉を言われるような悪い事はしていない。


その日から、ワタシはクラスで孤立し、腫れ物のような存在になっていった。


正直、学校を辞めようと思った時もあったけど、モデルの仕事や、ワタシを見つけてくれたマネージャーの咲子さん、カメラマンの瞳さんのことを否定する様な気がして、逃げるという選択肢は持たないと決めた。


女子校特有のノリなのか、ワタシが雑誌に載る度に、クラスから学年に、学年から学校中に噂は広まり、一時期は珍しい生き物を見るかの様な視線を向けられた。


(なんて暇で幼稚なんだろ…)


プロとして生きているワタシにとっては、痛くも痒くもなかった。こんな人達に認められることよりも、モデルとして、咲子さんや瞳さん達に認められることの方が、有意義だったし、ワタシを形成する全てだと思っていた。


学校生活は、つまらないものになってしまったけど、両親はモデルの仕事を応援してくれていたし、妹も自分のことの様に喜んでくれていることが、何よりも誇らしかった。




午後から自由行動だったこの日は、家族からリクエストされたお土産と、咲子さんと瞳さんに可愛らしいシーサーを買ってからホテルに戻った。


制服で行動しなければならないことも不自由だったけれど、一人に一部屋与えられたことが、この旅の唯一の救いだった。世界文化遺産に登録されている場所も、現地でしか食べることの出来ない料理も、ワタシの思い出に残ることは無さそうだった。2泊3日の修学旅行も、今日を乗り切れば明日で終わる。


「はやく帰りたいな…」


ベッドに横たわって天井を眺めていると、波の音が聞こえていることに気が付いた。二日目に宿泊したこのホテルは、裏手が砂浜に面していて、静かな部屋の中に心地良い波の音を届けてくれていた。


沖縄まで来たのに、海を見ていなかったことに気がついたワタシは、何かひとつでも、この旅に来た証が欲しくて砂浜へと向かった。



そこに広がっていたのは、想像以上の絶景だった。



『青い海』というものは、こういう色のことを言うのだと思った。


ローファーと紺のハイソックスを脱いで、裸足で砂浜に入る。乾いた砂はサラサラして、少しくすぐったかったけど、白い砂浜と青い海のコントラストは、今まで見て来たどんな景色よりも素晴らしいものだった。


「綺麗…」


ポケットからケータイを取り出して、色んな角度から写真を撮った。この景色をワタシの大切な人達にも見せてあげたかった。お母さんに咲子さん、瞳さんに写メールを送りながら、みんなの喜ぶ姿を想像すると頬が熱くなった。


お母さんからは、お父さんと妹が羨ましがっていること、咲子さんからは『ズルいです!!』というリアクションをもらい、瞳さんからは『次の撮影で水着に挑戦しよう!!』と返事がきて、吹き出して笑ってしまった。このやり取りだけで、この旅が良い思い出へと昇華されていく満足感を得ることが出来た。



気が付くと日の入りが近づいていて、波がすぐ目の前まで来ていた。


「あっ…!!」


夢中になって写真を撮りまくっていたワタシは、ハイソックスを押し込んだローファーを、この砂浜のどこかに置いたままだったのだ。


慌てて立ち上がって辺りを見回すと、制服姿の男子が、ローファーを2足持ってワタシを見つめていた。


地元の高校生だろうか、ズボンはすねの上くらいまで捲りあげていて、足元はワタシと同じで裸足だった。彼は『ハッと何かを思い出した』みたいに、口を開いた。


「この靴…あなたので合っていますか?」


無表情…だけど少し照れくさそうに言われて、ワタシも恥ずかしくなってしまった。


「あのっ…わ、ワタシのです」


良かったと言って、彼は自分のローファーを砂浜に置いて、ワタシのローファーの底を手の平に乗せて、取りやすい様に差し出してくれた。


いままで靴を拾ってもらった事なんて、経験したことが無かったけれど、自分の手を汚してまで差し出してきた彼の行動は、海の上に浮かぶ太陽よりも眩しく見えた。


「あっ…ありがとうございます」


差し出された自分のローファーを丁寧に受け取ると、彼は手についた砂を名残惜しそうに落としながら、砂浜に腰をおろした。


ワタシも彼にならって腰をおろす。


こんな時に、何の話をしたら良いのか分からない自分が情けなくて、申し訳ない気持ちで俯いていると、彼は海の方をゆび差して「見て」とワタシに告げた。


水平線に太陽が掛かり、青かった海をキラキラに輝かせていた。


「凄い…」


あれだけ沢山撮った『今まで見て来たどんな景色よりも素晴らしい』と思った青い海を、忘れてしまう程に美しい世界が広がっていた。


「綺麗だね」という彼の言葉は、ワタシに向かって言っているみたいで、胸が高まってしまった。


少年のように海を眺める彼の横顔は、どこか寂しそうだったけれど、魅力的で、他の誰にも見せたくなくて、ワタシだけが独り占めしているこの空間が、永遠に続いたら良いなと思うものだった。


どの位の時間、彼のことを見つめていたのか、「どうしたの?」と言われるまで、意識がふわふわと宙を漂っていた。


「ごっ…ごめんなさいっ」


自分でも顔が赤くなっている事がわかった。


それから太陽が水平線の彼方に消えるまで、ひとことも会話は無かったけれど、とても居心地が良くて、幸せってこういう事なのかなと、夢見心地にそう感じていた。


さてと…と立ち上がる彼を見て我に返る。


差し出してくれた手に、ちょこんと手を乗せると、ワタシの体を優しく起こしてくれた。


「あ…ありがとう」


お礼を言うと、とても嬉しそうな顔をしてくれた。


慣れない土地で出逢ったという『特殊効果』がそうさせている訳じゃなく、ワタシは彼を好きになっていた。


彼氏なんて居たこともない自分が、『東京と沖縄の遠距離恋愛もアリかも』とか妄想をしていると、別れの時がやってきた。


「気をつけてね」と言う彼に「ありがとう」と返すのが精一杯だった。


ワタシの初恋は、この海に残して泡になって消えてしまった。



ホテルの部屋から聞こえる波の音は、暖かくて、流れる涙は、とても塩っぱかった。

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