第一章 五節
成房の屋敷の裏手から、逃げ出した斬童丸と忍葉の二人。
時はそれから少し遡る。
場所は、吉田山にある神社。
神主がその血痕と大鎌を見つけ、源頼光が住む左京一条の低を叩いた事で始まった。
集められた頼光と四天王が三人。
山に埋められた碓井貞光は、犬によって発見され。
その遺体を彼らは目にした。
「うおおおおー!!貞光の兄貴!!どうしてこんな姿に」
その身を抱き、人一倍涙したのは坂田金時であった。
足柄山で自身を拾い育て、頼光の元へ連れて行った貞光は金時にとって、兄の様な存在であったからだ。
「朝廷絡みでしょうか?」
丘から平安京を眺める頼光の背に、渡辺綱が問いかける。
その手には、貞光の大鎌が強く握り締められていた。
「さてな、だが甲賀の者がその者を見つけた様だ。貞光……一人にして済まなかった」
後ろ姿から見ても、頼光が震えているのが分かる。
それを見て綱は、堪えていたモノが溢れた。
「貞光殿……」
歯を食いしばり、貞光の窮地に駆け付けられなかったのを悔やむ綱。
その肩を卜部季武が支えた。
「貞光殿は、武に散ったのだ。我等なら知っていよう……あの方は、誰よりも武術にその身を捧げていた事を、あの顔を見たか?良い顔だった」
「ああ、ああ!」
995年 吉田山にて碓井貞光死去。
頼光四天王として知られる彼の武名を思ってか、彼が天涯孤独だったこともあり、この事件は内密にされる事となった。
延暦寺に向かう最中、斬童丸達は何度か死闘を繰り広げる。
その中で最も多かったのが甲賀の追手のものだった。彼らとの戦闘は苛烈を極め、その疲労は狩猟民族である斬童丸も甲賀の忍葉でも値を上げるモノだった。
『儂は、こうなった原因のお主を殺すかも知れぬぞ』
『……それは有かもな』
成房の屋敷を出る前、斬童丸としたやり取りを思い出す。
(何なのだ奴は……そんな訳の分からぬ男に、背を預ける事になるとはな、お笑い種だ)
「甲賀の誇りは、何処に捨てた!!」
「甲賀の恥め!!」
襲い掛かってくるかつての同胞を見て忍葉は思う。16年の時を共に過ごし生きた。
一度の失敗でそれを全て失うなら、あの時はそんな価値の無い物だったのかと。
平安京から延暦寺までは、一日と経たぬほどの距離である。
しかし、多くの追手から斬童丸達の足は止められ、時をかける事となっていた。
一日中続く戦闘の疲労、同士討ちの心境はかなりのものだった。
一瞬の隙が命を落とす理由になる。その最中、忍葉は切り殺した骸の中で友を見る。
「忍葉!!」
斬童丸の呼び声で我に返る。足元でまだ息のある者がいた。足を掴まれる。
直ぐにその者に止めの刃を突く。が、その背に隙が生まれてしまった。
「その背、獲った!!」
「ぐっ!!」
咄嗟に体を捻り致命傷は避けた。が、この感触。かなりマズい。
右肩に近い場所を刺されたな、少し深いか。
「甲賀の忍葉に一太刀浴びせたのだ。悔いはない」
「貴様っ!!」
斬童丸がすかさず、その者を斬る。
「忍葉、大事無いか」
「ああ、構うな。元より心配する仲では無かろう」
忍葉に駆け寄り、その傷を見る。
暗がりで良く見ないが、出血量からして傷は深い。
それにこの疲労だ。状況はかなり悪いと見た方がいい。
「馬鹿を申すな、今は背中を預ける物同士。心配するのは当たり前だろう」
「フッ、本当に分からぬ奴だ……」
息の浅い忍葉。敵は先程の奴で一旦退けたと見る。
応急処置として、成房殿から頂いた治療道具で忍葉の傷を巻く。
斬童丸が膝を付いて、背を見せる。
「……何をしている?」
「何とは?おぶってやると言っている」
「はぁ!?痛ッ」
『当たり前だろう』と、いった顔で此方を見る斬童丸に、恥じる自分が馬鹿みたいだ。
少し頬を赤らめ忍葉は、その背に身を預けた。
疲れた身体に鞭を打ち、距離を取った。
知らぬ民家を借りて、忍葉の背を見る。
『傷の治療ぐらい、自分で出来る』と言った忍葉だが、背に手伸ばす度に悲鳴を上げる為、我慢ならず結局斬童丸がする事となった。
「さらしを巻いていたのが良かったな。これが無ければ骨に届いていただろう。しかし、何故あの時足を取られた?」
焼いた針で傷口を塗っていく。はだけた彼女の背には、無数の傷跡があった。
傷口を縫われるのに慣れているのか、彼女はその痛みに苦しむ声を上げない。
「貴様には、関係無かろう」
「何度も言うが、我等は今や背を預ける同士だ。貴殿がいなければ俺は既にこの世に居なかっただろう」
「ならば逆に聞こう。お主は今、人を切る事に躊躇しているだろう。儂とやった時の剣が見る影もない」
「そ、それは……」
「何だ、お主。自身で気付いておらなかったのか」
忍葉の言う事には思う所が合った。そうだ俺は今、人を切る事が怖い。
「そうだな、俺は人を切る事が恐ろしくなってしまった」
「語れ、そうすれば話すのを考えてやる。暇だしな」
忍葉の傷口に、薬を塗りながら斬童丸は話始めた。
これまで合った事を、整理するように。
「少し前に気が付いたのだ。当たり前のことに、初め孤独に死んでいった碓井貞光に寂しさを覚えた。だが、自身も同じ孤独を生きる身だと思っていたが、帰る場所が在る事に気が付いた」
「それが、今目指す延暦寺か?」
「ああ、その帰る場所が有るとうのに俺は、今命のやり取りをしている。復讐に生きる自身が愚かだと思えて来た。今まで殺して来た者達にも、俺の様に帰る場所が在ったかもしれないのに」
治療をする手が自然と止まる。
忍葉が振り向くと、斬童丸は震えながら涙を流していた。自身の起こいに懺悔する罪人のように。
「我等、甲賀の者にそんな所は無いと言っても、そういう話では無いのであろうな」
忍葉は、襲い掛かって来たかつての同胞の剣幕を思い返し言う。
私が思っていた故郷は、無かった。
「ならば、儂も改めて問おう。お主が儂に問うた様に、これから先お主はどうする?何やら朝廷に恨みを持っているのだろうが、それを諦めるのか?何も考えておらぬのだろう?」
さらしを巻き直し忍葉が振り返る。
その面持ちは真剣だった。
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