第一章 四節

肉を裂き、骨を断つ。


碓井貞光との一戦。自身の磨いた技をぶつけるのは、楽しかった。


その後、窺見の五人。手負いでも十分戦える俺は、強いのだと自信を持てた。




『俺は、強い!』




切って、切って、切りまくりたい。




『引き取り手は……いない』




その声に振り向くと、地面に埋もれた碓井貞光が此方を見ていた。




『碓井貞光!?何故』




ジャラジャラと鎖で、身動きが取れなくなる。いつの間にか殺した筈の黒装束達が俺を囲んでいた。振りほどこうにも、どうすることもできない。そうする内、地面から碓井貞光が此方に迫って来る。




『来るな!来るな!来るなぁー!』








瞼を開けると、知らない天井がそこにあった。


酷い汗だ。着物だけでは無く布団まで濡れていた。




「随分と、うなされていたな。中々見物だったぞ」




「お前は……」




部屋の柱に、昨夜襲って来た黒装束の女窺見が鎖で縛られている。


此処は何処だ。部屋の窓の外を見て確認する。間違いない、此処はまだ成房殿の屋敷だ。




「俺より先に起きていたんだろう。何があった」




柱に縛られている女に問う。




「起きたら、いきなりそれか……」




はぁーとわざとらしく溜息を吐く女窺見。




改めてよく見ると、この女子やはり可愛い。


整った顔立ちに、色白の肌、うなじで結ばれたツヤのある長い黒髪。背丈は小さいが鍛え抜かれた身体は、密着した黒装束と相まって妖艶に見える。




いかんいかん、寝ぼけておる。




「忝い、名を聞いていなかった。俺は斬童丸と言う者だ」




「ジロジロ見おって、私は忍葉じゃ。よろしくな鬼、童、丸、殿」




「何だその含みのある言い方は」




『さぁ?』と、とぼけた顔をする忍葉。


とりあえず忍葉は置いて、二階に位置するこの部屋を出て下の階に行こう。




しかし、下の階に続く階段を覗いてみると、一階には武装した武士が数人見えた。やはり既に追手が迫っている様だ。




(済まぬ、頼房殿)




暫くして、二階に頼房殿が来た。


話を聞くにどうやら、昨日俺が見たモノは確かだったらしい。




「それで、追手の方は」




「ああ、追手か。それは集めた情報で作られた人相書きから。お主が此処にいると知って、儂らが情報を藤原氏に送ったまでの事よ」




勝ち誇ったかの様にニヤリと笑い、話に割って入りる忍葉。




「忍葉……だが、頼房殿なぜ奴等は上がって来ないのだ?」




「私はこう見えても藤原氏の一人。少しの間は武士達を止める力はありますとも。しかし、お急ぎください。言い訳も切れて来ておりますので」




「承知した」




「それにしても、斬童丸殿。甲賀の窺見を切り伏せるだけでなく、生きて捕らえる腕前。この頼房、感服いたします」




成房の言葉にギロリと、獣の様な視線を向ける忍葉。今にも飛び掛かって来そうな剣幕だ。


これに成房も慄き、一つ咳払いをした。




成房殿は、何やら知っていそうな素振りだな。




「成房殿、この忍葉という者について知っておられるのか?」




「ええ、彼等はかの聖徳太子の時代から皇族に仕える一族ですから。大伴細入と言えば分かるでしょう」




「何と!大伴細入を祖に持つとは」




優れた戦術を持ち、数々の功績を残したとされる人物。その力が認められ聖徳太子に『志能便』という称号を得たとされる。大伴細入。




(なるほど、あの身のこなし。納得いった)




「おい、いくら藤原の血が流れていようと、それ以上語ると命は無いぞ」




「うっ、斬童丸殿。私はこれにて」




成房殿は、忍葉の威圧に押し出され部屋を後にした。








身体の汗を拭き、新しい着物に着替える。


腰に太刀を差す頃に気が付く事になった。大きな問題がまだ一つある。




「これから貴殿は、どうするのだ」




柱に縛られたままの忍葉に問う。




「まさか、藤原に縁者がおったとはな。恐れ入ったぞ」




そうだ、忍葉を生かして返せば成房殿の立場が危うい。


只でさえマズい状況なのだ。




(数少ない、父の教えだが。ここで斬るしか道はない)




柄に手を伸ばす。


それを見て、忍葉は笑って目を閉じる。




『敵討ちか、残念だ』




何処からか、貞光の声が聞こえた気がした。それで、柄に伸ばした手を止めた。


よく考えれば、忍葉は質問に答えていない。




「何故、貴殿が助言に似た事を言う。まるで死を望んでいるかの様だ」




「クソ。そのまま殺せ」




「答えろ、貴殿は」




「ああ、分かったよ。どうせ失うものなど無いのだから」




そう言って、忍葉は語り始めた。




「儂等、甲賀の一族に任務の失敗は許されない。それは失敗した者が持つ情報の流出を恐れての事からよ。口に仕込んでいた毒も、貴殿に気絶させられてから成房の奴めに取られてしまった……じゃから、儂にもう生きる道など無いのだ」




居場所を失い唯一人。只孤独に死ぬ。それは寂しい事だ。


吉田山で一人死んで逝った碓井貞光を思い出す。




(貴殿も、いやそれは俺とて同じか……)




「気が変わった。貴殿俺と来い、一先ず延暦寺を目指す」




「何を……お主、話を聞いておったのか?」




「ああ、道を見失った者に、『道を示す』それが俺の第二の父の教えだからな……」




「ん?どうかしたか」




言って気が付いた。口を手で覆う。


俺には、帰る場所が在ったのだ。憎しみで前が見えなくなっていただけ、碓井貞光の一戦。


彼の地を思い出した。俺の心には、ずっとあの景色が色濃く映っていた。




涙が流れる。それを恥じる様に斬童丸は、顔を手で覆って隠した。




(帰りたい……)




「何だ!一体どうした!?……むぅ、分からん奴……」





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