掘り出し物
増田朋美
掘り出し物
その日、竹中千鶴さんと、中鉢優子さんのガチンコバトルが行われている間、製鉄所でも変化が起こっていた。杉ちゃんたちがお昼ご飯を食べている間に、一人の男性が、杉ちゃんたちを訪ねてきたのだ。その人は、水穂さんよりも少し年上で、紺色の紬の着物を身に着けて、紺色の袴をつけていた。そういうところから明らかに普通の人達とは、ちょっと雰囲気が違うんじゃないかと思われる印象があった。でも、記憶力のいい杉ちゃんという人は、その人が誰なのかすぐに分かってしまったらしい。
「あ!ピー助じゃないか!お前さんは確か、九州へ帰ったんじゃなかったの?」
杉ちゃんに言われて、その男性は、軽く頭を下げて、
「はい。ピー助というか、藤井督です。確か、杉ちゃんでしたよね。僕の漢字を平家物語に登場する小督と間違えて、藤井小督なんて言ったからよく覚えております。」
と杉ちゃんに言った。
「それで、今日は、何のようだ?お前さんみたいな偉いやつが来てくれるなんて、何かあったのか?」
杉ちゃんがでかい声でそう言うと、
「いいえ、実は、広上さんに、オーケストラと共演してくれと言われまして、昨日からこちらに来てるんです。今はいいですね。スマートフォンのアプリで会議もできますし、すぐに長崎から飛行機の予約もできるんですからねえ。」
と、ピー助さんこと、藤井督さんは言った。
「はあ、今どきのオーケストラは、変な楽器と共演したがるものだなあ。何でわざわざ清笛奏者が、こっちへ呼び出されなくちゃならないんだろう。フルートとか、そういうものが腐る程いるんだから、そいつを連れてくればいいじゃないか。」
杉ちゃんがそう言うと、
「ええ。まあ、僕も不思議に思いましたけれど、大変なんでしょうね。広上さんも。他のオーケストラと差別化をさせるため、こうして、清笛奏者を連れてきたのでしょう。まあ、西洋楽器とは、何度かコラボレーションさせていただきましたが、まさかオーケストラの方とあわせることになるとは、思いませんでした。」
と、ピー助さんは言った。
「それで、今日は、誰に何のようだ?偉いやつは、気まぐれに現れて、いろんなおせっかいをしていくもんだが?」
杉ちゃんが改めてそう聞くと、
「そうかも知れませんね。それなら今日もおせっかいをさせていただきましょうね。それでは、水穂さん、磯野水穂さんはいらっしゃいませんか?」
と、ピー助さんは言った。水穂さんの現姓を知っている数少ない音楽関係者であった。
「はあ、寝てるよ。何か、暑くて気分が悪いんだって。」
杉ちゃんが答えると、
「そうですか。まだ、お体が良くならないのですか?」
ピー助さんは聞いた。
「ならないっていうか、お前さんも知ってるよな。まあ、そういうことだ。それならしょうがないので、とりあえず顔だけ見てやってくれ。じゃあ、頼んだぜ。」
杉ちゃんがそう言うと、わかりましたと言って、ピー助さんは、製鉄所の段差のない玄関から、草履を脱いで中へ上がった。しっかり白足袋をはいている。そういうことなら、身分の高いというか、上流階級に属している人だろう。水穂さんとは正反対の身分の人であることは、よくわかった。
「水穂さん入るよ。ピー助さんが来たぜ。ちょっと起きてやってくれるか?」
杉ちゃんは、急いでふすまを開けた。ふすまの向こうから藤井督さん?と言う声がして、水穂さんが布団を取り除く音がした。それと同時に、小さな男の子声で、おじさん起きちゃだめ、病気なのにと言っている声がした。
「ど、どうもすみません。こんな見苦しい姿をお見せしてしまいまして。」
と、水穂さんがピー助さんに、丁寧に座礼した。
「いえ大丈夫ですよ。水穂さん。もっとお体を大事にしないとね。多分、色々支障があると思いますが、できる限り体を回復させる様に努めないと。そちらの小さな子どもさんが、真剣な顔で心配しているじゃありませんか。」
ピー助さんはそういうのであるが、すぐにいつもとは違っているのに気が付き、
「あれ?水穂さんお子さんはいらっしゃいませんでしたよね。それなら、こちらの少年はどこから来たんですか?」
と言った。
「ああ事情がありましてね。実は、お母さんに捨てられてしまったというか、虐待があるということで、ここで預かっているんだよ。今ね、新しいお母さんになってくれそうな人が、前のお母さんとガチンコバトルしてるとこ。」
杉ちゃんがそう言うと、ピー助さんは、なるほどなるほど、と考えてくれたようだ。
「それで、この年代ですから、学校へ行っているはずでは?」
「そうなんだけどね。まあ、学校にも行けてないんだ。学校の成績が悪いせいで、お母さんに、怒鳴られてるんだって。まあ、仕方ない自然に任せるしか無いかと思ってるんだけどね。」
ピー助さんの質問に杉ちゃんが答えた。ピー助さんは、しゃがみこんで、夢路君と同じ目線になり、
「お名前をどうぞ。」
と優しく言った。そういうことができるのは、やはり上流階級の特権かもしれない。
「僕、竹中夢路。」
夢路くんが答えると、
「そうなんだね。おじさんは、藤井督。職業は、清笛という楽器を吹いている音楽家です。」
ピー助さんは答えた。
「清笛ってなあに?」
夢路くんは、そう聞いた。確かに、今の学校では明清楽というものは、見たことが無いかもしれない。昔の学校であったら、教えてくれたかもしれないが、今の教育では忘れ去られている。もしかしたら、九州の学校では話をしてくれるかもしれないが、それでも、多分簡単な曲を紹介されるだけであろう。
「あのね、夢路君。みんなが今みたいに洋服を着るような時代じゃなくて、まだみんなが着物を着ていた時代。江戸時代っていうんだけど、わかるかな?時代劇なんかでよくあるよね。その時代に、長崎で大流行していた、中国の音楽があってね。それを明清楽と言ったの。それで使う横笛。」
ピー助さんはわかり易く言った。
「そうなんだ。おじさんはそれを吹いている人?」
夢路くんが聞くと、
「そうだよ。こちらにいる水穂さんとは、大学時代の友達。と言っても、僕は芸大で、水穂さんは桐朋だから、ぜんぜん違うけれど、音楽は、知らない人を友達にさせてくれるね。清笛とピアノの演奏をしたことがあってそれで知り合ったの。」
ピー助さんは、またわかりやすく言った。
「そうなんだ。それでピー助って言うんですか?ピーピーってなるから?」
夢路くんが聞くと、
「ええ、杉ちゃんが、あだ名を付けてくれたんですよ。あだ名をつけるの、得意だからね。」
と、ピー助さんは答えた。
「そうなんだね、じゃあ、一曲吹いてもらえますか?」
夢路くんがそう言うと、
「わかりました。」
と、ピー助さんは、持っていた風呂敷包みを開いて、清笛を袋から取り出した。そして、明清楽の代表的な歌である、ジャスミンのうたを吹き始めた。やはり、清笛特有の、ビービーという音がして、日本の尺八とは違う響きがある。それは、歌口の近くに竹紙というものが貼ってあるからである。中国の笛子も同じ原理で音が出るが、いずれにしても、美しい音がするというとは言い難い。フルートのような柔らかい西洋的な響きでも無い。
吹き終わると夢路くんは、にこやかに笑って、拍手をした。
「おじさんすごい。面白い。」
夢路くんはとても楽しそうだ。
「じゃあ、おじさんが教えてあげるから、笛を覚えてご覧?」
ピー助さんは、夢路君に高音域用の短い笛を渡した。水穂さんがいいんですかというと、
「いえ、こういうことはちゃんと覚えさせたほうがいいでしょう。だって、彼はこれから、新しいお母さんのところに行くのではないかと思いますが、そのときにきっとつらい思いをするはずです。それなら、それを数分だけでも忘れるというか逃げる道具が必要です。そのために、清笛が役に立てたら本望です。」
と、ピー助さんは、にこやかに笑った。そして、夢路君の手を取って、指孔を塞ぐやり方を教え、歌口近くに持っていき、吹いてご覧と言った。夢路くんがそっと吹いてみると、ちゃんとドの音がなった。ピー助さんが、また指孔を動かして、次の音を出させると、今度はレの音がなった。それを繰り返してドレミファソラシドと夢路くんは音を取ることができるようになった。
「なかなか才能あるじゃない。すぐにドレミファができるなんて。」
「そうなんだよ。歌も歌わせたけど、結構うまいよこいつ。」
と、杉ちゃんが夢路くんを顎で示した。
「そうなんですね。じゃあ、それなら、清笛でなにか一曲吹いて見てもいいかもしれないね。えーとそうだなあ。これなんかどうだろう?グリーンスリーブス。」
ピー助さんが、グリーンスリーブスを吹いてみせると、夢路くんも、見様見真似でそれを吹いた。まだ指孔の動かし方など覚えていなかったが、ちゃんと音になっているので、それはしっかりしているということだ。一生懸命グリーンスリーブスを吹いている夢路くんを見て、
「なんだか、学校へ行かせないのはもったいないですね。ちょっと事情がある子供さんを受け入れてくれる学校を探してみましょうか?支援学校とか、特殊学校などと呼ばれているところであれば、受け入れてくれるのではないですか?多分、集団になれさせたら、彼は才能を捨てることになると思います。それではもったいないし、彼が可哀想なので、それを生かせるというか、理解してくれる学校を探したほうがいい。」
ピー助さんは言った。
「まあ、そうですね。海外の学校とか、そういうところであれば、例えばシュタイナー学校へ行くとか、そういうことができるんでしょうけど、日本では特別支援学校へ行くしか救いの手がありません。夢路君のようなちょっと事情があって、でも、特殊な才能があるという子供さんは、なかなか居場所が無いというのが、今の現状かもしれませんね。」
水穂さんが残念そうに言った。
「そうかも知れませんが、でも、行動を起こすしか無いでしょう。学校で多少つらい目に会うのは避けられないというのだったら、彼が安心していられる場所を作らなければなりません。そのために、今、女性二人が戦っていらっしゃるのであれば、僕たちも、そうしなければなりませんよ。どうしても善はまけるというか、そうなってしまいますからね。」
ピー助さんは、にこやかに笑って、夢路くんの頭をなでてやり、タブレットを取り出してなにか調べ始めた。水穂さんもそれに加勢した。
「こないだの伊達五月さんといい、権力があるやつは、すごく行動力があるんだな。」
と、杉ちゃんが呟いてしまうくらいだ。
「へっくしょい!」
と、伊達五月さんが大きなくしゃみをした。アクリル板を隔てて、優子さんと千鶴さんのガチンコバトルはまだ続いていた。
「あなたは夢路くんを、本当に幸せにできる自信があるんですか!」
思わず優子さんは言った。女性というものはすぐに感情的になってしまうものだ。男性の様にすぐに次を考えようということがなかなかできないのである。
「ええ。できますとも!なんて言ったって、私は、夢路の母親なのよ!」
と、千鶴さんも負けないくらい言う。
「でも、それでは、50日も夢路くんを放置したのはなぜです?それは殺そうとしたと思ったのではありませんか?」
優子さんがそう言うと、
「ええ、あのときはそう思ってました。でも、ちゃんと反省はしています。だって夢路は私の息子だし、私が産んだ子でもあるわけですから。今回のことは、私が確かに間違っていたかもしれないですけど、でも、それは、ちゃんと反省して、これからの人生をやり直します!」
と千鶴さんはそういうのだった。どうやら警察側もそうするべきだと見ているようであるが、優子さんは、ちょっとつらそうな顔をした。
「あなたはただの海外から来た、だめな人じゃない。どうせ、家がなくて、それでこっちへ逃げてきたんでしょう?そういう女性に、子供を産んだことの苦しみとか、思い出せますかしら?」
と千鶴さんがそう言っている。
「そうかも知れませんが、海外から来ただめな人でなければ、わからないことだってあると思います。現に千鶴さんは、夢路くんを50日も放置したことも事実でしょ。その間、どこで何をしていたんですか?それは警察の方も知りたがってましたわ!」
優子さんがそう言うと、
「仕事が忙しくて、忙しくて、帰るよりも、ホテルで仕事していたほうがよほどいいと思ったのよ。ほんとよ。嘘じゃないわ。夢路には、食べ物があると言っておいた。それにあたしは、夢路を部屋に閉じ込めることはしていない。だって、ベランダから逃げるようになっていたのよ。それができてたんだから、完全に、閉じ込めたわけじゃないでしょ!」
と、千鶴さんは怒鳴った。
「そうかも知れないけど、あなたがしたことは、間違いだったのよ。50日、彼を部屋に閉じ込めておくなんて、それは明らかに間違いなのよ。それに、あなたは成績が悪いことで、夢路くんを叩いたり放置したりしたのよね。それは、あなたが殴らなければ、そんな傷跡はつかない。それも、あなたは間違ってないっていうの!」
優子さんがいうと、
「間違いっていうか、そうしなくちゃならなかったのよ。だって、教師の息子がこんな成績でなんて散々周りの人から、嫌味を言われてね。あたしは、どうしたらいいかわからなかったわよ。だってあの子ったら、勉強には興味を示さないで、歌ばっかり歌って、いくらやめろと言っても聞かないで。そんな子だもの。殴らなくちゃ、教えられないわよ。そうやってやらなくちゃいけないことを、体で覚えさせることが必要だと思ったから、それで、教えるしか無いって、思っただけよ。それなのに何よ今更!」
と千鶴さんは言うのだった。
「いくらやめろと言っても聞かないんだったら、別の手を考えるとか、そういうことも親の努めなのではないかしら。それをしないというのはやはりあなた、」
と伊達五月さんがそう言うと、
「全く偉い人は、机の上でしかものを考えないから、あたしたちがどんな生活を強いられているかなんて知らないのね。だから、代替作をいくらでも言えるのよ。そんなこと、現実にそういうことができるか、それはあなた達にはいくら説明してもわかってなんかくれないわよね。あたしが、いくら仕事と家庭の両立で苦しんだか。それがわからないわけでも無いのかしら!」
と千鶴さんはそういったのであった。
二人の話は何を言っても糠に釘。暖簾に腕押しだった。どうしてもそれ以上前に進んでいかない。ただ、一つだけ確かなのは、もし、千鶴さんが誰かに相談をすることができるような、そんな立場だったら、もっと違うのではないかということであった。
「時間ですよ。」
と、警官が入ってきた。面会時間が終了したのだ。
「私にはどうしても理解できません。確かに仕事はいそがしかったかもしれないんですけど、でも、夢路くんをそれのせいで叩いたり、家の中へ放置したりするでしょうか。少なくとも、私も含めて私の国では絶対にそんなことはありませんでした。もし、誰かがやり方が分からないと言ったら、私達は村全体が助けることになってましたから。一人で、悩んでしまうことなんて、全然なかった。そんなこと、絶対絶対、あり得ない話だったのに。」
と、優子さんは、手錠をかけられて、留置所に戻っていく千鶴さんを眺めながら、そう言ったのであった。
「多分、その、村全体が助けるということが、日本にはかけているのよ。あなたが悪いわけじゃないわ。悪いのは、あの女性よ。誰にも相談しないで、一人で何でもしようと言うから悪いのよ。一人ぼっちは、親も子供も幸福にはしないわね。今回の事件はそれがよくわかった。私、次の臨時国会で話してみようかな。」
伊達五月さんは優子さんにそういったのであるが、
「いいえ。あたしを励ましても困ります。あたしは、結婚しているわけでもないし、子供もいません。可哀想なのは、あたしではなくて、彼女でしょう。誰にも相談することなく、夢路くんを一人で育ててきたんですから。きっと、夢路くんのことを、優しくアドバイスしてくれる先輩も、大変だねってねぎらってくれるお年寄りもいなかったでしょうから。」
と、優子さんが言った。
「そうですねえ。それはある意味、文化の違いかもしれませんよ。先進国では、色々便利なものがあるからどうしてもそれを使ってしまうんですけど、でも、優子さんのような貧しい国家に住んでいる方は、不便なことが多い分、優しい人が多いんじゃないでしょうか。人間、便利なものを次々に発明してきましたが、本当に、便利なのか、それで良かったのか、疑問に思う気がします。」
小久保さんが、そう呟いた。伊達五月さんもそうねえと言った。
「かといって、そういう不便な生活に戻ることは、できませんしね。何かもう二度と過去へは帰れないというか、そういうことは、難しいと思いますねえ。まあ、これからもこういう事件は多いと思いますが、でもねえ、誰のせいでも無いというか、うーん、難しいのではないですかねえ?」
小久保さんは、大きなため息をついた。
「そうなんですね。何か、私、日本に来て、すごい便利なものをたくさん見てきましたが、こういう事件を起こしてしまう人が出たとなると、本当にそれが正しいのか、わからなくなってしまったわ。あたしの村に電気は通らないからテレビも何もなくて、みんなと楽しく話すことしか時間を潰す手段もなかった。だけど、それは本当に楽しかったわ。本当に楽しかった。あれは、日本に来たら二度と体験できなかったわ。」
優子さんがそう言うと、小久保さんは静かな声で、
「そうですねえ。それを忘れた私達日本人にも、警告してあげてくださいよ。きっとこの先を行く子どもたちが、おんなじ間違いをしないようにと警告できる日本人もどんどんどんどん減っていくと思いますよ。」
と、優子さんに言ってあげた。
「そうね。あたしも、そのことは期待してるわ。」
と、伊達五月さんが言った。
掘り出し物 増田朋美 @masubuchi4996
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