第4話 俺たち見守り隊
「あー、じゃあこの深夜パックで」
あの後、どうにか住宅街を脱した後、街道沿いにあるネットカフェになんとかたどり着くことができた。
あれだけ派手に物音を立てたというのに案外外に出てくる人間は居なかった。
もしかしたら窓から顔くらいは出している人も居たかも知れなかったが、皆案外そう言う時どう対応したらいいかわからないものなのかもしれないなと思った。
「支払いはどうなされますか?」
現金も一応持ち歩いては居たが僕は普段電子マネー派。
「じゃあ電子マネー……」
そう言って僕がスマートフォンで支払いをしようとするとその手をいきなり掴んでくるか細い手。
あまりに自然な動作だったので驚きすらしなかった。
「お兄ちゃん、もうお母さん怒ってないから帰って来なよ」
そのか細い手の持ち主がそう言って僕とカウンターの間に身を割り込ませる。
「え……?」
僕に妹は存在しない。
つまりこのいきなり目の前に現れた少女は確実に嘘を吐いているのだが、その理由がわからない。
この手を振り払って逃げようか、あるいは話を合わせるべきかを悩んでいるとグッと手を引っ張られ、僕は思わず前につんのめってしまう。
そうして姿勢の低くなった僕の耳元で彼女が静かに囁いた。
「私は貴方に協力したいと思って居ます。望むなら、皆森良悟さんのことについても」
「っ!」
「その気があるなら私に付いてきてください」
そう言って離れて行く彼女を呆然と見つめている僕にもう一度彼女が振り返った。
「お兄ちゃん? やっぱり家に帰るの怖い?」
いいや、何も怖くなんかない。
僕は何週間かぶりにスッキリとした思考でそう思った。
★
「どうも、私はポイズンファクトリー総務部の八住篝です。今回私は顧客の重大な規約違反についての確認ができたため派遣されました」
規約? 総務部? ポイズンファクトリー? 聞きなれない言葉の組み合わせに僕の頭は少しこんがらがってしまう。
「つまり……どういうことなんだ?」
「まだ解毒薬が回り切っていないんでしょうか? まぁ、端的に説明すると今私は貴方にとって味方であると言えるかと」
「味方って……突然そんなこと言われても……」
「……私と出会ってから妙な眩暈や視野狭窄、思考力の低下について改善したと感じませんでしたか?」
「いや、確かにそんな感じはしなくもないけど……」
だからどうしたら僕の味方という事になるのだろうか?
「右手首、軽く麻酔薬を塗布したうえで極小の針を使ったので殆ど気付かなかったでしょうが解毒薬を投与しました」
そう言われて右手首を裏返して見ると、確かに小さな赤い点がネオンの光に照らされて浮かび上がっている。
「な、るほど……。つまり僕に何かしら注射したってことは事実みたいだな……」
「案外疑り深いですね、頭のいい人ほど人を疑わないと聞きますが嘘だったようですね」
篝が少し残念そうに首を振るう。
「頭がいい? 今まで生きてきてお世辞でもそんなことを言われたことは無いな」
「そうですか? IQ160と言う数値はかなり特異な数値ですので実感がないとは意外です」
「待て待て待て、そのIQ160というのはもしかして僕のIQなのか? 誰かのと勘違いしてたりしないか?」
篝がいつの間にか手に持っていたスマートフォンを軽く操作して何かしらの確認がとれたのか頷く。
「ええ、間違いありません……ああ、こういう結果は本人には伝えられないものでしたね。失念していました」
篝がペコリと頭を下げる。
正直今聞いたポイズンファクトリーだの解毒剤だのよりは僕のIQが160あると言うことの方が気になって目の前の異常に集中できない。
ただ、もしかしたらこういう風に僕をおちょくって反応を見て遊ぶのが目的なのかもしれないとも思ったが、そんなことをする理由をこじつける必要性も今は感じない。
なにより、僕のIQが160だったとしても突如超能力に目覚めて一連の事件を全て解決! ハッピーエンド! となるわけでもないし、またそれだけの数値が無かったとしてもいきなりバッドエンド! という分岐が起こることも無いだろうし真偽の程について考える必要はなさそうだなと自分を説得して話に戻る。
「ええと、で、そのポイズンファクトリー? の総務部の篝さんがどうして僕に解毒薬を注射したりあまつさえ良悟を助けるなんて話に?」
僕のそれらの疑問をうんうんとゆっくり噛みしめるような相槌を打ってから篝さんが喋りだす。
背格好からみて中学生くらいにしか見えないのに動作がやけに落ち着いていて違和感が凄い。
「コンプライアンスの関係上喋れないこともありますが今回有川清十郎さんを取り巻く異常事態の中で私たちポイズンファクトリーの商品を使用する上での重要な規約違反が確認されたため使用者及びその関係者に制裁を加えるために派遣されてきました。清十郎さんへの解毒薬の投与も使用者への制裁の一環と考えて貰えればわかりやすいかと……そうだ、まだ信じられないなら私の作業に同行されますか? 急ぎの案件では無かったので最後に片付ける予定でしたが、良悟さんを助けに行くための準備にはまだ時間がかかるようなのでお時間よろしければ是非」
僕に彼女の提案を断る理由は特になかったのでとりあえず頷いておいた。
★
そこは僕のアパートの外、何やら配管が密集している部分だった。
「配置的にこの辺りでしょうね」
そう言って彼女はあまり見覚えのない工具をやけに可愛いチャームだらけの黒いリュックから取り出して配水管を分解していく。当然事前に止水してあるが水があふれだしてくる。
「えっ、なんか、大丈夫なの?」
僕は急に法律とか不安になってきた。一緒に居る所を見られたら何かの罪に問われたりしないだろうか? そんなことを考えてきょろきょろと辺りを見渡していると篝が僕に声を掛ける。
「ほら、見てください」
そう言って彼女が手招きをしながら配水管の中身を見せて来る。
その中には何やら紙のようなものが巻物みたいにぐるぐると詰まっていた。
「シートタイプになっている毒ですね、本来1枚1枚湿布のようにして使うのですがまさかこんな使い方をするとは……」
そうやって彼女が耐水性の手袋で引っ張りだした台紙にはドロドロとまだ形の残ったシートタイプの何かがあった。恐らく汗や水に溶けるように設計されているのだろうがあまりの濃度に溶け切らなかったのだろう。
殺意の高さが窺えて少し気分が悪くなってくる。
「新作のブラッドノイズの他にもアナコンダが混ぜてありますね、幸い手持ちに解毒薬があるのでこの後清十郎さんに追加で投与します」
「……ああ、ありがとう」
こうやって、僕の推測が正しかったことを裏付ける証拠が出てきたらもっと嬉しい物かとも思ったが、その悪意の濃さにただただ気分が悪かった。
世の中にはこんなとんでもないことを考えて実際に実行してしまえる人間が居るという事実がただただ恐ろしかった。
★
「はい、投与完了です」
僕は一気に視界が広がり、久々に新鮮な空気を吸った気がした。
「いや、薬って凄いね……」
精彩な色を取り戻した世界を目の当たりに僕は感心しっぱなしだった。
「勿論です」
そう言って篝がテキパキと注射針や薬剤の後片付けをしていく。
僕の鮮やかになった視界で改めて篝を見ると、実に僕好みの幼女に見える。
いや、ポイズンファクトリーの総務で働いているのだからとっくに成人しているのだろうが、見た目的には中学1年生と言われても納得できる。
夜、街灯に照らされるほっそりと白いうなじ、細い手足と人形のように整った顔。大きな瞳の奥に覗く理知の光は僕のハートを貫いた。
いや、まぁ、命の恩人に近しい人物だし、これから良悟を救う鍵になるだろう人に何を懸想してるんだって話なんだけど、こればっかりは仕方ない。元気になったらそう言う欲がすごく前面に出て来てしまったのだ。
「って、落ち着いてる場合じゃないよ篝ちゃん!」
「ちゃん……? いえ、清十郎さんそれはどういうことでしょうか」
何か納得いかないような顔をしてからそれでも篝ちゃんは僕に尋ねて来る。
「いや、僕は実は常に監視されてて……」
「ああ、そのことでしたか、当然対策済みです」
「対策って……どうやって?」
僕のそっくりさんでも用意してそっちに気をひきつけさせているとでも言うのだろうか?
「いえ、簡単な話です。そもそもとして清十郎さんは現在警察に捜索されている身なのでスマートフォンなどの電子マネーの支払い記録から足取りを特定されてしまったりするんですが……」
なるほど、いつもどうやって警察官は犯罪者の所在を特定しているのかと不思議に思って居たがそう言うズルのようなことも可能なのか。
「逆に言うと、その情報を使って攪乱することも可能です」
そう言って彼女が見せて来たのは現在地から遠く離れた場所に広がる支払い記録だ。
「県境付近のコンビニで買い物したダミーの記録をばら撒いておきました。今頃警察は全く貴方とは関係ない不幸な一般人を聴取した後、隣県との連携も視野に入れて付近を捜索しているのではないでしょうか」
なるほどなぁ、それなら当分警察に見つかる心配はないだろう……。
「って、そっちじゃなくて! 僕には僕に毒を盛ったであろう人間に恐らく監視されてると思うんだ! 人力で」
「まさか、清十郎さんを目掛けて接触した私がそんなことも考えてないとお思いですか?」
そう言われて、ああ、確かに。と思って僕は安心した。
「この地域密着型不審者情報共有アプリ『見守り隊』の管理者権限を一時的に奪取、貴方に犯罪者マークを付けることにより貴方のダミーの支払い記録を公開設定にすることが可能になりました。つまり既に攪乱済みです」
え? なんだって???
僕はちょっと理解できない状況が今夜の内に後何回訪れるのだろうかと少し心配になってきた。
★
「は? 見つからない!? ありえないでしょ! サボってるんじゃないでしょうね!」
朱里はそう言って相手の弁明を聞く前にスマートフォンの通話を切りブツブツと愚痴を垂れる。
「そもそも、今こうなってるのも全部社長のせいよ。あんな奴どうなったっていいのに殺しはダメだの一点張り……」
しっかりと、じっくりと、危険性を説いたのにも関わらず社長の意見が変わらなかったから私たちが動いたというのに。
結果、いらない犠牲が2人も出て、肝心の清十郎は行方知れず。
『見守り隊』の清十郎の支払い記録は朱里たちを嘲笑うかのようにして依然として県境付近のコンビニを指している。
「こんなのってないよ……」
意図せず涙が零れそうになるのをグッと堪えて再び前を向く。
「強姦魔なんて生きてちゃいけないんだから」
朱里は再び通話を繋ぐ。
「さっきは言い過ぎたわ。ええ、大丈夫。私も参加する。『見守り隊』でアイツに犯罪者マークがついてるのが不可解だわ。担当の人は18時には退勤して、翌朝まで設定を弄らないはずだもの。ええ、ええ……馬鹿だ馬鹿だとばかり思っていたけどIQ160ってのもあながち嘘じゃないんでしょ。きっと街の中に居る筈よ支払い記録は無視して、ええ、消防団も投入できるだけ投入して」
そう言って通話を切る。
「賢い犯罪者なんて最悪の極みね、さっさと始末しないと」
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