第2話 お前らもゴミ出しには気を付けろ

「で、眩暈が止まらなくて思考力がなくなって視野が狭くなったって?」

「そう、そうなんだよ。今の僕はトイレまで歩くうちに視界が5、6回は回転するね」

「それは重傷だな」

 お手洗いを終えた僕が居間まで戻ろうと1歩踏み出してよろめいた所を既に待ち構えていた友人の良悟が支えてくれる。

「ごめん、助かる」

「あんなのポストする暇があるなら病院にでも行け」

「当然行ったさ、内科、脳神経外科から眼科に歯医者に耳鼻科に、良悟が言ってた精神科にもね」

「途中あんまり関係なさそうだったんだが病院には行ったんだな、結果は?」

「何か悪い結果が出てたんならこんなに行く訳ないだろ……ほら」

 僕はMRIから何から全部の書類をPCラックに付属している収納ボックスの引き出しから取り出して1枚1枚示してやる。

「脳は綺麗だ、脳梗塞だとか出血だとかはないとてもきれいな脳だそうだ」

「ほう、良かったじゃないか」

「今度は目だ、こっちも眼底出血なんかはなくてとても綺麗だそうだ」

「でもお前の目は充血して血走ってるな? ちゃんと寝れてるか?」

「ああ、寝れてるとも、今日も16時間程気絶しててね。ぐっすりだったよ」

 そう僕が少し皮肉を込めて言うと少しうんざりした顔で良悟が言う。

「わかった。もう話の途中で茶々は入れない」

「ああ、で、最後があんまり関係なさそうな奴だ。どれも問題なしって感じだ」

「ほー、健康体そのものって書類だな。肝心の本体はこんなに死に体だっていうのにな」

 そう言って良悟が僕の目をのぞき込む。

「まぁ、なんだ。卒論の方は俺だけで充分進めれるから気にするな。もう1ヵ月でも2ヵ月でもゆっくり療養してから帰って来いよ」

「……すまんな」

「気にすんな。こういう時はお互い様って言うだろ? じゃあとりあえず今日は俺帰るけど、しっかり食って寝ろよ」

 良悟が手土産に持って来たバナナとスポーツドリンクと盛り蕎麦が入ったコンビニ袋を僕に手渡す。

「良悟ってマジイケメンだな……」

「お世辞か? これ以上は何も出ないぞ」

 恐らく蕎麦は病人が食うべきものではないが僕の好物をしっかり覚えていてそれを手土産に紛れさせる……。こういう気遣いがイケメン過ぎてロリコンでありながら僕は良悟のそう言う所に惚れそうになってしまう。

「……僕はロリコンだからな? それだけは忘れないでくれ」

「お、おう。とりあえず、お大事にな?」

 バタンと、年代物の木製の扉が閉まって部屋がしんと静まり返る。

「そうだ、水道水に何かが入ってるとしても、水道水を飲まなきゃ実害なんて出ない」

 しかも僕はこのアパートにずっと住む訳じゃない。

 大学を卒業したらこのアパートもおさらば、何なら卒論を発表し終わったらここを引き払って良悟の部屋にお邪魔すればいい。

 なに、家賃くらいは払ってやるさ。

 僕は良悟の持ってきてくれたスポーツドリンクの蓋を開け、1口含む。

 クラクラとした頭でようやく一言絞り出す。

「大したことじゃないさ」



 朝起きると僕のポストは頭のおかしい精神異常者の考えた陰謀論と言う事で陰謀論者を馬鹿にしたい滅茶苦茶頭の悪そうな人達の返信であふれかえっていた。

 陰謀論者は僕も馬鹿だと思うが僕のポストに返信している彼等は分類能力がガバガバなのでこう言うそれっぽいポストはすぐに陰謀論に分類してしまうのだ。

 確かにあまりの身体の異常に監視と体調の異常を結び付けてしまった部分は飛躍があったかもしれないがあの時はこのまま死んでしまうやもしれないと必死だったし、自分としては監視されているのはほぼ確実だと思っているので何かしら記録として残しておかないといけないと思ってのポストだった。

 勿論、論理的な飛躍がここで起こっているという事はしっかりポストにも記している。

 それっぽく言うなら前後即因果の誤謬とか間違った類推になるだろうか。

 監視なんて特殊なことが起こってるっぽい、そう言う事があった直後に水道水を飲んだら倒れたのでこれは監視や水道水と関係あるに違いない。

 なんて言ってしまってはそれは皆囃し立てるに決まっている。

 本当は水道水を成分鑑定にでも出せたら一番なのだが生憎とそんな金はない。もしも調べるならもう一度くらいは水道水を口に含んだほうがいいという事になるだろうか?

 それでもう一度ぶっ倒れた後になけなしの貯金を使って成分鑑定なんかしたらそれこそ無事に大学に復学するどころか卒業まで危ぶまれてしまいそうだ。

 無いな……それは無い。

 そう、誰かも言っていたようにもう水道水を口にしなければいい。

 それで問題ない。

 僕はそう思いながらよろつく足で立ち上がり、玄関の扉を開ける。

 今日の水と食料を買いに行くのだ。

 そうやって外にでて鍵をかけ、アパートの階段を下りていると僕の方に向かって女性が1人。

 こんな女性は見たことが無い。

 住人の彼女か……?

 そう意識を逸らした瞬間その若めの女性が急加速して僕に体当たりをかましてくる。

 僕はそもそも常に眩暈のような状態なので小柄な女性の突進にも耐えられず階段の段差で頭を打ってしまう。

 そして朦朧とする意識のなか青空に響き渡る絹を引き裂いたような悲鳴をバックに僕は目を閉じた。

 そうしてどれくらい意識を失っていただろうか? 日の高さは……そもそも1度倒れてからというもの時間間隔も定かではない。日の傾きから午後なのだと思うが、よくわからない。

 そうやって僕が目を覚ますと屈強な警官が僕を引っ張り起こす。

「意識はある?」

「ええ、はい。なんとか」

「貴方、この女性を押し倒したそうだね? 記憶ある?」

「えっ? いや、そんなことないです。僕、彼女に突き倒されて……」

 そう言うと女性はとてもさめざめとした顔で言った。

「違います……私、この人に襲われるの1度目じゃないんです……今回はたまたま運よく抵抗できましたけどこの前は押し倒されてそのまま……」

 そう言うと彼女はわっと泣き出してしまう。

「それは本当ですか!」

 警官が彼女を守るように立ち回り僕の腕を乱暴に掴む。

「痛っ!」

「君はちょっとこっち来てて!」

 そう言うと警官は僕の手をきつく握ったままトランシーバーでどこかへと応援を要請して、そのまま僕は警察署まで連れていかれた。

 取調室でしばらく待たされた後尋問を受けてからまたしばらく待たされて、綿棒で軽く口内を擦られたりしたりしたけどとりあえず何もやってないを貫いていたら1週間程で留置所から出されることになった。

「ほら、出ろ」

「あの、僕はどうなるんですか?」

「不起訴になったから、もう家に帰ってもいいぞ。いいか? 紛らわしいことはもうするんじゃないぞ」

 そう言って僕は留置所から追い出されたのだが、その時女性警官が僕を見て小声で噂する声を聞いてしまった。

「え? あの強姦魔なんで出されてるの?」

「それがね、どうにもあの女の人が前に強姦された時の証拠になるだろうと思って取っておいた体液ですってやつね、滅茶苦茶鼻水混ざってたらしくてさ」

「えーっ! どういうこと?」

「さぁ、鼻水でもぶちまけられたんじゃない?」

「でもそれで釈放?」

「ま、本人も犯行を認めてないし、色々怪しい点もあるしね」

 そう口さがなく噂する女性警官が通り過ぎて行って少しした後、僕は今回の騒ぎの真相に察しがついて、ゾッとした。

(そうか、ゴミだ……!)

 僕は慢性鼻炎の気があるので夏だろうが冬だろうが関係なく年中鼻水と戦っているのだが普通の人はそんなことはないだろう。花粉症の季節を過ぎた5月、6月になると男性のテッシュのゴミは所謂性欲を処理したものが大半となるという認識で間違いないと思う。

 間違いないよな?

 まぁ恐らく彼女はそういう認識だったんだろう。恐らく僕の出したゴミ袋でも漁って、そこから見つけたテッシュを僕に強姦された証拠として提出したとしか考えられない。

(いいや、そうだ。絶対にそうだ。事実として僕はやってもいない罪で10日間も拘留されて、不起訴になっているじゃないか)

 正直もう僕には論理の飛躍だとか前後即因果の誤謬とか間違った類推なんて格好を付けている余裕はなかった。

 何者かが僕を監視し、僕を害そうとしている。

 これはもう僕の中で確信に変わったのだ。

 恐らくこうなると水も成分鑑定すれば何かしらの毒物が検出されるだろうがそんなことを言っていると知らない間にまたやっても居ない罪を擦り付けられる結果になってしまうだろう。

 つまり、個人の力では限界がある。

 警察を頼らないといけない。

 しかし警察は僕を味方してくれるだろうか?

 僕はしっかり2分程考えてかぶりを振るった。

 ……いいや、ダメだ。

 2ヵ月間徹底的に監視されて情報を抜き取られているのは僕の方だ。

 人数の利も向こうにあるだろう。一体何が目的かはわからないが、僕が望むような方向には絶対進展しないだろう確信がある。

 まずい、何か策を打たないと……。

 未だにふらふらと揺れる視界と進んでいかない思考に焦燥感を感じながらも警察署から外に出ると禿頭の男と若い女が車の中から僕を睥睨している。

 ご丁寧に車種は変えてあるのに中に乗っている人間は変わらないんだなと少しおかしな気持ちになる。

 このまま僕は手詰まりか?

 僕は再び暗澹たる気分に苛まれるが、どうにか己を奮い立たせる。

 こんなのではどうにかなることまでどうにもならなくなってしまう! そうだ、諦めるにはまだ早い。

 取り合えず味方が必要だ。

 僕は一番信用できる友人、良悟へと通話を繋げる。

「おお! 清十郎! 10日もどこほっつきあるいてたんだよ! 心配しただろ」

「すまん良悟、詳しい話は後でするからとりあえず一旦お前の家に行っても大丈夫か?」



「で、えーっとなんだっけ? お前はやってもいない強姦で10日も拘留されてたってことなんだよな?」

「そうなんだよ」

 こういう時無条件に僕の無実を信じてくれる友人ほどありがたいものはない。

 僕は少なくとも絶対犯罪、強姦なんかしてないのに10日も薄暗くて湿っぽい拘置所に閉じ込められて本当は僕の認識が間違っているんじゃないかと少し思い始めていたのだ。

 本当に、本当にありがたい、やっと言葉が通じる人間がいる場所に戻ってこれた。

「で、その証拠に使われたのがお前の所謂しこてぃ……」

「あー、みなまで言うな。ちなみにただの鼻噛みの奴が大量に混ざってたから釈放されたっぽい」

「なるほどな、確かにそれは尋常な沙汰じゃないな」

「だろ? で、この一連の流れはやっぱり監視から始まってるんじゃないかってことだよ」

「まぁ確かに監視はおかしいが始まってるというなら監視が始まった理由から始まったんじゃないか?」

「それはわかんないから一旦置いておいたんだよ……」

「いいや、こういうのはそう言う小さな言葉遣いでわかりにくくなったりするものだ。いいか? 正確に行こう」

 良悟がどこからかルーズリーフを取り出す。

「まず、清十郎が監視に気づいたのはいつだったんだ?」

「えーと、正確な時期はわからないけどこれは何かおかしいなと法則に気づいたのは5月12日。でも実際にアベックを見かけるようになったのは5月より前だった気がする」

 僕がそう言うと良悟はルーズリーフにサラサラとその情報を書き足していく。

「OK。じゃあ水道水を飲んでぶっ倒れたのはいつだ?」

「これもしっかり覚えてる、6月23日だ」

「なるほど、じゃあ俺はお前が倒れてから4日後の27日に見舞いに行った訳だな」

「そう言う事になる」

「つまりポストの間に4日あったわけだ」

「ああ、一応病院をはしごした訳だからそれくらいの時間はかかるよな」

「確かに、むしろ3日4日でよくそれだけ周れたな」

「こういうのは早い方が良くなるって思ってな」

「殊勝な心掛けだな」

 良悟はまたルーズリーフにさらさらとその情報を書き足す。

「で、今回の拘留だな」

「ああ、これもわかりやすいな良悟が来た次の日の28日、ここで見知らぬ女に突進された」

「はいはい」

「で、10日間拘留されて、女性警官の噂話からほぼ確信を得て今に至ると」

「OK。関係ありそうな登場人物としてはアベックが3組と見知らぬ女と清十郎と俺、良悟ってことで計9人か」

「待て、俺たちを入れる必要はあるのか?」

「ほら、関係図みたいなの作りやすいだろ」

 良悟が自分の名前から清十郎……つまり僕だ。……に線を伸ばして大学の友人という風につなぐ。

「あー……確かに」

 そう清十郎が納得していると良悟が更にルーズリーフに書き足していく。

「お前の言うアベックは取り合えず月曜日から数えて一番最初に来る曜日を名前にしたぞ」

 黒髪スポーツマン風の男とポニーテールの女の組は月曜。禿頭の男と若い女の組み合わせは火曜。浅黒い肌の男と茶髪の女の組み合わせは水曜と名付けられていた。隣には良悟の書いた割と特徴を捉えた簡単なイラストも書いてある。

「なんでちょっと絵上手いんだよ……」

「清十郎が不器用なだけだろ」

 軽く笑いながら良悟が僕の肩を叩く。余計なお世話だ。

「まぁ、で、このアベック月火水は連携してるかわかんないのか?」

「さぁ、なんかあんまりしっかりした組織って感じはしないけど少なくとも几帳面に僕の事を監視してるのは事実だし、連携はしてそうだけどね、情報共有とか。今日だって良悟の家の前まで付けられたし」

「マジか」

 そう言って良悟がカーテンをサッと開いてそのまま窓を開けて周囲を見渡すと良悟の部屋から死角になって見えにくい部分に止めてあった黒の乗用車がゆっくりと発進する。

「マジかぁ……」

「な、少なくとも妄想じゃないっぽいだろ」

 僕は少ししたり顔で言う。

「いやさぁ、別に信じて無かった訳じゃないけどこういうのってあれだろ? 危険人物の監視じゃないとやらないんじゃないのか?」

 良悟がカラカラと音を鳴らしながら窓を閉めて、カーテンをゆっくりと引く。

「だから、それに心当たりが一切ないから困ってるって言ってるだろ?」

 突発的に僕を襲う眩暈と戦いながら良悟の用意してくれたカップ麺を貪る。

 気遣いは出来る奴だが料理が出来る訳ではないんだよな、僕的には小綺麗な料理を作れるとイケメンポイント高いと思うから少し残念だ。

「でもこれでわかったことはどうやら清十郎は反社会組織として疑われてる訳じゃなさそうってことだな」

「どうしてそんなことがわかるんだよ? もしかしたらあいつらは警察っぽい組織で、そう言う風に疑われてるかもしれないだろ?」

 僕は麺をずるずると啜りながら良悟に尋ねる。

「いや、勿論その可能性は否定できないが、もしも清十郎が反社会組織と疑われている場合の動きとして、清十郎が組織の奥深くに食い込んでいる重要な地位の構成員でない場合こんな風に素人にも感づかれるような監視は非生産的だと思ってな」

「……ふむ、続けて」

「なに、つまり清十郎がなにか重要なポストをもっている幹部だったり変えの効かない技術を持った技術者だったりした場合はこうやって牽制の意味も含めて堂々と監視するのもありだとは思うけど清十郎はそうじゃないだろ?」

「ああ、そもそも反社会組織とつながりが無い」

「だからそれ以外で清十郎がそういう組織と何かかかわりがある場合の監視の目的を思い浮かべるとだな……組織の下部構成員みたいな奴とか愛人とかがでかい反社会的な組織とか重要人物とアポイントを取って何かしらのやり取りをする場面が欲しい筈なんだよ。小悪党を追いかけまわす意味はないしな」

「あー、つまり下っ端を牽制する意味はないし、それでももしも監視するなら組織を一網打尽にしたいから泳がせて監視してる筈だってことね」

「そう言う事だ」

「で、僕は当然首魁に見えるようなことやってないからそこを外そうって訳ね」

「まぁ、一旦この可能性については保留していいんじゃないかってことだな。もしかしたらそう言う下っ端をあからさまに牽制することに意味のある集団の可能性もあるしな。でも警察組織ではなさそうだな。もしも清十郎をオレオレ詐欺の元締めや下っ端だと思ってこういう事をしてるとかなら多分清十郎のティッシュから出て来たのが鼻水だろうがそのまま起訴されてそうだしな」

「百理くらいある」

 僕はしきりに頷いた。

「お、後輩から連絡が来た。明日できる限り知り合い集めてくれるってさ」

「凄いじゃないか」

「俺じゃなくて後輩がな……ってことで清十郎が気にしてた大学についての事は俺に任せてくれていい清十郎の噂やここ最近なにか変わったことがなかったか聞いてみる」

「助かる」

「で、そうなると俺は明日居なくなるんだが……清十郎、お前は1人でいる時は出歩かない方がいいし当分は俺ん部屋でじっとしてろよ」

「ま、だよなぁ……」

 あんな小柄な女性にすら意識を飛ばされてしまう有様で1人で外出などできる筈もない。

「ちょっと退屈かも知んないけどまぁマンガとか読んで待ってろよ」

「おう、マンガがあれば余裕だ」

「そうか、じゃあさっさと風呂に入って今日はもう寝るか」

「おう、こういう時ってどっちが先に入るのがいいんだ?」

「あ……? 俺は別に一番風呂とか気にしねーからお前が先入っていいぞ」

「いや……そう言われても家主より先に入るのはなんか気が引けるぞ?」

「面倒な奴だな。じゃあ一緒に入るか?」

 良悟の冗談じみた一言に僕は思わず口が動いた。

「冗談でもそんなことを言うな」

「男同士なんだし別に気にすることねぇだろ」

 良悟、そういう話じゃないんだよ。

「狭苦しいのはごめんだ……お前の言葉に甘えて一番風呂を頂くことにする」

「そうか、清十郎は意見がはっきりしてるかと思いきや時々すごく優柔不断になるよな」

 じゃかましい! お前の対応がおかしいんだから仕方ないだろ! そう僕は心の中で愚痴ってから風呂の扉を開いた。

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