第45話 慕母想子
「窓を閉めなさい」
弾かれた琴のような、コロコロシャンと軽やかで張りつめたような女性の声が、部屋の中に響く。
しかし、その声を向けられた対象と思しき窓の傍に立つ男性は余程に神経が外へ向いているのか、女性の声を無視したまま厚手のカーテンを握りしめ、窓の外に広がる景色を凝視している。
その所作を見て女性は「はあ」と小さく溜息を吐くと、
「窓を閉めなさい」
と、先ほどよりも強い語調で再度語りかけた。
「窓は閉まっていますよ?」
「カーテンです。外から丸見えですよ」
「・・・分かりました、ママ」
どうやら、2人は親子らしい。
それにしてもこの男性、年の頃は20歳前後くらいで燕尾服を寸分の乱れなく着込んだいい歳をした青年に見えるのだが、その割に母親と思しき女性へと話す口調は甘ったれた響きをしていた。まるで、10に満たない孺子が母親へ甘えるような、嫌な感じの響きだ。
だが、だからこそ、か。母親の言いつけを無視することは出来ても逆らうことは出来ないらしく、青年は唯々諾々と握っていたカーテンをシャッと音を立てて閉めた。昼日中ということもあって燦燦と太陽光が差し込んでいた部屋が一転、分厚いカーテンで薄暗く遮光される。部屋の明かりは僅かに差し込む陽の光と、壁に備え付けれたランプの赤茶けた光だけとなった。
「これでいいですか?」
「ええ。こちらへ、いらっしゃい」
そう言われた青年は、またも言われるがままに。しかしどこか名残惜しそうに窓の方を見つめながら、小股でポテポテと歩いて母親の元へと近寄っていく。
「どうしました、ママ?」
「貴方、どうも外が気になるようですけれど・・・気にしているのですか?」
そう、しゃなりと椅子に座りつつもしなを作るような姿勢を忘れずに。女性は慮り半分叱りつけ半分のニュアンスで語りかける。
女性の年の頃は・・・いくつだろう。座っている豪奢な真っ赤な皮張りのアームチェアに、身に纏うのは派手なドレスと上流階級の人間であることは伺えるのだが「その人品は」と問われれば、はて?と首を傾げざるを得なかった。
当然、青年ほどの年齢の子供がいるのだから、その年齢は一般常識的に考えて最低でも40歳は越えていよう。しかし、見た目上の相貌は薄暗い部屋の中ということもあろうが、どう高く見積もっても30歳後半に至ったくらいにしか見えなかった。錦紗のように流れる金髪を背中に流し、目鼻立ちをハッキリさせツンとすました気位の高そうな顔に濃いめの化粧を施して派手なドレスを纏ったその姿は、見る人によれば20代にすら見えるやもしれぬ。
ただ、やはりよくよく日の明かりの下で見れば本来の年齢が若作りの下から伺えようもので。化粧の層で隠した皮膚の弛みや肉の付き始めた顎のライン、どこか線の崩れた体つきは年相応かそれ以上のものと伺える。
若しやしなくとも、先般彼女がカーテンを閉めるように青年へ命じたのは、その作り上げた美貌を暴かれることを恐れてのことではあるまいか。だとすれば、彼女は実の息子に対しても虚構めいた自分を見せつけていることになる。尋常な親子の関係から、少し外れているような気がするのは、気のせいではあるまい。
「いいえ。そんなことはありません」
そして、そんな母親の虚勢を察しているのかいないのか。或いは、普段から会う時にはこうやっているのか。青年は椅子に座る彼女の前に立ち首を左右に振ると、先と変わらぬ口調でそう言った。
「嘘をおっしゃい。目が外を希求していますよ」
お見通し、とばかりにピシャリ、と叱りつけるような調子で、女性は青年を面罵する。キリリと柳眉は顰まり、眦はキッと威圧するように持ち上がった。
その叱責を受けるや否や。辛うじて青年に見えた微小な自立意志は忽ちに霧散してしまい、目を泳がせて口ごもってしまう。
「それは・・・」
「気になるのも仕方ありません。けれど、既に矢は放たれたのです。あそこで、あの連中はきっと、上手くやってくれることでしょう」
「しかし・・・」
「そこまでにしなさい。それに・・・仮に上手くいかなかったとしても、あの連中と妾たちには何の関係性も無いのですから、問題はありません。分かりましたね?」
「・・・はい」
「それに、そうでなくとも貴方は立派な男の子なのですから。あのような子供じみた喧騒に興味を持つこと自体、相応しくありません」
「・・・はい」
「いいですか。貴方はしっかりと学を修め、遊びもせず身を慎んで、万人に望まれる良き道を進むのです。分かりますね?」
「はい。すみません、ママ」
うな垂れた青年はそう言って跪くように彼女の前に膝を着くと、まるで許しを請う罪人のように首を垂れた。皺1つない燕尾服の膝が汚れるのも厭わずに。
重ねて言うが、青年は20歳程度である。だのに、その年頃の息子と母親の会話とはとても思えぬほど幼稚性の目立つやり取りだ。
「宜しい。では・・・いらっしゃい」
しかし、女性は青年の回答に満足した様子で。スイ、と組んでいた脚を解くと、両手を青年へと差し出した。
それを受けて、青年は顔を上げて女性を見上げる。母親を、である。
キョドキョドと揺れる眼差しで見上げる。母親を、である。
「どうしたの?・・・いらっしゃい」
「はい、ママ」
初めはおずおずと、しかし自ずとその膝の進みは速さを増していく。そうして跪いたままの姿勢で青年は母親の脚に縋りつくように取り付くと、そっとその太腿に頬摺りをする。それを受けて彼女も愁眉を開くと愛おしむようにそっと、その撫でつけられたようにセットされた青年の艶のある金髪を掌で撫でた。
「ママ・・・ママ・・・」
「いいのですよ。貴方はあの者とは違う、優しい子、良い子、素晴らしい子・・・」
その手触りに、大腿の上で蠢くように摺り動く感触に。女性の口角はニンマリと、愛おしみとは真逆とも見える感情に支配されるように持ち上がっていく。
「妾の唯一の子、妾の血を継ぐ子、そして・・・跡を継ぐべく、約束された子よ」
「ああ、ママ、ママ!」
ガバリと母親のお腹へと抱きつき、青年は感極まったように震えた声で母親を呼ぶ。それに応えるように彼女も息子の名を繰り返し呼ぶ。
「良いのですよ。そのまま、そのままで・・・」
「ママ!」
まるで芋虫のように縋り付く青年はもぞもぞと、鼻を母親の腹部に擦りつけるように動き続ける。そして、その位置はドンドンと下がって行き、やがて彼が生まれ出された場所に近づき、そして。
「さあ、吐き出しなさい。遠慮なんてしないで、貴方の全てを・・・さあ」
「ええん!ママ、ママァ!」
恥知らずの誹りを免れ得ぬ親子の痴態は、いよいよな盛り上がりを見せる。
松永久秀の異世界流離譚 駒井 ウヤマ @mitunari40
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