第43話 御前試合

「さあて皆さん、お待ちかねえ!いよいよ、次が午前の部最終試合となります!」

 闘技場中に響き渡るような大声で、実況者ががなりたてる。

「次の試合で戦うのは、本トーナメントマッチ優勝最有力候補、筋肉モリモリマッチョマンのガルド戦士、カマーセと!出自不明、経歴不祥、分かってるのは東方騎士の格好をしていることだけ!謎の名無しファイターだああああ!」

 彼の紹介と共に、闘技場が観客たちの歓声で興奮の坩堝と化す。

 しかし、拡声用の魔道具を使用しているはずなのだが、血管がブチ切れるかのような相貌の彼を見ると・・・いや、止めておこう、怖くなる。

「おおっと、ここでビックニュースのお出ましだ!なんと、なんとなんとなんと!この闘技場を開いて下さっているご領主、フェデレーコ=セモベーツェ様がご臨席なされているそうです!」

 実況者が袖に付いたフリンジをたなびかせながら指し示す先に立つフェデレーコを観止めたところで、観客たちのボルテージは今日一番の盛り上がりを見せる。

「おお、領主様!」

「フェデレーコ様、万歳!」

「我らの統治者!」

「我々は幸運者、貴方がおられる!」

 そう、波のように繰り返しどよめく歓声に、フェデレーコは大きく腕を振って応える。それを受け、観客たちは更に大きな歓声を上げた。

 今の格好は勿論、さっきまでのチンピラ衣装では無く久秀と会っていた時と同じ深紅の文官服で、サングラスも外している。ただ、あの不機嫌そうな物言いの目立つ彼と今観衆に姿を晒す彼が、ミルシにはどうしても同一人物だとは思えなかった。

「皆、愉しみ給え!」

 最後に再び大手を振って闘技場全体を「おお!」と大きく騒めかせた後、実況者が「ありがとうございました!」と締めるのを確認したフェデレーコは、領主用に誂えられた専用のボックス内に備え付けの玉座と見紛うばかりの椅子にドサリと腰かけた。

「・・・ふう」

「お疲れ様です」

 ポカンとしているミルシに代わって、果心が労いの声をかけた。

「ん?ああ・・・そうだった。お前らがいたんだったな」

「ええ。・・・どうされました?」

「いや。いつも、ここに来るときは独りだったからな。こんな風に労われたことなんざ、一度たりと無い」

「おや?こんなボックスを拵えておいて、ですか?」

「これは俺の趣味じゃない。が、まあいい・・・・・・ん、どうした?」

「い、いえ。ただ・・・」

「ただ?」

「人気、あるんですね?」

 意外そうな顔でそう漏らすミルシに、心外そうにフェデレーコは苦言を零した。

「領民に好かれねば、治世は滞る。媚び諂おうとはせんが、わざわざ嫌われる阿呆はおらん。・・・どうやら、お前の所の領主はその阿呆だったようだがな」

「ええ。領主なんて皆辞めさせて、ポデスタが統治すれば良いと考えるくらいには」

「ふん。嫌われたものだ」

 しかし、フェデレーコはそんなミルシの些か過激な意見にも、苦笑を漏らすに留めた。他人の思い出は人それぞれ。それの軽重を問うのはそれこそ、愚か者のすることだ。

「おおっと!更に、更にサプラアアアァイズ!どうやら名無しのファイターは、尻尾を巻いて逃げ出したらしいぞ!そんなヘナチョコ野郎に代わって闘うのは、なんと!まだうら若き少女ではないか!?その闘志と心意気、コングラチュレーション!」

 バチバチと興奮した面持ちで柏手を打つ実況者とは裏腹に、観客たちは皆一様に不安そうな顔を浮かべる。既にフィールドに姿を現しているカマーセの、はちきれんばかりの筋肉と片手で振り回す金棒を相手をするのが、よもや少女とは!そんな顔だ。

「おおっと、そう言ってる間に、その少女、レディ・ダンのお出ましだ!」

 ざわざわとどよめく闘技場。しかし、そんな雰囲気など知ったことかと言わんばかりに、久秀は木剣を一振り地面を引きずりながら飄々とした顔で姿を見せた。尚、適当につけたレディ・ダンという名は『ダンジョー』のもじりである。

「おーい、嬢ちゃん!ここは遊び場じゃあねえんだぞー!」

「それとも迷子かーい、ママの元に帰んな!」

 最前列でやんややんやと騒いでいた若者が2人、酒混じりの赤ら顔で久秀へとそんなバッシングを浴びせかける。

「・・・・・・」

「止めろ」

 そのバッシングを実況者が止める前に若者たちへ無言で弓を構えようとしたミルシを、フェデレーコは静かに止めた。

「裁きです」

「何のだ?」

「あの人を馬鹿にしました。死一等を減じても、死です」

「・・・怖いことを言うな」

 素面でこれとは、いったいどんな教育をしている。そう、恨みがましい感情が乗せられた一瞥を、果心は無心でナッツを齧ってスルーした。

「それにしても、まさかロクに防具も纏わんとは。舐めてるのか?」

「かも、しれませんね。久秀殿からすればこのような命のやり取りを行わない仕合なぞ、児戯にも等しいと考えても不思議はありません・・・」

「おい」

「・・・と、言うのは小生の冗談です。なにしろあの体躯ですから脛当て、手甲、胴丸、肩当、兜と身に纏えば、当世具足でも身動きすら出来なくなるでしょうしね」

「それに、あの可愛い姿を隠す鎧なんて、不要なんです」

 最後に付け加えられたミルシの意見は兎も角、果心によるそれなりに筋の通った説明に納得したフェデレーコは怪訝な顔を解くと、

「まあ、いい。さて・・・」

 長い足をスイと組み、目前の闘技場の中央、今まさに闘いが行われんとするフィールドに目を移す。

「見せて貰おうかダンジョー。クリスフトが推挙する、お前の力とやらを」


「おいおい、マジかよ」

 カマーセは、その岩肌のようなゴツゴツした顔を不満で更に角立てて、茶色い歯が目立つ口から文句を吐き出す。

「折角の晴れ舞台だってのに、こんなチンケな小娘が相手たあ。冗談じゃねえよ、ったく・・・」

「うむ。お主の顔くらいは、冗談ではないの」

「・・・ああ?どういうこった、今のは?」

「なに。冗談でそのように見目の悪い面を作るはずも無し、ということじゃ」

「・・・あん」

 意味は伝わらなくとも気持ちが伝わることはまれによくあることで、今がその時だ。ビキリ、とカマーセの右蟀谷に太い血管が浮き出る。

「馬鹿にしてんのか?」

「よく分かったの。満更馬鹿でもないようじゃ」

 ビキリ、と左の蟀谷にも太い血管が浮き出る。

「ほっほ。まるで怒髪天を突く鬼のようじゃの。もっとも・・・その禿頭に、髪は無いがの」

 ブチン、とカマーセの頭の中で、何かが切れる音がした。

「死にたいようだな・・・クソガキィ!そんな生っ白い細腕で、オレ様に勝てるとでも思ってんのか、ああ!」

「まさか。貴様如きに殺されるようでは、涅槃におる息子らに顔向け出来ぬでの」

 最後のは軽口では無かったのだが、聞いた側のカマーセからすればそう取られても仕方が無い。こんな少女の中身が60を超えた老人だなんて、それこそまさかだ。

 ミキャリ、と力を入れすぎた全身の筋肉が唸りを上げる。

「いいぜえ・・・殺してやるよ」

 殺意で充血した視線の先、力がこもり過ぎて歪んだ眼球が映し出す歪な映像の中で。気の弱い者なら失禁するほどの殺意を浴びて尚、木剣を正眼に構えた久秀は飄々と言い放つ。

「あまり強気な台詞は吐かぬことじゃ。ただでさえ噛ませ犬な風貌じゃのに、増々弱く見えるぞ?」

「ほざきやがれえええぇ!」

 とうとう怒りの臨界点を越えた体が、まるで抑え込まれていたバネが弾けるように久秀へと飛びかかる。大きく振り被った金棒を持つ二の腕には筋肉と血管がミチミチと浮き出るほどに力が籠められており、それが一度解放されれば鎌鼬もかくもやというスピードで振るわれることだろう。

 疾風の如きスピードを生み出す脚力と、真鍮造りの金棒を軽々と振り回す腕力。どうやら、彼の肉体を飾る筋肉は見掛け倒しでは無かったらしい。

 観客たちは、逃げる間もなくカマーセの攻撃圏内に捉えられた久秀の体がその万力で振るわれる金棒で骨ごとグシャグシャに打ち砕かれる光景を幻視し、思わず顔を両掌で覆った。

 だが、幻視は幻視だ。

「ふっ」

 1拍。カマーセが金棒を振り降ろす直前に、久秀がその内懐へと飛び込む。

「そっ」

 2拍。軽く跳ね上げた木剣の切っ先を金棒を持つ右腕の肘へと打ちつけ、ビリリと痺れた腕から金棒が零れ落ちる。腱を打たれたことによる反射だ、いくら筋肉を鍛えようと、どうしようもない。

「な!?」

 ガランとけたたましい金属音を響かせて金棒が落着する頃には、既に久秀の体は宙に飛び上がっていた。身体を捻るようにして抱え込んだ木剣の切っ先が、まるで糸で繋がっているかのようにピッタリと、カマーセの顔面の中心部へと向けられる。

「まっ・・・」

「せっ!」

 そして3拍目。久秀のしなやかな筋肉から弾き出された切っ先は狙い過たず、カマーセの鼻先へと突き刺さった。刃どころか金属製ですらない木剣でも、柔らかい軟骨を砕きながら鼻梁を陥没させるくらいは出来る。

「ピヒュウ・・・」

「っと」

 そうして、カマーセが悲鳴にも聞こえる空気音を吐き出しながら仰向けに倒れるのと、久秀がスタリと着地したのはほぼ同時。時間にして5秒も無い、正に瞬殺だった。

「こ、こ、こ、こ、これは!これは、これはなんとおおおぉ!信じられないものを私たちは見ています!カマーセが、優勝候補と目されたカマーセを破ったのは!な、な、なんとおおおぉ、突然の参入者、レディ・ダンだあああああ!」

 あまりにも呆気のない、あまりにも予想外の結末に観客が呆然とする中。独り実況者の叫び声だけが、闘技場内に響き渡っていた。


「・・・で」

「で?」

「で、お主ら・・・儂に何ぞか、言うことは無いかの?」

 試合後、闘技場内に設けられた食事スペースで、久秀はミルシたちをブスリと半眼で睨みながらそう問うた。

 時間は丁度お昼時。多くの観客でごった返すこのエリアでは一々他の客などに気を払う余裕は誰にも無いようで、先ほどやらかした久秀も喋る鼠である果心も、軽く外套を羽織るなどするだけで耳目は引かずに済んだ。

 しかし、そんな視線を受けて尚、ミルシの羽織る外套の下の果心はいけしゃあしゃあと嘯く。

「おやおや、これは異なこと。小生は松永殿が負けるなどと、端から思ってなぞおりませんでしたよ?」

「あ、カシンさんズルい!わ、私も・・・・・・は、ちょっとだけ、危ないかなって、その」

「お主らのう・・・ちくとは儂を信用せい」

 不満顔で頬杖をつきながら、久秀は自分用に注文したゆで卵をもしゃもしゃと頬張った。午後からも試合があるので、揚げ物なんかの消化の悪いものは厳禁なのだ。

 本式の剣闘試合なら、昼食時だろうと不正予防のために全試合が終わるまでカンヅメにされるのだが、今回の試合は腕自慢のためのトーナメントマッチだ。そこまで大きな金が動く訳でもないので、久秀以外にも剣闘士らしい人物がチラホラと同じエリアで食事をとっていた。

 いくら剣闘士と言えど、空気の悪い裏方で固いパンを齧るより、多少手間でも暖かい食事を食べた方が気持ちも上がるものらしい。

「でも・・・それなりの付き合いですけれど私、ダンジョーさんが剣を使えるなんて、今の今まで知りませんでしたよ?」

 だからしょうがないじゃないですか、と言いたげな口吻で、揚げた馬鈴薯をパクつきながらミルシが零す。

「じゃとしてものう。この儂が、初めから勝ち目の無い戦に出る訳がなかろうて」

「しかし松永殿」

「何じゃ?」

「ミルシ嬢の仰ることも尤もです。小生も寡聞にして、久秀殿があれほど見事なまでに剣術を学ばれていたとは知りませんでした。京で流行りの新当流とは、また少し趣きが違うようでしたが?」

「うむ、違う」

 褒められて少し機嫌を取り戻した久秀はそう頷くと、

「筒井から離反してきた、柳生新左衛門なる男から学んだのじゃ。あ奴は新陰流と言っておったが、上泉殿のものとはまた違う気がしての、礼に柳生流の名を与えておいたのじゃ。あの戦の時分には郷里に帰っておったが・・・どうしたのかのう」

「おや?・・・珍しいですね。松永殿が寝返り者を悼むとは」

「儂を何じゃと思っておるのじゃ、まったく。・・・少なくとも儂は裏切らなんだし、そもそも共に城に籠った者に、そうそう悪感情が出るはずもあるまい」

 尚、この柳生新左衛門という男。後に江戸の御世において将軍家兵法指南役に任じられる柳生宗矩の父親、柳生宗厳その人である。

「それにしてもダンジョーさん・・・見せたかったですよ、あの人の顔」

「あの人・・・ああ、あ奴か」

 流石にこの場でフェデレーコの名を軽々に出す訳にはいかないと、それくらいの自制はミルシにも利いた。

「ビックリして、目をパチクリさせて。ダンジョーさんを馬鹿にするから、いい薬です」

「お主も、調子の良い奴じゃのう。・・・おっと」

 ガランガランと、割れ鐘のような音が響く。昼休憩の時間が終わり、午後の部がそろそろ始まることを報せる合図の音である。

「では、ちくと行ってくるでの。お主らは大人しくしとるんじゃぞ」

「ええ。松永殿もお気をつけて」

「安心して下さい!若し万が一何かあったら、私が殴り込みますから!」

「止めぬか、たわけ」

 意気軒昂にバンと胸を叩くミルシを窘めつつ、久秀は最後に残ったゆで卵を口の中に放り込むと、ニコリと微笑んで言った。

「安心せい。こと条件の同じ仕合で、儂が負ける訳がなかろうて」

 

 

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