第42話 決闘技場

『集え、若人たちよ!』

 来よ、歓声渦巻く闘技場コロッセウムへ!

 見よ、己を賭けて戦う剣闘士グラジエーターを!

 感じよ、ぶつかり合う熱き血潮を!

 そして!

『勝利こそが名誉!二つ名こそが彼らの墓碑銘!』

 称えよ、勝者を!

 戦士たちは、君の応援を待っている!


「・・・何じゃこれ?」

 手渡されたチラシを最後まで読んで、久秀は皆目分からぬといった表情で呟いた。正確には一段目を読んだ段階で理解を放り投げたのだが、それでも一応は最後まで読んでみたのはそれを手渡したフェデレーコへの礼儀と、隣を歩くミルシへ見せる強がり故だ。

「何じゃも何も、お前が説明しろと言ったんだろう?」

 対して、前を歩くフェデレーコは振り向きもせずにそう言い放つ。

「説明になっとらん」

「そうか。まあ、いい」

「良く無いぞ」

「行けば分かるからな」

 そんな会話をしながら、肩で風を切るフェデレーコが先導して3人が歩くのは彼女たちが最初に会った路地裏の道だ。彼が外へ出るのに文官服から先のチンピラスタイルに着替えたこともあり、今の彼女たちはチンピラと、異国情緒溢れる女の子と、地味な外套を纏った少女のパーティである。

 一目見て二度振り返る、珍妙な取り合わせだ。

「それにのう、フェ坊」

「変な渾名を付けるな。・・・まあ、いい。何だ?」

「そも、この道は何じゃ?」

「行政府から市街へ抜ける裏道だが?」

「分かってはぐらかしておろう。儂が訊きたいのは『何故、その道へお主の部屋から隠し通路が伸びておるのか』じゃ」

 そう。あの後ミルシとフェデレーコの私室で合流した久秀たちは、その隣室に案内された。そこは一見すると質素な書斎だったが、

「そこで待て」

 閉じられたドアの前で彼女たちを制止して、本棚の本を数冊、コチョコチョと抜き差しすると、何と言うことだろう。丁度、久秀の右隣にあった本棚が震えたかと思うと、まるでドアのようにググッとこちらへと押し開かれたではないか。

 そして、丁度鼻先でピタリと止まったそれに、久秀は思わず「うお!?」と悲鳴を上げた。

「危なかろう」

 非難の声を上げる久秀にフェデレーコはいけしゃあしゃと、

「だから、待てと言った。それに、お前らが奴の言う手練れなら、こんなのは避けられて当然だろう」

「そんなことよりフェデレーコさん」

「何だ?」

「その開け方、私たちに見せても良かったんですか?」

「構わん。ここをこのやり方で開けるには、まずこの部屋に入らねばならんからな」

「・・・そういう問題ですか?」

「そういう問題だ」

 淡々と述べるフェデレーコに、ミルシは「この人も大概おかしい」と囁くように呟いた。

 尚、「そんなこととは何じゃ!」と喚くもう1人のおかしい人は丸ごと無視だ、無視。

 そんなひと悶着の後、彼女たちはそのポッカリと開いた通路から九十九折の階段を下りて行き、最後に突き当たった壁に見立てた出口を開けて(ここは流石に目を瞑れと言われた)出た所が、丁度彼女たちが出会った路地裏に通じる庁舎の裏筋だったのだ。

 ちなみに、今通って来た隠し通路についてだが、あの庁舎は元々この地を収めていた王の城であり、あの通路もその王が脱出用に作らせた避難経路らしい。

「それを、俺がこうして外出用に使っている」

「成程の。しかしのう、フェ坊・・・」

「何だ?」

「お主の避難用にも使えように、如何でこうして使うておるのじゃ?」

「他意は無い。それに、俺があそこから逃げ出さなきゃならん事態など、無い」 

「じゃと良いがの」

 逃げる気はサラサラ無かったとは言え、逃げ場のない天守で腹を切ろうとした男は明後日の方向を見ながらそう嘯いた。

「それより、ここから表通りに出る。そこでは他人の振りをしろ」

「何でです?」

「お前らみたいなのと一緒に歩いていては、俺の毀誉に関わるからな」

「言うに事欠いて」

「黙れ迷子。・・・見失うなよ」

 その言葉を最後に、フェデレーコは後ろを歩く久秀たちへ目をやることも止めて足早に人でごった返す大通りを歩き過ぎていく。

 幸い、その風貌からフェデレーコを皆が避けて歩いてくれたのと、目は向けずとも気は配っているのか遅れそうになると歩調を落としてくれたので、久秀たちは特筆するような迷子にはならず、彼のエスコートする目的地へと辿り着けた。

「ここだ」

 ようやっと立ち止まった彼に追いついたフェデレーコが促すように言うまでも無く、ミルシはその目を大きく目を見開いてそれを見上げた。

「・・・わあ」

 思わず、感嘆の声が喉を震わせるそれは、一目ただのゆるりとカーブを描く煉瓦造りの壁に過ぎない。しかし、そこに設けられた大きなアーチ状の入り口に、そこへ高揚した顔で出入りする数多の観衆に、中から響く地震のような歓声の渦は、田舎暮らしの彼女には刺激的過ぎた。

「ここって・・・ここって、闘技場ですか!?」

「そうだが、何故知ってる?」

「さっき貰った地図に描いてありましたから。・・・凄い!」

 キョロキョロとお上りさんのようにあちこちを見回すミルシとは対照的に、久秀はその喧騒に参るような顔をして呟く。

「ふうむ。じゃから、あのチラシかの?」

「そういうことだ。不満か?」

「ふむ。そうじゃのう、こういった戦場めいた喧騒は・・・好き嫌いでは語れぬの」

「そうか。まあ、いい・・・ついて来い、こっちだ」

 そう言って歩を進め直すフェデレーコに、ミルシを引きずるように引っ掴んで後を追う久秀が案内されたのはその裏手に設けられたゲートだった。どうやらそこは観光客は立ち入る場所では無いらしく、鹿爪らしく槍を構えた警備兵がキッと彼女たちを睨んで誰何してきた。

「何だ、きさ・・・」

 ま、と彼が言う前に、フェデレーコがサングラスを持ち上げて素顔を見せると、居丈高に見えた警備兵は忽ちしゃちほこ張って直立する。

「りょ、領主様!?こ、これは失礼を!」

「いい。それより、アンドルーの奴は」

「わ、私は見ておりません。しかし、いつもと同じならきっと、中におられることでしょう」

「入るぞ」

「は、はい!あ、し、しかしこの者たちは・・・」

「俺の客だ。構わんな?」

「も、勿論ですとも!」

 冷汗を滝のように流す警備兵を尻目に、久秀たちはそろりそろりと闘技場へと足を踏み入れる。

「少々、脅かし過ぎではないかの?」

「俺は何もしてない。それに、この格好でないとここまで辿り着けんからな」

「よう言う。しかし・・・闘技場かの」

「不満か?」

「その言い様が、威圧的じゃと言おうとろうに。まあ、よい」

 と、彼の口癖を真似すると、

「日ノ本では鶏や犬を闘わせるのは見たことはあるが、人と人が闘うのを見世物にするのは何分、見たことがないのでの」

「そうか」

「そも、儂らにとって武芸は弓箭の誉れ、犬追い物や流鏑馬は修練や神事じゃからの。それを、投げ銭目当ての見世物にするなぞ言語道断じゃった」

「お説教か?」

「違う。それに、人の世に自らの思う理しか無いと断ずるほど、儂も耄碌してはおらぬ」

 そう嘯く久秀だったが、彼とて一端の武将だったのだから一般庶民が戦見物に勤しんでいたことを知らぬ訳は無し。相手が知らぬを幸いに正確でない知識をひけらかすのは・・・とどのつまり、彼女の見栄坊だ。

「おや松永殿、戦見物のことは仰らないので?」

「言うでない。って、果心!お主、どうして外に!?」

「あ、今出しました。フェデレーコさんが「まあ、いい」って仰ったんで」

「遅いわ!」

「それより、その言を聞くとどうやら、俺に嘘を吐いて騙そうとしたらしいが・・・まあ、いいだろう。そんなことより」

 キョロリ、としかし明確な意図をもって辺りを見回したフェデレーコはやがて、吹き抜けになった上層から酒瓶片手に「よう」とラフな挨拶をする1人の男を視界に収め、

「よう」

 と、これまたラフな挨拶を返した。

「こんな時間に珍しいじゃねえか、フェド」

「煩い。お前こそ、闘技場の支配人がこんな時間から呑んでて良いのか、アンドル―?」

 そんなことを言う顰め面に、アンドル―は酒精で紅く染まった太りじしした頬を愉快そうに持ち上げる。

「おいおい。俺がこういう奴だってのを、分かってこの御役目に推挙したと思ったんだがなあ、親友よ」

「・・・そう言ったのは、俺の身唯一の愚行だったな。だが―」

 額に手を当てて悔やむ素振りを見せつつ、次の言の葉を紡ごうとしたフェデレーコの機先を制するかのように、アンドルーはしてやったりの風で言葉を投げかけた。

「まあ、いい。だろ?」


「・・・で?」

 ギシリ、と固太りした体を剣闘士控室の1つ、そこへ備え付けの安普請のベンチに預けつつ、アンドルーはフェデレーコへと視線を向ける。

「コイツだ」

「コイツじゃ分からん」

「言ってたろう。新進気鋭の東国戦士が急病でバックレたと。その代わりだ」

「コイツがねえ」

 ジロリ、とまるで値踏みするような不躾な視線で久秀を睨めつけるバルザスに、彼女より早くミルシがニッコリと、

「その目、止めないと抉り出しますよ?」

 しかし、大変物騒な言葉を投げつける。

「おっと、失礼を」

「あら、止めずとも構いませんよ?」

「そうはいかねえ。この歳で目を潰されちゃ、堪ったもんじゃねえからな」

 勿論、アンドル―もこういった興行を取り仕切る関係上、下手な脅し文句に気圧されるほど惰弱では無い。と、言うよりは、その経験故だろう。その言葉に込められた、彼女の凄味に感づけたのは。

「脅すな」

「脅し、なんてしませんよ。やる気ですから」

「あー、フェド。若しかするとコイツの方か?」

「違う、この小さい方だ」

「ふうん。このちん・・・」

「アンドル―、さん?」

「エエッヘン!・・・もとい、お嬢さんがねえ」

 胡乱気な目こそ止めたものの、いたって不審そうな口ぶりで呟く。

 まあ、それも当然だろう。公の闘技場と言えど、そこに与えられる公の補助なんて支出の前では雀の涙も同然で、この闘技場を賄っているのはひとえにアンドルーの目利きと采配だ。ことに剣闘士のマッチメイキングについては一廉のものであり、その証拠は今も行われている試合への歓声からも明らかだ。

 そんな辣腕家の目からすれば、久秀は如何にも扱い辛い対象に思えた。

 仮に粗雑な、一般的な剣闘士のような格好で闘わせたとしよう。それで勝てば勿論結構だが、負けた時にどうみてもな幼子を甚振る光景は衆目にとって面白いものでは無かろう。かといって、豪奢に彩らせた鎧をお仕着せてヒールを張らせるには、その澄んだ目は凡俗の色に染まっておらず、盛り上がりに欠けよう。

「・・・せめて、そっちの嬢ちゃんならなあ」

「残念だが、俺が腕を見たいのはそっちの方でな」

「闘技場はお客を湧かせて金を稼ぐ場。お前さん用の面接会場じゃあねえぞ、ったく」

「大丈夫ですよ。何てったって、ダンジョーさんの術の腕は素人裸足ですから!」

 自信満々にそう言い切るミルシに、アンドル―は困ったように蟀谷を掻くと、

「残念だがな、嬢ちゃん。闘技場じゃあ、術は御法度なんだよ」

「え!な、な、何でなんです!?」

「何でも何もなあ・・・お客さんは力と力のぶつかり合いが見たいんだ。ひょいひょいと指を動かすだけの魔術師なんて、お呼びじゃないんだよ」

「そんな!それじゃ・・・・・・ダンジョーさんなんて、ただの可愛い女の子じゃないですか!?」

 何気に酷いその言い草に、人知れず落ち込んだ久秀のことは兎も角。

 ミルシの発言に、意を射たりとばかりにアンドルーは大きく頷いてみせる。

「だろう?なあ、フェド。この嬢ちゃんもこう言ってるこったし、どうにか考え直しては・・・」

「やらん。それに・・・」

「む?」

「簡単に負けるようなら、別にそれでいい」

 ギロ、と久秀に一瞥をくれる。そのいかにも品定めするような目線に、落ち込んでいた久秀の心に反骨の炎がメラメラと燃え上がった。

 目にものみせてやる、と。

「良いのかよ?」

「ああ。誇大広告を咎める仕事は増えるが、まあ、いい」

 そんな久秀の内心など露知らず。フェデレーコとアンドルーの間で久秀を出場させる話がトントン拍子に進んでいく。

「・・・・・・ふふ」

「どうしました?」

「いいえ、何も」

 そしてただ1人、久秀の纏う雰囲気の変わりように気が付いていた果心は、ただ愉快そうに2人の会話を眺めていた。

「・・・・・・分かった。丁度次の試合、午前最後の部がドタキャンした馬鹿野郎の試合だったからな、そこに出てもらおう。構わんな?」

「ああ」

 そう短く返すと、フェデレーコは踵を返して控室から出て行こうとして「そうだ」と、思い出したようにミルシの肩を掴んだ。

「わ!な、何ですか!?」

「お前は俺とだ」

「はい!?」

 ナンパのような台詞に、咄嗟にミルシの指が自身の襟元に隠した小刀へと向かう。

「止めろ。闘技場の観覧用に、領主用の一画が用意してあってな。お前はそこにいればいい、と言いたかった。勿論、その鼠も一緒にな」

「おやおや。ケチのフェドにしちゃあ、珍しい大盤振る舞いだな」

「喧しい。勘違いするなよ、一般席に置いておいて、コイツらが何か手助けをしないかを危惧するだけだ」

 まるで、古風なツンデレのような台詞を吐くフェデレーコ。これで、言ったのが頬に朱を差した可愛い女の子なら違うドラマが始まりそうだ。

「ま、まあ・・・それなら」

「良し。じゃあ、後は頼んだぞ」

 そう言うと、フェデレーコは今度こそスタスタと控室を出て行き、それを追ってミルシもバタバタとその後に続いて出て行った。

「・・・さって、と」

 そうして2人残された控室で、アンドル―はよっこらしょと立ち上がると部屋に備え付けられたレンタル用の武具と防具へと向かった。通常は闘う剣闘士が自ら武具を用意するのだが、年に数回開催される新人オーディションなんかでは、互いの公正を期すために闘技場側でこうして用意してある武具を貸し出すのだ。

「その細腕じゃあ、大物は無理だな。それに、その貧相な体を少しでも隠して少しでも見栄を張らねえと試合にならねえ。そうなると・・・サヴィア戦士か、鱗戦士の装いになるが、どっちが良い?」

 ガチャリと吊るされたそれらの鎧を手に取って振り返り、久秀に見せつけるアンドル―へ、彼女は「要らぬ」と首を振る。

「へ?」

「要らぬ、と言った」

 平然と言い放たれた言葉に「はい?」と呆気に取られるアンドル―へ、久秀は自信満々に言い切った。

「刀を1振り。それだけで良い」

 


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